生きる、笑う
レインボーチルドレンスタディツアー、春に続き2回目。
本当は来るはずじゃなかった。
インドは前回来て大好きになったし、サージャンや石川さんたちにもあいたかった。
しかし、私は同じ国に2度行くという考えがなかった。
なんでも見てやろう、多くのものを見てやろうが私の信条だ。
だから、インド2回目、しかも1年に2回の訪問は私自身意外であった。
きっとそれほどの魅力がインド、そしてこのスタディツアーにはあるのだろう。
私はまた、インドに呼ばれたのである。
生と死について考える。
きっと答は出ない。だから考える。
答が出ない事と思い、考えない事は問題と向き合えない。
考えなければ、問題は顕在化しない。
考える事で興味を持ち、世界が広がっていくのだろう。
この世界には問題がたくさんあり、それを変えようと努力する人がいる。レインボーチルドレンのような団体もそうである。
彼らはみな“考える人”だ。
生きる事、より良く、楽しく、人生を楽しむ事は私の得意分野である。
人生は楽しむものだ。
同じ事をしていても、楽しんでやれる人、楽しめない人がいる。
楽しめないなら、無理してやることはない、人生は短い。もったいない。
世の中にはあなたが楽しめる事が必ずある。
私の持論だ。
一方、死に対して、私はネガティブな考えしかなかった。
知人の死はどうしても受け入れがたい。
出来れば考えたくない。見ないままでいたい。そう思っていたのである。
物事には二面性があり、その二つは関係しあっていて、切り離されるべきではない。
光と闇のように、生と死もだ。
死にもやはり意味があり、終わりのような一言で片付けられる事でないのであろう。
死については未だ、答を探している。
スタディツアー2回目で色々な所を訪ねていると生と死に出会う事が多い。
生きる事、生活することに一生懸命に向き合う国だからだろうか。
今回は特に多くの死や悲しみに包まれた地、ネパールを訪問した。
なぜネパールが被災しなければいけなかったのか?
なぜ多くの罪もない人達が苦しまなければならなかったのか?
この問いは東日本大震災、その他の悲しい災害の度に思うことだが、答など出ない。
ネパールは笑っていた。
人々もそうであるし、山も、国も。
それは、明るく振る舞わなければ押し潰される気持ちもあったのかも知れない。
あるインタビューを聞いた。
家が崩れてしまって、住むところがない。
どうするのですか?と聞いたところ、
“またレンガを積み上げればよい”と。
笑っていた理由がわかった気がする。
起こってしまった悲しい出来事はきっと忘れる事は出来ない。
失った物はもちろんあるが、全てを失ったわけではない。
家族がいて、共に歩む未来がある。
そのためにまた“レンガを積む”のだ。
人が生まれた意味はなんだろう。
生きてる意味はなんだろう。
リンポチェは答えてくれた。
“人は生きているだけで尊いものである”と。
人間として生まれて来た、それだけで奇跡であり、尊い事なのである。
私達は奇跡的に人として生まれて来た。
そして、何か辛い出来事があっても、
また未来へと歩き続ける事が出来る。
またレンガを積み直す事ができるのだ。
生きる事、死ぬ事。
答はでなくても良い気がする。
考える事に意味があるのだろうと思う。
そして、また、私は何かを探しにインドにいくのだろう。
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