『ボランティア体験記』Semmelweis University 東藤 文慧



 子供時代のほとんどを発展途上国で過ごした私にとって、インドを語る上で欠かせない「貧困」や「格差」は決して珍しいものではありませんが、同時に特別な思い入れのあるものでもあります。特に、教育機会の均等は貧困の連鎖を断ち切るための伴であり、私も兼ねてより途上国の教育現場には関心を持っていました。平等な教育機会は、子供たちが自身の将来を自分自身の努力で掴みとるためには必要不可欠です。だからこそ、グルガオンに駐在中の両親を訪ねて夏休みをインドで過ごすと決めた時、スラムスクールでのボランティアを希望しました。

 インドでは公立の学校であれば学費は無料ですが、学校に行くためには給食費、制服代、教科書や参考書代などが必要です。スラムに暮らす家庭にとっては重い負担ですので、子沢山のスラムの家庭において、子供の全員を継続的に学校に通わせることはほぼほぼ不可能です。また、スラムでは就学年齢の子供たちは立派な働き手です。内職の手伝い、掃除や洗濯、弟や妹の子守、水道の通っていない家であれば水汲み、子供たちの仕事は山積みです。決して、親も子供に教育を受けさせたくないわけではないのですが、それだけの余裕がありませんし、インドに根強く残るカースト差別の影響もあり、学校も受け入れに消極的なのが実情です。しかし全日制の公立の学校は無理でも、一日二時間だけなら自由に使える時間がある子もいます。その子たちが、英語や数学を学びにスラムスクールに来ているのです。


 私は大抵いつも前半に英語や数学を、後半に衛生に関する授業を行っていました。一日二時間だけの授業で、かつ家事や内職が忙しく、休みがちの子も多い中、3桁×2桁の掛け算や英語での自己紹介が出来るレベルの子も多数いましたので、スラムスクールは確かに子供たちにとって学びの場であることは間違いありません。しかしながら、政府の補助金もなく、有志ボランティアや寄付でスラムスクールを運営しているのである程度は仕方のないことですが、人員、教材や時間不足のため、5、6歳の子も、13、14歳の子も同じことをやらざるを得なく、年相応の教育が満足に受けられているとは言いがたい状況です。

first aid の授業

 私は大学では医学を専攻しているので、通常の授業とは別に衛生や保健に関する授業もしていました。『手洗いの仕方』、『熱中症の症状と対策』、『first aid』『水の衛生』や『蚊による伝染病と対策』など、テーマを決めて話したり、クイズ形式にしたり、実演してみたりと子供達が楽しみながらできる参加型の授業にしていました。インドの夏は40度を超える猛暑が続き、当然スラムには冷房設備もないため、体調を崩す子供も少なくないのですが、多少具合が悪くても金銭的な問題で病院に行きづらかったり、救急車をよんでも来てもらえなかったりします。だからこそ、熱中症の予防や、熱中症を疑われる場合の簡単な応急処置のやり方などを教えました。応急処置とはいっても、熱中症を疑われる場合、日陰に運び、寝かせ、脚の位置を頭より高くし、首、脇、脚の付け根を冷やすなど、日本の小中学校でも教えていることでしたが、知らない子が多かったので良い機会になったと思います。

dream の授業

 最終日は何か子供たちの思い出に残ることをしたいと思い、子供たちと相談して、将来の夢というテーマで寄せ書きをしてクラスルームの壁に貼ることにしました。医師、弁護士、学校の先生、ヨガのインストラクター、エンジニア、小説家や警察、それぞれが多種多様な夢を書いていました。しかし、授業の終わりに、もう一人のボランティアであり、フランスの学校の先生でもある方に言われました。叶わないとわかっている夢を書かせるのは、酷なのではないだろうかと。確かに、インドはある意味日本以上に学歴社会です。この子たちが将来希望通りの職業に就ける確率は決して高くはないのかもしれません。ですが、私は夢は確率論で考えるものだとは思っていません。子供たちはスラムスクールで学び、遊び、教えあい、レインボーチルドレン、サンタン、ジョン、未来のボランティアの方に助けられながら、夢に向かって努力していくと信じています。

bye-bye

 最後になりますが、貴重な機会を頂いたことを感謝するとともに、子供たちの行く道に幸多からんことを願い、体験記とさせていただきます。