奨学生file.43 Kunchok Rabten


 

Kunchok Rabten

第8回スタツア秋 288縮小

 

  • チベット生まれ。東部カム出身。5人兄弟姉妹。遊牧して生計を立てている。兄弟姉妹はいまでも遊牧生活を手伝っている。両親は、子供達を学校に送りたがらなかった。中国政府にコントロールされた学校に行かせたくなかったこともあるが、学校にいくことが遊牧民として最優先事項ではないと考えていた。彼自身は、学びたいという強い意志を持っていたが、両親は教育の重要性を理解していなかった。
  • 2006年、インドに亡命することを決意。勉強したいという想いをどうしても拭いきれず、家にあるお金を持ち出し親には何も告げず家を出た。父親がラサまで追いかけてきたが、会うことなくインドにたどり着いた。国境を越える直前に家族に電話し、亡命することを伝えた。これほど長くインドにいるつもりはなく、勉強したら戻るつもりでいたが、チベットに帰ることこれほどまでに難しいものになるとは想像にもしていなかった。しかし、チベットを離れる運命にあったのだと時々感じている。兄弟姉妹たちは早く帰ってきて欲しいとずっと願っている。父親は1年前に亡くなり、最期に会うことはできなかった。
  • チベットの雪が何よりも恋しい。冬の朝、家の扉をあけて真っ白な雪の世界に飛び込み、犬と一緒に転がり遊んだ子どもの頃の時間が人生で最も幸せな時間だった。ダラムサラにも雪はあるが、チベットの雪は質が異なる。細やかで真っ白な雪。懐かしくて仕方がない。
  • 亡命直前に数日、ラサに滞在していた。そのときにポタラ宮を訪れなかったことが今でも大きな後悔として残っている。
  • インドに到着後は、ノルブリンカ近くのレセプションセンターにあるTransit Schoolに通い、英語とチベット語を2年半学ぶ。当時はABCもチベット文字も何も知らず、すべてが1からのスタートだった。その後、英語をコンピューターに特化した学校に通い、アメリカ人の先生について英語を2年半学んだ。
  • サラ大学にはチベット語を深く学ぶために来た。将来は小説家になりたいと思っている。英語、チベット語には十分堪能で、何かを言葉で表現することが得意。大学内の広報誌に彼の小説を掲載したり、小説のコンテストで賞を何度か受賞しているが、それだけでは満足していない。インドに亡命してきてから10年かけて1から言語を学び、言葉で表現する者として十分なほどその言語を習得してきた。だからこそ、次の10年にもっと彼自身のもつ可能性を伸ばせると信じている。チベット語での小説も書きたいが、チベット語では全人口が読んだとしても600万人しか読者を得ることができない。そのため、英語で書くことでもっと読者を集められ、チベットのことをより多くの人に伝えることができる。
  • 現在は、5年の翻訳コースを受講することを考えている。ダライ・ラマ公式オフィスが南インドに新しくつくったコースで、一期生として応募しているが、現在はまだ結果はわからない。しかし、大学卒業というディプロマの必要性もあり、今後のことは迷っている。
  • 空き時間はほとんど読書に費やしている。ライブラリーにある本は全部読んだと言っても過言ではない。サラ大学の学生のなかで一番本を読んでいると言えるほど、読書をしている。時には、バスケットボールをしたり、映画を英語でみたりしている。

支援してくださって本当にありがとうございます。みなさん一人一人がされていることは、本当に素晴らしく思っています。奨学金を受けている個人としてだけではなく、チベット人としても心からお礼申し上げます。

 

「Kunchokは何冊も何冊も本を読んでいるからでしょうか。彼が描写する言葉は豊かで不思議とぱっとその情景が浮かびます。ものを書くという生まれ持った才能があるのだと納得せざるを得ませんでした。また、彼の英語は他のチベット人、インド人とも異なりまるで欧米人のようなアクセントがあります。自分が得意としていることが何か知り、そしてそれを堂々と話すことができる姿にもとても驚きました。将来、彼の本が出版され手元に届くことが本当に楽しみでなりません。空き時間にご飯を食べたり、面談外でも話をしたりしたのですが、彼の豊かな感受性と抱える想いを知り、何度も胸が締め付けられるような想いをしました。2015秋スタツアのときから親交があり、毎回彼から多くのことを学ばせてもらっています。」