奨学生FILE. Nyima Wangmo(6期生)

 

今回はNyima Wangmoさんにインタビューをしました。
Nyimaさんは現在デリー大学の Daulat Ram collegeの2年生。政治学を専攻しています。

他のチベット奨学生たちもデリー大学で政治学を専攻していますが、みんなcollegeが違うので教授や教室・キャンパスは違っていて、一緒に勉強しているわけではないです。なので、Daulat Ram collegeのクラスには留学生は彼女だけです。日本とは違ってちょっとわかりずらい制度ですが。。。
ちなみにこのよう一つな大学に複数のcollegeがあるのはデリー大学とバンガロール大学だけだそうです。

Nyimaさんはここで各国の政治体制、国際関係、行政等を勉強しています。
「授業は月から土の8:30-16:00まであって、宿題、レポートもいっぱいあって大変!!」と言ってました。
大学卒業後は修士・博士を取り、その後はチベット学校の先生になって、政治学を教えたいと考えてます。「チベットの将来のため、子供達の教育に関わっていきたい。」と言ってました。
日本で先生になる人は博士の資格は取らないので、何で取るのかなと思って聞いてみたら、
「チベット人が職を見つけるのは大変で、最近は競争も厳しくなっているので、修士、博士といった資格があった方が有利になるので、取ろうと思ってます」と言ってました。

あと、チベット人がインドの学校の先生になれるか聞いてみたら、「インドの公立の学校の先生になれない。私立の先生なら可能だけど、競争が厳しく、私立学校で働くケースはあまりない」と言ってました。チベット人がインドで働く機会は少なく、厳しい状況なんだなと改めて感じました。

家族は父母と姉1人弟1人で、みんなArunachal Pradesh州(ブータン、中国国境近くのインドの州、チベット系の人が多く住んでます)に住んでいます。

「お父さん、お母さんがチベットから移住してきて、こちらで出会って結婚して私はここで生まれました。お父さん、お母さんは地元で農家をしています。」

Nyimaさんは小学校入学と同時に親元を離れ、Himachal Pradesh州(チベット亡命政府のあるダラムシャーラのある州)のチベット人学校に高校卒業まで通っていました。Arunachal Pradesh州の子供達の多くは勉強のために小さい頃から親元を離れて学校に通っています。帰るのは年に1回程度だそうです。。。。
他のチベット学生もそうでしたが、、、チベット人向けの教育を受けるためには、小さい頃から親元から離れなくてはいけないのは、大変だなと思います。

チベット難民が多く集まるデリー郊外 Majnu ka Tillaという所で話を聞きました。 おしゃれなカフェもいくつかあります!!これはチベットのバター茶。

今、住んでるところは寮でなく今は友達と共同でアパートを借りて生活しています。「最初は料理はできなかったけど、今はモモ、トゥクパなど料理できるようになった。」と得意そうに言ってました!

「今のチベットの現状は良くない。私たちのチベット政府・社会には権利が多くない。将来、何ができるかはわからない、具体的なことはわからないけど、チベットのため、何か良いことをしていきたいと思っています」
と語ってくれました。

良い先生になって、そして少しづつチベットの人々の社会を良くしていったもらいたいです!!

今日は友達の誕生日パーティがあると言ってました!

 

奨学生FILE. Delek Wangyal(6期生)

 

2018年9月9日、奨学生のDelek Wangyal君に会いました。彼はレインボーチルドレンの奨学金でデリー大学に通っている学生です。
彼はインドに北東部にある州で生まれました。お父さん、お母さんがチベットからインドへ移住してきたそうです。小学校の頃から親元を離れ、ダラムシャーラ近くのチベット人学校に通ってました。今はデリー大学で勉強しています。

兄弟は姉2人と兄、弟の5人兄弟で、お姉さんの1人はデリー近くの病院で看護士として働いていて、よく会いに行っていて、先週も会いに行ったと言ってました。

彼の通っているデリー大学はインドでもTOP5に入る大学で、多くの留学生を受け入れています。チベットの学生以外にもアフリカ、中東、ヨーロッパ等、様々な国から学生が来ているそうです。ただ彼のクラスで留学生は彼のみで、他は全てインドの学生の中で頑張っています。「デリー大学のインド人学生は優秀なので、ついていくのが大変」と語っていました。

現在大学2年生、授業は月曜日~土曜日で休みは日曜日のみ、「今はレポートや宿題がいっぱいあり、大変だ!!」。そして、ちょうど学生選挙の時期で「今は大学キャンパスが騒がしい」と語っていました。

Delek君の専攻は政治学。国際関係や民主主義などを学んでいます。大学卒業後はJNUというインドの社会系大学で有名な大学で修士をとって、将来はチベット政府の外交官になりたいと考えています。

Delek君の趣味はサッカーで、授業後はサッカーを楽しんでいます。話を聞いた前日もトーナメントがあったと嬉しそうに喋っていました!!「残念だけど、負けてしまった。。」と言ってました。チベット人でチームを組んでいるそうです。

Delek Wangyal君の生活している寮

サッカー好きな大学生らしいDelek君だと感じましたが、外交官という国にとって重要な仕事をしたいと思っているDelek君の志に驚きました。すごいと思います!!

今回はDelek wangyal君が生活している寮で話を聞きました。
大学から地下鉄で45分の所で、デリー大学のチベット人留学生用の学生寮です。ここで250人ほどの学生が生活をしています。部屋はあまり広くはなく、勉強するときはベットの上に小さな机を置いて勉強していると言ってました。

寮の入り口(チベット学生の寮)

ギターが好きらしく、ベットの近くに置いてありました。チベット音楽を演奏しているそうです。恥ずかしそうにギターを持ってくれました!

ギター演奏

 

奨学生FILE.1 Tenzin Tsogyal

 

Tenzin Tsogyal

お茶目で頼りになるTenzin Tsogyal
お茶目で頼りになるTenzin Tsogyal

 

Tenzin Tsogyalは、南インド・マニパルにあるManipal College of Nursing(MCON)で学んでいます。2012年にスタートしたレインボーチルドレン奨学金の第1期生です。

MCONはホームページによると、看護系の大学等の中でもトップ4に入り、インドの私立大学の中でもトップ5という超人気の大学らしいです。実際に見学した感じ、施設は非常に充実していました。

大学のメインオフィス
大学のメインオフィス

 

彼女は、インド東部オリッサ州の出身で、マヒンドラガードのCST(チベット学校)に通っていたそうです。そして、その後ヒマチャル・プラディーシュ州のTCV.Gopalpur(チベット学校)に進学しました。

ですが途中、学校自体が洪水の被害を受け、場所をTCV.Chauntraに変えて10年生まで通いました。さらにその後は、一ヶ月間をTCV.UpperDharamsalaで過ごしたそうです。

そして、TCV. SelakuiというTCV各校の優秀者のみが入れる選抜高校を卒業し、今いる大学に入学しました。

これだけみても、ものすごい数の学校に通ってたことが伺えます。

キャンパスの門の先
キャンパスの門の先

 

兄弟は本人も含めて5人兄弟で、〈弟、本人、姉、姉、兄〉だそうです。

弟は、今最終学年(12年生)で、次女はNYで勉強しています。

長女は、ネパールで結婚はしてないですがパートナーと共に生活してるらしいです。

長男は、どこかは聞けませんでしたが、同じく海外で勉強しているそうです。

2003年に父親を亡くしてから、母親と兄弟と協力してきたと言っていました。

図書館の外観
図書館の外観

 

看護の道に進むに至った理由として、「これといったものはない」と話していました。親戚のお姉さんが同じ大学に通っていてit was easy for me と言ってました。

図書館に隣接する大学グッズショップ
図書館に隣接する大学グッズショップ

 

また、学生生活は看護学部特有の忙しさがあった故に、あまり勉強以外の活動をしていないと言っていましたが、4学年に進学した時に、SNA(Student Nurses Association)と呼ばれる看護学生委員会の議長に選ばれ1年の任期を最近終えたとのことでした。

議長は教員の推薦及び学生間の選挙によって選ばれるそうです。彼女の他にも学術面においては優秀な学生はいるのにも関わらず、学生にも相談役として慕われていることもあって彼女が選ばれたそうです(本人談笑)。

このSNAは4年時にしか出来ないもので、文化交流委員会といったように様々な委員会によって構成されているそうです。

図書館(敷地の外から②)
図書館(敷地の外から②)
図書館(敷地の外から)
図書館(敷地の外から)

 

同大学には、看護以外の学生も含めて大体25人のチベット人がいるそうです。

そして、他の大学にも見られたようにチベット人コミュニティがあり、Uprising Day等の日には、キャンパス内での啓蒙運動をするそうです。マニパルにいるインド人は結構チベットやその問題に対して知らない人が比較的多いそうです。

余談ですが、マニパルという土地にもチベット人家族は住んでおらず、チベット料理屋も皆無だそうです。

食堂2階AC有り(1階はACなし)
食堂2階AC有り(1階はACなし)
運動施設①
運動施設①
運動施設②(吹き抜け)
運動施設②(吹き抜け)
運動施設③(テニスコート)
運動施設③(テニスコート)

 

卒業の進路としては、卒業して職を探して(3ヶ月くらいで見つかるそうです)、デリーの有名な/最新のテクノロジーを備えた病院での実務を積んでから、改めて同じMCONでのマスターを取得したいとのことでした。

その後は、病院(言語面からデリーを好む)勤務、もしくは看護師の教える教員なるかもと話していました。可能であるならば海外に出ることを望んでますが、そのためにはやっぱり相応の学位が必要とのこと。看護で言ったらMCONはかなり著名で認知度も高いそうです。

参考:(MCON)http://manipal.edu/mcon-manipal.html

運動施設(室内卓球)
運動施設(室内卓球)
運動施設(室内バスケ)
運動施設(室内バスケ)

 

レインボーチルドレン奨学金第1期生の、これからの将来が楽しみです。

 

奨学生FILE.21・22 Lobsang DolmaとTsering Choezom姉妹

 

Lobsang DolmaとTsering Choezom

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左Lobsang Dolma、右Tsering Choezom 2016/05/22@Bangalore

 

Lobsang Dolmaは、St. John’s College of Nursingに通う学生です。

ネパール出身で、高校まではネパールで過ごしました。高校卒業後は、GNM(General Nursing and Midwifery)と呼ばれる看護・助産学のディプロマを取得するためにデリーにて3年半過ごしたそうです。その3年半の内では、Apollo Hospitalと呼ばれるデリーの中でも有名な病院での実務もあったとのことです。その昨年、レインボーチルドレン奨学金で今のカレッジに進学しました。

Tsering Choezom(3つ上の姉)も今同じカレッジに通っています。ですが、お姉さんはGNMのあとは2年間の病院勤務を経て今に至るそうです。つまり、お姉さんは5年間と半分をデリーで過ごしました。同じく昨年よりレインボーチルドレン奨学金で進学しました。

兄弟は他にもお兄さんがネパールにいるそうでが、今は怪我のリハビリ中で仕事を休んでるそうです。ご両親もネパール在住で、お母さんの商売をお父さんが手伝っているそうです。

というのも、お父さんが働いていた絨毯販売の会社が昨年のネパール大地震で被災し、仕事を辞めざるを得なくなったのです。そこで、お母さんが手作りのアクセサリーを売り、今はそのお手伝いをしているとのことです。

こんなところにもネパール地震の影響があるのですね。。

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ネパール大地震のNGO支援地域。2015.10.23ネパール応援ナイトより

 

St. John’s College of Nursingはキリスト教のカレッジで、日常からキリスト教色を感じることができるそうです。それが時に負担になると漏らしていました。学生のほとんどが南インドの学生(インド人)で、チベットの学生は10%ほどとのことでした。

ここでは、キャンパス内のホステル(学生寮)にお姉さんと暮らしています。日曜日はカレッジ自体開いておらず、寮も女性寮ということもあり、今回は中に入ることができませんでした。

寮は、ものすごく厳しいらしく、6:30起床→7:00準備→8:00~17:00まで授業というのが毎日のルーティンで、日曜日が唯一休みだそうです。時間があるときは、公園に行くことが好きだそうですが、バンガロールには公園のような広い広場はなく、デリーの方がその分好きだと言っていました。

 

将来は、看護師に教える教師になりたいそうです。今はまだそこまで強くイメージができていないようでしたが、看護師を志す未来の世代へ受け継いでいく道を希望しています。2人とも看護の道に進んだ理由は、ダライ・ラマ14世も話していたように、利他の精神をもって人に奉仕することが大切だと考えていることと、その影響もあってチベットの女性のほとんどが看護の道に進むから、だそうです。

2人とも双子のようで、どっちかというとお姉さんがたくさん話してくれました。2人とも、バンガロールよりデリーの方がいいと嘆いていました。というのも、バンガロールの人(ローカルの人)は考え方が保守的で、ヒンディ語より現地語であるカンナダ語を好み(2人はこっちの言語が苦手だそうです)、クローズドマインドだとのこと。

難民というマイノリティにとって、首都デリーの方が過ごしやすいのかなという印象を受けました。

近い将来、姉妹で看護師の教師として教壇に立つ日を期待しています!

奨学生FILE.32 TENZIN CHOEZIN

 

Tenzin Choezin

Tenzin ChoezinはチェンナイのMadras Christian Collegeに通っています。

キリスト教の大学ですが、本人はチベット仏教を信仰しています。

南インドは(特に、チェンナイ)はタミル系が多いとのこと。そして、タミル系のインド人はキリスト教を信仰してる人が多く、街には教会も多く、クリスマスブレイクもあるそうです。

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出身はダラムサラで、大学でチェンナイに来るまではダラムサラで過ごしていたそうです。

兄弟は、弟が二人いて一人は17歳でバンガロールの高校に通っていて、もう一人はダラムサラの小学校2年生だそうです。

ご両親は2人ともダラムサラで仕事をしてるそうです。

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現在、大学では英文学を専攻しています。

ですが、卒業後マスターではジャーナリズムの分野で勉強したいそうです。

子どものころから本を読むのが好きで、友だちとかからは、よく本バカと馬鹿にされていたくらい本を読むそうです。

そして、最近ジャーナリズムに興味を持ち始めてきたそうです。

将来の夢はまだ特にないそうですが、色々これから探っていきたい言っていました。

右端がダイキ、その横が
右端がダイキ、その横がTenzin Choezin、MTの友人宅にて 2016.5.13

 

好きなことはやはり本を読むことで、休みの日は読書かバスケ、サッカーをするとのことでした。

家は、ホステルではなく家を借りてるとのことでした。

 

奨学生file.12 Tenzin Yangdon

 

Tenzin Yangdon(テンヤン)

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彼女は、Guru Gobind Singh Indraprastha(通称GGSI) 大学の学生。彼女の専攻は看護学部です。GGSIのメインキャンパスは、デリーのDwarkaにあるのですが看護学部は、デリーの中心部にある国立病院に併設されています。政府の病院のため、私立病院と比べるときれいではないそうですが、その病院で座学も実習も行っています。通常はインドの大学は3年制ですが、看護学部は4年制です。1年生は、病棟での実習を行い、2年生になると様々な科に配属され、実習を行います。彼女は泌尿器科で実習をしていました。しばらくするとまた違うところに行き、それぞれの科で知識と経験を積むのだそうです。4年生になると夜勤なども始まり、実際に看護師として勤務するための準備をします。

実習先の病院
実習先の病院

 

午前中は病院にいき、そこで実習をします。午後は、クラスでのレクチャー。その後、部屋に戻って毎日の課題をするそうです。看護学部の学生は忙しく、この繰り返しで4年間が過ぎていくのが普通なのだそうです。実習はなるべく多くいくことが求められ、休み返上で病院での実習に行かねければいけません。忙しくてなかなか遊ぶこともできないと話していました。

 

将来はマスターコースに行きたいという思いもありますが、まだ明確には決めていません。マスターにいくには、最低でも数年間の勤務経験が求められることが多いそうです。私立の病院より、政府の病院で働く方が終身雇用でお給料も良いのだとか。なので、政府の病院で働きたいそうです。

 

看護師を選んだのは、この仕事が好きだからなのだそうです。毎日患者と接し、患者の健康状態だけではなく、一人ひとりの患者やその家族の背景にも触れ、日々学びに溢れている看護師の仕事にやりがいを感じているようでした。多くの学部はただレクチャーを受けて家に帰ることが多いですが、看護師はレクチャーの学び以上に社会に触れて社会を知ることのできる仕事なの、と誇らしげに話してくれました。

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彼女はデラドゥン出身です。彼女の両親は離婚したので、母親と一緒にいます。彼女の母親はデラドゥンの学校で事務をしているそうです。ダラムサラにあるUTCVで10年生まで学び、サイエンスコースを専攻したため、ムスリのTCVで高校生活を過ごしました。

カフェにて
カフェにて

 

彼女はとても明るい学生です。病院を案内してもらった時も、元気に患者さんや看護師、スタッフの方と挨拶を交わしていました。持ち前の明るさと社交性で実習先の病院でも良い人間関係を築いていることが伝わってきました。

プレゼントもらいました
プレゼントもらいました

奨学生file.3 Tenzin Tsidup

 

Tenzin Tsidup

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2013年10月新入学当時

 

デリー大学、Rajdhani Collegeに通う学生です。3年間の学生生活があと1セメスターで終わります。専攻は政治学。政治学を学ぶことにしたのは、今起きていることに直結する学問だからなのだそうです。「テレビをみているだけでもテストで50パーセントは取れる」と笑いながら話していました。

 

卒業後は、進学ではなく就職の道に進むそうです。まずは、フォトグラファーとして一年間活動し、自分でお金を稼ぐこという経験を積まなければならないそうです。その後に親戚のいるアメリカでなにかしらのビジネスを始める予定です。アメリカに行くことは彼の夢ではないのですが、それは全て家族を支えていくために海外に渡ります。

 

もともとはアニメーション作家になりたいと思っていましたが、親の反対もありその夢は断念しました。小さな頃から勉強よりも絵を描くことがすきで、ずっと手を動かして何か書いていたそうです。両親は大学に行って学位をとることを勧めたため、どの道を選ぶべきなのか悩むことも多かったと言います。

 

インド北部のマナリ出身のTsidupの両親は、夏場はマナリにいてお店を経営しています。雪が深くなる冬には、コルカタでウィンタービジネスをしているのだそうです。兄は、看護大学を卒業し、マナリの病院で看護師として働いていましたが、今は両親の手伝いをしています。

Lower TCVで幼少期をすごし、卒業後にゴバルプールにあるTCVでアーツを専攻しました。

 

以前は、チベット人学生のための寮にいたそうですが、ご飯の時間や消灯など時間が決められた生活が息苦しく感じ、現在は友人とシェアルームして暮らしています。忙しい勉強のほかに、掃除や自炊をしなければいけませんが、それも楽しくやっているそうです。

 

話すのはあまりすきじゃないと言っていましたが、日本やインド、チベットの文化のことについてもたくさん話してくれました。彼の大学は外部者がキャンパスに入ることを禁じていたので、大学の様子がわからなかったのは残念でしたが、チベット人が集まるマジュヌカティラでお茶をしながらゆっくり話すことができてよかったです。

奨学生file.38 Dechen Yangtso

 

Dechen Yangtso

 

  • チベット、カム出身。2005年にインドに亡命した。両親が離婚し、父親の以降で亡命することになった。父親は現在仕事をしていない。学校教育を受けていなかったことが大きな理由になっている。6人兄弟姉妹の一番上の姉。他の兄弟姉妹は中国の学校に通っている。
  • TCVスジャに10年生まで通ったあとは、TCVゴバルプールで2年間過ごした。チベット語を学びたいという思いがあったため、サラ大学へ進学した。
  • 将来の夢は、チベットでチベット語を教えること。そのためのスキルを培うために、サラ大学は最も良い場所。サラ大学でチベット語を学んだとしても、チベットに帰るための許可証をもらえるかはわからない。その時の状況による。
  • 昨年、チベットに帰ろうと試みたが中国政府に捕まってしまった。ネパール国籍の偽パスポートを作り、ネパール経由でチベットに入国するつもりだったが、ばれてしまったため、4ヶ月ネパールの刑務所に入った。殴られることはなかったが、何度も拷問を受けた。
  • 時間があるときは、エッセイを書いている。趣味の一つになっている。他にも読書したり、音楽を聴くことも好き。

 

「とても落ち着いた雰囲気をもつ学生。彼女自身が捕まったと聞き驚いたが、彼女の淡々と語る姿が印象的だった。」

奨学生file.39 Juksang Kyi

 

Juksang Kyi

 

  • チベットで生まれた。カム出身。2012年に教育を受けたいという思いから、自分の意志で亡命を決めた。9人兄弟姉妹で家族はみな遊牧生活と農業をしている。家族とはほとんど連絡がとれていない。規制が厳しいため。
  • 亡命後はTCVスジャで勉強し、サラ大学に進学した。チッベト語とチベットの文化を学びたいという意志があり、サラ大学に。サラ大学での勉強は順調に進んでいる。
  • 卒業後は、他大学に進学し、英語の力を伸ばしたいと考えている。将来は、ソーシャルワーカーになりたい。チベット人の若い世代に奨学金をあげられるような活動をしたいと思っている。
  • 休みの時は映画を見たり、学校付近を歩いたりしている。歌うことが好き。

 

「控えめでおとなしい印象。時間がなく、あまり話すことができなかった。」

奨学生file.42 Kalsang Paldon

 

Kalsang Paldon

第8回スタツア秋 277縮小

 

  • チベット、アムド出身。8人家族で、母親は彼が9歳のときに亡くなる。遊牧生活をして過ごしてきた。二人の兄と一人の姉、二人の妹がいる。13歳のときに、家族の意向で僧になった。
  • 2001年にインドへ亡命。教育をうけるために自分の意思で亡命を決意した。ラサから徒歩で山を越え、ネパールのレセプションセンターまで一ヶ月かかった。その後は、南インドの寺院で、学士と同等のコースを卒業した。中国大使館を通して、チベットに一時帰国する許可証を得たため、3ヶ月ほどチベットに飛行機で戻った。亡命中に家族や自身が政治的な活動に参加していなかった場合は、許可が下りやすい。2014年にインドに再び戻り、サラ大学へ進学。チベットの歴史とチベット語、そして英語を学びたいという思いから大学進学することを決めた。寺院では、チベット語の文法は学ぶことができないためである。
  • 卒業後は、サラ大学のマスターコースに進学する予定。その後、チベットに戻りたいと考えている。インドで学んだことをシェアすることで、自身の出身地域の人々に貢献したい。中国大使館でもらう許可証を一旦手にすると、永久にチベットにいられる。
  • 時間があるときは、ほとんど本を読んでいる。歴史や詩の本を読むことが多い。たまにスポーツなどもする。