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Tenzin Dolkar

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  • インド北部で生まれ育つ。両親はダラムサラ、マクロードガンジに住み、父親はウィンタービジネスをしている。母親はTibetan Women Associationのメンバー。二人の妹がおり、一人はTCVスジャの11年生、もう一人は来年彼女と同じサラ大学に入学する予定。彼女はマクロードガンジにあるTCVのDay Schoolに通い、11年、12年はUTCVで文系コースを専攻した。友達と過ごした日々が未だ懐かしく、友達や寮でのことなどを綴っていた日記を読み返すこともある。
  • サラ大学への進学は母親が決めた。より良い人生を歩むためにサラ大学を勧められたが、当初は他の大学に進学したいと考えていた。チベットの歴史を学ぶことに特に楽しみを感じている。しかし、チベット語はつまならく感じ、好きではない。
  • 将来はニュースレポーターになりたいと思っている。彼女の叔母がVoice of Americaのニュースレポーターをしているため、彼女も叔母と同じところで働きたい。
  • バスケや陸上、サッカー、ジャンプなどあらゆる種類のスポーツを学校時代はしてきた。バスケの試合で2位になったこともある。
  • 週末や放課後には洋楽を聴いたり、ダンスをしたりしている。他にも漫画を描いたり読んだりすることもある。

 

「自分の意思でこの大学を進学したわけではなく、まだ他の道に未練があるような雰囲気をなんども彼女からは感じました。部屋にも案内してもらい、彼女のダンスの動画なども見せてもらいました。」

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Tenzin Kalden

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  • インド東北部で生まれる。東北部にあるチベット人居住地区は最も貧しい地域と言われている。火を起こすのですら困難な状況にある地域。政府はそこの住民をカナダなどへ移住させる計画を立てており、住人らがインドを離れているが、彼自身は国外へ出る意志はない。2013年来、その地域には帰っていない。
  • 父親は学校の職員をしている。母親はデリーでウィンタービジネスをしているため、実家を離れている。兄弟は他にいない。一人の子供にすべてを分け与えたいという父親の以降から兄弟はいない。
  • TCVチャントラに通い、11~12年生はUTCVに通い、コマスを専攻。デリーの大学に進学しようと思っていたが、試験で良い成績を残すことができなかった。そのため、一年間浪人し、サラ大学のPre-Collegeで勉強した。その後、3番目の成績でサラ大学に入学した。もともとチベット語に興味を持っていたことが進学理由。「興味さえあれば、なんでも学ぶことができる」
  • 将来は翻訳家になりたい。特にこどもの童話を訳したいと思っている。現在、ロブサンセンゲ首相は、CTAを通して通訳者を探しているため、そのポジションに入ることを目指している。これまで4冊ほどの本を翻訳してきた。職に就く前にできる限り翻訳の経験を積めるように努力している。
  • 週末などは映画を見たり、短いストーリーを翻訳しCTAに送ったりしている。サッカーが好きだが、ダラムサラにはグラウンドがなく、練習ができない。広い土地がないダラムサラではバスケットボールが流行っているが、バスケにはあまり興味がない。

 

「質問する前に彼の方からたくさん話してくれるくらい明るく社交的。質問した内容の他にも、楽しかった経験や思い出などもたくさんシェアしてくれました。」

奨学生file.28 Tenzin Kunsang

 

Tenzin Kunsang

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Kunsangは、Guru Gobind Singh indoraprastha大学の工学部に通う1年生です。

彼の専攻はインフォメーションテクノロジー。元々は、同じ学校に通うTenzin Dakarと同様のコンピューターサイエンスを専攻したかったそうですが、入学時の点数がわずかに足りなかったそうです。そのため、コンピューターサイエンスとあまり変わりのないインフォメーションテクノロジーを選択しました。

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大学の校章

将来の夢は、ゲームプログラマーです。コンピューターゲームの分野で活躍し、特にチベット社会に対して何か働きかけていきたいと話していました。コンピューターゲームを開発していくことが夢ですが、自身もゲームをするのが趣味の一つのようです。週末は、大学の同じ寮にいる友達と集まって、ゲームを楽しんでいるようです。

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男子のホステルの前で

また、放課後はDakarと共にサッカーをして楽しんでいるようです。暗くなるまで、みんなで練習に励んでいるのだそうです。

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カフェテリアメニュー

大学を卒業後は、インドにあるITに特化した大学院に進むことを考えています。ゲームプログラマーになるためのさらに専門的な知識をつけたいと話していました。

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キャンパス

両親はダラムサラ近くのBirに住んでいます。現在は、ウィンタービジネスでグジャラティにいるそうです。彼の家族はグジャラティでアクセサリーを販売しています。お姉さんが一人いて、彼女はデリーにあるメンツィカンで働いています。同じデリーにいるので、たまに会ったりしているそうです。

 

中学3年生まで、ダラムサラ近郊にあるTCVに通っていました。その後、デラドゥンの学校に移りました。高校では、文系、商学系、理系の三つのコースがあり、高校の2年間ではコースに分かれて重点的に学び高等教育へつなげるというシステムがあります。彼はサイエンスコースを選んだそうです。そして、現在に至っています。

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KunsangとDakar

今回は、同じ大学で同じ学部のTenzin Dakarと一緒に会いました。Kunsangは、午前中に試験があったのでそのあとに駆けつけてくれました。笑顔の素敵な青年です。二人ともまだまだあどけなさが残り、先輩の奨学生とはまた異なった初々しい雰囲気がありました。今後、垢抜けていくんだろうなぁ…と勝手に想像しています。彼の将来が楽しみです。

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Wangdue

  • チベット自治区、ラサ出身。幼い頃に両親が離婚したため、母親と過ごす。兄と姉がいる。母親は再婚し、子供がいる。母親はポタラ宮の中でものを売っている。ラサでは農業は不可能なため、何かしらのビジネスに就かなければいけない。姉はインドへ亡命する途中で行方不明に。
  • 自身が14、15歳のときに親の意向でインド亡命を決意。ラサには学校に行かなくても、時間を潰す術(ゲームなど)はあるが、そこにいても将来がないと考えたため、ダライ・ラマの祝福をえるため、そして教育を受けるためにインドへ。
  • 幼い頃に僧になり、亡命前にマナリにある小さな寺院に連絡し、亡命後にお世話になることが決まっていた。しかし、南インドにある3つのメインの寺院の一つで教育を受けることになった。そこで、学士と同等のコースを卒業し、マナリの寺院に戻った。その後にサラ大学へ。サラ大学へは、チベット語をより深く学びたいと思ったため、進学した。寺院では、仏教哲学などは学べるが、それ以上にチベット語を学びたいという意思があったため、寺院を離れることになった。全ては自身の決断によるもの。2014年に1年間、サラ大学で進学準備コースを履修し、翌年入学した。
  • 卒業後は、マスターコースに進みたい。チベット社会に働きかけるソーシャルワーカーになりたいと考えている。
  • 時間があるときは、友達と話したり課題をしたりしている。一年生は課題が特に多い。特定の趣味はないが、自分がしたいと思ったことを自由にしている。

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Tsultrim Jangnye

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  • 東チベット出身。5人家族の末っ子。片親(母親)に育てられた。兄の一人も亡命してきており、南インドの寺院にいる。
  • 亡命は自らの意思で決断した。2011年4月にダライ・ラマ法王の祝福を得るためにインドへ。チベットとネパールの国境線近くまでは交通機関を使ってくることができた。学生証を持っていたからである。その後は徒歩で国境を越えた。すぐにチベットに帰ろうと思っていたが、なかなかチベットに帰る許可証が下りないため、インドで勉強することにした。
  • 亡命後はTransit Schoolに通い、そこで勉強するうちにチベット語を勉強する重要性に気づき、サラ大学に進学した。卒業後は、バラナシにあるチベット語を学ぶことができる大学に進学したいが、詳細はまだ未定。
  • 将来は、チベットに戻り出身の地域でチベット語の先生をしたいと考えている。チベット本土にいた頃は、寺院にある学校に通っておりそこでもチベット語を学んでいた。しかし、度々中国政府関係者が寺院に押しかけ止められたため、学び続けることは難しかった。
  • 空き時間には、チベット文学や詩を読んでいる。趣味は読書と詩を書くこと。

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Tenzin Kunga

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Kungaは、デリー大学Shivaji collegeに通う学生です。政治学を専攻しています。元々は、法学部に行きたかったのですが、試験で点数が足りなかったため、政治学を専攻することになりました。今年の試験は、倍率が例年より高かったそうです。実は他大学の法学部もいけたそうですが、大学によっては講義内容が充実していないところもあるため、Shivajの政治学を選んだそうです。

 

休みの時は、友達とでかけたり、新聞を読んだりしているそうです。さすが、政治学の学生ですね。他にもダライ・ラマの公式HPや亡命政府のHPは毎日チェックし、チベット社会の状況を把握しています。そのホームページをチェックすることが日課になっているのだそうです。「もし、それをしなかったら、なにか変なかんじがするようになった」と話していました。

「新聞やHPをよむと社会が見えてくる」

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将来の夢は、弁護士になること。とくに人権問題に特化した国際的な弁護士になりたいと胸の内を明かしてくれました。チベット社会に貢献していくために、人権を主に扱う弁護士になるという選択をしました。

 

まだ、一年生ですが卒業後のプランもしっかり考えていました。教育省が持つ奨学金の中に、Global leadership奨学金が存在します。これは、アメリカ政府が推進している活動で、アメリカの大学で学ぶことができる奨学金なのです。この奨学金を得るためには、TOEFL満点を取らないといけないそうで、現在はそれに向けて猛勉強しています。この奨学生に選ばれたら、マスターとして法学に関して学ぶ予定だと話していました。その後は、PHDにまで進みたいそうです。

 

彼は、北西部ダージリン出身です。デリーに来る前は、ダージリンのCSTで過ごしていました。お姉さんはラジャスターンで、ウィンタービジネスをしています。お兄さんは、デリーのアメリカ大使館に勤務し、一緒に住んでいます。お父さんは、3ヶ月前に亡くなってしまいました。
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彼は、たくさんの本を読み、相当の知識をつけています。チベット社会の方向性として、ミドルウェイアプローチを選ぶべきなのか、それとも独立路線でいくべきなのか、その狭間で揺れる想いを明かしてくれ、たくさんのチベットに関することをたくさん学びました。周りに流されず、しっかり現状を見据えて自分自身の考えを主張できる青年という印象を受けました。

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Tenzin Dakar

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Tenzin Dakarは、Guru Gobind Singh Indraprastha Universityに通う1年生です。彼の専攻は、工学部です。現在は、物理や化学、数学などの基礎的な講義を履修しています。これらの授業は、1年生の必修の科目です。2年生になると、さらに専門的なコースに分かれ、学びを深めていきます。彼は、コンピューターサイエンスを専攻する予定です。

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キャンパス

GGSIを卒業後は、ヨーロッパかアメリカの大学院で学びたいと考えているそうです。コンピューターサイエンスがより発達している大学で、最新の技術を学ぶのだそうです。海外の大学院に進学するためには、TOEFLの試験が必要となり今からTOEFLの勉強も始めているのだとか。そして、コンピューターエンジニアとして、チベット人社会のために働きかけていきたいと話していました。

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キャンパス

Dakarの家族は、デラドゥンに住んでいます。お父さんは、デラドゥンにある高校でチベット語の先生をしていましたが、今は退職しています。現在彼の家族は、ジャイプールにあるチベット人コミュニティでウィンタービジネスをしているのだそうです。3人兄妹のお兄さんはデラドゥンで家族とともに暮らしていて、お姉さんはデリーで看護の勉強をしているそうです。

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ライブラリー

コンピューターサイエンスを専攻するだけあって、アニメやコンピューターゲームが好きと話すDakar. 放課後は、まず部屋に帰り日本のアニメであるNARUTOを1時間見ることが日課だそうです。NARUTOやワンピースなどの日本のアニメに関して熱く語ってくれました。アニメを見た後はティーブレイクを取って、2時間ほど勉強するそうです。その後は、寮の前にあるサッカーグランドで仲間たちとサッカーに明け暮れていると話していました。

 

同じ大学のチベット人コミュニティにサッカーチームがあり、そこに所属しています。ほとんどのメンバーが1年生で構成されているそうです。時には、デリー大学のチベット人チームやインド人チームとサッカーの試合をしたりすることもあるんだそうです。サッカーについて楽しそうに話す姿から、サッカーが大好きなことが伝わってきました。

 

また、今後Dakarはフランス語を学びたいと考えていることを明かしてくれました。フランスには、多くのチベット難民の方が住んでいて、彼の友達もフランスにいるのだそうです。「パリはとても綺麗なところだと聞いてるから、一度は行ってみたい。夢の一つなんだよね」と話してくれました。

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Dakarの部屋でKunsangと

さらには、レインボーチルドレンのスラムでの活動に関して話していると、「エンジニアになったら、スラムに住む子供たちをサポートしたい。そういう想いがあるんだ」と胸の内に秘めていた想いを明かしてくれました。Dakarも将来、レインボーチルドレンのメンバーになっているかもしれません。(笑)

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キャンパスにて

Dakarは、高校卒業したばかりの1年生。まだまだ初々しいフレッシュな雰囲気が漂います。まだ最初のセメスターで、勉強も遊びも存分に楽しんでいることが伝わってきました。

GGSIの寮は他と比べて厳しく、本来であれば男子寮に女性が入ることはできないのですが、日本から来てくれたのだから…と大学オフィスに交渉してくれました。なので、5分間だけ寮に入ることが許可され、Dakarの部屋を案内してもらいました、礼儀正しく、気遣いのできる青年です。この先も大学生活を楽しんで、夢を叶えていって欲しいと思います。

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Tsering Tharchin 

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Tharchinは、Jawaharlal Nehru University(JNU)で中国語を学ぶ大学生です。

以前は、デリー大学で英語を学びその後、マスターコースで行政学を学びました。卒業後にJNUに移り、勉強を続けているそうです。彼にとって、中国語を学ぶことは、チベット人として中国のことをより深く理解することにつながるのだそうです。「中国のことを嫌うだけではなく、彼らから学び、平和的に付き合っていくことができるようになることは重要。これからのチベットには、そういった人材が必要なんだよ」と勉強するその理由を教えてくれました。

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 休みの日は、ずっと勉強しているそうです。デリー大学の学生時代はたくさん時間があり、外に出かけることもできたらしいですが、今は時間さえあれば勉強しているのだそうです。中国語自体簡単ではないし、JNUの言語学部はかなり厳しく、予習復習が必要とのことでした。勉強のために朝の5時まで図書館にいたこともあったそうです。

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キャンパス

 忙しい勉強の傍、彼は課外活動としてラジオDJをしています。ニュースを翻訳してチベット語で放送しているのだそうです。彼の友達も、「Tharchinは話す才能がある。ラジオDJは誰でもできることではないよ」と彼の仕事ぶりを褒めていました。

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キャンパス

 デリー大学の学生の頃は、Tibetan Youth Congress(若者を中心としてチベット問題に取り組む団体)に参加していました。Students for Free Tibet(Tibet Youth Congressとはまた異なりますが、チベット問題に関して行動を起こしている団体)に所属する友達も多いそうです。現在は、活動拠点から離れてしまったため、活動自体には参加していないそうです。ですが、いまでも時間が許す限りは、Students for Free Tibetなどのイベントに参加しているそうです。ときには、そのためにダラムサラにまで足を運ぶこともあるんだとか。チベット問題に関して、彼のもつ知識は計り知れません。私自身も、日々チベットのことを彼から教えてもらっています。

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キャンパス

 そんな彼の将来の夢は、政治的な活動家。祖国チベットのために、政治的な面から動いていくのだそうです。そのために中国語を学ぶことは、彼にとって重要なことなのです。JNUを卒業後は、台湾の大学に留学したいと話すTharchin。奨学金が取得できれば、必ずいくそうです。「台湾は、チベットと似た境遇に置かれているし、そこから学べることもたくさんある。将来政治的な活動を行っていくにあたって、中国、台湾、チベットの国際関係に強くなることは重要なこと」だと話していました。

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キャンパスにて

彼の家族はチベットに住んでいます。チベットののどかな地方で、ヤクややぎを飼い、チーズなどを作って生活しているのだそうです。彼は4人兄弟の末っ子で、3人の兄はみなチベットで家族とともに生活をしているとのことでした。

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 Tharchinがチベットから山を越えてインドへ来たのは2002年。彼がまだ13歳の時でした。ある時、ふいに英語を学びたいと思い、それを両親に伝えると、インドでなら学べるという情報が手に入ったといいます。そして、一人チベットを出ることを決意しました。全ては自分の意思だったのだそうです。それから12年間、家族には一度も会っていません。ですが、電話回線がカットされていないときには、家族や村の写真を送ってもらったり、電話をしたりしているそうです。ですが、一度中国政府によってネットワーク回線が切断されてしまうと、2~3ヶ月は家族と連絡が取れなくなってしまうんだそうです。彼が生まれ育った場所の写真を見せてもらいましたが、緑豊かで本当に美しい場所でした。

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Hometown

インドへ渡ったあとは、ダラムサラから少し離れたとこにあるTCVに通っていました。高校生の頃は、男子生徒をまとめるキャプテンをしていたそうです。

 

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ライブラリーにて

 現在は、JNUの寮に住んでいます。同じチベット人のルームメイトとは、まるで夫婦漫才かのような絶妙な掛け合いを披露してくれます。いつもお互い文句ばかり言っていますが、とても仲良しな二人のやりとりに笑いっぱなしでした。寮では、三食出されるようですが、チベットで育ったチベット人には、なかなかインドの料理は口に合わないそうです。なので、彼はいつも自分の部屋でチベット料理を自炊しています。決して広いとは言えない部屋ですが、調理時にはさっとIHのコンロを出してきて、キッチンが出来上がります。今度、チベット料理の一つであるThenthukをご馳走してくれるそうです!

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How he cook

彼の夢が活動家であるように、彼自身今もすでに活動家。中国の首相やお偉いさんがインドにきたときは、かならず中国大使館に出向いてデモをしているそうです。そのおかげで捕まったこともしばしば。一週間拘置されたこともありました。けれど「そんなこともいい経験。デリーの警察とはもう友達さ」と笑い飛ばすTharchin。何度捕まっても怯むことはありません。けれど、本当につつましく、謙虚に深く物事を見ていることを話しの節々から感じました。チベットと中国の外交関係だけではなく、日本の政治状況もしっかりチェックしている勉強家です。日本のShinzo Abeについても意見を求められました。

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ポスター

 学生のうちから積極的に活動しているTharchin。政治的な活動には様々な責任が伴います。そんな活動をしているとき、今でも忘れられない出来事があったそうです。インドに中国からの官僚がきたとき、デリーでチベット人青年による焼身自殺がありました。彼はその青年が火だるまになって走るその場にいたのだそうです。「いまでも彼の姿が脳裏に焼き付いて離れない」。見せてもらった写真と彼の静かな表情が心に残りました。

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チベット人の友達たちと

 Tharchinは本当にユーモアに溢れ、ずっと話しているか歌っているかダンスをしている、そんな青年です。真面目に語ったと思えば、その3秒後には冗談もしっかり飛ばしてきます。おちゃらけキャラにも見えますが、実際に自らの足で山を越えてきた彼は、達観した意思があるように感じました。チベット問題に取り組む人の中には、燃えるような想いを持っている人もいますが、彼は客観的で落ちついた判断をして、着実にその一歩を歩み進めている印象を抱きます。でも、ありあまるエネルギーとともに行動に移さずにはいられない彼は、将来なにかきっと、大きな動きをつくっていくんだろうなぁと予感させるものがあります。

奨学生file.17 Tenzin Palden

 

Tenzin Palden

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Tenzin Paldenは、Jawaharlal Nehru Universityの大学院で国際関係を学んでいます。

現在は、2年間のマスターコースの最終学年です。中国やインドにおける政治情勢などのクラスを履修しています。現在受講しているクラスは、出席を取られないため、授業に来ない学生も多々いるそうですが、彼女は毎回の授業にしっかり出席しているそうです。「部屋にいても特にすることもないし、それなら出席して学びを深めたほうが価値がある」と言っていました。

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キャンパスにて

現在通っているJawaharlal Nehru Universityの前は、デリー大学のなかの女子大学に通っていました。そこでは英文学を学んでいたそうです。北デリーのRohiniにあるチベット人専用のホステルから通学していたようで、1時間以上通学に時間をかけていたそうです。

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教室の前

休みの日は、読書をしたり勉強をしたりしているそうです。広いキャンパスからでることは、あまりないそう。キャンパスを出なくても、大抵のものは手に入るからだそうです。

 

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学部の前で

JNUには、45人のチベット人学生がいます。チベタンコミュニティーとして、イベントやミーティングを行っているそうです。毎年、秋には各学部ごとにチベット人学生がチームを結成し、チベットの伝統的なダンスや歌、伝統的な物語の劇などを行っているのだそうです。今年は何をしようか話し合いの最中とのことでした。

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将来の夢はまだ漠然としていて、何かこれ!というものは見つかっていないそうです。「昔は、これになる、あれになるって簡単に言っていたけど、今はそう簡単にいくわけじゃない」と言っていました。ですが、まだ勉強を続けていきたいという気持ちは確認しました。

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パルデンの寮

Paldenは、インド北東部アルナチャルプラデーシュにある、チベット人居住区に生まれ育ちました。7人兄弟姉妹の末っ子だそうです。2006年にお父さんを亡くし、それをきっかけに2006年からダラムサラのTCVに通うようになりました。そして、2011年にデリーに出てきたのだそうです。

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寮の前で

Paldenはチベットに関する冊子を読み込み、チベット社会の現状やミドルウェイアプローチに関する勉強をしているようでした。私も、チベットの詩の本やミドルウェイアプローチに関する英語版の冊子を彼女からもらいました。

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ミドルウェイアプローチに関する冊子

彼女は真面目に勉学に励み、かつJNUでの大学生活もしっかり楽しんでいる印象を受けました。将来に関する不安もあるようですが、日々コツコツと学びに向き合いながら一歩一歩前に進んでいるのだと思います。JNUで開催された先日のコンフェレンスでは、鮮やかなチュパを着て、受付でテキパキ働いていました。

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寮の自分の部屋にて

奨学生file.31 Tenzin Youdon

 

Tenzin Youdon

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Youdonは、デリー大学の一つであるShivaji collegeに通う1年生です。

動物学を専攻しています。小さな頃から動物が好きだったため、この学部に進学することを決めたそうです。

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まだ一年生なので、基礎的な科目を履修しているそうですが、それでも簡単とは言えないようです。インド人の先生の授業はまだ慣れないと話していました。大学に入学する前までは、チベット人の先生に教わり、言語的にも分かりやすく、また先生もチベット人の性質に合わせた授業をしてくれていたそうです。ですが、インド人の先生はそうもいかないのだそうです。英語であっても母語ではないため、簡単ではないと言っていました。授業によっては、ヒンディー語だけで開講されるものもあり、そういった授業はさらに難しく、ついていくのが大変なのだそうです。

 

Youdonの両親は現在、ネパールのカトマンズにあるチベット難民居住地区であるボウダキャンプにいます。お父さんは、キャンプ近くでチベタンアンティーク雑貨のお店を経営しているそうです。お母さんは、小学校の先生をしています。12歳になる弟はシッキムの学校に通っているとのことでした。彼女の両親はネパールにいますが、彼女はインドで生まれ、ダラムサラのTCVで育ちました。

 

ですが、両親がネパールにいるので、インドとネパールを行き来してきたそうです。冬休みには、バスを使って陸路でネパールに帰るといっていました。久しぶりに家族が集まるのを楽しみにしているそうです。

 

同じ大学のチベット人の女の子たちと仲良く、いつも一緒にいるようでした。普段は彼女たちと一緒に勉強したり、ご飯を一緒に食べているようで、楽しいキャンパスライフを過ごしていることが伺えました。

 

今回会ったときは、Youdonは風邪をひいていたので、あまり長く話しをすることができませんでした。ですが、また機会をみて会えたらな!と思います。