【2019夏インターン体験レポート②デリー編】Knox College 冨髙 碧惟


 

デリー編

デリーではスラムスクールで先生としてクラスを約2週間担当しました。最初に、そもそもなぜインドのスラムスクールでボランティアをしようと思ったのかを少し説明します。先程お話したように、私は途上国の教育開発に興味があるため、大学在学中に最低でも一度は現場に入ってみたいと考えていました。そうすることで現場には何が必要なのか、私は何ができるのかということを知りたいと思っていたからです。将来的には国際機関に身を起き、現場と中央機関を行き来しながら教育開発に携わりたいと考えています。アジア圏の途上国には観光で幼い頃に何度か訪れたことはありますが、スラムには行ったことがなく、日本やアメリカなどの整備された国ではない場所で私がどの程度環境に適応して生活できるのか、また楽しめるのかを確かめたいとも思っていました。

途上国の教育系ボランティアに行った人は大抵、「子どもたちの学ぶ意欲の強さに驚かされた」と言っているので、私もここで同じようなことを言うのは自分の経験をその他大勢の人々の経験に埋れさせるようで若干抵抗がありますが、実際私も子どもたちの学習への熱意に心が揺さぶられました。今回のスラムスクールにいた子ども達の場合、教育を当たり前に受けることができない環境と、良くも悪くも成績や試験などといったストレスがない故に「学ぶ喜び」だけを感じることができる環境があるから、あの学びへの意欲が生まれているのだと思います。授業の時間いっぱい、それぞれの生徒が100%のエネルギーでぶつかってきて、それぞれに私も100%で返すので、2時間の授業でも終わった後には毎回ヘトヘトになりました。

授業を行う中で実感したのは、圧倒的な人員不足と教材不足でした。スラムスクールを運営するインド人のサンタンは、reading, listening, writing, speakingの4技能を授業を通して伸ばそうとしており、授業内容もその意図に沿ったものになっていました。writingやspeakingはどちらにしろある程度個別指導が必要となることはどこに行っても同じことかとは思いますが、readingは生徒全員が統一された教科書を持っていなければ授業を進めることは困難を極めます。今回のスラムスクールは授業は任意参加であったため、毎回の授業に誰がくるのかを把握することができませんでした。運営資金不足の問題もあって、教科書が人数分用意されておらず、readingは各自が読めそうな本を読んで、内容が分からなければ質問する、という形式をとっていました。しかし、教室内に置かれている本は「英語をきちんと勉強した中高生向け」のものが多く、文法も理解できていない5歳〜13歳の生徒達には難しすぎる内容でした。授業時間を利用して文法を生徒全体に教えようとすると、生徒の理解度にも差があるために半分ほどは置いてきぼりになってしまいます。結局、クラス全員が授業についてくることを目的とすると、アルファベットを言ったり動物の名前を覚えたり数字を読んだりと、基本的なものでみんなができることをする日が多くなってしまったのをとても後悔しています。先ほども述べたように、授業に参加するのが誰かを事前に把握することができないため、生徒のニーズにあった授業を準備することが難しかったのも敗因の1つです。子供達のキラキラした目、熱意を目の前にして、それにちゃんと答えることができなかったのが悔しかったです。きちんとカリキュラムを作成し、子ども達が共通の教科書をもつことができれば状況はかなり改善するとは思いますが、それは資金的にも厳しい上に、スラムスクールに来ることを強制させない限り実現は難しいと思っています。

授業に行くときはいつもスラムの中を横切って教室まで行っていたのと、サンタンが実施するスラムツアーにも参加したので、スラムに住む人々の生活を見ることができました。その中で意外だったのは、チキンマーケットや服屋さんやお菓子屋さん、軽食屋さんなどが存在し、スラム内で人々の生活が成立しているということです。また、チキンマーケットやリサイクル工場など、外部との繋がりを利用したビジネスも存在し、そういったビジネスがお金をスラムの中にもたらしていました。私の知識不足による個人的な偏見ですが、スラムといえば布やトタンを繋ぎ合わせただけの家が立ち並び、生活するのに最低限必要なお店しかないものと思っていました。しかし、実際は小規模ながらもビジネスが行われ、作りは質素ではありますがコンクリートや煉瓦造りの家も存在しました。そのスラムが、インドの中でも規模の大きいスラムであるからこそだったのかもしれませんが、スラムも様々な形で成り立っているのだということを学びました。

私が途上国の教育開発分野に関わりたい理由の1つとして、人々が追求したいことを追求できる社会を実現するために「機会の平等」は、ある程度保証されるべきものであり、教育はそれを実現するために重要な鍵となると信じているから、という個人的な考えがあります。また、教育を受けることで人は自分自身の生活を変える力、新たな世界に踏み出す機会を得ることができるとも考えています。途上国における教育問題の1つとして、親が教育の必要性を理解していないために子どもを学校に行かせずに働かし、結果として学校への出席率が低くなるというものがあります。それに関して私は安直にも、親が教育の必要性を理解するためのワークショップを開いたりして親への教育を行えば解決するものであると考え、その問題を特に重要視していませんでした。しかし、スラム内で生活が完結している人々をみると、教育の必要性を感じないというのも十分に理解できました。彼らにとっては目の前の生活が全てであって、次の日の食事を得るための労働の方が、この先使うかもわからない、結果が数年後にもなる教育よりも遥かに重要であり、教育のために労働力を割けというのは、「先進国」に住む人間の価値観の押し付けではないのかと思わずにはいられませんでした。もちろん、教育は重要で人の可能性を広げるものであるとは思いますが、必ずしも全ての人が教育を「受けなければならない」というものではないのかもしれないと感じました。

 

 

ダラムサラとデリーでの経験を通して、私は教育分野が好きであることを実感することができました。また、自分自身の知識と経験不足を痛感したので、これから教育や開発、国のシステムなどについてより深く学んでいきたいと思っています。また、今後も他の国を訪れて様々な教育の在り方やスラムの形をみることで、教育というものが実際にどのようにして人々の生活の役に立つのか、人々の人生を豊かにするのかを知りたいです。本には教育の必要性についていくらでも書かれていますが、よく言われるように実際に訪れてみなければ分からないことはたくさんあります。私自身がこれから先、教育という分野でやっていくためにも今回スラムの学校で教えたことで生じた疑問を、実際の体験によって解消、または深掘りしたいと思っています。他人の見聞によって出された結論ではなく、自分自身が実際に経験することで私の結論を導き出したいです。