2016春のスタツア感想文②~麻衣の場合(タイルアーティスト・横浜)

 

昨年、秋のスタツアに続いて2度目の参加となりました。

秋のツアーで訪れたインド@ダラムサラの地。そこには、ダライ・ラマ法王様の暮らす公邸とナムギャル寺があり、周辺にはチベット難民の方々が暮らしています。

そこで出会ったチベタンの方々、チベット仏教、文化、精神、芸術、チベット民族が今置かれている現状、焼身抗議についてなど、様々な事柄に心をとらわれました。また訪れたいって強く願った街でした。

そして今回の春のツアーが「チベットスペシャル」とのことで迷わず参加を決めました。

 

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今回は、5日間滞在したダラムサラ。そして大好きな街ダラムサラで41歳の誕生日を迎えることができました。

しかも嬉しいことに!素敵な仲間たちが、私の愛する蛙ちゃんに変身してお祝いしてくれて、最高のお誕生日でした。

みんな!!一緒に過ごせて幸せです。一生の思い出をありがとう。

 

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さて、今回のツアーでは、今後の「生き方」について自分を見つめ直す様々な体験をすることができました。

ギュト密教学堂のチャド・リンポチェの法話会での「カルマのお話」。自分がしてきたことは、カルマとなって自分自身に再びかえってくるという。誰かを傷つけたら苦しみとなって自分自身に再びかえってくる。

自然環境をこのまま破壊していったら、今以上に汚染された世界で生きていく事になる。今以上に困難な時代を生きる事になる。

では、私ができる事は何だろうか。

そう考えたときに思い浮かんだのは、

「ダラムサラのゴミ問題を解決したい」

でした。ダラムサラに限らず、インドでは路上、川、野山、高架下・・・様々な場所にゴミが捨てられています。ダラムサラの地からゴミ問題を解決できたらインド全土のゴミ問題の改善につながるかもしれない。

ダラムサラで新たに見つけた「生き方」となりました。

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また、自らの命を燃やしてチベットの平和を願うチベット民族の焼身抗議について深く考える機会を持ちました。

世界中で紛争は絶えません。

家族、民族そして国の平和の為だからといって、誰かを傷つけ命を奪う。生まれた環境や受けてきた教育によって、暴力も正義だと信じる人々もいると思います。自分の大切な人を殺されたら、その悲しみは、私の想像を超える苦しみになると思います。

だからといって誰かを傷つけ命を奪う事は正義なのでしょうか。

非暴力の精神を貫き、誰かを傷つけるのではなく自分自身の命を燃やしてチベットの平和のためにたたかう焼身抗議活動を知ったときにそう感じました。

それでも自分の命を燃やす事は、家族や仲間の悲しみになってしまいます。これ以上の抗議活動が起こらない事を願います。

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改めて感じる事は、「教育の重要性」でした。

世界中の子供たちが、それぞれの民族が抱えてきた過去の問題を乗り越え、認め合い許しあう事を学んでいけたら平和な世界が築けると思います。レインボーチルドレンの「教育は世界を変える!」活動をこれからも支援していきたいと思いました。

 

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最後に、素敵な仲間との出会い一緒に貴重な体験ができた事に感謝します。

自分にできない事、自分が持っていない世界を持つ仲間と過ごす時間はとても学びが多いです。一人ではできない事も、みんなの協力があって事が進んでいく流れがとても心地よかったです。

そして、6ヶ月のインターン生活を終えたゆうかちゃん。お疲れさまでした。ゆうかちゃんからのレポートは、毎回心にしみました。ゆうかちゃんのこれからがとても楽しみです。

6ヶ月のインターン生活が始まったダイちゃん!一瞬一瞬に向き合い素敵な時間を過ごしてね。

みなさま!11日間ありがとう〜!!これからもよろしくお願いします。

2016春のスタツア感想文①~奈月の場合(コンサル勤務・東京)

 

「私には自信がなかった。何もできないと思っていた。でも、私にはなんでもある。なんでもできる。」

このツアーを通して、私はそんなシンプルなことを学びました。

インドでは色々な人々にお会いさせて頂いきました。
自国を失い、自分たちのアイデンティティを奪われたチベットの人たち。陸橋のふもとで、必死に勉強する子供たち、それを教える先生方。両親を失った子供たち。何かしらの理由から、家族一緒に住めず、シェルターで暮らしている人たち。
たくさんの問題を抱えている人たちと出会い、そして、可哀想って思ってしまいました…
彼らは可哀想なの??その気持ちってエゴじゃないの?必死に生きている彼らに失礼じゃないの?
そんな気持ちが、ずっと頭の中でグルグル回っていました。

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でも、ツアー中のチベット仏教の高僧であるリンポチェ*の法話から、考えが変わりました。

「あなた達にはなんでも揃っているのです。なんでもできるのです。今できることに目を向けなさい。」

私にはなんでもできる。そっか、私にはなんでもできるんだ…。そんなあたり前のことをお教え頂いた。
*リンポチェ…転生した人のこと

私は、国際協力という支援にずっと心惹かれるものがありました。困っている人たちのために何かしたい。
だけど、ボランティアっていう言葉に抵抗を覚え、何もしてこなかったのです。支援することで、上下関係を作ってしまう気がしてすごく嫌だったから。
私が彼らに対して、可哀想って感じるのが嫌って思ったのも、上下関係を作ることになると思っていたからのことだと思います。

でも、そうじゃない。
彼らを支援することは上下関係をつくることじゃない。彼らができないことを私が協力してあげるだけ、そのことに気づきました。
そして、その代わりに、彼らには私たちが失ったものを教えてもらうのです。

「今を生きる」っていうこと。

日本では、目の前のことに追われ、人と関わって生きるという、あたり前のことが見えなくなりがちです。また、今ある文明のありがたみも失ってしまいます。
だけど、彼らを支援することで、日々、失いつつあるものを取り戻せる気がします。だから、国際協力は上下関係をつくるんじゃない。今、お互いに必要としているものを提供しあうだけなんだと強く感じました。

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ツアーを終えた私には、やっぱり自信がないです。だけど、なんでもできることがわかりました。

「自信はあとからついてくるもの。今、できることをやるだけ。」

そんなあたり前のことを学ばせて頂きました。
これから、私は何をするのかわからないけど、自信がないからやらないのではなく、今、何ができるのかを考えて、支援の第一歩を始めようと思いました。

最後に、今回のツアーでお世話になった皆さんにお礼を言わせていただきたいです。
石川さんにお会いでき、今回のツアーに参加させていただいて、大きく価値観が変わりました。石川さんの行動からも、自信はあとからついてくるものだというヒントを頂きました。
また、話をいっぱい聞いてくれたまいさん&たかこさん&あかりさん、カメラを通してみんなを笑顔にしてくれた北條さん、内容の濃いツアー用意してくれたゆうかちゃん、ツアー手配をいろいろしてくださったゆうこさん、初参加同士で一緒に行動してくれたAmber&あこさん、今後の私の道に大きく関わりそうな予感のエコロジカルファーストエイドの佐藤さん、そして、今後のインターン生活@インドで勇気をいっぱいくれそうなダイキくん、みんなにありがとうと伝えたいです!
一生の思い出になりました。本当にありがとうございました。

ここから私はスタートします!これからもよろしくお願いいたします。

2015秋のスタツア感想文~冒険家ガクの場合

 

生きる、笑う

レインボーチルドレンスタディツアー、春に続き2回目。
本当は来るはずじゃなかった。
インドは前回来て大好きになったし、サージャンや石川さんたちにもあいたかった。
しかし、私は同じ国に2度行くという考えがなかった。
なんでも見てやろう、多くのものを見てやろうが私の信条だ。
だから、インド2回目、しかも1年に2回の訪問は私自身意外であった。
きっとそれほどの魅力がインド、そしてこのスタディツアーにはあるのだろう。
私はまた、インドに呼ばれたのである。

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生と死について考える。
きっと答は出ない。だから考える。
答が出ない事と思い、考えない事は問題と向き合えない。
考えなければ、問題は顕在化しない。
考える事で興味を持ち、世界が広がっていくのだろう。
この世界には問題がたくさんあり、それを変えようと努力する人がいる。レインボーチルドレンのような団体もそうである。
彼らはみな“考える人”だ。

生きる事、より良く、楽しく、人生を楽しむ事は私の得意分野である。
人生は楽しむものだ。
同じ事をしていても、楽しんでやれる人、楽しめない人がいる。
楽しめないなら、無理してやることはない、人生は短い。もったいない。
世の中にはあなたが楽しめる事が必ずある。
私の持論だ。

一方、死に対して、私はネガティブな考えしかなかった。
知人の死はどうしても受け入れがたい。
出来れば考えたくない。見ないままでいたい。そう思っていたのである。

物事には二面性があり、その二つは関係しあっていて、切り離されるべきではない。
光と闇のように、生と死もだ。

死にもやはり意味があり、終わりのような一言で片付けられる事でないのであろう。
死については未だ、答を探している。

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スタディツアー2回目で色々な所を訪ねていると生と死に出会う事が多い。
生きる事、生活することに一生懸命に向き合う国だからだろうか。
今回は特に多くの死や悲しみに包まれた地、ネパールを訪問した。
なぜネパールが被災しなければいけなかったのか?
なぜ多くの罪もない人達が苦しまなければならなかったのか?
この問いは東日本大震災、その他の悲しい災害の度に思うことだが、答など出ない。

ネパールは笑っていた。
人々もそうであるし、山も、国も。
それは、明るく振る舞わなければ押し潰される気持ちもあったのかも知れない。

あるインタビューを聞いた。
家が崩れてしまって、住むところがない。
どうするのですか?と聞いたところ、
“またレンガを積み上げればよい”と。

笑っていた理由がわかった気がする。
起こってしまった悲しい出来事はきっと忘れる事は出来ない。
失った物はもちろんあるが、全てを失ったわけではない。
家族がいて、共に歩む未来がある。
そのためにまた“レンガを積む”のだ。

人が生まれた意味はなんだろう。
生きてる意味はなんだろう。
リンポチェは答えてくれた。
“人は生きているだけで尊いものである”と。
人間として生まれて来た、それだけで奇跡であり、尊い事なのである。

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私達は奇跡的に人として生まれて来た。
そして、何か辛い出来事があっても、
また未来へと歩き続ける事が出来る。
またレンガを積み直す事ができるのだ。

生きる事、死ぬ事。
答はでなくても良い気がする。
考える事に意味があるのだろうと思う。
そして、また、私は何かを探しにインドにいくのだろう。

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▼初めてツアーに参加した今年春の感想文はこちら

2015秋のスタツア感想文~インターンゆうかの場合

もし、私が自分の国を失ったら、言葉を使うことを禁止されたら、信仰するものを否定されたら… 私は彼らのように強く、立ち続けることができるだろうか。

今回の旅は、チベットの文化や人々について触れることが多かった。もちろん、チベット以外にも他の活動はあったけれど、何か新しいものに心動かされることよりも、前回の旅を踏まえて、より広く出会いなおし、より深く学んだ旅だった。

前回のスタディツアーで参加したUprising day。あれから、いわゆるチベット問題と呼ばれるものが私の中で大きな部分を占めだした。あの時聞いた We want freedom という声が今でも耳に残る。

 

サラ大学の学生との会話。
祖国チベットにいる家族とは電話さえできないこと、メディアを通して中国のナショナリズムが植え付けられていること、チベットの首都ラサではチベット人はマイノリティになっていること、それによって文化や言語、長い歴史とともに大切にしてきたことが崩れ落ちていっていること。
チベットでいま何が起きているのか、どんな想いで国境を越えてきたのか、何を彼らは考えているのか、そしてどう未来を創ろうとしているのか。学生たちが語った一つひとつの言葉が胸に残る。

ネパールのクラフトセンターのお母さんたち。
地震の恐怖がありながらも、崩れてしまった工場から、自力で織り機を運び出し、また前に進もうとする姿。穏やかに微笑みながら、まっすぐ作業に向き合うチベットのお母さんたちは、本当に美しかった。女性の強さに満ち溢れた場所。言葉が見つからない。

 

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チベットの人たちに出会い、言葉を交わして繋がりが深くなるたびに、私はいつも不思議に想う。

なぜこうも彼らは、おおらかに構えいかなるときも強く前を向いていられるのか。

チベットのことに関して私が抱く感情は、まだ浅はかでしかないことを何度も何度も痛感した。

出会った多くの人々は、自分の文化、言語を失いかけている焦燥感はあれど、しかし揺るぎない覚悟をもって、一つ一つ着実に前にむかって歩んでいた。

 

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私はこのツアーの間、怒りや悲しみだけでは、決して乗り越えることはできないと彼らの姿から、言葉から、精神から語りかけられていたのだ。

 

どう表現したらいいのか。
時に彼らの言葉から、腹の底で決意した意思が垣間見えた気がした。
同じ学生として、同じ人として、恥じないよう生きたいと思うと同時に、私には何ができるのか… この問いが未だに突きつけられたままである。

 

ただ、いつも想うのは、チベットに微力ながらも関わる人になることの誇りを持って、今後の活動に向き合っていきたいということ。

私のスタディツアーはまだ始まったばかり。一人向き合う不安もあるけれど、なによりも尊い活動に参加させて頂けることに感謝して、限られた時間のなかで出来ることから始めていきたい。

彼らと同じよう前を向いて歩いていく。
きっと道はひらけると信じて。

 

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▼初めてツアーに参加した今年春の感想文はこちら

▼マガジンアルクに掲載されたゆうかちゃんの原稿はこちら

2015秋のスタツア感想文~香り玉アーティストたかこの場合

 

今、日本にいる私の目の前をチベットの僧侶が横切っていく。ツアーに参加する前はあまり意識しなかったけど、今は、懐かしさと親しみを感じる。

ツアーで、たくさんの人に会い、たくさんの経験をしてきた。いままでにない経験。

私は香り玉の作り方(編み物)をダラムサラの女性に伝えに行った。

ただ、代表の石川さんとご縁があって、だたそこに道があったから。

ダラムサラに行くことに決めた。

できるとか、できないとかじゃなく。

そこに道があったから。

 

行ってみると、また道が繋がっているような気がした。

もうすこし先へ。

それは、ツアー参加者達、そして、その土地で出会う人達との不思議な縁。

私にいろいろな事を教え、刺激を与えてくれる。

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ダラムサラの女性たちとツアー参加者達との香り玉(編み物)講習会。

誰もが、前から知っているかのようなくつろいで、たのしい時間。

これほど熱心に学んでくれるとは思ってもいなかった。

そして、ツアー参加者からも「香り玉つくる事に興味がある、講習に参加したい」と言ってもらえたときは、とても嬉しかった。

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この香り玉を第一歩として何かを作り上げていく、何かが始まるととても嬉しく思う。

そこに道があれば、きっとできるのだと思う。

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誰もが、喜び、楽しみ、幸せと愛のある場所へ。
Woman to woman 世界の女性がつながっていく….

 

最後に旅の途中でノートに書いたものを感想文に…。

 

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曲線は描く
流れのように

道は流れ
世界も流れ

全てが流れのままに

交わり、交差する流れ
そこで何かが起こる
素晴らしいこと

横から、上から、斜めから
すべてよい
すべてよい
素晴らしい出会い
仲間たち
レイチルの世界
どんな世界だろう
それはきっと素敵な世界

大きく広く美しく 広がる世界
ひかり輝く季節の中で
さらにひかりだす世界

すべての世界の中で
こうこうと輝きはなつ
それはどこまでも 未来をてらす

今を生き、今できることをする
それが未来をてらす

今を輝かせれば、未来も輝く
輝きは人それぞれ
その人が素晴らしく輝く世界

それがレイチルの世界かもしれない

今、そして続くのは未来

~出会ってくれた人みんなに
そして、これから出会う人みんなに感謝します。
ありがとう~

ツアーに参加して未来を輝かせてほしい・・・

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帰国後、ダラムサラの香り玉チームから届いたサンプル。香り玉プロジェクトは虹色の道を歩きはじめました。

2015秋のスタツア感想文~タイルアーティスト麻衣の場合

 

〜旅のはじまり〜

【虹のスタディーツアー@チベット、インド、ネパール】の募集がフェイスブックにアップされた瞬間、私のアンテナが猛烈に何かをとらえました。

「あっ!!これに行かなくちゃいけない!!!!」

そう思ったのと同時に即申込みをしていました。超強力なエネルギーに引っ張られる感じ。私は、自分が体験する物事に意味づけをしてしまうのですが、このスタディーツアーは、私の人生の新たなステージ入口となる予感満載の旅立ちになりました。

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〜学校で勉強したい子供達との出会い〜

インドは、「混沌」や「生と死」というイメージでよく表現されています。私がはじめてみたインドは、シャディプール地域のスラム街。そこは、想像していた以上に「生きるエネルギー」が渦巻いていました。人間が、自身の肉体と五感を使って今を生きている。その感じがなんだか懐かしい。キラキラした瞳の子供達が、「ハロ〜、ナマステ〜」と声をかけ手をさしだしてくれた。((握手をしたら何かをもとも得られるのではないか?!))ふとそんな思いが心によぎり、少しためらってしまった。疑って、ごめんなさい。挨拶を交わす事って誰かと繋がる第一歩なのに。大切な事を気づかせてくれて、ありがとう。

このスラム街の一角にレインボーチルドレンの学校開校予定地があり、その視察に同行できました。「勉強したい!!学校に行きたい!!」そう願う子供達が、目の前にたくさんいる。その子供達のニーズを叶える、レインボーチルドレンのスラムプロジェクト。子供達の未来が開けていけますように!このプロジェクトを応援していきたい。この地に来てよかった。

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〜チベット問題について〜

チベット独自の文化継承が危ぶまれている・・・。

人はなぜ、支配しようとするのだろうか。なぜ、より多くを所有しようとするのだろうか。私も支配欲や所有欲に直面する事がある。欲望がすべて悪い事だとは思わないが、集団が支配する欲望の先には恐怖があるのだと感じた。

国や政治が絡んでいる問題であるだけに、チベット自治区でチベット民族の文化継承を実現できる日はまだ先の未来になってしまうかもしれない。

今回のツアーで、ダラム・サラにあるナムギャル寺のリンポチェにお話をうかがえたことはとても貴重な体験だった。宗教の枠をこえて、世界中の人がこの教えを実践したら世界はどんなに平和になるだろう。そう感じた教えの一つは幸せについてでした。

「私たちは皆なんとかして幸せになりたい、苦しみから逃れたいという願いがある。そう願う人間はみんな同じ立場である。自分が求めている幸せをどうしたら手にする事ができるか、逃れたい苦しみからどうしたら滅する事ができるか。それは、自分のする行いが、すべての人やものに良い行いであれば幸せという形で自分に返ってくる。その反対に悪い行いをすれば、苦しみとして自分に返ってくる。」というものです。この精神が根底にあるからチベットの方々はとても平和的なのだと実感しました。また、最初に私が抱いていた欲望についての疑問もこの教えをもとに考えてみると、自分の欲望を叶える事で、他の人やものにたいして良い行いとなれば満たしても良い事なのだと理解できた。

こうした、平和に繋がるチベット人の精神や文化に触れ、たくさんのチベットの方々と出会えた虹のスタディーツアーは、なんと素晴らしいのだろう!!参加できた事に心から感謝ししています。

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〜女性のちから〜

たくましく生きる女性達にたくさん出会った。香り玉プロジェクトチームのチベット人女子3名。ダライ・ラマ法王の日本語通訳さんのマリアさん。ネパールジャワラケルのカーペット工場のお母さん達。ノットクラフトのシャムさんとその仲間達。人身売買の被害にあった女性達。目標に向けて頑張っている奨学生達。厳しい環境にありながらも、みなさんの素敵な笑顔が印象的でした。

笑顔は世界を平和にかえる!!女性の愛のエネルギーは偉大なり。私も同じ女性として見習っていきたい。そして、この女性達と共に自分も何かをしていきたいと思った。そこで、香り玉プロジェクトのリーダー「たかこ先生」のもとレインボーチルドレン女子部を勝手に設立!!ハンドメイドクラフトでレインボーチルドレンの支援活動〜!!今後の展開をご期待ください。

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〜すべてが幸せで生きるために〜

人間が生きるのに必要な物「空気」「水」「食料」この3つは、地球が無償で人間や動植物達に与えてくれる。もともとは、地球からのギフトだった。

しかし、いつの頃からか「お金」が人間社会を支配している。

「お金っていったいなんだろうか?!」

「お金」があれば、支援をすることができる。その「お金」で未来のへの扉をたくさん増やすことができる。反面、その格差や状況を生み出している原因が「お金」でもある。

チベット仏教や文化を真髄に持つチベット人のリーダーが世界に羽ばたいていけば、この貨幣経済の社会構造を変えてくれるのではないか!!消費社会からもっと精神的に豊かな社会づくりにシフトチェンジ!!その可能性を感じたのでもっともっと深くチベット文化、仏教、人々を知りたいと思っています。やっぱり、このツアーは次なる人生の入口となりました。ツアーに参加したことが終わりではなく、これから自分がどう考えどう行動していくかが大切だと思っています。

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帰国後にアースパレード2015ポスターコンペに応募

〜旅を終えて〜

はじめて会ったメンバーなのに、とてもとても居心地の良い11日間でした。メンバーそれぞれに役割があり、そのバランスがとても良い感じ。スケジュールはハードだったのですが、すごく癒された時間を過ごすことができました。これからも繋がっていく仲間なんだなぁって感じています。

みなさんありがとう❤これからもどうぞよろしくお願いします。
地球を敬い、そのすべての命を敬い、私たちのハートが一つになりますように

2015年10月19日 藤田麻衣

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帰国後に描いた虹の絵 2015.10.22 Mai Fujita

2015秋のスタツア感想文~ヨガティーチャーあかりの場合

 

レインボーチルドレンのスタディツアー。

現地の人と顔を合わせ、その生活を肌で感じ、直に話を聞くことができた貴重な体験となった。
印象的だったデリー シャディプールのスラム。
「スラム」というワードから想像していたものとは異なり、人々には悲壮感も狡猾さもなかった。
日本人の私たちに自然な笑顔を向け、何の見返りも求めずお茶や踊りで歓迎してくれるのだ。
とりわけ、子どもたちの人懐っこいキラキラした瞳には心を奪われた。

スラムの人々には、どこか貧困の中に与えられた「生」を受け容れているかのような印象がある。
自分を哀れんだり、他人を羨んだりという感情は一切感じられない。
輪廻転生やカルマを信じる思想からか、カースト制度の名残なのかはわからない。
私の好きな教え、『知足』
足るを知ること。必要なものはすべて与えられている、すでに受け取っているという考え方。
あれが欲しいこれが欲しいと無い物を求めていては、永遠に心が満たされることがない。
何かを所有すればするほど、人は失うことを恐れ、不安や恐怖に心を脅かされる。
物や人に執着しないことは、心を平穏にする。

物に溢れ欲望が絶えない日本の生活と、最小限の物しか所有しないスラムの生活。
本当に豊かなのはどちらだろう?
自分のものさしだけでは、幸せは測れない。

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もう一つ強く印象に残ったのは、チベットの人々との出会い。
控えめで誠実、繊細な感性と人をもてなす温かい心を持ったチベット人。
この穏やかで優しい人たちが直面している苦難、いわゆるチベット問題。

両親を残して亡命したある大学生は「親に会える機会は今生ではもうないかもしれない」と言う。
自分の国が無くなる、文化や宗教や言語を奪われるとは一体どんな気持ちなのか…
同胞が自分の命をもって抗議するのをどんな想いで見ているのか… 想像に及ばない。胸が痛む。
そんな中で、懸命に生きるチベット女性たちの姿に心を打たれた。
ネパール大震災に遭いながらも、被災地から織り機を救い出し仮の工場で絨毯を織る女性たち。
天然素材を使ったインテリアを、海外でも通用するクオリティのブランドに仕上げる女性たち。
自分たちの商品に対する想いの強さや誇り、支え合う温かさが感じられた。

私は阪神淡路大震災で被災したこともあり、このネパールの女性たちには特別な共感を覚える。
逆境にあって力強さを発揮するのは、男性よりも女性の方なのかもしれない。

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インドのデリー・ダラムサラ、ネパールのカトマンズ、またデリーと。
スラムから教育省・チベタンスクール・工場など、様々な場所を見て回ったこのスタディツアー。
インドやチベットのバックグラウンドに関してほぼ何の知識も持たず参加したこともあり…
めまぐるしくタイトなスケジュールに正直、身体も頭も心も付いて行かないまま旅を終えた。

帰国してからも「自分に何ができるのか」「本当に現地の人のためになることって何だろう」
…考えれば考えるほどわからなくなり苦しくなっていた頃、胸にすとんと落ちてきた。

『頭で考えるな、ハートが喜ぶ方へ動け!』
いつも忘れかけてしまうけど、迷った時に行き着く答えはいつも同じ。
まだまだ勉強不足で、根深い慣習や歴史、各国の思惑が絡んだ複雑な問題は理解しきれない。
だからまずは信頼できる仲間… 今回旅を共にしたレインボーチルドレンの活動を応援しよう。
そして無理をせず自分のハートに偽りなくできる活動をしよう、と思う。

たとえば、スラムやチベタンスクールで出会った子どもたちに笑ってほしい。
たとえば、ネパールで出会ったたくましい女性たちと一緒に何かを作り上げたい。

「弱者だから支援してあげる」のではない。ただ困っている友人を応援する。
必要なのは哀れみではなく、人として当たり前に湧いてくる普通の思いやりだ。
その思いがあれば、行動は後から付いてくる。
『癒すことは癒されること』… いつもいつも感じていること。
相手に見返りを求めるのではなく、誰かを癒すという行為自体が自分を癒すのだ。

ー 結局は自分のため? ー
突き詰めればそうかもしれない。
でも同じことだ。すべての命は繋がるひとつの大きな存在なのだから。

自分を想うように人を想い、人を愛するように自分を愛する。
自と他の垣根なく幸せを願う。愛と敬意と感謝の気持ちを持つ。
すべての人がそうあれば、誰もが生きやすく、世界はもっと輝いたものになるだろう。
インドの挨拶「ナマステ」には「こんにちは」だけでなく深い意味が込められているそうだ。
『神聖なるあなたを尊敬します 神聖なるわたしと同じように』
この言葉をすべての人へ。Namaste!

。。+゜゜。。+゜゜。。+゜゜。。+゜゜。。+゜゜。。+゜゜。。+゜゜。。+゜゜。。+゜゜

 

【愛する仲間たちへのメッセージ】

私は今回が初参加で、事前にどなたとも面識がなく、まったく「初めまして」の状態。
にもかかわらず、みなさんが温かく迎えてくれたおかげで終始楽しく不安なく過ごせました。
世の中にはこんなにも温かく素敵な人たちがまだまだいるんだ!という喜びでいっぱいです。

数多の支援団体の中から、レインボーチルドレンのみなさんと出会うことができたのは奇跡。
出会ってくれて本当にありがとうございます。心から感謝!!

○代表のドラゴンこと石川さん
輝く坊主頭、しゃんと伸びた背中、穏やかな眼差し、胸に響く深い声。
風貌もさることながら、行いの尊さや精神性の高さも相まって、まるで僧侶のよう。
かと思えばお茶目な一面もあり、北條さんとのキャメルブラザーズで皆を笑わせてくれました。
リーダーとして皆を守り導いてくれ、一緒にいてとても安心できる存在でした。
そして、大きな流れに身を委ねるということを知っている人。心から尊敬します。

○副代表でカメラマンの北條さん
LINEネームは「なおき」、名札を書く時も「Naoki」とアピールしているのに、なぜか全員から「北條さん」と呼ばれている北條さん。全身から人の好さが滲み出ています。
旅の間カメラマンに徹して、現地の子どもやおばちゃんの笑顔を撮っている姿が微笑ましく…
撮影する北條さんの後ろ姿を撮影して和ませてもらっていました。
心身ともに過酷な旅の中、北條さんの笑顔に何度も救われました。

○東京支部長のユウコさん
しっかり者で聡明なユウコさん。スタッフとして見えない所でいろいろと働いてくれました。
この旅でたくさんの場所を訪れましたが、本当にどこに行っても知り合いがいて人気者。
コミュニケーション能力が高く、現地の大人や子ども、犬や猫まで引き寄せてしまう魅力。
語学に歌にマッサージと多才。Facebookの投稿の早さと自撮りの上手さに拍手!

○香り玉ティーチャーのタカコさん
同じ関西チームで、二人で関空から出発。楽しく旅のスタートを切ることができました。
香り玉プロジェクトでは頼もしい先生の表情になり、チベット女性たちに編み物を伝授。
今回、この新しい取り組みに一緒に参加できたことを、嬉しく光栄に思います。
香り玉プロジェクト、今後の展開が楽しみです。

○ルームメイトのマイちゃん
自然や物作りが好きで、環境に興味のある優しいマイちゃん。同年代ですぐに仲良しに。
毎晩夜更かしする私に文句一つ言わず、レイくんのマニアックな話題にも対等に渡り合う。
いつもよく気がつき、皆をフォローしてくれる広い心に、とてもありがたい気持ちでした。
意欲的にいろんなことを吸収し、自分の世界を広げる姿に刺激を受けました。

○クライマーのガクくん
気づけばいつも屋上とか高い所に登っていたガクくん。元気と体力があり頼れる存在。
温かい心の持ち主で、いつもさりげなく周りに気を配ってくれる、気持ちの良い青年です。
ハードなインドの旅には、こういう人がいてくれるだけでとても安心できます。
ネパールでは兄弟のようにガクくんそっくりなチベット人に出会い、かなりいいネタに…。
そして皆の余った食事を綺麗に引き受けてくれました。食べ物に感謝する精神に脱帽。

○アーティストのレイくん
最初は壁を作って自分を守っているように見えたレイくん。あまりにも繊細で個性的すぎて。
さぞかし日本の社会では生きにくかろうと、勝手に弟のように想って心配していましたが、
旅の中で皆の愛に触れ、彼を縛っていたものから解放されたようでした。もう大丈夫!
声を震わせて「もっと生きたい」と言ってくれた時、どれほど嬉しかったかわかりません。
魂の成長を目の当たりにした瞬間。彼の存在を通して皆が慈愛や寛容さ、絆を育めました。

○通訳のユウカちゃん
まだ大学生にもかかわらず、経験値が高く優秀な人材。まさしく輝ける未来のリーダー!
この旅では通訳をつとめてくれたおかげで、皆の学びと理解がぐんと深まりました。
レインボーチルドレンのインターンシップで、この後6ヶ月もインドに残って活動する彼女。
女の子には厳しい環境に一人で飛び込む勇気と行動力。若さと情熱が眩しいです。

○先遣隊の佐藤さん
入れ違いでお会いすることはできませんでしたが、日本から皆の旅を見守ってくれました。
お人柄の良さが窺え、いつかお会いできる日を心待ちにしています。

。。+゜゜。。+゜゜。。+゜゜。。+゜゜。。+゜゜。。+゜゜。。+゜゜。。+゜゜。。+゜゜

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アカリさんは帰国後、RAINBOW PENCIL PROJECTをスタートしました。

2015秋のスタツア感想文~理事佐藤の場合

 

虹のスタディツアー。

感想を一言で言うと”たくさんの笑顔”です。
村の子どもたち、大人たちの笑顔です。
人々の笑顔は、人々の心を豊かにしてくれます。

水質浄化装置YOU4号機の設置場所となったサンダーナ村は、人口約1万人。
問題の溜池は、アオコ、メタンガス(悪臭)が発生する透視度0cmで結構な汚濁でした。
家畜の水場と聞いていましが、飲料用の井戸と15m程しか離れておらず、水位も追従している状況で、
村人も汚染されていることを認知してました。

でも、YOUはこれくらいの汚濁度合いを想定して設計しています。浄化に持ってこいです。
しかし、ひとつ問題もありました。
スラム設置も念頭に置いていたため、
小型化し過ぎてパワー不足でした。
でも、次回来るまでにアオコの減少くらいはと期待しながらの設置です。
溜池の水質改善は、井戸水の水質改善と連動します。
村人たちは一丸となって取りかかってくれました。

このプロジェクトは、
去年、石川代表のアイデアで、レイチルのプロジェクトの中に、
YOUプロジェクトを組込んで頂きました。
そのおかげさまで、僕は夢をひとつ叶えることができました。
石川代表、北條副代表、サージャン支部長、ダイジンダル、村の子どもたち、大人たち、日本から応援してくれた方々。。

一人ひとりが起こした奇跡でした。
プロジェクトの達成のために、
一人ひとりが主人公となれました。
”みんなで浄化のために力を合わせて作業して楽しかった”
です。
”日本人が来て、池の浄化をして帰った”
ではありません。
人々の心はひとつになりました。

水質浄化装置YOUに込めた想い。
人々のために生き続けてほしい。
人々の笑顔の中で生きてほしい。

myhome

プロジェクト達成した後、村人たちの前でスピーチをさせて頂きました。
人の想いは、言葉や文化の壁を越えると実感しました。
力を合わせて設置したYOU4号機は、
現在、村人たちに守られ、元気に村人たちのために稼働してます。


そして、帰路について石川代表の言葉に涙が溢れました。
子どもたちが笑顔で準備してくれたYOUの200mの電源ケーブル。
YOUのケーブルが、笑顔の子どもたちの心を繋いだ。
天国の由悠(ゆう)くんが子どもたちと遊びたかったのかな。
石川さんに言われて僕もそう感じました。
北條副代表のやさしさにも本当に感動しました。
YOUに込めた想いを聴いてくれたとき、
北條さんのやさしさに癒やされました。
北條さんのやさしさが、僕の心の中に深く染みこんで来ました。

RainbowChildren、
子どもたちの笑顔が輝き出したら、世界が虹色になった。
今回の村にあふれた沢山の笑顔、
様々な色を放つ笑顔。
子どもたちの笑顔は、
虹色の光となって奇跡を起こすと実感しました。

僕は、2016年1月から新しい挑戦をします。
虹のスタディツアーの経験のおかげさまで、
人生を掛けるだけの価値を見い出せました。
僕の残りの人生は、
世界中の人々と、笑顔と共に、
環境への応急手当てのために使います。
人々の笑顔のために生きられることのしあわせ。
僕はRainbowChildrenのみなさまのおかげさまで、
自信を持って進むことができます。

僕もRainbowChildrenの仲間たちのように、
光を放って、石川代表の進む道を照らすお手伝いができれば嬉しいです。
僕も虹の光のひとつとなれたらいいな。

理事 佐藤貴志

やっぱり人と人とのエピソードが、一番魂が震え、刻まれる経験なんだな

 

東京支部長 三村優子

【スラム編】

シャディプールの駅を降りて、砂埃の立つ道を一列で歩く。
見覚えのあるDhol(ドール)太鼓のお店の看板が見えると、スラムへの入口はもうすぐそこだ。

スラムに入るとすぐに子供たちが集まってくる。スラムの人たちは基本的に他所から来た人間には心を開いたり、笑顔で挨拶したりしないと、ある別の文献で読んだ。
だが、少なくともこのスラムでわたしが出逢った人たちは、子供から大人まで、今回もやっぱり『ヘーロー』『ナマステ〜』とみずから笑顔で声をかけてくれるひとが多い。

学校の入口が見えると、もう既に頬はゆるんで抑えきれない。
可愛い元気な子供たち。
また会えて、ほんとに、ほんとに嬉しい!

洗っても洗ってもなかなかとれなかったHoliの洗礼による色やにおいも、ようやくほぼとれた、、と思っていたのだけれど、
まだHoliの熱が冷めやらぬ子供たちは、レイくんのカラフルモヒカンを見て思い出したかのように『ハッピーホーリー!!』と口々に言いながら、各々で色粉を家に取りに走った。
呪詛のようにも聞こえていた『ハッピーホーリー!』ということばに、ゴクリと生唾を飲んで覚悟したのだが、
わたしの覚悟とは裏腹に、
その小さな手は、優しくわたしの頬や額に触れた。そして、『ハッピーホーリー、ディーディー!』と力強く胸に飛び込んでハグしてくれた。
マトゥラーでのHoliのあとだっただけに、なんだか涙が出るほどジーンとこみあげてくるものがあり。
口に入りそうになった粉をタオルで拭こうとしていると、面倒見のいぃ感じの女の子がそっとわたしの手を止めた。
『ディーディー、わたしに任せて!』
教室の隅に積み重なった箱をかき分け、誰のものともわからないパーカーを引っ張り出してきて、その袖でわたしの口元を拭いてくれる。
拭いているときの手つきと眼差しは、まるでお母さんが子供にするかのよう。
このスラムでは赤ん坊の面倒も、慣れた手つきでお兄ちゃんお姉ちゃんが当たり前のように見ている。
コスモス=秩序が、コミュニティには自然と生まれているのだ。
それはルールや慣習という後付けされていくものではなく、人が誰でも持っている母性や思いやりによって生まれているものなんだということを、小さな子供たちの姿から教えられる。

Holiを通して、インドの持つカオスとコスモス、その陰陽を体験し、このスラムスクールでやっとHoli体験が完結したように感じた。
すべてはきっとお膳立て通りに。
貴重な体験ができたこと、心から感謝だ。

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*****

今回のスラムスクール訪問には、レインボーチルドレンとしては大きく2つの目的あった。
ひとつは、お絵描きの道具と化していたPCにネットを繋げること。
もうひとつは、キッズカメラプロジェクト。

どちらも、この閉鎖的なスラムという環境から、子供たち自身が外の世界へとアウトプットしていける第一歩となるチャンス。

お絵描きをPCで楽しむだけでも、わたしは充分にそこに意味はあると思う。
だけどたとえば、その絵をたくさんの他の誰かに見てもらえたとしたら、そこに秘められた可能性はまだ誰にもわからない。

普段見ている景色、
感じたこと、
心に秘めた想い、
『僕は、わたしは、これが好きなんだよ』『おもしろいと思ったよ』
『可愛いと思ったよ』
『綺麗だと思ったよ』
シャッターを切る瞬間、きっと子供たちがそこに無意識に込めた想いがある。
写真はそんな子供たちの想いをきっとわかりやすく視覚化してくれるはずだ。
そして、それは彼らの目から見た、彼らの風景だから、装飾されることのないリアルな一コマだと思う。
その想いを発信したとき、どこで、どんな共振が起きるのか、まだ誰にもわからない。

可能性は、きっと無限。

日本全国から集まった、デジタルカメラ。
皆さんの温かいこころをしっかり受け取ったことがわかるくらい、
わたしたちの説明を聞いている第一陣のキッズカメラマン達は、カメラを大切に握りしめ、目をキラキラさせて力強く頷いていた。

半年後、どんな彼らの想いがカメラに詰まっているか、こころから楽しみでならない。
わたしたちはその想いを、ひとつの虹の架け橋として、子供たちだけでは難しい部分を精一杯サポートしたい。

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先発メンバーに入らなかった他の子供たちにも、今回は不思議な変化が見受けられた。
キッズカメラプロジェクトのこと、確か知らないはずなのに、どういうわけか、
半年前は『撮って!撮って!』だった子供たちが、『撮らせて!撮らせて!』になっていたのだ。
わたしも、教室の壁側に促され、モデルばりのポーズをいくつも指示されて撮ってもらった。
撮られるのが好きな女の子はお洒落をしてきて、自慢の衣装を広げ、ポーズをキメる。
その子を囲みみんなで撮影タイム。

腕にタトゥーを入れ、髪も一部だけ染めた男の子が後半ずっと側にいた。
わたしのスマホを使って、たくさん写真を撮っていた。
斜めアングルや、わたしと手を繋いだ写真やほっぺにキスしながらのセルフィーなど、、なかなかおませな彼だった、笑。

その彼が、帰り際わたしの所に来て、なにやら神妙な顔で、ストラップで首から下げたわたしのスマホを指差して何かを伝えようとしている。
『ん?写真撮りたいの?』
そうじゃない、と首を振った彼は、わたしのスマホをかばんの中に入れようとした。
『盗られるから、しまって。』
彼は英語があまり話せないのでジェスチャーで一生懸命注意を促してくれていたのだ。
日本で子供から『盗られるからしまって。』と言われるようなことはまずない。
このちょっとしたやり取りのなかにも、彼らが普段見ている世界、知っている世界を教えられ、ハッとさせられた。
ありがとう。

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*****

地球という、大きな世界。
国境で分けられた、世界。
コミュニティに分けられた、世界。
ひとり、ひとり、という、世界。

どの世界を知ることも、すべてはじぶんを知ることに繋がっているんだ。
じぶんを知ることは、世界を知ることに繋がっているんだ。
知ることに、わたしは優先順位などないと思っている。
一番最適な方法で、最適なタイミングで、
最適な順番で、知る機会は訪れている。
プロセスは誰一人同じではない。
だからわたしは、じぶんの出逢う『世界』に、
今は自信を持ってこれでいいと選択することができる。

そして、このスタディーツアーに2回参加して分かったことは、
わたしはやっぱり人と人とのエピソードが、一番魂が震え、刻まれる経験なんだなということ。
これからも、たくさんの人に出逢い続けたい!

最後に、
ツアーしょっぱなから波乱万丈だった旅を一緒に明るく乗り越えてくれたツアーメンバーのみんな、
デリーではわたしたちと行動を共にし、家に招いておもてなししてくれたサージャンとそのファミリー、
このツアーで再会を果たせたみなさん、
デリー&ダラムサラでできた友のみんな、
こころ固くならず共に過ごしてくれる
代表の石川さん、副代表の北條さんに
心から、心からの敬意と感謝をこめて。
本当にありがとうございます。

じぶんのものにしようとするこころがなければ、きっと誰もが笑顔になる

 

東京支部長 三村優子

【ダラムサラ&チベット奨学生ミーティング編】

わたしにとって、レインボーチルドレンスタディーツアーでの大切な学びのひとつ、それはチベット問題に触れること。

2度めの訪問となった、
大好きな街、ダラムサラでの数日間。

実はわたしは山より海派なのだ。
なのにどうしてだろう。
青空と雪山のコントラスト、
切り開いた斜面に立ち並ぶ建物のカラフルな屋根、風にたなびくタルチョ、
草むらを駆け回る犬達、、、
このダラムサラの景色は、わたしにとってはもはや完璧と言えるくらいの美しさと安らぎを持った景色だ。
もう一度、またここの空気が吸えて、こころとからだが喜んでいるのがわかった。

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ここダラムサラでは、前回のダライ・ラマティーチングに続き、 大きなイベントに参加できることがわかっていた。

3.10 Tibetan Uprising Day
チベット民族蜂起記念日。
チベット系民族がチベットの首都ラサにおいて、中国共産党の抑圧に対し平和蜂起を行った事件に対する記念日。
この日は世界各地で自由を叫ぶパレードが行われる。

明日、突然日本語は使ってはいけません、と言われたら、
あなたは、日本人ではありません、日本という国は無くなりました、文化から根こそぎ忘れなさいと言われたら。
もしも反発しようものなら、投獄され拷問され、強制労働させられ、死さえ訪れることも不思議ではないとしたら。
子供であろうが、女性であろうが、関係ない。
わたしたちはどうするだろうか?

5000m級のヒマラヤの雪山を、家族と離れ数週間歩き続けて亡命してくる子供たちがいる。
海派のわたしが、ここダラムサラの景色に美しさと安堵を覚えるのは、単なる風景としての美しさだけではなく、誰かの強く生きる希望が秘められているからなのかもしれないと思った。

今回、Tibetan Uprising Dayの日に、わたしにはひとつしたいことがあった。
それは、チベットの民族衣装、チュパを身に纏うこと。
わたしはチベット人ではない。
チベット語も話せない。
仏教に対する深い信仰や知識もない。
だから、日常の一部である民族衣装を身に纏うことで、わたしなりのチベット文化への敬意を表したかった。

チベタン家族が営むお店に訪れ、チュパを作りたいというと、そこのお母さんはとても喜んで、店の奥にいる女の子を呼んだ。
日本でいうとまだ中学生くらいだろうか、透き通るような肌の笑顔がキラキラした娘さんが、『どんな色が好き?』と聞いてくれた。
『あなたにお任せしたい。』というと、少し興奮しながら、数ある中から組み合わせを選んでくれた。
『とても似合うわ!』と姿見鏡とわたしを交互に見ながら、お母さんと娘さんはわたしのチュパ姿を満面の笑みで見てくれた。
スカートの裾あげが必要で、時間がなかったにも関わらず、お母さんは今日中に仕上げてくれると言ってくれた。
『忙しいのに大丈夫?』と聞くと、うううんと首を振って、『今日できれば、あなたはこれを着てアップライジングデイに参加できるでしょう?』と、何も言っていなかったのに、お母さんには気持ちが伝わっていたのが嬉しかった。
本当に本当にありがとう。
これは今回特に心に残った交流のひとつだ。

***

チベット奨学生との交流も、前回よりさらに距離が近づいた気がした。
とてもシャイなチベットの学生。
けれど、胸に秘めた夢や、相手を受け容れるこころの器のようなものは、とてもとても大きくて深い。
そして、ものごとに対して、とてもまっすぐな疑いのない目をしていて、話しているとわたしも学生に戻ったような、そんな感覚になった。
わたしのなかにも、ちゃんと共鳴できる部分があるんだな、と嬉しかった。

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***

どの国に生まれて、どのような歴史を経験して、
それは魂がみずから選んだのかもしれない。
国と国、国境で区切られた三次元世界での『区別』というもののひとつ。

どことも陸で繋がらない、日本という島国に生まれたわたしたち。
一方、奪われたり弾圧される歴史を辿った国の人々と出逢うことは、
わたしたちにどんなことを教えてくれるのか。

アップライジングデイでチベットの人々が叫んでいた『We are free!!』ということば。
暴力ではなく、自らの命を焼いてまで訴えなければいけなかった人々の体験を、
こうして何かのきっかけで触れることになったわたしたちはそれをどう捉えるのか。

良いこと、
悪いこと、
だけで終わらせるのではなく、

世界は誰かのものではなく、
なにかのコントロールを受けるものではなく、ひとつなんだ、ということ。
わざわざこうして『分かれて』いるのは、
追体験によってみずからを知るということ。
世界を知る、相手を知るということは、
みずからを知ることに繋がっているんだと、改めてわたしは感じた。
これが今回のわたしの大きな学びのひとつ。

***

チュパを着た日本人のわたしを、本当に嬉しそうに見てくれたチベットの人たちの笑顔、
わたしは彼女たちが着物を着たとしたら、きっと同じ笑顔になるだろう。

シンプルだけど、それが自然に相手を認め合っている、受け容れていることなのではないだろうか。
じぶんのもの、なんて、本当はこの世界にひとつもないんだ。
じぶんのものにしようとするこころがなければ、きっと誰もが笑顔になる、本当はそうなんだと思う。

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