ロブサン・センゲ首相来日講演へ参加してきました


 

昨日、来日されているチベット亡命政府(中央チベット政権CTA)のロブサン・センゲ首相の講演会に参加してきました。

「知っておかなければならないチベットの今」と題されたテーマでは、60年前の中国の侵攻により祖国を失いその後の迫害を受けてきたチベットの歴史を重ね合わせ、「チベットを知ることが中国を知ることにつながり、尖閣・南シナ海などの国境問題の解決につながる」と話されました。

決して遠い出来事ではなく、日本を含む中国と隣接する国家や、中国が進出しているアフリカ諸国が、自分のこととしてチベット問題を学ぶことが重要であるということです。

さらに、「チベット問題の解決は、武力紛争が絶えない世界に平和と非暴力をもたらす大きな可能性がある。そして解決できると確信している」と力強く締めくくられました。

お会いするのは昨年10月のダラムサラの首相官邸以来でした

3度目となる今回の来日では、東京・大阪での講演に加え、昨年発足した日本チベット国会議員連盟(超党派82名)での講演も含まれています。今日以降も、京都、東京とハードな日程をこなされ、まもなく始まる議会(国会)に備えてインドへ帰国されます。

奥様とペトンスクールに通うお嬢様も一緒でした

 


(ウィキペディアより抜粋)

ロブサン・センゲ(Lobsang Sangay、1968年 – )は、チベット人の法学者(専攻:国際法、立憲民主主義、紛争解決)、政治家。インドのダラムサラに拠点を置く中央チベット行政府(チベット亡命政府)の公選による第2代首相(正式にはシキョン(政治最高指導者))。

1968年にインド・西ベンガル州ダージリン郊外のチベット人亡命社会で生まれた。誕生日は公式書類上では3月10日とされているが、これは1959年のチベット蜂起が発生した日を借りたものであり、正確な誕生日は本人も知らない。このことについて彼は「自分の誕生日すら知らないという事実に、私がどんな人生を送ってきたかが集約されている」と語っている。

ダージリンの中央チベット学校を卒業後、デリー大学で英文学と法律学を学び卒業。1992年、チベット青年会議執行部委員。1996年、アメリカのハーバード大学ハーバード・ロー・スクールに留学し、2004年に法学博士号(Ph.D in Law)を得た。博士論文は『亡命チベット政権の民主主義と歴史(1959〜2004)』。その後、ハーバード大学ロースクールの上級研究員を務めた。

ロブサン・センゲはチベット問題の平和的・非暴力的解決を望むダライ・ラマ14世の立場を尊重し、中国憲法の枠組みの中での自治権付与を求めている。彼は香港・マカオの一国二制度がチベットにとって最善の制度だとして、暴力を伴う抵抗運動に否定的な見解を示している。

チベット亡命政府首相としては400ドル(日本円で約3万円)の月給しか受け取っておらず、これはインド全体の平均月収の3万ルピー(日本円で約4万5,000円)と比べてもきわめて低いが、本人は亡命政府首相としての職務に情熱を燃やし、収入についてはまったく問題とはしていない。

(転載終了)


 

センゲ首相は難民二世としてインドで生まれ、奨学金を得てデリー大学、ハーバード大学と進学した、レインボーチルドレンの奨学生たちと同じ境遇の人物です。ハーバード大学で教鞭をとられた後に、チベットの初代首相となるために帰国した現チベット難民社会の政治的リーダーであり、それはまさにレインボーチルドレンが掲げる「リーダー育成」のひとつのロールモデルだと考えています。

講演後お声が掛かり、控室にて

講演では、若い世代が(自分のように)勉強を頑張り、これからのチベット社会を牽引していくことに大きな期待を述べられました。

亡命政府の政策の中央の柱でもある高度な人材の輩出(高等教育)をレインボーチルドレン奨学金は担っています。現在65名の奨学生(大学・大学院)は、今年度に目標としてきた100名を達成する予定です。

現在チベット難民社会は全世界に広がり、センゲ首相の様に欧米で学ぶ優秀な学生や、その専門性を世界で活かす人材が増えてきました。チベット人のもつ利他の精神や平和の遺伝子が世界に拡がっていく未来を、レインボーチルドレンは描いています。

いつもユーモアたっぷりのセンゲ首相です。来月またダラムサラでお会いしましょう!

最後に、昨年10月に撮影したセンゲ首相から日本の支援者の皆さまへのメッセージを公開しました。ご覧ください。