奨学生FILE.32 TENZIN CHOEZIN

 

Tenzin Choezin

Tenzin ChoezinはチェンナイのMadras Christian Collegeに通っています。

キリスト教の大学ですが、本人はチベット仏教を信仰しています。

南インドは(特に、チェンナイ)はタミル系が多いとのこと。そして、タミル系のインド人はキリスト教を信仰してる人が多く、街には教会も多く、クリスマスブレイクもあるそうです。

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出身はダラムサラで、大学でチェンナイに来るまではダラムサラで過ごしていたそうです。

兄弟は、弟が二人いて一人は17歳でバンガロールの高校に通っていて、もう一人はダラムサラの小学校2年生だそうです。

ご両親は2人ともダラムサラで仕事をしてるそうです。

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現在、大学では英文学を専攻しています。

ですが、卒業後マスターではジャーナリズムの分野で勉強したいそうです。

子どものころから本を読むのが好きで、友だちとかからは、よく本バカと馬鹿にされていたくらい本を読むそうです。

そして、最近ジャーナリズムに興味を持ち始めてきたそうです。

将来の夢はまだ特にないそうですが、色々これから探っていきたい言っていました。

右端がダイキ、その横が
右端がダイキ、その横がTenzin Choezin、MTの友人宅にて 2016.5.13

 

好きなことはやはり本を読むことで、休みの日は読書かバスケ、サッカーをするとのことでした。

家は、ホステルではなく家を借りてるとのことでした。

 

奨学生file.12 Tenzin Yangdon

 

Tenzin Yangdon(テンヤン)

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彼女は、Guru Gobind Singh Indraprastha(通称GGSI) 大学の学生。彼女の専攻は看護学部です。GGSIのメインキャンパスは、デリーのDwarkaにあるのですが看護学部は、デリーの中心部にある国立病院に併設されています。政府の病院のため、私立病院と比べるときれいではないそうですが、その病院で座学も実習も行っています。通常はインドの大学は3年制ですが、看護学部は4年制です。1年生は、病棟での実習を行い、2年生になると様々な科に配属され、実習を行います。彼女は泌尿器科で実習をしていました。しばらくするとまた違うところに行き、それぞれの科で知識と経験を積むのだそうです。4年生になると夜勤なども始まり、実際に看護師として勤務するための準備をします。

実習先の病院
実習先の病院

 

午前中は病院にいき、そこで実習をします。午後は、クラスでのレクチャー。その後、部屋に戻って毎日の課題をするそうです。看護学部の学生は忙しく、この繰り返しで4年間が過ぎていくのが普通なのだそうです。実習はなるべく多くいくことが求められ、休み返上で病院での実習に行かねければいけません。忙しくてなかなか遊ぶこともできないと話していました。

 

将来はマスターコースに行きたいという思いもありますが、まだ明確には決めていません。マスターにいくには、最低でも数年間の勤務経験が求められることが多いそうです。私立の病院より、政府の病院で働く方が終身雇用でお給料も良いのだとか。なので、政府の病院で働きたいそうです。

 

看護師を選んだのは、この仕事が好きだからなのだそうです。毎日患者と接し、患者の健康状態だけではなく、一人ひとりの患者やその家族の背景にも触れ、日々学びに溢れている看護師の仕事にやりがいを感じているようでした。多くの学部はただレクチャーを受けて家に帰ることが多いですが、看護師はレクチャーの学び以上に社会に触れて社会を知ることのできる仕事なの、と誇らしげに話してくれました。

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彼女はデラドゥン出身です。彼女の両親は離婚したので、母親と一緒にいます。彼女の母親はデラドゥンの学校で事務をしているそうです。ダラムサラにあるUTCVで10年生まで学び、サイエンスコースを専攻したため、ムスリのTCVで高校生活を過ごしました。

カフェにて
カフェにて

 

彼女はとても明るい学生です。病院を案内してもらった時も、元気に患者さんや看護師、スタッフの方と挨拶を交わしていました。持ち前の明るさと社交性で実習先の病院でも良い人間関係を築いていることが伝わってきました。

プレゼントもらいました
プレゼントもらいました

奨学生file.3 Tenzin Tsidup

 

Tenzin Tsidup

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2013年10月新入学当時

 

デリー大学、Rajdhani Collegeに通う学生です。3年間の学生生活があと1セメスターで終わります。専攻は政治学。政治学を学ぶことにしたのは、今起きていることに直結する学問だからなのだそうです。「テレビをみているだけでもテストで50パーセントは取れる」と笑いながら話していました。

 

卒業後は、進学ではなく就職の道に進むそうです。まずは、フォトグラファーとして一年間活動し、自分でお金を稼ぐこという経験を積まなければならないそうです。その後に親戚のいるアメリカでなにかしらのビジネスを始める予定です。アメリカに行くことは彼の夢ではないのですが、それは全て家族を支えていくために海外に渡ります。

 

もともとはアニメーション作家になりたいと思っていましたが、親の反対もありその夢は断念しました。小さな頃から勉強よりも絵を描くことがすきで、ずっと手を動かして何か書いていたそうです。両親は大学に行って学位をとることを勧めたため、どの道を選ぶべきなのか悩むことも多かったと言います。

 

インド北部のマナリ出身のTsidupの両親は、夏場はマナリにいてお店を経営しています。雪が深くなる冬には、コルカタでウィンタービジネスをしているのだそうです。兄は、看護大学を卒業し、マナリの病院で看護師として働いていましたが、今は両親の手伝いをしています。

Lower TCVで幼少期をすごし、卒業後にゴバルプールにあるTCVでアーツを専攻しました。

 

以前は、チベット人学生のための寮にいたそうですが、ご飯の時間や消灯など時間が決められた生活が息苦しく感じ、現在は友人とシェアルームして暮らしています。忙しい勉強のほかに、掃除や自炊をしなければいけませんが、それも楽しくやっているそうです。

 

話すのはあまりすきじゃないと言っていましたが、日本やインド、チベットの文化のことについてもたくさん話してくれました。彼の大学は外部者がキャンパスに入ることを禁じていたので、大学の様子がわからなかったのは残念でしたが、チベット人が集まるマジュヌカティラでお茶をしながらゆっくり話すことができてよかったです。

奨学生file.38 Dechen Yangtso

 

Dechen Yangtso

 

  • チベット、カム出身。2005年にインドに亡命した。両親が離婚し、父親の以降で亡命することになった。父親は現在仕事をしていない。学校教育を受けていなかったことが大きな理由になっている。6人兄弟姉妹の一番上の姉。他の兄弟姉妹は中国の学校に通っている。
  • TCVスジャに10年生まで通ったあとは、TCVゴバルプールで2年間過ごした。チベット語を学びたいという思いがあったため、サラ大学へ進学した。
  • 将来の夢は、チベットでチベット語を教えること。そのためのスキルを培うために、サラ大学は最も良い場所。サラ大学でチベット語を学んだとしても、チベットに帰るための許可証をもらえるかはわからない。その時の状況による。
  • 昨年、チベットに帰ろうと試みたが中国政府に捕まってしまった。ネパール国籍の偽パスポートを作り、ネパール経由でチベットに入国するつもりだったが、ばれてしまったため、4ヶ月ネパールの刑務所に入った。殴られることはなかったが、何度も拷問を受けた。
  • 時間があるときは、エッセイを書いている。趣味の一つになっている。他にも読書したり、音楽を聴くことも好き。

 

「とても落ち着いた雰囲気をもつ学生。彼女自身が捕まったと聞き驚いたが、彼女の淡々と語る姿が印象的だった。」

奨学生file.39 Juksang Kyi

 

Juksang Kyi

 

  • チベットで生まれた。カム出身。2012年に教育を受けたいという思いから、自分の意志で亡命を決めた。9人兄弟姉妹で家族はみな遊牧生活と農業をしている。家族とはほとんど連絡がとれていない。規制が厳しいため。
  • 亡命後はTCVスジャで勉強し、サラ大学に進学した。チッベト語とチベットの文化を学びたいという意志があり、サラ大学に。サラ大学での勉強は順調に進んでいる。
  • 卒業後は、他大学に進学し、英語の力を伸ばしたいと考えている。将来は、ソーシャルワーカーになりたい。チベット人の若い世代に奨学金をあげられるような活動をしたいと思っている。
  • 休みの時は映画を見たり、学校付近を歩いたりしている。歌うことが好き。

 

「控えめでおとなしい印象。時間がなく、あまり話すことができなかった。」

奨学生file.42 Kalsang Paldon

 

Kalsang Paldon

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  • チベット、アムド出身。8人家族で、母親は彼が9歳のときに亡くなる。遊牧生活をして過ごしてきた。二人の兄と一人の姉、二人の妹がいる。13歳のときに、家族の意向で僧になった。
  • 2001年にインドへ亡命。教育をうけるために自分の意思で亡命を決意した。ラサから徒歩で山を越え、ネパールのレセプションセンターまで一ヶ月かかった。その後は、南インドの寺院で、学士と同等のコースを卒業した。中国大使館を通して、チベットに一時帰国する許可証を得たため、3ヶ月ほどチベットに飛行機で戻った。亡命中に家族や自身が政治的な活動に参加していなかった場合は、許可が下りやすい。2014年にインドに再び戻り、サラ大学へ進学。チベットの歴史とチベット語、そして英語を学びたいという思いから大学進学することを決めた。寺院では、チベット語の文法は学ぶことができないためである。
  • 卒業後は、サラ大学のマスターコースに進学する予定。その後、チベットに戻りたいと考えている。インドで学んだことをシェアすることで、自身の出身地域の人々に貢献したい。中国大使館でもらう許可証を一旦手にすると、永久にチベットにいられる。
  • 時間があるときは、ほとんど本を読んでいる。歴史や詩の本を読むことが多い。たまにスポーツなどもする。

奨学生file.43 Kunchok Rabten

 

Kunchok Rabten

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  • チベット生まれ。東部カム出身。5人兄弟姉妹。遊牧して生計を立てている。兄弟姉妹はいまでも遊牧生活を手伝っている。両親は、子供達を学校に送りたがらなかった。中国政府にコントロールされた学校に行かせたくなかったこともあるが、学校にいくことが遊牧民として最優先事項ではないと考えていた。彼自身は、学びたいという強い意志を持っていたが、両親は教育の重要性を理解していなかった。
  • 2006年、インドに亡命することを決意。勉強したいという想いをどうしても拭いきれず、家にあるお金を持ち出し親には何も告げず家を出た。父親がラサまで追いかけてきたが、会うことなくインドにたどり着いた。国境を越える直前に家族に電話し、亡命することを伝えた。これほど長くインドにいるつもりはなく、勉強したら戻るつもりでいたが、チベットに帰ることこれほどまでに難しいものになるとは想像にもしていなかった。しかし、チベットを離れる運命にあったのだと時々感じている。兄弟姉妹たちは早く帰ってきて欲しいとずっと願っている。父親は1年前に亡くなり、最期に会うことはできなかった。
  • チベットの雪が何よりも恋しい。冬の朝、家の扉をあけて真っ白な雪の世界に飛び込み、犬と一緒に転がり遊んだ子どもの頃の時間が人生で最も幸せな時間だった。ダラムサラにも雪はあるが、チベットの雪は質が異なる。細やかで真っ白な雪。懐かしくて仕方がない。
  • 亡命直前に数日、ラサに滞在していた。そのときにポタラ宮を訪れなかったことが今でも大きな後悔として残っている。
  • インドに到着後は、ノルブリンカ近くのレセプションセンターにあるTransit Schoolに通い、英語とチベット語を2年半学ぶ。当時はABCもチベット文字も何も知らず、すべてが1からのスタートだった。その後、英語をコンピューターに特化した学校に通い、アメリカ人の先生について英語を2年半学んだ。
  • サラ大学にはチベット語を深く学ぶために来た。将来は小説家になりたいと思っている。英語、チベット語には十分堪能で、何かを言葉で表現することが得意。大学内の広報誌に彼の小説を掲載したり、小説のコンテストで賞を何度か受賞しているが、それだけでは満足していない。インドに亡命してきてから10年かけて1から言語を学び、言葉で表現する者として十分なほどその言語を習得してきた。だからこそ、次の10年にもっと彼自身のもつ可能性を伸ばせると信じている。チベット語での小説も書きたいが、チベット語では全人口が読んだとしても600万人しか読者を得ることができない。そのため、英語で書くことでもっと読者を集められ、チベットのことをより多くの人に伝えることができる。
  • 現在は、5年の翻訳コースを受講することを考えている。ダライ・ラマ公式オフィスが南インドに新しくつくったコースで、一期生として応募しているが、現在はまだ結果はわからない。しかし、大学卒業というディプロマの必要性もあり、今後のことは迷っている。
  • 空き時間はほとんど読書に費やしている。ライブラリーにある本は全部読んだと言っても過言ではない。サラ大学の学生のなかで一番本を読んでいると言えるほど、読書をしている。時には、バスケットボールをしたり、映画を英語でみたりしている。

支援してくださって本当にありがとうございます。みなさん一人一人がされていることは、本当に素晴らしく思っています。奨学金を受けている個人としてだけではなく、チベット人としても心からお礼申し上げます。

 

「Kunchokは何冊も何冊も本を読んでいるからでしょうか。彼が描写する言葉は豊かで不思議とぱっとその情景が浮かびます。ものを書くという生まれ持った才能があるのだと納得せざるを得ませんでした。また、彼の英語は他のチベット人、インド人とも異なりまるで欧米人のようなアクセントがあります。自分が得意としていることが何か知り、そしてそれを堂々と話すことができる姿にもとても驚きました。将来、彼の本が出版され手元に届くことが本当に楽しみでなりません。空き時間にご飯を食べたり、面談外でも話をしたりしたのですが、彼の豊かな感受性と抱える想いを知り、何度も胸が締め付けられるような想いをしました。2015秋スタツアのときから親交があり、毎回彼から多くのことを学ばせてもらっています。」

奨学生file.46 Lobsang Thupten

 

Lobsang Thupten

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  • 東チベット、カム出身。2000年頃にインドへ亡命。両親がより良い教育環境で子ども育てたいという思いがあり、インドへ彼を送ることを決めた。彼自身もインドの亡命を切に願っており、ここへ来ることはカルマだと感じている。
  • 父親はチベットで小さな商売をしている。母親は家事をしている。5人兄弟姉妹で、僧として海外で暮らしている弟もいる。
  • インド到着後は、両親の意向もあり南インドの寺院で勉強し、その寺院を卒業。寺院で勉強しているときから、チベット語の詩や文学に興味を持ち始め、独自に勉強をするようになった。そうして、サラ大学に進学し、自身の興味分野を深めている。サラ大学での勉強は、チベットの歴史以外はすでに寺院で勉強してきたものであり、難しさを感じることはない。
  • サラ大学を卒業後は、南インドの寺院に戻ることを考えている。良い教師になることが目標であり、その前にはまずきちんと教育を受けた人になることが求められるし、そのような人材になりたい。そのため、どの科目の講義も興味をもって学び続けることができている。
  • 週末はマクロードガンジに行ったり、詩を書いたりして過ごしている。他にも部屋の掃除や洗濯などの日常的な活動もする。好きなことはエクササイズなどの体を動かすこと。
  • 「支援してくださり、本当にありがとうございます。ベストを尽くせるよう頑張ります!」

「サラ大学では珍しく、英語を流暢に話すことのできるチベット仏教僧の学生です。話している間も冗談を度々挟みながら、気さくに話してくれました。」

奨学生file.6 Tenzin Choeying

 

Tenzin Choeying

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  • インド東北部シッキムで生まれ育つ。ウェストベンガルのCSTで1年〜10年まで過ごし、高校時代はムスリのCSTでサイエンスコースを卒業。サイエンスコースにいる頃から、チベット語に興味を持ち始め、自身の専攻とは異なるが、サラ大学に進学することを決意。
  • 将来はチベット語の教師を目指している。サラ大学を卒業後は、教員育成コースを受け、教師として働き始める予定。
  • Indiragandi National Open Universityにも籍をおいている。3年間のコースで現在は2年目になり、文系のコースを専攻。INOUは学費が高くないため、サラ大学と並行して受講することができている。
  • 両親は、シッキムのメンチカンで働いていたが、現在は退職。3人の姉と一人の兄がいる。姉の一人はCTAのライブラリーで、もう一人はDepartment of Securityで勤務し、兄はノルブリンカでチベットの伝統的な絵を書く仕事をしてるため、週末は兄弟姉妹がダラムサラで集まることができている。
  • 週末はライブラリーで読書をしている。趣味は絵を描くこと。これは画家として働く兄の影響もある。

奨学生file.49 Tenzin Dawa

 

Tenzin Dawa

 

  • ダラムサラ、マクロードガンジで生まれ育つ。UTCVで1年生から10年生まで学び、その後はチベット僧になるため高校進学はしなかった。しかし、寺院での修行や僧として生きることは合わないと感じ、寺院を離れた。
  • 父親はメンツィカンで働き、母親は亡命政府で働いている。しかし、両親の離婚とともに両親とは関係をあまり持たなくになった。
  • 違う大学も受験したが、サラ大学に惹かれたため進学。チベットの文化や言語が消えていっているなかで、それらを守るにはまずチベット語を勉強するべきだと考え、サラ大学で学ぶことを決めた。現在は、チベット語の他に第二言語として中国語を勉強している。チベットのために働きかける時、中国語が話せることは必須になってくるため、中国語を選んだ。また、中道アプローチを成し遂げるためにも、その過程で中国語は重要だと考えたため、チベット語、英語、中国語の3カ国語話せるように勉強している。
  • 将来はまずCTAで働きたいと考えている。政府という機関がどのようなものなのか、どのように今後活かせるのか知りたい。
  • 週末は、マクロードガンジで友達と会うことが多い。地元がマクロードガンジのため、多くの友達がいまも住んでいて、外泊することができる週末はマクロードにいる。趣味はバスケで、CTAにバスケットコートがあるため、そこで友達と集まってバスケをすることが多い。