チベットプロジェクト最終寄付金について②

<はじめに>

すでに2022年5月末に送金、報告済みのチベットプロジェクト最終寄付に続き、2022年6月末締め分の継続寄付サポーター様や全国に設置いただいていた「みらいの貯金箱」サポーター様からの最終寄付金についてご報告させていだきます。

※前回のレポート【チベットプロジェクト最終寄付金について】はこちらをご参照ください。
http://rainbowchildren.holy.jp/archives/15780


<Mewoen Tsuglag Petoen Schoolについて>


もう一つのチベットプロジェクト最終寄付は、私たちが毎年、春と秋のスタディツアーの中で何度も訪問させていただいた、Mewoen Tsuglag Petoen School(ペトンスクール)へ寄付させていただくことに決定いたしました。

ペトンスクール

 

ペトンスクールは、チベット亡命政府教育省によって設立された、亡命中のチベット人のための基本的な教育政策を実施するモデル校です。
特徴的なのは、伝統的な教育に加え、近代的な教育プログラムを取り入れていることです。

授業風景-1 

 

取り分け、重点を置いているのが語学・言語教育。
クラスIIIまでのいわゆる初等教育では、授業は母国語、つまりチベット語のみで行われ、その後、学年が上がっていくごとに第二、第三言語の教育(英語、ヒンディー語、中国語)も取り入れ、総合的な語学力・言語力を身につけるためのプログラムが組まれています。

授業風景-2

 

前校長先生


私たちが学校を訪問した際にも、校長先生がこの教育方針を詳しく説明してくださりました。

この背景には、日本の教育事情とは全く異なる亡命社会独自の事情があります。

 

<Mewoen Tsuglag Petoen Schoolの教育方針について>

政治的、歴史的な問題により、現在チベット本土におけるチベット語教育はますます厳しさを増しています。近年、多くのチベット学校や家庭で、チベット語やチベットの歴史について学ぶこと、あるいは教えることが公的に禁じられ、地域や学校には監視役が置かれ、それらを破ったと見なされた場合には警察に即逮捕されるケースもあります。
国を奪われた上に、言語という最も重要な文化の一つまでも、消し去られようとしている状況です。

授業風景-3

 

そのため、ペトンスクールの教育方針としては、まずは大前提として母国語であるチベット語教育を充実させ、チベット文化を保護・継承してゆくこと。かつ、インド社会で生活する上で必須の外国語言語を習得することです。

たとえば、親がインド生まれ、あるいは親が幼い頃に亡命し、生まれた子どもたちの場合、親がチベット語を充分に習得できていない可能性があり、家庭でチベット語を教えるのが困難な場合があります。そのため、子どもたちが正しいチベット語を学校で学べる環境はとても大切です。

チベット語のノート

 

その逆で、親がチベットである程度生まれ育った後に亡命し、生まれた子どもたちの場合、親が英語やヒンディー語を習得できない場合があります。
インドでは、英語も通じますが、人や地域によっては十分な英語教育を受けておらず通じないことがあり、病院に行く時や助けを求めたい時、お金が関わる問題など、生活の中で言語が通じないと非常に困る場面も多々おとずれます。
インド社会で将来仕事に就くとなった場合にも、ヒンディー語が理解できると選択肢が広がります。

また、家族や親戚と共に、または留学や就職の機会を得て、英語圏の諸外国へと移住するケースが多いのも亡命社会ではよくあることです。
移住先での生活では当然英語が必要になります。

このように、日本人が外国語が全く使えなかったとしても母国語だけで生きてゆける日本とは違い、亡命社会の子どもたちは母国語に加え、第二言語、第三言語まで使えることも生きていくうえでとても重要なのです。

カメラプロジェクトの時の集合写真

 

ペトンスクールでは、こういったチベット亡命社会の背景を踏まえ、子どもたちがアイデンティティーを保ちながら、できるだけ不自由なく生活していけるように、教育方針を組み立てています。

 

<最終寄付金の受け渡し、使途について>

今回、ペトンスクールへの寄付にあたり、現地での受け渡しや校長先生へのインタビューなどを友人のPema Gyalが務めてくれました。Pema Gyalはレインボーチルドレンの奨学生でも現地ボランティアでもありませんが、亡命社会におけるチベット語教育の重要性について長年関心を寄せてきた人物で、今回のコーディネートについても強く賛同し、協力してくれました。

校長先生とペマ

 

校長先生のお話より、現在ペトンスクールではコロナ禍や世界情勢の影響により、予算不足のため停滞し続けているプロジェクトがあることがわかりました。

1つは、Language Laboratory(LL教室、いわゆる語学演習室)の設立。
これは、従来の伝統的な読み書き教育に加え、近代的な視聴覚教育を取り入れたプロジェクトです。そこで子どもたちが必要な視聴覚教材や機材が予算が通らず不足しているとのことでした。

LL教室の建物

 

もう1つは、スクールバスの問題。
遠隔地から通学する子どもたちの増加、ガソリンの価格の上昇、そして道路整備ができていないこの街で一日に何往復もするスクールバスは頻繁にメンテナンスが必要となり、そのメンテナンス費用も年々上昇しているのだそうです。

スクールバス

 

今回の寄付金では、それらプロジェクトの予算総額を賄うことはできませんが、話し合いの結果、優先的にLL教室で不足していた子どもたちの教材や機材の費用に充てていただくことになりました。

 

現校長先生

 

校長先生からは、予算の申請がなかなか通らず困難な状況だったところ、今回の寄付のお話をいただき、子どもたちのより良い教育のため一歩前進できて非常に感謝しています、とのお言葉をいただきました。

Thank you letter

 

また、ご丁寧にお手紙もいただ本当にありがとうございました。

 

<最終寄付金額について>


2022年6月末締めの継続寄付サポーター様や、全国に設置いただいていた「みらいの貯金箱」サポーター様からの最終寄付金は総額156,558円 (≒ 91817.20ルピー)となりました。
ここから外国送金手数料が引かれた、91,037ルピー(≒ 155,411円)を7月4日付けでペトンスクールへ送金完了いたしました。

ここまで長きに渡っての、継続寄付サポーターの皆様、「みらいの貯金箱」を設置してくださったサポーターの皆様や募金してくださった皆様に、心からの感謝を申し上げます。
温かいご支援、本当にありがとうございました。

 

チベットプロジェクト最終寄付金について

<はじめに>

2022年4月16日開催の理事会にて、チベットプロジェクトの最終寄付については、副代表yukoが担当することになりました。
ここで、寄付までの経緯やその詳細をご報告させていただきたいと思います。

<最終寄付の目標と決定までの経緯>

今回、最終寄付ということもあり、最重要視したのは「皆様からの温かいご厚意を1円も無駄にせず、かつレインボーチルドレンの理念に適する寄付先を決定する。」ということでした。

今まではチベット亡命政府を通じた寄付を行っておりましたが、今回に限っては、単発かつ上限のある寄付金であるため「政府からも支援を受けることができない」個人・学校を一つ一つ慎重に精査し、決定することにいたしました。

精査にあたっては、現地のチベット人ボランティア、Tashi Tsomo(タシ・ツォモ)ちゃんや友人のネットワークの親身な協力に助けられ、当初の寄付先候補からさらに選考を重ね、約一ヶ月かけて最終的にインドの大学・大学院に通う6名の個人学生と、TCV(チベット子供村)Selakuiへの配分寄付が決定いたしました。

<6名の個人学生決定の経緯>

個人学生につきましては、全員がチベット本土からの亡命学生であり、インドに身寄りのない学生のみを選抜いたしました。
理由としましては、昨今の政治的背景から、チベット本土から国外へのあらゆるアクセスに対する規制がより一層厳しさを増し、国外への送金も規制対象となったことをきっかけに、今までチベット本土からの仕送りにしか頼れなかった学生たちにとって、ここ数年、身寄りのないインドでの学費や生活費の工面が非常に難しい状況に置かれている、ということがありました。
(今回の学生の中には、国外への送金を理由に、実際に親族が警察に逮捕されてしまったケースも含まれています。)
また、彼らは現在、チベット亡命政府からの援助も受けられないことも併せて確認しております。

<6名の個人学生の紹介>

以下、その6名を、彼らからサポーターの皆さまへのメッセージと共にご紹介いたします。
彼らとは、5月中旬からメールを通じて個別にやり取りを重ねてきました。
全ての学生やご家族の安全を考慮し、顔写真の掲載は控え、本人の了承を得た情報のみ開示させていただきますので、御了承願います。

① Kalsang Dolma

大学名::Rajiv Gandhi University
専攻:Bsc optometry(理学士号・検眼科専攻)
メッセージ:
私は2011年にチベットからインドに来て、現在はバンガロールにある大学で勉強しています。
私は出来る限り、さらに多くの勉強を続けていきたいと考えています。
今回のご支援の機会にあたって、すべてのサポーターやレインボーチルドレンの皆様へ、私を支えてくださったことに心から感謝の言葉を届けたいと思います。

②Bande Tsering

大学名:JNU(Jawaharlal Nehru University)
専攻:BA Honours Japanese language (文学士号 4年生 日本語専攻)
メッセージ:
私は両親に希望を託され、2009年、チベットから2回目の挑戦でインドに来ました。実は、1回目の挑戦は失敗に終わり、一緒に失敗したメンバーと共に刑務所に入れられてしまいましたが、決して望みを捨てませんでした。
そして今、私はデリーにある大学で日本語を専攻しています。
大学卒業後は、日本で学位を取得するのが夢です。いつも考えていることは、実際の日本でさらに学びを深めたいということです。

③Tamdin Lhamo

大学名:Jyoti Nivas College
専攻:Tourism Management(観光経営学)
メッセージ:
私はチベットにシングルマザーの母を残し、インドへやって来ました。
私は研究に関心があり、これからもそれを追究していきたいと思っています。
私の目標は、チベット社会に奉仕し、母の生活に心的負担をかけないようにすることです。
皆さまのご支援と親切に心から感謝を申し上げます。皆さまの活動への感謝とともに、どうか皆さまへずっと祝福がありますようにお祈りします。

④Namgyal

大学名:ダラムサラにある某大学
メッセージ:
皆さまの親切と私を助けてくださったことへ心からのお礼を申し上げたいと思います。
皆さまの温かいご支援は、私を夢の実現へと近づける大きな一歩となりました。
皆さまのことは決して忘れません。
私は将来、チベット語と英語の優れた翻訳家になりたいと思っています。しかし、私の英語の実力はまだまだ翻訳家になるには及びません。
この専攻の後、私は自身の英語力をさらに改善する必要があるので、英語のコースにも出席し、学びや夢を達成するために全力を尽くしていきます。
あらためて、皆さまのご支援に心から感謝いたします。

⑤Lobsang Dhoudup

大学名:Zongsar institute
専攻:Tibetan Literature MA(チベット文学 修士号)
メッセージ:
私は2013年にチベットからインドに来ました。
今は大学院でチベット文学を勉強しています。
将来は、勉強をさらに続け、博士号まで取得するのが私の夢です。
私の学びを支えて下さった皆さまへ、感謝の言葉を伝えたいと思います。

⑥Sonam Norbu

大学名:Zongsar institute
専攻:Tibetan Literature MA(チベット文学 修士号)
メッセージ:
私たちを支援するために、たくさんの寄付を送ってくださり、本当にありがとうございます。
そして、私たちだけでなく、チベットコミュニティ全体を支えてくださりありがとうございます。
この支援への感謝と、さらに勉学に励んでゆく決意で、決して皆さまからいただいた寄付金を無駄にはしません。
私は2013年にチベットからインドに来ました。 仏教徒として、また文学を愛する者として、仏教や文学の知識を深めるために、私にはまだもう少し言語を学ぶ必要があります。
一番の夢は、作家/翻訳家になることであり、現在は日本語を学ぶ夢も持っています。
世界がまたパンデミック前のような日常に戻る日が来たら、レインボーチルドレンの皆さんと、日本やインドでお会いできることを楽しみにしています。

<TCV(チベット子供村)Selakui決定への経緯>

今回の選考の中で、個人学生以外に、チベット人学校または個人の非営利NGO/NPOにも寄付を配分したいと考えていました。
幾つかの候補が絞られる中で、私たちも何度かスタディツアーでお邪魔させていただいたTCVが、政府予算での運営ではないということ、さらに近年は海外からの支援者も減少傾向にあるという事実がわかりました。

課外授業風景

また、このレインボーチルドレンでボランティアとして自ら立候補し、インドから協力してくださっていたTashi Tsomoちゃんは、日本での滞在経験や自身の学びを活かし、現在はこのTCV Selakuiの課外授業で、ボランティアとして日本語や日本文化を子供たちに教えています。
Tashiちゃんは私たちの奨学生ではありませんが、レインボーチルドレンの理念の一つ「未来のリーダー育成」に貢献する活動を、ここTCV Selakuiで自主的にされています。

課外授業風景2

最後まで、私たちの活動を気にかけて協力し続けてくださったTashiちゃんへの心からの感謝を込めて、またTashiちゃんが実際に関わっているTCV Selakuiの子供たちの未来へと、寄付をさせていただきたいという決定に至りました。

タシちゃんと校長先生

TCV Selakuiの校長先生からも公式の感謝のお手紙をいただき、本当にありがとうございました。

Thank you letter

<チベットプロジェクト最終寄付金の内訳>

このレポートの最後に、チベットプロジェクト最終寄付金の内訳についてご説明いたします。

最終寄付金全額の内、チベットプロジェクトに配分した額は合計135万円(≒ 804792インドルピー)
その内、
・個人学生6名へ計555,000インドルピー(≒918,711円)
・TCV Selakuiへ250,000インドルピー(≒412,823円)
>計1,331,534円(≒805,000インドルピー)
※外国送金手数料込
となりました。

(個人学生へは2022.5.26付、TCVへは2022.5.27付で送金を完了しております)

改めて、これまで温かいご支援をいただいた皆様には心から感謝を申し上げます。

【Be the change project-学生たちは今-】④〜白井莉奈子(しらたん)〜

 

Be the change project に参加させて頂いた白井莉奈子です。
あれから3年が経ち、当時大学1年生だった私もとうとう卒業を迎え、春からは社会人になります。

正直なところ、このプロジェクトは私にとってあまり思い出したくない記憶となっていました。

しかしふと思い返してみると、このプロジェクトに参加したからこそ気づけたこと、考え直せたことがたくさんあったように思います。

というのも参加前まで私は、国際協力や途上国支援に関心がありました。

しかしプロジェクトを進めるうちに、私は国際協力に携わることは向いていないんじゃないかと思うようになりました。
なぜなら、「チベット難民の人たちが外国人と交流する場をつくる」というプロジェクトの目的があったにも関わらず、
私は目の前にいるチームメンバーと協力しようという姿勢が乏しく、自分の思い通りにいかなければ不満に感じ、
「もうどうでもいいや、インドなんて行きたくない」とか、
「なんで私、こんなことやっているんだろう」と思い、当初の目的を蔑ろにしていたからです。

そこで気づいたことは、私は国際協力や途上国支援を心の底からしたかったのではなく、「かわいそうな人を救ってあげたいと、考える心優しい人」になりたかったんだなということです。とても上から目線で、自己中心的な考え方でした。

しかしそんな私がインドで、ダラムサラの街を歩いて、食べ物を食べたり、現地の人と話したり、チベットの美術や伝統舞踊を観たりして、異文化に触れることが心の底から楽しいと思えました。

心の底から喜びを感じられたことで、私の中で「チベット」や「ダラムサラ」が
「知らない」「興味ない」「どうでもいい」「かわいそう」というネガティブな印象から、
「楽しい」「面白い」「また行きたい」「素敵なところ」といったポジティブなものに変わりました。

そうした経験を通して、自分が見返りを求めずに純粋に「好きだ」「やりたい」と思うことをすることが、
結果として国際協力に繋がったり、
自分がこうあってほしいと願う社会に少しでも近づく手段になるなら、
それ以上に嬉しいことはないなと思うようになりました。

インド帰国後は、留学をしたり、夜間学校に通ったりと、自分の好きなことや、やりたいことを存分にして、充実した大学生活を送ることができました。

そして卒業後、春からはご縁があり、Be the change project でインドに渡航した際に訪問した団体で働くことになりました。

もしBe the change projectに参加していなかったら私がこのような考えになることも、そこに就職が決まることもなかったかもしれません。

改めて、クラウドファンディングで支援をしてくださった方、その他プロジェクトを見守ってくださった方、レイチルの運営メンバーには感謝申し上げます。

ありがとうございました。

もしかしたら、仕事を始めたら、「しんどい」「こんなはずじゃなかった」と思うこともあるかもしれません。
でも、そんな時はBe the change projectで感じたことを思い出して、自分の心が喜ぶ方へ向かおうと思います。

 

ポカラのチベット人居住区へ行ってきました②

インド駐在ボランティアの三輪です。

ポカラを旅した前回の続き、もうひとつのチベット人居住区をレポートします。

もう1つは ”Tashiling Tibetan settlement”

こっちは観光地のレイクサイドから近いため自転車で簡単に行けたり、近くに観光地として有名なDevi’s FallとGUPTESHWOR洞窟があるので、合わせてツアーの一部になっていたりして、観光客がいっぱいいました。

 


Tashiling居住区の入り口周辺。

 


すぐ近くのGUPTESHWOR 洞窟。面白そうです!!


この居住区には500人の人が生活します。

こちらもチベット寺院、集会所、チベット居住区の事務所、学校、診療所、職業訓練校などあります。

もう1つの居住区よりは、、小さいかな、、

ただ、観光客向けの施設が充実しているかなと感じました。

 


チベット寺院の入り口。

 


寺院の中、ダライ・ラマ14世の写真がありました。

 


こっちもカフェ、民芸品売り場あります。

 


チベットカーペット用の生地を作っている職人さん。

 

チベットカーペット用の生地。

 

カーペット売り場、僕も買いました!!

 


歴史展示館あります。チベットからネパールへの移動の歴史等、見れます。

 


チベットの方達の居住区。

 


このTashiling居住区にはレインボーチルドレン奨学金3期生であるPemaさんのお姉さん、Tsering Lhamoさんがナースとして働いています。

彼女にこの居住区を案内してもらいました。

Pemaさんのお姉さんがここで唯一の看護士。

お医者さんはいなくて、週1回、市街地から来ています。

お姉さんはカトマンズ生まれ、インドのマンガロールで大学を卒業した後、ここで働いています。

 


Pemaさんのお姉さん。働いている診療所で。

 

今回ポカラを訪問して思ったのは、インドにいるチベットの人たちより、苦しい状況だな、、ってことでした。

チベットの人達はネパールの中で仕事に就けないので、自分達で仕事を作っていくしかない状況です。

僕は日本人に生まれて、簡単に仕事にありつけて、恵まれているって思いました。

アフリカでも思いましたが、「仕事がない」これが1番の課題だと、やっぱり思いました。。

彼らがもっと観光客を呼び込めれば、、、

もっと良い商品を生み出す力があれば、、

 

生まれた場所、環境が違うだけ、ここまで生活が違う、、

ということを改めて感じました。

日本人に生まれたってだけで幸せだと感じます。

そしてチベットの方々の苦境を改めて感じました。

国がないというのはここまで人を苦しめるのか、、、

と感じました。

 

ポカラ、また来ます!!景色サイコー!


今回はポカラだけの予定でしたが、、、

予定より早くカトマンズに着いたので街中を散策してたら、面白いチベットレストランを見つけました。

カトマンズのタメル地区で一番古いレストラン。

チベットの方が最初にレストランを始めたそうです。

有名な観光スポットのようで料理、美味かったです。

オススメです!!


タメル地区にありました。

 

1971年から。歴史が古いです。

 

Ping shaというチベット料理。旨かったです。


今回は滞在し慣れたポカラへの里帰りのつもりでしたが、自分の知らないポカラの一面を知ることができました。

チベット居住区はチベットの方達の生活を見れる良い場所です!

みなさんも一度訪れてみてください!

 

 

ポカラのチベット人居住区へ行ってきました①

インド駐在ボランティアの三輪です。

昨年10月6日~8日とネパールのポカラに行ってきました。

インドがダシャーラで休みだったので、連休を利用して行ってきました。

以前の職場でポカラに4ヶ月程滞在した経験があり、その時にものすごぐ良い街だと感じて気に入っていたので、是非また訪れたいと思ってました!ってことで里帰りをしてきました。

ポカラはパックパッカーの聖地!

いろんな国の人達が集まって、美味しいお店いっぱい!

人もいい人ばかりでとても落ち着きます!

街から見れるヒマラヤ山脈の景色が最高です。

朝日を見るスポットもあります。

他にもヒマラヤ山脈へのトレッキング、ラフティング、パラグライダー、バンジージャンプ等、アクティビティもいっぱいです。

 

そのポカラで今回は2つのチベットキャンプ(居住区)を訪れました。

”Tashi Palkhel Tibetan settlement” と ”Tashiling Tibetan settlement” です。 ”Tashi Palkhel” は街中から離れたHemjaという地域あり、”Tashling” はポカラの市街地の南にあります。

観光客を積極的に呼び込もうとしていて、ポカラの観光スポットの1つになっています。チベットの方の生活が見れたり、チベットの民芸品が買えたり、チベット難民の歴史が見れるようになっているオススメの場所です。みなさんポカラに来たら是非訪れてください!!

 

さて、最初に訪れたのは ”Tashi Palkhel Tibetan settlement” です。

ポカラの市街地から離れたHemjaという地域にあり、ポカラ街中より標高が高いです。セティ川が近くを流れていて、気持ちが良い所です。

セティ川が近くを流れています。

 

ただ、こんな場所にチベット人居住区があったなんて全く知らなかったです。

僕も以前、何度もこの前の道を通り過ぎていたのですが、全く気づかなかったです。ただよく見れば、チベット文化が感じれらる建物が建っていました。

居住区の入り口?わかりずらい。。

 

ここには約650名のチベット人、150の家族が住んでいます。

チベット寺院、市民の集会所、コミュニティの事務所、小学校があります。チベット難民のみんながここで集まって生活しています。観光地として、民芸品売り場やカフェなんかもありました。

チベット寺院の入り口。

 

チベット人コミュニティの事務所。

 

チベット人の小学校。

 

観光客用?のカフェ。

 

チベット人の集会所。

 

民芸品売り場。

 

民芸品を売って自分達の生活費を稼いでいます。

 

週一回ここでお祈りをします。

 

お祈りの場所からの景色。チベット寺院が見れます。眺め最高です!

 

 

このチベット居住区の人達の生活はとても厳しいです。

小学校は居住区の中にあるのですが、中学高校はポカラの街中の学校へ行っています(車で45分はかかります)。

そして、大学となるとネパール国内では行けず、インドに行くしかないのです。

ネパールでは高等教育を受けれません。

インドへ行くとなると費用も大きくかかってしまい、ますます苦しい状況です。

あとで紹介するペマさん(レインボーチルドレン奨学金3期生)のお姉さんはネパール出身ですが、インドの大学行ってました。。

なるほど、こういう状況なんだなと改めて感じました。

 

さらに難民であるチベットの方々は仕事にほとんど就けず、働く機会がないのです。

自分達の村で野菜を作ったり、鳥を飼ったりして食料を調達してました。

他には、自分達で民芸品を作って売っています。

ただ、この ”Tashi Palkhel” は観光地であるポカラの街中とは違い、ここには観光客がほとんど来ません。そのため民芸品の売り上げもよくないそうです。

僕がいた時も僕をのぞけば観光客は3人だけでした。。。

 

大道路から見える ”Tashi Palkhel” チベット居住区にある建物。

 

それでは、もう1つのチベット人居住区 ”Tashiling Tibetan settlement” へ行ってみたいと思います。

その②へ続く

 

 

奨学生のその後レポート。Tsering Tharchinさん(4期生)

 

レインボーチルドレンの元奨学生。Tharchinさんです。

JNU(Jawaharlal Nehru University)で中国語を専攻していました。2019年5月に修了。詳しくは奨学生レポート(http://rainbowchildren.holy.jp/archives/7667)をご覧下さい。ちなみに今もJNUで勉強しているTenzin Daselさんとは友人です。

 

今(2019.8.18時点)は大学時代から続けていたラジオ局の仕事と中国語の翻訳の仕事をしています。翻訳の仕事はチベットで起こっているニュース(中国語)を翻訳して、インド、チベットの人に伝えています。

 

そして8月26日(2019.8.26)の週からは台湾の大学へ留学です。中国語をさらに勉強します。1年間の予定ですが、可能なら延長してPhD(博士)を取りたいと思っています。もっと中国語、中国文化を理解したいそうです。

 

奨学生レポートにもある通り、Tharchinさんはチベットの権利を取り戻すために頑張っています。「壁は高いけど、ずっと立ち向かっていくつもりです。」と言ってました。6月にはTibet action instituteというアメリカのNGOが開催する活動家のためのワークショップにも参加し、研修を受けました。

 

活動家なので、最近の日韓関係に関するニュースだったり、スーダンの緊張状態、アフリカにおける中国の存在感など、、、色々知っていてすごいと思いました。

 

JNUの大学にも中国人がいると思うのでどうしてるんだろうと思い聞いてみたら、、

「まず彼らは政治は関係なく友達です。“今日は政治を抜きにして喋ろう”といったこともありました。そして、少しずつチベットの現状のことも話していきました。最初はチベットのことはあまり理解してもらえませんでしたが、徐々に理解してくれるようになりました。」



素晴らしい姿勢!なるほど、と思いました。人と人同士は仲良く。そして活動家として、チベットの権利のために動き続ける。良い活動家です!

 

大学生の時の想いそのまま、自分の目標に向かって突き進んでいます。カッコいいです。このまま負けず、その姿勢を貫いていって欲しいと思います!!

まずは台湾で頑張れー!!!!

 

 

【Be the change project-学生たちは今-】③ 〜関家紗愛(さえ)〜

「”Be the change project”に参加させていただいた関家紗愛です。
このプロジェクトは、私に一歩踏み出すきっかけを与えてくれました。
プロジェクト参加時には、何かにつけて二の足を踏んでしまうことが多々ありました。 
プロジェクトメンバーと関わったり現地でチベットの大学生など様々な方々と関わり貴重な経験をさせていただく中で、今あるチャンスを逃さず最大限活用することの大切さを改めて感じました。
またプロジェクトは、NPOやNGOによる支援先の顔が見えた支援のあり方を知るきっかけにもなりました。


インドから帰国後は、国連フォーラム主催パプアニューギニア・スタディ・プログラムに参加しパプアニューギニア へ渡航しました。
プログラムではメンバーとの議論や現地渡航調査を通して、政治・経済・環境・教育・文化など様々な側面からパプアニューギニアが抱える課題とそれへのアプローチ方法を考えました。
またそのプロセスを通して、国際協力のあり方を再考しました。
私はこのプログラムを通して、健康はあらゆる分野に関わることを実感し、将来は国際機関で人々の健康増進に関わりたいと考えるようになりました。
将来への第一歩として、来年から東京大学大学院国際保健学専攻で人類生態学を学びます。
人類生態学とは環境と人間の相互関係から人間の健康を捉える分野で、人間集団の生物学的適応と文化的適応について研究します。


私がこの分野に出会ったきっかけは、パプアニューギニアへの渡航時に知った、低タンパク適応の研究です。パプアニューギニアには、タンパク質摂取量が不足した食生活にも関わらず、筋肉質の人が多く暮らしています。
この研究を知り、人間の適応能力に強い興味を持ったのと同時に、将来国際保健分野で活動するにあたって、適応の観点から人々の健康を考えられるようになりたいと考えました。
大学院では腸内細菌と感染症について研究しようと思っています。

実は私が感染症に興味を持ったきっかけの一つは、インド滞在最終日にメンバーが食中毒になったことです。
このようにどこで何がどう繋がるか本当にわかりません。今後も目の前のことに正面から向き合い、人との出会いやチャンスに感謝して、変化に柔軟に対応しながら成長していこうと思います。」

 
 

【Be the change project-学生たちは今-】② 〜美並立人(りゅうと)〜

「Be the change projectに参加させて頂いた美並立人(みなみりゅうと)です!

今思えば、このプロジェクトに参加したことが全ての始まりだったと感じています。
プロジェクトに参加していた当時、事前準備のプロセスや現地でのワークショップを進める中で、自分の能力の低さに嫌気が差していたのを今でも鮮明に覚えています。しかし、日本人学生のメンバーやスタッフ、インドでの様々な経験のおかげで自分に足りないものを見つめ直すことができました。

インドから帰国後、フィリピンへの留学、ブロックチェーンを扱うIT系会社での長期インターンを経て、現在、フランスに交換留学生として滞在しています。
このようなインターンシップの業務やフランスの学校でのグループワークで、チームワークの大切さや自分の意見を積極的に発言する重要性など、
Be the changeプロジェクトで学んだことが非常に役に立っています!

そして何より、もっと自分の知らない世界を知り、たくさんの人達と話してみたいと心から思えるようになったことが、プロジェクトに参加した1番のメリットだったと感じています😊

今後は、日本またはイギリスの大学院に進学するか、企業に就職するか決断できずにいますが、将来の自分のしたいこととしては、主に2つあります。
1点目は、テクノロジーを駆使して日本、または海外の不平等の解決に貢献できる人材になることです。
2点目は、インドのダラムサラに行ってもう一度モモを食べることです🍖

Be the changeプロジェクトに参加して得た出会い、インドでの経験は自分の人生の中で間違いなく忘れられないものになると感じています。

いつか、またプロジェクトに参加した日本人学生やレインボーチルドレンの皆さんとお会いできる日を楽しみに、プロアクティブに挑戦し続けていきたいと思います😊

 

【Be the change project-学生たちは今-】① 〜松本佳恋(かれん)〜

 

「Be the change projectに参加させていただいた松本佳恋です!寛大な上司・先輩方に恵まれ、気づいたら社会人になって1年8ヶ月がたっていました。

インド帰国後すぐはどんな変化を社会にもたらしたいか分からなかった私ですが、日本で働き出しその答えが見つかりました。
今の私が実現したいことは「日本をもっといろんな人たちにとって居心地のいい住みやすい国にする」です。マイノリティとして、女性として、帰国子女として、外国人として。日本が色んなバックグラウンドや個性を持った人にとって居心地がいい!と思えるような国にしたいです◎

 

その実現に少しでも近づくため、今私は化学メーカーに働きつつも企業外で自分のできることを見つけて関わらせていただいています。
ライターとして日本の現状や個性を大事に日本で活躍している人、様々な働き方などについてメディアで発信したり✏️
朝活イベントや米国大使館主催のサミットなど様々なイベントにも参加し、たくさんの人に出会うことで新しい価値観をインプットしたり☕️
年明けから内閣府主催の青年の船というプログラムにも日本代表青年として参加させていただくことが決まりました🚢
船上では日本文化を何か伝えたいと思い、現在つまみ細工と水引でのピアス製作に忙しくしています。
240人の参加青年と船で共同生活にワクワクがとまりません☀️

 

Be the change projectで得た気づきの一つに、
“就職して企業に所属しても「ただ毎日仕事に行って帰るだけの社会人」になるか、「誰かあるいは何かに変化をもたらすことのできる社会人」となるかは自分次第だ”ということがありました。
正直、このまま今の会社で働き続けるのでいいのか、社外活動に力を入れる前に社内でやるべきことがあるのでは、と思うこともあります。
が、「誰かあるいは何かに変化をもたらすことのできる社会人」で居続けたいと思い、自分ができることから取り組めたらと思っています。
そんな大切な指標をくれたレインボーチルドレンには感謝しています。」

 

奨学生のその後レポート。Pema Bhutiさん(3期生)

 

今回は元奨学生(卒業生)のPemaさんに会いました。

ペマさんは2018年春に大学を卒業するまでデリーの医療系の大学で勉強していて、2014-2018間のレインボーチルドレンの奨学生ミーティングに何回も参加してたり、ネパールでのプロジェクトのきっかけになったりと、とってもレインボーチルドレンと繋がりが強い学生です。詳しくは奨学生レポート(http://rainbowchildren.holy.jp/archives/7665)を見て下さい。


卒業後、PemaさんはVihar州で看護師(助産師)として働いてます。インドの政府とNGOが実施しているプログラムで働いています。Vihar州では安全に出産できる確率が低く、母子が危険がさらされることが多いそうです。そのため、Vihar州の母親たちが安全に出産できるように、Pemaさん達がVihar州内の看護師を指導しています。このプログラムではチベット人はPemaさんだけで、他はみんなインド人です。

 

「来週、帰ったらすぐ、看護師全員が集まるミーティングあるんです。」

「このプログラムはうまいっていて、他の州でも実施することになるかもしれません。」

「Vihar州内の30のDistrictに看護士師を各2人派遣して、60人の看護師が働いています。」

「Safe delivery っていうアプリを使ったり、他にも色んな教材を使って安産のための教育をしています。指導レポートを書いたり、大変です」

話していて、なんかとても充実して仕事をしているんだなと感じました。

 

日本の援助で実施している似たようなプロジェクトを他の国で見たことがありますが、インド自身でこういったことを実施しているのを聞いてすごい!!と思いました。そしてインドの社会問題を解決する活動に貢献しているPemaさん、すごいと思いました。

 

将来的にはチベット政府の保健衛生部門に所属して、チベットの人々の保健衛生関係を改善していきたいと思ってるそうです。

 

 

レインボーチルドレンについても

「レインボーチルドレンには感謝してます。レインボーチルドレンのおかげで今の私はここにいることができてます」と言ってくれました。

 

こんな素晴らしい活動をしているPemaさん、これからも頑張っていって欲しいです!!

 





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