ゆうかのインド奮闘記 まとめ②

 

レインボーチルドレンでのインターンを語るにははずせないチベット。

最初にこの国を知ったのはいつだったでしょうか。

 

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恥ずかしながら数年前までは、チベットがどこにあるのか、
どんな人が住んでいるのか、全くもって知りませんでした。

 

それが今は、チベットに惹きつけられて仕方がない。

 

もともとはアフリカ一筋だった私。
アフリカを想うとワクワクする。

チベットを想うと、心が穏やかになる。
向き合わなければ…という想いに駆られるのがチベット。

 

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チベット人の学生たちと関わる中で、彼らの夢や勉強にかける想いを知りました。なんと真摯に祖国チベットを思って夢や人生をかけていることか。

 

「国」という概念を改めて考えるようになったのは、紛れもなく彼らがいたから。

チベットを政治的、文化的、教育的、様々な方面から支えようと尽力している大人や若者に出会う度に、胸を打たれました。

 

時には、チベット人としてのアイデンティティを守り抜こうとする葛藤や苦悩する姿を隣でみて、どれだけその苦悩を思っても、私は核心には近づけないことにはがゆさを感じることもありました。

いっそ私もチベット人だったら、もっと理解することができるのではないか…と思うこともありました。

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しかし同時に、日本という国、文化、そして日本のこれからを考えるようになったのも事実。

 

一日本人として、日本を背負っていく責任がある。

日本人だからこそ、チベットに対してできることがある。

 

一つ一つの出会いや交わした言葉、過ごした一瞬一瞬から、
今、そう思えます。

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私にとって、

チベット文化はもうどこかアジアの文化ではなく、

チベット人はもうどこか知らない国の人ではなく、

チベット問題はもうどこか遠くで起きていることではなく、

 

チベット文化は美しい国の尊い文化であり、

チベット人は大切な友人、そしてその家族であり、

チベット問題はいまこの瞬間も友人たちが抱える現実です。

 

 

今後チベットにどのように関わっていけるのかはまだわからないけれど、私なりのかたちでずっとチベットに関わっていけたらと思っています。

 

そして、この夏にチベット文化が色濃く残るラダック、そして本土チベットにも行ってきたので、現地の様子もまた少しづつアップしていきたいと思います!

 

最後になりましたが、レインボーチルドレンの皆様、心配をかけながらも温かく見守ってくれた家族と友人、インドでお世話になったたくさんの方々、心より感謝申し上げます。

 

 

 

在印チベット人にインド国民の資格をーロブサンの戦いは新たな希望となるか?

 

「チベットの未来はチベット人が決める。」

力強く話してくれたのはロブサン・ワンギャルさん。レンボーチルドレンのメンバーであり、AFPのフリージャーナリストでもあります。7月29日の午後、インドにおけるチベット問題について話を聞くため、私は彼のオフィスを訪ねました。

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「インタビューの様子1」

 

ロブサンはインドで生まれたチベット人です。1994年にジャーナリストとして活動を始め、2001年からAFPの記者としてダラムサラでチベット問題に関する取材をしています。

ロブサンとの対話の2週間前、私はネパールのカトマンズでチベット人に対する弾圧を目の当たりにしました。中国との外交関係を重視するネパール政府は、国境警備を強化したり、在ネパールチベット人の信仰を取り締まったりしています。

そんな中、日経新聞のデリー支局が中国とインドの秘密協定について報じた記事を読みました。

それによると、「シッキム州、アルナチャルプラデシュ州がインド領であることに、中国は公式な異議を唱えない。」「インド政府はダライ・ラマ14世の死後、チベット人にインドへの帰化を勧める。」「新たな亡命の受け入れを停止し、チベット亡命政府はインドから出て行く。」以上の3点が水面下で話し合われているそうです。もしこの協定が実現したら、インドにおけるチベット人の立場も難しいものになるのではないかと、不安を覚えました。

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「インタビューの様子2」

 

しかし、ロブサンはそんな不安は無用とばかりに笑って言いました。

「今、全ての在印チベット人がインド人としての市民権を得られるよう、裁判をしている。」

インドの法律によると、1950年1月26日から1987年7月1日までの間にインドで生まれた全ての人はインド人としての資格を持ちます。1970年生まれのロブサン自身も、2014年にインドでの選挙権を得ました。今回の裁判は、インドに住む全てのチベット人が、選挙権はもちろんインドのパスポートも手に入れ、インド人と全く同等の資格を得るためのものだと話してくれました。

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「ロブサンのvoting card」

 

裁判に勝ってインドのパスポートを手に入れられれば、生活はずっと楽になるといいます。現在、在印チベット人はRCと呼ばれる滞在許可を取ってインドに住んでおり、5年ごとにそれを更新しなくてはなりません。また、国内外の移動に多くの制限があります。例えば特定の場所に行く時は、役所で許可を取り、移動先でも到着時と出発時に役所でスタンプをもらわなければなりません。国内移動でありながら海外旅行をするかのような手続きが必要で、時間も手間も大きな負担となっています。

インドのパスポートが手に入れられれば、国内も海外も自由に移動できるようになり、生活の幅が広がるだろうとロブサンは話してくれました。その他にもインド国民としての権利を得ることによる恩恵は大きいといいます。

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「チベタンオリンピックを取り上げた雑誌記事」

 

裁判を始めて以来、ロブサンの元には、チベット人から多くの賞賛や期待の声が届いているそうです。ロブサンはこれまでにも、ミス・チベットコンテストやチベタンオリンピックの開催など、チベット文化を盛り上げ、権利を主張する活動に力を入れてきました。それだけに、今回の裁判に対するチベット人の期待も大きいようです。

「裁判での要求はインドの法律に基づくもので、裁判官たちもこちらに有利な態度を示している。」と、ロブサンは自信を持って話してくれました。

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「ロブサンと」

 

中印の外交関係によるチベット人への影響が懸念される中、インド人としての権利を得るためのこの戦いが亡命チベット人の新たな希望となるのでしょうか。高等裁判所の判決は、8月26日に言い渡されます。

 

「復興への願い、伝統のはたに織り込んで」

 

7月8日、私はカトマンドゥ市内のチベット難民居住区にある機織り工場、Jawarakehru Handcraft Center (JHC)を訪れました。チベット難民の女性たちが、チベタンラグと呼ばれる伝統的なラグを生産している現場です。1年前、レインボーチルドレンを通して10名の日本人がチベタンラグを注文してくれ(日本より合計20枚)、1年がかりで制作されたラグが、先日彼らの手元に届きました。この日はそれぞれの購入者が伝えてくれた使用の様子や喜びの声を、生産者であるチベットの女性たちに届けに行ったのです。

JHC 門
JHC 門
JHC 門看板
JHC 門看板

 

工場に入った時、通路を挟んで2列に並べられた織り機の前で、20名ほどの女性たちが機織り作業をしていました。人の背よりも高い機織り機、床に転がった色とりどりの糸玉、糸を織り込む規則正しい音、職人の仕事場の匂い…その場にある全てのものが特別な雰囲気を醸し出していました。それでいて、不思議と心が落ち着いたのを覚えています。

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購入者からのメッセージをまとめたスライドを見せる時、女性たちは作業を中断して私たちの周りに集まってくれました。案内をしてくれたレインボーチルドレンの奨学生ペマと、工場のマネージャーがチベット語で説明してくれます。購入者の自宅に敷かれたチベタンラグの写真を指差したり、メッセージの一言一言に聞き入って笑顔で拍手をしてくれたりする様子を見て、私も温かい気持ちになりました。

ペマによる説明
ペマによる説明

 

  • 説明に使用したスライド(クリックするとポップアップした画面から矢印でスライド閲覧できます)

 

実は、現在女性たちが作業をしている場所は仮設工場です。2015年4月にネパールを襲った大地震は、チベット難民キャンプの産業を支えていた機織り工場に甚大な被害をもたらしました。地震によるダメージで建物は倒壊寸前となり、危険すぎて中に入れない状態になりました。チベット難民を冷遇するネパール政府は、チベット難民キャンプに一切の支援をしていません。海外からネパールに集まった災害寄付金や物資も、チベット難民の元には全く届かないのだそうです。
「自分たちで生活の糧を確保するしかない」と、女性たちは危険を承知で工場に立ち入り、20数台の機織り機を持ち出したといいます。

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本来の工場は現在、取り壊し作業が進んでいます。取り壊しにかかる資金は、工場自体の廃材を建設業者に売って捻出している状況で、立て直しにはさらに約6,000万円がかかります。金額が大きいこともあり、資金集めは想像以上に難航しています。いつ本工場を再建できるのか、見通しは全くついていないといいます。

倒壊したメイン工場
倒壊したメイン工場
倒壊したメイン工場 サイドから
倒壊したメイン工場 サイドから
取り壊し中の工場
取り壊し中の工場

 

どの女性もチベット難民であり、子をもつ母であり、チベットの伝統を守り伝える職人です。倒壊寸前の工場から命がけで機織り機を運び出し、仮設工場で懸命に作業する凛とした姿。優しく温かく私たちを迎え入れ、購入者からのメッセージを喜んでくれた明るい笑顔。強さと優しさを併せ持ったチベットのお母さんたちの心と、その心が守り続ける伝統産業に、頭の下がる思いがしました。
JHCは、ネパール政府から一切支援を受けられないチベット難民の生活を支える、チベットの伝統技術を守るという点で、なくてはならないものです。1日も早く工場が再建され、チベットのお母さんたちとその家族に震災前の生活が戻ることを願わずにはいられません。

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チベット文化紹介①ーカラフルな祈祷旗・ルンタ

 

ネパールの首都、カトマンドゥ。空港からタクシーで40分、さらに徒歩20分ほど坂を登った峠の上に、滞在先のホステルがあります。ジブリ映画の世界を思わせる建物の周辺や、そこに続く山道の至る所に、5色の小さな旗が掲げられているのを見つけました。紐に通して一列に並んだ旗は、小学校時代の運動会を思い出させてくれます。

チベット人居住区のルンタ
チベット人居住区のルンタ

 

この5色の旗はタルチョー(dar lcog)、ルンタ(rlung rta)と呼ばれるチベットの祈祷旗で、寺院や峠に飾られていることが多いそう。色の並び順は青、白、赤、緑、黄色と決まっており、それぞれの色が天、風、火、水、地を表します。多くの旗には馬の絵や経文のような文字が描かれています。

空にはためくルンタ
空にはためくルンタ

 

旗が風に吹かれて揺れると、その旗が意味する厄災から人々を守ってくれる、またはその色に関する恩恵があるのだと、レインボーチルドレンの奨学生のひとりであるペマが教えてくれました。

ホステルのある峠の他、チベット難民居住区やカトマンドゥ市内のそこかしこにルンタがはためいています。カトマンドゥの街と峠を吹きぬける涼しい風に、チベット民族の祈りを感じる1週間でした。

祈るようにルンタを見上げる犬
祈るようにルンタを見上げる犬

 

強まるチベット難民への弾圧ーダライ・ラマ生誕記念式典も中止に

 

7月6日。この日はチベット仏教の最高位、ダライ・ラマ14世の生誕日でした。チベット難民の子供たちが通うSrongtsen Schoolでは、6日と7日に記念式典が開かれることになっており、約4,000名が参加予定でした。支援団体であるレインボーチルドレンのインターンとして、ダイキと私も出席できることになっていました。

しかし、生誕祭当日の7月6日に、私たちは第1日目の式典が中止になったとの連絡を受けました。話によると、ネパール警察の妨害が入り学校が封鎖され、式典が開催できなくなったとのこと。その時インドのデリーにいたダイキと私は、不穏な気持ちで7日朝、ネパールの首都カトマンドゥに入りました。滞在先の宿に着いて間もなく、2日目の式典もネパール警察からの圧力により中止になったことを知らされました。式典会場であったSrongtsen Schoolの付近は一時騒然とし、最終的に2日間で約30名の関係者が逮捕される事態となったそうです。

ネパールにおけるチベット難民への圧力は、年々強くなってきています。理由としては、ネパールと中国との外交関係が大きいとレインボーチルドレン代表の石川が話してくれました。強大な隣国・中国と友好的な関係を維持して恩恵を受けたいネパール政府としては、中国の圧迫から逃れてきたチベット難民を歓迎できないというのが実情です。チベット難民を受け入れること自体、中国との外交関係に影を落とすと考えているのでしょう。

そもそも、1959年にチベット難民の亡命が始まった頃から2000年頃までは、チベット難民はネパール国内で特別に疎まれてはいませんでした。チベタンラグという伝統的なカーペットの生産技術を持つチベット人は、観光産業しか収入源のなかったネパールにとってはむしろ歓迎できる存在でした。しかし、中国製の安い絨毯が流入するようになると、ハンドメイドの絨毯産業の重要性は低下し、チベット人たちはネパール内での強みを失ってしまったのです。

そのような背景事情の下、チベット難民に対するネパールの姿勢は硬化しています。
今回の式典中断も、チベット難民に対する圧力が形として表れたものと言えるでしょう。現在の中国にとって共産党の一党独裁を揺るがす存在である「ダライ・ラマ一味」がネパール国内で弾圧の標的になったのです。

Srongtsen school 校長先生
Srongtsen school の Jampa Phuntsok校長先生

 

「今回の出来事は、あまりにも哀しい。」
10日にSrongtsen Schoolを訪問した際、Jampa Phuntsok校長先生は率直な想いを私たちに話してくれました。
「ネパール政府からの圧力は段々と強くなっている。チベット人は民主主義の中に生きることができていない」と、ネパールにいるチベット難民の立場についても言及しました。

近年は、世界難民条約に加盟していないネパールが亡命してきたチベット難民を中国に強制送還する事例も多いといいます。国境警備の強化の影響か、2007年には2000人以上いた中国からネパールに渡るチベット人の数は、2013年にはわずか170人程度と過去最小にまで落ち込みました。

中国にもネパールにも、自国の統一や利益拡大を目指したいという思惑はあるのでしょう。しかし国家間の利害関係に振り回されて迫害や拷問の危険のある中国に送り返されたり、命がけで渡った亡命先で弾圧されたりするチベット人はどうなるでしょうか。中国にしてもネパールにしても、自国の利益を追求するだけでなく、自分と異なるものを広く受け入れ、助けを必要としている人々に対して手を差し伸べる、そんな姿勢が求められるのではないかと、現地でチベット難民への抑圧を目の当たりにして考えさせられました。

 

ゆうかのインド奮闘記 まとめ①

 

ナマステ〜

お久しぶりの元現地インターン、ゆうかです。私の任期は終了したので、今日は日本から更新します!

現在は同じ大学の友人ダイキがインドで絶賛奮闘中です。灼熱のインドに負けず、頑張ってる様子はこちらから!(ダイキのGo!インドMyWay

 

さて、インドから帰ってきて早くも3ヶ月が経とうとしています。でも未だにフラッシュバックするインドでの生活。

 

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けたたましいクラクション。

どこにでもいる牛たち。

道端のおじさん、おばさんとの他愛ない会話。

どこかスパイスの混じった埃っぽい匂い…

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ほんとに小さな日常が私の中に刻み込まれていたことを改めて感じます。

 

昨年の9月にインドに来たときは、この非日常の世界に溶け込むことができるのか不安でいっぱいでした。けれどいつの間にか、あの非日常が私の日常になっていたのだと日本に帰って改めて思います。

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振り返ればあっという間の半年間。

悔しい想いもあります。もっとやれることはあったのではないかと思うこともあります。

 

でもやっぱり、楽しかった。

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スラムの子供たちと過ごした過ごした時間。

 

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日々深まるインドやチベットの知識。

 

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かけがえのない出会い。

 

この半年間、思うようにはいかなかった。
そこはやっぱりインド。いま必要なことにしか道は拓かれない。

 

いま進めるべきプロジェクトではないと言っているかのように、前に進めることができない理由が突如として現れる。

 

一方で、進むべき方向には吸い込まれるようにして道が拓ける。

 

だから偶然か必然かたくさんの出会いがあり、困ったときは救いの手がそこに差し伸べられていました。いつも守られていることを実感したそんな半年間でした。

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まとめ②に続きます。

 

ダイキのインターンブログ④インド中が熱狂?!国民的スポーツ『クリケット』とは

 

ナマステー

今回は、南インドに関することではなく、インドの国民的スポーツと言っても過言ではないクリケットについて触れたいと思います。(いや、国民的スポーツに違いない)

インドに来てから、ここでもかってくらいインド人がクリケットに夢中になってる姿をよく見かけます。インドの狭い路地で工夫しながら遊んでいる子どもたちから、店内が見えなくなるくらいお店の外からガラス越しに生中継に釘付けになるインド人。関心する程です。

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クリケットは元々、イギリス発祥のスポーツで、昔、英植民地であったインドや南アフリカを初めとする世界各地に伝わっていったそうです。日本では、野球やサッカーのように馴染みはないかもしれないです。しかし、事実、球技としての競技人口はサッカーに次いで世界第2位だそうです。

ただ、画面だけ見ててもルールは分からないと思います。これはインドにいる多くの日本人が口を揃えて言ってました笑

端的に、クリケットは「守るように攻める」スポーツだと僕は思います。

試合は、1チーム11人編成で、1イニング/回分で終わります。ボウラー(投手)が相手チーム11人分のアウトを取ることで攻守交代になります。ボウラーは、バッツマン(打者)の背後にあるウィケットと呼ばれる3本の棒を倒すことでアウトを取れます。一方で、バッツマンはボールがウィケットに当たることから守らなければなりません。そして、攻める。野球と違って、ファールというものがないため360度ボールを打つことも可能です。

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そして先ほど述べた、IPLというのは、インディアン・プレミア・リーグ(Indian Premier Leage)は、インドにおけるクリケットのプロリーグの名称です。

IPLでは、「トゥエンティ20」という試合形式を採用しています。中には最大5日間で勝負を決める試合形式もあるそうですが、時間と投球数の制限を程よく調整されたのが「トゥエンティ20」ということだそうです。

そして、連日多くのインド人がTVに釘付けになっていたのもそのはず、IPLの決勝戦があったからでした。夜中暑くて戸を開けていたら歓声が聞こえたのも、ここバンガロールのホームチームであったRoyal Challengers Bangaloreとの対戦ということもあったからでしょう。

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しかし、残念ながら2016年度の優勝を勝ち取ったのは、Sunrisers Hyderabadでした。

どうでしたか。長くなりましたが、少しでもインドのアツいクリケット事情が伝わったでしょうか。

参考:

「日本クリケット協会」:http://www.cricket.or.jp/what_is_cricket/

「News18 cricket next」:http://www.cricket.or.jp/what_is_cricket/

 

ダイキのインターンブログ③バンガロール事情

 

ナマステー

レインボーチルドレンのインターン第二号、ダイキです。

インドに来て既に早3ヶ月になろうとしています。前もお伝えしましたが、今はインドのシリコンバレーとも呼ばれるバンガロール(=Bangalore)に滞在しております。英語表記だと、ベンガルール(=Bengaluru)。面倒くさいと感じるのは僕だけでしょうか。

それもそのはず、最近、2014年にベンガルールに改称されたとのことです。ちなみに、ベンガルールという呼称はこちらの現地語であるカンナダ語で表記した時の呼称だそうです。(以降、バンガロールで統一させて頂きます)

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「バンガロール??ん、涼しいよ。」

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そんなわけがない。

インド国内を見ても結構北に位置しているデリーですらあの暑さ。南に行けばそりゃもっと暑いに違いない。

そんな思いこみは、空港を出た瞬間に覆されました。。

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いや、涼しい。

むしろ、快適。

住みたい、とか思ってしまったりしなかったり。

いや、しますね。。

 

 

マイソール高原地形図

〈写真、Wikipediaより〉

バンガロールは高原都市とも呼ばれています。

マイソール高原の中心に位置し、その中でも海抜も他の都市と比べて高いということから「バンガロール=涼しい」と言えるでしょう。

まだ、しばらく南インドには滞在する予定なので、更新していきたいと思いますので、よろしくお願いします。

 

ダイキのインターンブログ②キッズカメラProject@青空教室

 

ナマステー

レインボーチルドレンのインターン生第二号、ダイキです。

デリーは、日中45度近くあり、灼熱です。ですが、しっかりPani(ヒンディ語で「水」)を常備し、水分補給していれば問題ありません。

そして、今はバンガロールに来ています。これから数週間程、南インドを拠点に奨学生と会っていきたいと思います。南インド事情は次回のブログで紹介したいと思います。それでは、今回はキッズカメラProjectの報告をしたいと思います。

 

NPOレインボーチルドレン キッズカメラプロジェクト

先日、Free School Under the Bridge(通称、青空教室)にて、キッズカメラProjectを行なってきました。今回は、レインボーチルドレンの奨学生でもあるTharchin(奨学生file.24/ Jawaharlal Nehru University院生)が活動のサポートをしてくれました。彼なしでは今回の活動はなし得なかったほどだと思ってます。感謝しかないです。

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トゥジェチェ〜(チベット語で、ありがとう)

さて、当日は指定された時間にきても一向にProjectが出来る雰囲気ではない。かといって、授業を中断するわけにもいかなかった。そして、待つこと2時間、いきなり「解散!」的なかけ声で一斉に生徒たちがその場を去ったと思いきや、また戻ってくる生徒たち。冷や汗しか出ない。何だったんだ、さっきのは(汗)。よくぞ戻ってきれくれた!

実際にProjectが始まるまではヒヤヒヤしかしなかったですが、いざ本Projectの説明を始め有志を募ると、手が挙る挙る。30人くらい居た生徒たちの8割くらいが楽しそうに手を挙げてくれました。

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今回はTharchinの協力もあり、彼がこのProjectをやることに対する意義に共感してくれたこともあり、非常に円滑に進められたと思います。

最初は一度カメラを渡したら戻ってくることはないのではないかという懸念もありましたが、そんなことも起こることもなく、むしろ、「次回は生徒全員に渡すことは出来ないのか!」という声を生徒自身から聞けたのが何よりでした。

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これから、回収した生徒たちの写真がどのような形として皆さんの前に現れるかは今は言えませんが、分かり次第報告させて頂きます。

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青空教室第1期Kids Camera メンバー
女子
Shivani Sabita Sofrin
Preety Nandni
男子
Raju Sunil Rohit
Pabbu Chinfu Banty
Rajiv Pabbu(2)

 

  • 3月春ツアーで訪問した時のレポートはこちら

インド・橋の下の青空教室訪問 >

  • キッズカメラProjectのこれまでの取り組みはこちら

キッズカメラプロジェクト >

 

第二号インターンブログ①初めまして!ダイキです。

 

ナマステー

初めまして。インターン第二号のダイキです。

ユウカとは同じ大学で同じサークルで仲良くしてもらっていた子です。外目はモチモチ、中身はバリバリです。彼女のバイタリティ精神は半端じゃないです。

ユウカの後任としてこれからインドで奮起したいと思うので、今後ともよろしくお願いします。

そんなこんなしている内に、もう一ヶ月経ってしまいましたが、インドにもやっと慣れてきました。春のスタディツアーを終え、一人取り残された時はどうなることかと思いましたが、今はno problemですね。ですが、インドはこれからが勝負です。インドでは、年に二回ほど(乾季4~6、雨季7~9)夏を満喫出来るそうです。笑い事ではなく、毎年多くのインド人が熱中症で亡くなられるそうです。水分補給はもちろんのこと、熱中対策万全に活動に取り組んでいきたいと思います。

ブログは、ユウカに引き続きインターン生活や現地で感じたこと等を皆さんにお伝え出来ればと思います。今回は自己紹介だけにさせて頂きますが次回からは写真と共に更新していきたいと思いますのでどうぞよろしくお願いします。

そして、

最後になりますが、

熊本を中心にして起きた大地震によって被災された方々に対し、心よりお見舞い申し上げます。