7月6日。この日はチベット仏教の最高位、ダライ・ラマ14世の生誕日でした。チベット難民の子供たちが通うSrongtsen Schoolでは、6日と7日に記念式典が開かれることになっており、約4,000名が参加予定でした。支援団体であるレインボーチルドレンのインターンとして、ダイキと私も出席できることになっていました。
しかし、生誕祭当日の7月6日に、私たちは第1日目の式典が中止になったとの連絡を受けました。話によると、ネパール警察の妨害が入り学校が封鎖され、式典が開催できなくなったとのこと。その時インドのデリーにいたダイキと私は、不穏な気持ちで7日朝、ネパールの首都カトマンドゥに入りました。滞在先の宿に着いて間もなく、2日目の式典もネパール警察からの圧力により中止になったことを知らされました。式典会場であったSrongtsen Schoolの付近は一時騒然とし、最終的に2日間で約30名の関係者が逮捕される事態となったそうです。
ネパールにおけるチベット難民への圧力は、年々強くなってきています。理由としては、ネパールと中国との外交関係が大きいとレインボーチルドレン代表の石川が話してくれました。強大な隣国・中国と友好的な関係を維持して恩恵を受けたいネパール政府としては、中国の圧迫から逃れてきたチベット難民を歓迎できないというのが実情です。チベット難民を受け入れること自体、中国との外交関係に影を落とすと考えているのでしょう。
そもそも、1959年にチベット難民の亡命が始まった頃から2000年頃までは、チベット難民はネパール国内で特別に疎まれてはいませんでした。チベタンラグという伝統的なカーペットの生産技術を持つチベット人は、観光産業しか収入源のなかったネパールにとってはむしろ歓迎できる存在でした。しかし、中国製の安い絨毯が流入するようになると、ハンドメイドの絨毯産業の重要性は低下し、チベット人たちはネパール内での強みを失ってしまったのです。
そのような背景事情の下、チベット難民に対するネパールの姿勢は硬化しています。
今回の式典中断も、チベット難民に対する圧力が形として表れたものと言えるでしょう。現在の中国にとって共産党の一党独裁を揺るがす存在である「ダライ・ラマ一味」がネパール国内で弾圧の標的になったのです。
「今回の出来事は、あまりにも哀しい。」
10日にSrongtsen Schoolを訪問した際、Jampa Phuntsok校長先生は率直な想いを私たちに話してくれました。
「ネパール政府からの圧力は段々と強くなっている。チベット人は民主主義の中に生きることができていない」と、ネパールにいるチベット難民の立場についても言及しました。
近年は、世界難民条約に加盟していないネパールが亡命してきたチベット難民を中国に強制送還する事例も多いといいます。国境警備の強化の影響か、2007年には2000人以上いた中国からネパールに渡るチベット人の数は、2013年にはわずか170人程度と過去最小にまで落ち込みました。
中国にもネパールにも、自国の統一や利益拡大を目指したいという思惑はあるのでしょう。しかし国家間の利害関係に振り回されて迫害や拷問の危険のある中国に送り返されたり、命がけで渡った亡命先で弾圧されたりするチベット人はどうなるでしょうか。中国にしてもネパールにしても、自国の利益を追求するだけでなく、自分と異なるものを広く受け入れ、助けを必要としている人々に対して手を差し伸べる、そんな姿勢が求められるのではないかと、現地でチベット難民への抑圧を目の当たりにして考えさせられました。