『ボランティア体験記』Semmelweis University 東藤 文慧


 子供時代のほとんどを発展途上国で過ごした私にとって、インドを語る上で欠かせない「貧困」や「格差」は決して珍しいものではありませんが、同時に特別な思い入れのあるものでもあります。特に、教育機会の均等は貧困の連鎖を断ち切るための伴であり、私も兼ねてより途上国の教育現場には関心を持っていました。平等な教育機会は、子供たちが自身の将来を自分自身の努力で掴みとるためには必要不可欠です。だからこそ、グルガオンに駐在中の両親を訪ねて夏休みをインドで過ごすと決めた時、スラムスクールでのボランティアを希望しました。

 インドでは公立の学校であれば学費は無料ですが、学校に行くためには給食費、制服代、教科書や参考書代などが必要です。スラムに暮らす家庭にとっては重い負担ですので、子沢山のスラムの家庭において、子供の全員を継続的に学校に通わせることはほぼほぼ不可能です。また、スラムでは就学年齢の子供たちは立派な働き手です。内職の手伝い、掃除や洗濯、弟や妹の子守、水道の通っていない家であれば水汲み、子供たちの仕事は山積みです。決して、親も子供に教育を受けさせたくないわけではないのですが、それだけの余裕がありませんし、インドに根強く残るカースト差別の影響もあり、学校も受け入れに消極的なのが実情です。しかし全日制の公立の学校は無理でも、一日二時間だけなら自由に使える時間がある子もいます。その子たちが、英語や数学を学びにスラムスクールに来ているのです。


 私は大抵いつも前半に英語や数学を、後半に衛生に関する授業を行っていました。一日二時間だけの授業で、かつ家事や内職が忙しく、休みがちの子も多い中、3桁×2桁の掛け算や英語での自己紹介が出来るレベルの子も多数いましたので、スラムスクールは確かに子供たちにとって学びの場であることは間違いありません。しかしながら、政府の補助金もなく、有志ボランティアや寄付でスラムスクールを運営しているのである程度は仕方のないことですが、人員、教材や時間不足のため、5、6歳の子も、13、14歳の子も同じことをやらざるを得なく、年相応の教育が満足に受けられているとは言いがたい状況です。

first aid の授業

 私は大学では医学を専攻しているので、通常の授業とは別に衛生や保健に関する授業もしていました。『手洗いの仕方』、『熱中症の症状と対策』、『first aid』『水の衛生』や『蚊による伝染病と対策』など、テーマを決めて話したり、クイズ形式にしたり、実演してみたりと子供達が楽しみながらできる参加型の授業にしていました。インドの夏は40度を超える猛暑が続き、当然スラムには冷房設備もないため、体調を崩す子供も少なくないのですが、多少具合が悪くても金銭的な問題で病院に行きづらかったり、救急車をよんでも来てもらえなかったりします。だからこそ、熱中症の予防や、熱中症を疑われる場合の簡単な応急処置のやり方などを教えました。応急処置とはいっても、熱中症を疑われる場合、日陰に運び、寝かせ、脚の位置を頭より高くし、首、脇、脚の付け根を冷やすなど、日本の小中学校でも教えていることでしたが、知らない子が多かったので良い機会になったと思います。

dream の授業

 最終日は何か子供たちの思い出に残ることをしたいと思い、子供たちと相談して、将来の夢というテーマで寄せ書きをしてクラスルームの壁に貼ることにしました。医師、弁護士、学校の先生、ヨガのインストラクター、エンジニア、小説家や警察、それぞれが多種多様な夢を書いていました。しかし、授業の終わりに、もう一人のボランティアであり、フランスの学校の先生でもある方に言われました。叶わないとわかっている夢を書かせるのは、酷なのではないだろうかと。確かに、インドはある意味日本以上に学歴社会です。この子たちが将来希望通りの職業に就ける確率は決して高くはないのかもしれません。ですが、私は夢は確率論で考えるものだとは思っていません。子供たちはスラムスクールで学び、遊び、教えあい、レインボーチルドレン、サンタン、ジョン、未来のボランティアの方に助けられながら、夢に向かって努力していくと信じています。

bye-bye

 最後になりますが、貴重な機会を頂いたことを感謝するとともに、子供たちの行く道に幸多からんことを願い、体験記とさせていただきます。

  

【2019夏インターン体験レポート②デリー編】Knox College 冨髙 碧惟

 

デリー編

デリーではスラムスクールで先生としてクラスを約2週間担当しました。最初に、そもそもなぜインドのスラムスクールでボランティアをしようと思ったのかを少し説明します。先程お話したように、私は途上国の教育開発に興味があるため、大学在学中に最低でも一度は現場に入ってみたいと考えていました。そうすることで現場には何が必要なのか、私は何ができるのかということを知りたいと思っていたからです。将来的には国際機関に身を起き、現場と中央機関を行き来しながら教育開発に携わりたいと考えています。アジア圏の途上国には観光で幼い頃に何度か訪れたことはありますが、スラムには行ったことがなく、日本やアメリカなどの整備された国ではない場所で私がどの程度環境に適応して生活できるのか、また楽しめるのかを確かめたいとも思っていました。

途上国の教育系ボランティアに行った人は大抵、「子どもたちの学ぶ意欲の強さに驚かされた」と言っているので、私もここで同じようなことを言うのは自分の経験をその他大勢の人々の経験に埋れさせるようで若干抵抗がありますが、実際私も子どもたちの学習への熱意に心が揺さぶられました。今回のスラムスクールにいた子ども達の場合、教育を当たり前に受けることができない環境と、良くも悪くも成績や試験などといったストレスがない故に「学ぶ喜び」だけを感じることができる環境があるから、あの学びへの意欲が生まれているのだと思います。授業の時間いっぱい、それぞれの生徒が100%のエネルギーでぶつかってきて、それぞれに私も100%で返すので、2時間の授業でも終わった後には毎回ヘトヘトになりました。

授業を行う中で実感したのは、圧倒的な人員不足と教材不足でした。スラムスクールを運営するインド人のサンタンは、reading, listening, writing, speakingの4技能を授業を通して伸ばそうとしており、授業内容もその意図に沿ったものになっていました。writingやspeakingはどちらにしろある程度個別指導が必要となることはどこに行っても同じことかとは思いますが、readingは生徒全員が統一された教科書を持っていなければ授業を進めることは困難を極めます。今回のスラムスクールは授業は任意参加であったため、毎回の授業に誰がくるのかを把握することができませんでした。運営資金不足の問題もあって、教科書が人数分用意されておらず、readingは各自が読めそうな本を読んで、内容が分からなければ質問する、という形式をとっていました。しかし、教室内に置かれている本は「英語をきちんと勉強した中高生向け」のものが多く、文法も理解できていない5歳〜13歳の生徒達には難しすぎる内容でした。授業時間を利用して文法を生徒全体に教えようとすると、生徒の理解度にも差があるために半分ほどは置いてきぼりになってしまいます。結局、クラス全員が授業についてくることを目的とすると、アルファベットを言ったり動物の名前を覚えたり数字を読んだりと、基本的なものでみんなができることをする日が多くなってしまったのをとても後悔しています。先ほども述べたように、授業に参加するのが誰かを事前に把握することができないため、生徒のニーズにあった授業を準備することが難しかったのも敗因の1つです。子供達のキラキラした目、熱意を目の前にして、それにちゃんと答えることができなかったのが悔しかったです。きちんとカリキュラムを作成し、子ども達が共通の教科書をもつことができれば状況はかなり改善するとは思いますが、それは資金的にも厳しい上に、スラムスクールに来ることを強制させない限り実現は難しいと思っています。

授業に行くときはいつもスラムの中を横切って教室まで行っていたのと、サンタンが実施するスラムツアーにも参加したので、スラムに住む人々の生活を見ることができました。その中で意外だったのは、チキンマーケットや服屋さんやお菓子屋さん、軽食屋さんなどが存在し、スラム内で人々の生活が成立しているということです。また、チキンマーケットやリサイクル工場など、外部との繋がりを利用したビジネスも存在し、そういったビジネスがお金をスラムの中にもたらしていました。私の知識不足による個人的な偏見ですが、スラムといえば布やトタンを繋ぎ合わせただけの家が立ち並び、生活するのに最低限必要なお店しかないものと思っていました。しかし、実際は小規模ながらもビジネスが行われ、作りは質素ではありますがコンクリートや煉瓦造りの家も存在しました。そのスラムが、インドの中でも規模の大きいスラムであるからこそだったのかもしれませんが、スラムも様々な形で成り立っているのだということを学びました。

私が途上国の教育開発分野に関わりたい理由の1つとして、人々が追求したいことを追求できる社会を実現するために「機会の平等」は、ある程度保証されるべきものであり、教育はそれを実現するために重要な鍵となると信じているから、という個人的な考えがあります。また、教育を受けることで人は自分自身の生活を変える力、新たな世界に踏み出す機会を得ることができるとも考えています。途上国における教育問題の1つとして、親が教育の必要性を理解していないために子どもを学校に行かせずに働かし、結果として学校への出席率が低くなるというものがあります。それに関して私は安直にも、親が教育の必要性を理解するためのワークショップを開いたりして親への教育を行えば解決するものであると考え、その問題を特に重要視していませんでした。しかし、スラム内で生活が完結している人々をみると、教育の必要性を感じないというのも十分に理解できました。彼らにとっては目の前の生活が全てであって、次の日の食事を得るための労働の方が、この先使うかもわからない、結果が数年後にもなる教育よりも遥かに重要であり、教育のために労働力を割けというのは、「先進国」に住む人間の価値観の押し付けではないのかと思わずにはいられませんでした。もちろん、教育は重要で人の可能性を広げるものであるとは思いますが、必ずしも全ての人が教育を「受けなければならない」というものではないのかもしれないと感じました。

 

 

ダラムサラとデリーでの経験を通して、私は教育分野が好きであることを実感することができました。また、自分自身の知識と経験不足を痛感したので、これから教育や開発、国のシステムなどについてより深く学んでいきたいと思っています。また、今後も他の国を訪れて様々な教育の在り方やスラムの形をみることで、教育というものが実際にどのようにして人々の生活の役に立つのか、人々の人生を豊かにするのかを知りたいです。本には教育の必要性についていくらでも書かれていますが、よく言われるように実際に訪れてみなければ分からないことはたくさんあります。私自身がこれから先、教育という分野でやっていくためにも今回スラムの学校で教えたことで生じた疑問を、実際の体験によって解消、または深掘りしたいと思っています。他人の見聞によって出された結論ではなく、自分自身が実際に経験することで私の結論を導き出したいです。

 

 

【2019夏インターン体験レポート①ダラムサラ編】Knox College 冨髙 碧惟

 

インドで過ごした3週間という短い期間に、複数の教育の現場を訪れ様々な人と関わり話したことで、私は教育への理解を深めるとともに教育の分野が好きだということを再認識しました。インターンとして活動をした3週間のうち、1週間をチベット亡命政府があるインドのダラムサラで、2週間をデリーでスラムスクールのボランティアをして過ごしました。私は途上国の教育開発に高校生の時から興味を持っており、教育開発へのアプローチ方法を学ぶためにアメリカのリベラルアーツという種類の大学に進学しました。アメリカでの1年目が終わって迎えた夏休み、教育への理解を深めたい、途上国の教育の現場に入って自分が何をできるのかを知りたい、という思いでレインボーチルドレンのインターンに応募しました。

 

ダラムサラ編

私がダラムサラを訪れたのは、レインボーチルドレンの奨学生数人に会い、インタビューという形で近況報告を聞くことが当初の目的でした。しかし、ダラムサラで過ごした1週間の間に実際に経験したことは奨学生とのインタビューのみに止まらず、教育省を訪れて職員の方々とお話したことを始め、ダラムサラにあるサラ大学を訪れたり、チベット子供村で校長先生とお話をして授業見学をしたり、Students for Tibetの事務所を訪れてチベット問題について学ぶなど、大変実りの多いものとなりました。そして、行く先々でダラムサラの人々の温かさに触れるとともに、チベット料理の美味しさや涼しく過ごしやすい気候、綺麗な街に大変魅了され、ダラムサラが大好きになりました。今まで8カ国ほど訪れたことがありますが、他の国をダラムサラほど好きになったことはありませんでした。

今回のダラムサラでの滞在で最も心に残っているのは、チベット亡命政府の教育省を訪れたことです。レインボーチルドレンは教育省と提携して奨学金事業を行なっていた関係で、教育省の奨学金を担当する部署と良好な関係にあります。そこで、ダラムサラでの教育の現状やチベット亡命政府としての教育ビジョン、教育政策の内容などについてインタビューをしたいと思い、その部署の方に連絡を取ってみるとそれを快諾してくれたのでした。メールでやりとりをしてくださっていたご本人とのみお話をするものと思っていたのですが、当日教育省を訪れると、職員の方が教育省全体を案内してくださり、多くの職員の方とお話をする機会を得ました。訪れた先々のオフィスでは、お仕事中にも関わらず、職員の方々がにこやかに迎え入れてくださり部署の役割の説明を丁寧にしてくださいました。教科書の編集・出版に関わる部署では教科書を作る際に基準とする考えについて、カウンセリングに関する部署では学生の進路サポートをどのように行なっているかについてお話を伺いました。複数の部署を訪れたのですが、その中で最も印象に残っているのは教育政策に関する部署です。私は、途上国の教育開発の中でも教育政策に特に興味があるため、大変貴重な機会となりました。中国政府による弾圧と迫害を逃れ、インドに亡命政府を樹立してから約60年の間、チベット亡命政府はインドの教育政策に基づいてカリキュラムを作ったり教科書を発行していました。しかし、2014年になって初めてチベット亡命政府がチベット人のための教育政策を作り、それ以降はそれにしたがって教育が形作られてきました。文化や民族、言語の存続が危ぶまれる状況下で、それらを保護・発展させていくためにダラムサラの人々はチベット語で学ぶことを最優先としています。お話の最中、職員の方は、亡命政府は日本の、全て日本語で学ぶところを大変評価しているとおっしゃいました。近年、日本では、グローバル化の影響で英語教育が積極的に取り入られるようになり、英語などの外国語を使えることが評価されるようになりました。特に、私は海外大学に進学した身として国内外で留学生コミュニティに属しているので、母国語しか使えないことを恥じる風潮さえも感じることがあります。そのため、「日本人は全てを日本語で学ぶ」という職員の方の言葉を聞いた瞬間は褒め言葉に聞こえず苦笑したのですが、それがチベット亡命政府には高く評価されているということを知り、そういう視点もあるのか、と驚くと同時にそれに考え至らなかった自分を恥じずにはいられませんでした。教育政策の部署の職員の方と30分ほどお時間をいただいてお話をする中で、多くの発見と学びを得ることができました。また、事前にアポイントメントを取っていなかったにも関わらず、教育大臣ともお話する機会をいただき、現在の教育課題や教育省としての展望についてお話を伺いました。

他にも、学生団体である”Students for Tibet”の事務所を訪れて、オフィスにいた方とチベット問題について2時間ほど話したことも印象的な出来事でした。もともとチベット問題については高校の政治経済の授業で軽く触れた程度で、知識はほとんどありませんでした。しかし、ダラムサラに行くことが決定してから自分なりに調べて学ぶ中で、チベット問題に関して中国とその他の国の認識のズレがあまりにも大きいことを知ったのです。私は、大学では中国からの留学生と仲が良く、休日は一緒にフットサルをしたりして過ごしています。私の場合は普段は国際政治に関してはあまり話さないので、政治意見の食い違いによる「日本人」と「中国人」という違いを意識せずに過ごしています。それもあって、チベット問題のことについて中国人の友達と話した時に、お互いの意見が正反対であることに大きな衝撃を受けました。そういった経験を大学でした上で、Students for Tibetのオフィス訪れ、実際にチベットからヒマラヤ山脈を越えてダラムサラに亡命した人の話を聞けたのはとても意義のあることであったと思います。チベット問題に限らず、国家間の問題に関しては誰が話しても多少なりともバイアスはかかるため、絶対的事実を知ることは大変難しいとは思います。しかし、多くの人の話をきき、本を読み、学ぶことでそれに近づいていきたいと強く思います。大学でも、私がダラムサラで聞き学んだことを1つの意見として中国人の友達に共有し、お互いにこの問題について考え続けていこうと思います。

ダラムサラでは訪れた先々で、質問をすれば時間を取って丁寧に答えてくださり、ダラムサラの人々の温かさに触れました。教育やチベット問題に関して学ぶ中で、国が異なれば考え方やシステムも全く異なるということも実感しました。そして、私自身の英語の捉え方に関しても大きな意味をもつ滞在となりました。私は、高校卒業までは地方の公立校に通っていましたが、昨年の秋からアメリカの大学に通っています。もともと英語が好きで、高校生の時には電車に乗っている外国人観光客の方によく話しかけていました。英語が橋となって自分と異なる文化圏にいる人を結んでくれる感覚がとても好きだったのです。しかし、アメリカでは英語は使えて当たり前のものであり、発音や文法、言い回しなど自分ができないところばかりに目がいくようになりました。人と話すたびに自分の英語力の低さに劣等感やもどかしさを抱くようになり、自分と人を繋ぐ橋だった英語はいつのまにか、自分と人の間に立ちはだかる壁になっていました。好きだった英語にストレスを感じるようになっていたのです。そんな中、ダラムサラでは英語によって新たな知識や経験、出会いを得ることができ、それは約1年ぶりに「自分と人を繋ぐ橋としての英語」を取り戻した瞬間でした。全く違う環境で育ってきた人たちと経験や知識を共有することができることへの、内から湧き出るようなワクワクと喜び。これがきっかけで自分が英語が好きだということも思い出すことができました。教育やチベット問題、英語など、今回学んだことを今年の夏だけで終わらすのではなく、今後も活かせるような活動をしていきたいです。

 

デリー編へ続く

 

【スラムで考えたこと】国際基督教大学4年藤本律沙

私がスラムの学校でボランティアをしようと思ったのは、自分が「貧困」だと思っている現場を自分の目で確かめたかったからです。私は幼い頃から世界平和や貧困、戦争などのトピックに興味があり、大学でも発展途上国の開発支援について勉強してきました。しかし大学在学中、貧困や戦争に苦しむ人たちを助けたいと公言していながら、実際机の上の勉強だけしかして来ずに現状を知らない自分を歯がゆく思い、しかし貧困の現場を目の当たりにすることには怖さを覚えていました。
大学を卒業する前に、貧困の現場を見ることが、自分の将来の方向性を考える上で重要だと考えました。幼い頃にマザーテレサの漫画を読んだことがあり、自分の中で最初に思い浮かぶ貧困の現場がインドだったこと、以前インドを訪れた時に貧困の現場にいくことができなかったこと、今後教育関係の道に進むことから、インドの貧困を教育の視点から見ることのできるこの団体でのボランティアを決意しました。

インドのスラムで2週間ボランティアをしてわかったことは、自分は何もわからないということです。現地のスタッフの話を通して、インドの貧困と一言で言っても、政治的、経済的、社会的、文化的など様々な問題が複雑に絡まっており、その絡まりは簡単には解けないということを知りました。また、スラムは様々な人との関わりがあり、スラムの人々だけがより良く生きることのできる状況になれば良いということではありません。さらに、私が関わったのは、数十人の生徒と、学校のそばで暮らしているわずかな人々だけです。学校の生徒は皆熱心に勉強をしていましたが、学校に来ない子どももたくさん見かけました。スラムを歩いていると多くの人が私に手を振ったり笑いかけてくれましたが、中には笑顔を向けても笑い返してくれない人も少なからずいました。以前、私は貧困の中にある人は可哀そうと思っていましたが、スラムの人たちが一生懸命に生きている現場を見て、経済的な格差だけを見て可哀そうと思うのはただの上から目線な考え方でしかないことを思い知らされ、自分が恥ずかしくなりました。

私は生まれてから日本で何不自由なく過ごし、スラムの人々は生まれてからスラムの中で過ごしてきた。相手に寄り添う、理解する、と言っても、彼らの人生を歩んできていない私は完全に寄り添い理解することは一生不可能であるということを思い知らされました。そのような現状に向き合い続けるには、人生を掛けた覚悟が必要だということ、そして、人生を掛けて向き合い続けようとしているスタッフの姿に胸を打たれました。

この2週間の経験は、私のこれからの歩みに大きな影響を受けました。どのような将来を選択するとしても、自分のすることを自己満足で終わらせず、相手の立場に立って考え続ける謙虚さと忍耐を持って人々と関わっていきたいと思っています。
ボランティア活動を支援してくださった石川さん、美輪さん、三村さん、また、現地のスタッフの方々に、感謝を申し上げたいと思います。貴重な経験をさせて頂きありがとうございました。

2017春のスタツア感想文②~つっちーの場合(インターン学生・インド)

 

今回のスタディーツアーでは、ミーティング、新しいworkshop、ダライ・ラマ法王様のteaching、面会など普段とは違う形で、メンバーの一員のように参加させていただき、深く感謝いたします。

私自身のボランティア活動で、学校に何回か訪問させていただいた際に、様々な困難な問題の話を聞いていました。今回のツアーで、『ボランティアは簡単じゃないな』と改めて実感しました。

チベット亡命政府でロブサン・センゲ首相と

【ダラムサラ】
チベットの教育省とミーティングの際に、レイチルが教育省の方々へ、レイチルの支援の仕方の説明・確認と共に、レイチルがどういう団体であるのかを強く伝えていて、いいなと感じました。レイチルの理念と違っていては、ボランティアをしている意味がなくなってしまうと思うので、レイチルの意思を強く主張する事は必要だなと感じました。

【新しいworkshop】
未来のリーダーを育成するにあたって、私たちレイチルもプロジェクトを通して、彼らが考え、モチベーションを上げる機会を作りながら、共にやっていくのがいいなと感じていました。その点にとても役立つのが、祥子さんとたて君のworkshopだと思いました。
奨学生の中には、以前からvisionがしっかりとある子もない子もいると思うんです。そこでこのworkshopを通して、モチベーションをupさせる事ができるのではないかと感じました。明確なvisionを持つに至らない奨学生に考える機会を与え、モチベーションをupさせながら、未来のリーダーになる可能性の奨学生たちを育成するのも良いなと感じます。

祥子さんとたて君のworkshopは、今の忙しい時代の中で、自分の将来(何をするべきなのか)を再確認する・または考える時間を作るのにとても適していました。私自身活動してみて、まだまだ考えが甘い部分があります。成功するには、自分のvisionに沿って計画をたてる事が重要になると思います。計画があってこそ、ぶれずにその道に進めると思うからです。ですので、私も自身のアイディアである、インドにレイチルの募金箱を置く事についても、計画をたて、準備をしてから取り組みたいと思います。

また、奨学生だけでやるのではなく、私たちレイチルもみんなで一緒にやるのも良いかもしれません。そうすれば改めて奨学生との交流が深まるのではないかな?と感じましたし、奨学生たちも私達を知るのに良い機会だと感じました。

【ダライ・ラマ法王様】
ダライ・ラマ法王様のteachingでは自分自身の心の成長に影響をもたらすと思います。以前から仏教には興味を持っていましたが、人生の教典として考え、奨学生と共に、自分自身の向上も図りたいです。

【デリースラムプロジェクト】
まず始めに、デリーのスラムの大きさに驚きました。ならば、アジア最大といわれるムンバイのスラム街は、どれぼど大きいものなのか、きっと想像を絶することでしょう。

デリー最大のスラムにある小さな学校に絵本のプレゼント

今回のツアーに参加して、最も難しい問題は、スラムでのボランティアではないかと感じました。現状を見ると、教室を作り、トイレを作り、学校らしい校舎を作りたいと思うのですが、自分の力ではどうすることもできません。
サンタン君を通して支援をする形となるこのプロジェクトで、私は何ができるのかもサンタン君とコンタクトを図りながら、できることから進めようと思います。

スラムの学校のリーダーであり奨学生のサンタンを囲んで

【まとめ】
ボランティアプロジェクトを通して、自分自身がインターン生として、どうやればより良くなるか、何が必要かも考えさせられました。
まずは知識ですね。インドの知識や社会状況はある程度知っているつもりですが、チベットに対する知識は薄いと感じます。まずはチベットの歴史から触れ、文化、仏教と知る必要があると感じました。奨学生さんたちの基本とする考え方が、チベット仏教に基づいています。自分も仏教に触れたいと感じていますし、そこから奨学生さんたちとの交流する機会が作れるはずだと思います。

今回のプロジェクトを通して、自分がやるべき事をたくさん発見しました。このボランティアを通して、困っている人の話に耳を傾け、奨学生さんたちやスラムの子供たちだけでなく、自分自身も一緒に成長することができたらと思っています。これが1年間の私の目標です。

貴重な体験をさせて頂き、ありがとうございました。これからよろしくお願い致します。

インターン 土橋海緒

 

【初めてのインド訪問】帯広畜産大学共同獣医学課程4年黒澤拓斗

 

今回、一か月のインド訪問を決めた理由は貧困を見るためである。インドは現在、めざましい発展をとげているが、その一方で多数の人が発展から取り残されているのが現状である。インド訪問を決めた際に、「都市部」と「農村部」の貧困が見たいと思った。それらの貧困は、原因・質が異なると考えたからである。都市部の貧困を見るために、ネットで見かけたNPO団体レインボーチルドレンの石川代表にスラムプロジェクトのボランティアに参加したいと申し出たところ快くOKと言ってくださった。

このプロジェクトに参加して一番良かったことは、スラムを自分の目で実際に見れたことである。正直に言って、インドに行く前は、スラムについて自分は無知であり、自分が持つスラムのイメージは、日本国民が持つ一般的なスラムのイメージとほとんど同じであったと思う。すなわち、危険で、汚く、みんな飢えている、と言った典型的なものである。しかし、実際に行ってみて感じたことは、スラムは、自分たちが暮らしている世界に確かにあり、そしてそこに暮らしている人間は、私たちと何一つ変わらないということである。むしろ、現実離れしたようなお金持ちの人たちよりは、よっぽど人間らしい生活をしているなと思った。その一方、衛生環境の悪さ(野良犬などの野良動物の多さ、ハエなどの昆虫の多さ、ごみの散乱具合など)も目についた。しかし、建物なども想像以上にきちんとしていて、そこはスラムと呼ぶより「混沌としている少し汚い町」の方が相応しいと私は感じた。

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スラムができあがる原因は様々であるが、その中の大きな一つは、教育のなさである。スラムに生まれた子供たちはまともな教育を受けられず、まともな職に就けず、お金のないまま大人になり、スラムに住み続け、そして親になり、同じことが繰り返される。しかし、その悪循環を断ち切るためにインド人たちがスラム内に学校をつくっている。何より素晴らしいのは、そんな彼らがスラム出身であるということだ。外人が言うよりも、スラム出身の彼らの方がスラムの人たちにはよっぽど説得力がある。レインボーチルドレンさんにはそんな彼らをこれからもぜひ支えてほしいと思う。今回のインド滞在でお世話になったNPOレインボーチルドレンの石川代表にはこの場を借りてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。またぜひ一緒にビールを飲みましょう。