彼にありがとうって、もう一度言いたい。

 

東京支部長 三村優子

【holi編】

昨年秋のスタディツアーの記憶も新しいまま、2度目の渡印となった春のスタディツアー。
はじめてのインドが、わたしにとってIncredibleなことの連続だったのに対して、
2度目のインドは、その喧騒さえ裏腹に、なんだか「また帰ってきた」ような穏やかな気分になった。

ツアーの初日を除いてはー。

ツアーの最初のビッグイベントはHoli。
誰彼ともなく色粉や色水を掛け合い、『Happy Holi!!』と抱き合うこの春のお祭り、、、と聞くと、
なんだかほのぼのと楽しいイベントのように思える。

が、わたしは事前にツーリストや女性にとってはいかに危険な側面を持っているかを友人から重々聞かされていたので、今回ツアーのメンバーでの女性代表としては、口を挟まずにはいられなかった。

そうして念には念を入れて、組んだはずのマトゥラーでのスケジュール。
も、こうしてここインドでは脆くも『予想外』の出来事というのは次から次へと起こるわけで。

詳しくは割愛するが、
大量の何か良からぬ匂いのする色粉と、色水をほぼ無抵抗で全身に浴び、
目も開かない、息もできない、
魂を抜かれたような半ば茫然自失の状態で、帰還したあとも、その夜は悪夢にうなされるというオマケつき。

そんな危険なことわざわざ経験する必要なかったのでは?という声が聞こえそうだ。
確かに、それを知って自ら志願したわけではない。
むしろそうなることを想定して避けるためのスケジュールを組んでいた、にも関わらずだ。

あとから、思ったこと。
必要ない体験はやっぱりしないのだよ、ということ。

このHoli、元々は春の収穫を祝うためのお祭りなのだが、家に入ってくる悪魔祓いの意味もあるのだという。
『わたし』という入れ物のなかに、わたし自身が無意識に『良くないこと』として閉じ込めているなにか、それらをこの伝統的なビッグフェスティバルを通して、根こそぎ引き摺り出されたようなそんな経験だった。

そんなHoliは、もちろん初めての経験だったのだけど、わたしが初めてインドを訪れる半年ほど前に、すでに夢でHoliに参加している夢を見ていたのだ。
ただしそれは、もっとほのぼのとしていて、子供のわたしが、夢のなかでのお友達と一緒に、色水の入った水風船をぶつけ合ってはしゃいでいる、というものだ。
実際には、水すら入っていない空っぽのバケツをぶつけてくる子供までいて、痛い目にあったわけだが、
そんな中でも忘れられない一期一会があった。

サングラスを忘れたわたしは、寺院に向かうストリートのものの数10m歩いた時点ですでに目の中に粉を入れられて目が開けられず悶絶していた。
追い討ちをかけるかのように次々と知らない誰かが突然わたしの顔に力一杯粉を擦り付けていく、、見えないので怖い。
そのとき、すっとわたしの左肩を誰かが抱いた。このときもはや無抵抗。誰かなんて考える余地はない。
霞む目でなんとかツアーメンバーの姿についていく。
誰かが近寄って来ようとすると、左肩の手がグッとかばうように強くなり、聞き慣れない少年の声で『やめておけ。目が見えなくなっているんだ!』そんな感じのことを言っている声が聞こえた。
『目が痛い』とその声に咄嗟に伝えると、『水で洗うかい?』と返ってきた。
信用できないから、『いらない』と返す。
その手が引き離されたのは、ガイドのサージャンがリキシャに乗り込むのを指示したときだった。
リキシャが動き出す瞬間、『マダム!マダム!』とさっきの声が聞こえ、やっと視力を取り戻してきた目で声の主を見る。
綺麗な目をした10代後半くらいの少年だった。
『マダム!ドンミスユアモバイル!』
指差す方を見ると、リキシャの座席にわたしのカバンからスマホが落ちていた。
『テンキュー』一言だけ無表情で返すと、彼は笑顔で手を振っていた。

その後、寺院に続く道でもみくちゃにされ、再三に渡る色粉色水の洗礼を受け、
結局寺院にも入れず少し高くなった道端のコンクリートに避難して身を潜めて私たちは座っていた。
わたしは日本でも満員電車など人の混み合う場所で過呼吸を起こしやすいので、
過呼吸が出ないように必死で息を殺していた。
すると、スッとわたしの左隣に誰かが座った。ふと見るとさっきの少年。
まさかの再会。
『ユアモバイル イズ セーフ?』
『・・・イェス。テンキュー。』
黙ったまんま、彼は座ってわたしを見ている。
『・・・フェアラユー フロム?』
『ジャパン セ』
『ジャパン・・・オーケー』
それ以上は何も語らない。
ただ隣で座っているだけ。
混沌の中で、その時だけ周囲の音が遠ざかり、静かで穏やかな空気が流れていた。
とても不思議な感覚だった。

すぐにガイドのサージャンの指示でまたわたしたちは動きだす。
『テイクケア』
『テンキューバイ』

誰も信用なんかできないと思っていたときに出会った、ほんとのほんとに一期一会。
彼の名前すら聞けなかったけど、
今でもハッキリと瞳を覚えている。
こんな時だからこその、忘れられない出逢い。
彼にありがとうって、もう一度言いたい。

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いつかは行きたいなぁ…なんて夢のように思っていた場所、インド。

 

第7回スタディツアー2015年春 感想文

立命館アジア太平洋大学(APU)田村友佳

 

いつかは行きたいなぁ…なんて夢のように思っていた場所、インド。大学で知り合った愉快なインド人の友人たちに魅せられ、また母親からレインボーチルドレンの活動を聞いていて興味があったこともあり、行くなら今しかない!そんな勢いで参加した。

このスタディツアーを振り返ると、私のなかに影響を残した3つの軸がある。ホーリー、スラムでの子供たちとの時間、そしてダラムサラでのUprising Festivalだ。この3つの出来事が私に大きな影響を与えたインドでの日々を語る際に欠かせない要素である。

 

ずっと楽しみにしていた初日のホーリー祭りでの、インド人を嫌いになりかけた貴重な経験。決して忘れない。熱気に満ちて、泥臭くて賑やかで、押し押されて通ったクレイジーで色鮮やかな道から、明るくて陽気ででもそれだけでは語れないインド人の国民性の一部が見えた気がした。ホーリーだけはまだ言葉に上手く表せない。この溢れんばかりの経験を伝えたくても、ホーリーに飛び込むこと以外、同じ思いを共有することは不可能だと思うからだ。あの経験は私にとって何だったのだろうか(笑)。

 

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二日に渡って訪れたスラムでの豊かな時間も忘れられない。曲がりくねった狭い小道を進んで辿りつく学校。この小さな小さな学校にたくさんの子どもたちが学んでいる。「日本人のお客さんがきた!」とぱぁーっと輝く子どもたちと鳴りやまないドラムに合わせてはじける子どもたち。恥ずかしがってはいられない。言葉は通じなくても、ビートに乗って汗を流して、心通わせた瞬間だった。ドラムが一つあればこうやって踊りだせる子どもたち。その時間を心から楽しんで踊る彼らを見ていて、彼らが彼ららしくいれるこの場を守って、持続させていかなければいけないと思った。

 

この旅で最も印象的だったのは、ダラムサラを訪れた3月10日のUprising Festivalだ。思いがけない経験だった。人々の〝We want freedom” という声が今でも耳に残っている。チベットの焼身自殺のことは、高校生の頃からメディアを通してよく目にしていた。なんでこんなことをしないといけない現実があるんやろう?と思いながらも、見過ごしていた問題だった。今回の旅でチベット問題は一気に身近なものになったと思う。焼身自殺された人々の顔写真を見たとき、声をあげて行進する人々の真剣な眼差しを全身で受けたとき、足が震えた。何とも言えないもどかしさと悔しさ、なんでなん?という憤りにも似た想いが何度も交差する。チベットの文化や信仰、そしてチベット人であるというアイデンティティ、それらが破壊されている現状を目の当たりにして、もうこれ以上は見過ごせない、そう思った。チベットはチベットだと声を大きく言える日は来るのだろうか。私にとって、新たなる考えるべき課題となったが、チベット問題に取り組むには裏にある大きな力があまりにも強く立ちはだかっている。それを思うと私に何ができるのか…と無力感でいっぱいになる。私はこの世界において、小さな存在でしかないけれど、まず一つひとつ知ることから始めたい。チベット問題に関しては、大学にいる間にしっかり勉強したいと考えている。チベット難民の学生が自立してこの問題を解決していけるような支援をしているレインボーチルドレンの活動が如何に意味のあるものか実感したと同時に、出会った学生たちの豊かな未来を祈ってやまない。同学年である私も彼らに負けずに、この世界に立ち向かっていきたいと奮い立たされた。

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ホーリーのクレイジーさもあれば、深く静かな思想や多様性を受け入れる大きな懐もある。どこへ行っても惹きつけられるインド。不思議なのはふっと振り返れば、この旅の中で出会った人々の姿と過ごした時間が今でも鮮明に思い浮かぶこと。少ししか話していなくても、ナマステと挨拶を交わしただけでも彼らはぐっと私の心のなかに入ってきて離さない。インドは一度行くとハマってしまうか、もう二度と行かないかの二択に分かれるとよく聞くが、インドに滞在中、私は一度でもう十分かなぁと感じていた。しかし、日本に帰ってきた今、インドを想う自分がいる。私を娘だと迎えてくれて、いつでも帰ってきなさいと待っていてくれるインドの家族、「お母さん!」と呼んでくるスラムの子どもたち、次はカシミールに行きなさいとやたらめったら推してくるダラムサラのおじさん達…。また会いたい。美味しいチャイとともに話をしたい。そう思える人たちがたくさんいる。

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最後に、代表の石川さん、北条さん、そして一緒に旅をしてくださった愉快なメンバーに心から感謝します。

I love chai! アイラブチャイ!

 

I love chai!

社会人 佐藤岳大

 私がいつも思っている事は、良き出会いが良き人生を作る、という事だ。
そして、この旅は間違いなく私にとって、良い人生、良い仲間、良い経験を与えてくれたと思う。
今、日本に居て、写真を見ながらインドを想う。まだ帰国して一ヶ月ぐらいしか経たないけれど、本当にあのインドでの一週間が懐かしく、そしてインドのたくさんの友達に会いたい。1日に何杯もの激甘のチャイが飲みたいと思いふけっている。ダラムサラでのトレッキング中のチャイは本当に美味しかった。
私にとって、インドは鬼門というか、越えられない壁というか、とりあえずインドにびびっていた(笑)旅が好きなのでいろんな所に出掛けて行くけれど、なぜかインドだけは遠ざけてきていて…
インドに行った友達からは100%お腹壊すとか、騙されるとか、あることないこと(笑)
ニュースになってる事件とか見るとやっぱり怖くて…
そんなにびびっていたのに、一瞬たりとも退屈しない旅がインドにはあった。
今では本当にインドが大好き!人生を変える旅、は伊達じゃない!

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初日からクライマックスじゃないけど(笑)インド初日のホーリーはヤバすぎだった!本当に、本当に楽しすぎて、もう旅がおしまいでもいいくらい(笑)
ホーリーを模したcolor runとか参加したけど、その比じゃないくらいCrazy and Happy!
その日は人種や身分なんか関係なくて、大人も、子供も、男も、女も、そう、まさに老若男女!みんなでバカ騒ぎ!
もちろん日本人である私もHappy holy!って抱きついたり、笑顔で国際交流。
なんて言ってると女性陣から反論を受けそうですが…
やっぱり、年に一度の無礼講ってのもあって、無法地帯(笑)もう本当に何でもアリ!みたいな、そういう意味では女性陣は楽しめなかったかな?
でも、年に一度、すべての人がHappyを願う事、虹色の中で笑顔でバカ騒ぎ出来るなんて、なんか素敵じゃない?
ホーリーはインドをオススメする上で欠かせない一つ。
ホーリーが楽しすぎて、忘れてましたが、study tourです(笑)
でも、旅の最初にインド人と笑顔でバカ騒ぎできて良かった。インド人がどんな感じなのか、とか、やっぱり笑顔は共通言語だなって思えたし、この後のstudy tourに対する心持ちが違ったと思う。みんな楽しい事が大好きだし、バカ騒ぎも大好き、時には辛い事もあるだろうけど、みんな楽しく生きてる。自分と同じなんだ、って。
ダラムサラってどこ?インドの中のチベット?
チベットなら山が綺麗なんだろうなぁ、ってぐらいしか思ってなくて
実際、ダラムサラは本当に山がすごく綺麗な所、山男としては幸せすぎる。
でも、それだけではなくて、ダラムサラに滞在するうちに思い出した事、そして、教えてもらった事、それはダラムサラの人々はチベットを追われて逃げて来た難民であるということ。
ダラムサラでのup risingパレードは強烈だった。抗議の為に焼身自殺もあるという。日本では最近原発事故で住む場所を追われるという事があるが、基本的には住む場所は自由だ。もちろん故郷にも帰れる。しかし、彼らはそうは出来ない。そんな中でも故郷を想い、勉学に励む人がいることを知った。
また、決して衛生的ではない所で生活し、そんな中でも自分の夢に向かってキラキラした目で一生懸命に勉強する子供達がいる事を知った。

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そして、その誰もが同じ人間であるという事。

私はこの恵まれた日本に生まれて幸せだと思う。
それと同時に、私達だから出来ることもあるのだと思う。同じ地球に住む友の夢をささやかながら応援出来たら…
多くの人を笑顔にする事、そんな人生を送れたらと思います。

スタディツアー参加者感想文(2014秋)

 

第六回秋スタ参加 向川優子(建築士、プロジェクト参加/東京)

このツアーに参加できて、良かったと思います。企画してくださって、ありがとうございました。
ネルー校長とのミーティングの結果が気になります。学校建設の行方はどうなるのか・・・??
個性的なツアーですので、参加者も個性的な方たちばかりでした。
いろいろな刺激を、受けさせて頂けました。
今回のツアーの一番のメインは、スラムの見学でした。
スラムと一言で言っても、そのスラムの置かれている環境によって、成り立ち方は全く違っておりました。
・ゴミ山の近くに住んで、ゴミ拾いなどもしながら、生計を立てている家族もおりました。
・人口が1ミリオンのスラムでは、しっかりと組織化され、大きな町のようになっておりました。その中では、ムンバイ中のホテルからクリーニングの仕事を請けておりました。皮製品の出荷量が、インド内で第二位との事でした。
この差は、何なのだろう・・?
スラムの人口が増えると、今の収入の得方では、まかなっていけなくなります。
それに直面する辺りから、みんなで知恵を出し合って、別の収入を得る方法を見つけ出して行っているのかもしれません。
スラムに住んでいようが、町中に住んでいようが、本人たちの気持ちの持ちようで、いかようにも変わって行けるという事を、証明しているようにも思えます。
どこのスラムにも、コミュニティが築かれていました。
家族の絆も、強いように思えました。
ハングリー精神、愛情など、そこから生まれる力が、今後のスラムを支え、発展の源になると思います。
人はどんな環境に置かれていても、生きて行けるものなんだナっと、改めて思いました。
スラムの中には、生き延びようとするパワーがありました。
力強さがありました。
子どもたちから、たくさんの元気、強さを頂きました。
日本人の方が、精神的に弱い方が多いように思えます。
国が豊かになると同時に、失って行った精神的な部分の一つかもしれません。
今回のツアーで学んだことを、今後の人生に活かして行きたいと思います。
数年後、今回見学させて頂いたスラムの場所を、再度訪ねてみたいです。
ぜひ又、企画して頂きたいと思います。
みなさん、お世話になりました。
ありがとうございました。
Dhan ya vad !!

スタディツアー参加者感想文(2014秋)

 

第六回秋スタ参加 近藤陽平(大学院生・スラム建築研究/神戸)

今回のスタディツアーで、インドは二度目の訪問でしたが、今回で一度目の印象が様変わりしました。まず結果としては、とても有意義で貴重な機会・時間でしたし、自分の人生の生き方を考える中でも、一番心に残るものでした。正直なところ、環境のあまりの違いに、「もう行きたくない」と思う方も多くいるかと思いますが、私は、「インドでの体験を得たからこそ、日本の良さや好きなところを再発見できた。人としての生き方や可能性を考えるとき、自分を顧みるためにも、いつかまた学びに行きたい。」という気持ちの方が大きいと感じています。それほど、生活の一つ一つが、深く、奥ゆかしく、人間臭く、、、かなり濃い時間を体験出来ました。

私は建築学生として研究するため(貧困層の住居群を調査・分析を行い、住環境の改善、その次の貧困層地区の今後の在り方までを考え、その考えた結果をカタチにして提案することを目標としています)に参加しました。このスタディツアーでは、ご迷惑をかけてしまった点もあるかと思いますが、個人も尊重して下さり、スラムの衛生問題や教育問題、労働環境などについての調査とある一定の成果を得る事が出来ました。特に、スラムで生活している子供達と親、先生、支援している活動家の方などと直に話したり、触れ合ったりすることが出来たので、目の前の問題だけでなく、言葉にできない目にみえない、想いやニーズを知れたことが特別で貴重な体験でした。また、普段の生活から考えていることまでが異なる様々な立場・年齢の方々と、「考える場」の空間と時間を共有が出来るので、とても有り難く、とても楽しかったです。他の参加者の方々も、それぞれの理由・意志をしっかりと持たれ、訪問・体験して感じたことを様々な形で表現していました。それを話して、笑ったり、真剣に考えて議論したり、、、とても大事な仲間を得たと感じる瞬間ばかりでした。

2週間弱という短い時間でしたが、「自分は一人で生きているのではない。」ということ。「生きる上で大切な事は何か。」ということ。を真剣に考える事が出来ました。そして、この真剣に考える時間そのものが、今後、日本に帰って平凡な日々に戻っても絶対必要な時間だと改めて気づく事が出来ました。この機会に感謝して、一日一日を精進していきたいです。研究としてもしっかりと対外的に報告できるよう、真剣に取り組みます。そして、今後も出会えた方々と色んなカタチで繋がっていることを切に願います。今回は、本当に本当にありがとうございました。

スタディツアー参加者感想文(2014秋)

 

第六回秋スタ参加 三村優子(ボイストレーナー/東京)

虹はもう架かっていた。

-Incredible India
それは、インドに行くことが決まった直後、交差点で信号待ちをしていたときに、偶然目の前を通り過ぎたインド政府観光局のバスに、ドーンと書かれていた印象的な言葉でした。
Incredible
“信じられないくらいの”とか、”驚くべき”とかいう意味。
初めて訪れるインドという国で、どんな信じられない、驚くべき体験をするんだろう?と、この時はまだ、ワクワクとした気持ちだけが先行していました。
でも漠然とながらも、この旅はきっと今のわたしにとって一番必要なテーマを映し出してくれる体験になるに違いないと、心の何処かで確信していました。
ツアーの最後にも聞かれたのですが、『一番印象に残っていることは?』というと、やっぱり今でも、目を閉じると最初に浮かんでくるのは、どんな素晴らしい世界遺産よりも、そこで出会ったひとびとの顔です。
そして、チベット子供村や、たくさんのスラムを廻って、常に心に触れていたワードは『家族』『コミュニティ』でした。
生まれてからずっと日本で暮らしてきたわたしにとっては、国家レベルでの迫害や紛争、厳しい身分制度をリアルに体験することはなく、ツアーで出会ったチベット難民の人たちや、スラムに暮らす人たちのことを、実際にその状況を経験しない限り、本当の意味で『理解』することは多分一生出来ないだろう、と、今でもそう思います。
だけど、わたしがフォーカスしていたのは、『理解』出来ないことではなく、『理解』出来ないからこそ『想像』できるということ。
そしてその『想像』から、『創造』を生み出していけるということ。
日本は平和だと言われますが、一見国家レベルでの迫害や紛争がないように見え、その実小さなコミュ二ティの中では、いじめや争いごとが絶えず、こころを病んだり、自ら命を絶つひともいます。
頼りがない老人の孤独死や、親から子への虐待、隣人トラブル、、
平和と言われる小さな島国でも、小さなコミュニティ単位で平和に溢れているとは決して言えないのです。
東日本大震災後、高齢者の住む仮設住宅へお伺いしたときも、そこに住む方々の切実な生の声をお聞きすることができました。
決して日本のメディアでは取り上げられることのないようなことも
被災者ではないわたしは、そのときも思いました。
きっと『理解』するなんていうのは嘘になる、だからわたしは精一杯『想像』しよう。想像が正しいか間違っているかはわからないし、きっと答えはない。
だけど、想像することで、今、理解できないひとびとのこころに寄り添えるかもしれない。寄り添うことで、新たな今を創造できるかもしれない。それは、小さなコミュニティの枠を越えて、そしてあらゆる境界を越えてひとつであることなのかもしれない。

わたしは今回のツアーでインドの全てを見たわけではありません。
無論、世界の全てを見たわけでもありません。
だけど、わたしはこの10日間でリアルに出会ったひとびとから、めいいっぱい想像しました。
想像の正誤性や答えはわかりません。
でも確かに、大きな気づきをいただきました。

image血の繋がりなど関係なくひとつの家族として暮らすチベット子供村のみんな、
人数分のお花の蕾をわたしたちに持ってきてくれた少年、
お兄ちゃんお姉ちゃんが、からだの半分を使って赤ちゃんを抱っこしあやす姿、
遠く離れた家族のために、一日中工場で泥汗まみれで働くひとびと、
瓦礫や糞尿の散乱する地面を裸足で歩きながら、手をつないだわたしを見上げた少女の瞳、
言葉が上手く話せなくても、力いっぱいにわたしを抱きしめてくれた少年のぬくもり、
初めて会ったわたしの頬にキスをしてくれた子供たち。
突然やってきたわたしたちに『Namaste』と手を合わせ笑顔で返してくれたひとびと・・・
ここには書ききれないくらいのたくさんのひとびとの顔や姿が浮かびます。
思い出す彼らとの瞬間には、国が、環境が、そういったものはピンときませんでした。だから、胸がぎゅっと掴まれる瞬間はあっても、ただ不憫だとか可哀想だとか、そういう感情がまったく芽生えませんでした。
-ただ、今を、生きる
-今あるその命を生き抜く
その力強さをとにかく感じたのです。
そしてみながひとつの家族として、コミュニティを築き上げる。時に、ぶつかったりしながらも。

image (1)今回、シャディプールの学校で子供たちに完成させてもらった、Love Rainbow。
子供たちに多くの説明は不要でした。小さな指先でひとつひとつ押して完成させた一枚のまぁるい虹は、もうすでに子供たちのこころに架かっているのだな、と感じました。
わたしたちがその虹を新たに架けたのではなく、わたしたちはいつだってこころに虹を架けることができると、そのことに気づかせてもらったのだと思いました。

Incredible India。
信じられないくらいの、驚くべきインド。
わたしにとって初めてのインド。
それは、わたしにとって出会ったひとびとの力強く生きるちからであり、
今、ここにある生に改めて感謝せずにいられない信じられないくらい、驚くべき学びを与えてくれる旅でした。
きょうもこの空と同じ太陽が、インドのあの街のあのひとびとを照らしていることを想像しながら、わたしも今を生きていきます。

最後に、Rainbow Children 石川さん、北條さん、
ツアーの仲間、この旅でご縁をいただいたみなさん、
日本でわたしの旅を支えてくれていた皆に、
こころからありがとうございます。

スタディツアー参加者感想文(2014秋)

 

第六回秋スタ参加 猿丸貴大(学生・ダンサー/神戸)

この旅はまとめるのが困難なぐらい想い、気持ちの面での刺激や自分の身体で体験した刺激など様々な種類の刺激があり過ぎました。流石インド、なめていて正直やられました。笑
私は名前も猿丸で家系図もある純日本人なのですが、アジア人とは違う顔つきなので(どちらかというと中東、インドよりの顔)、すぐ馴染めるだろうと変な安心感が行く前からあったので、なにも不安がありませんでした。実際インド人にインド人やネパール人って何回も言われるという、、笑

私の参加したきっかけは、寝る前のお祈りを終え、さあ寝ようという時に本当にいきなりスラムに行きたいという考えが頭を過ぎりました。そこから寝ずにスラムについてわかる範囲で調べ、どうすれば行けるか探している内に以前Facebookのレインボーチルドレンのページにいいねをしていた事に気付き、内容を見てすぐに参加を決意しました。この運命に感謝です。

この旅での私のメインの目的はスラム、ダンス、エレファンタ島でした。
エレファンタ島は高校生の時から行きたかった場所でまさか今回のツアーに入っているとは最初知らずビックリでここでも運命を感じました。エレファンタ島のシヴァ神の神殿で踊ると心に決めていたんですが、エレファンタ島の土地を踏んだ瞬間足が重くなり、神殿に入った瞬間上からでっかい何かで叩き潰される感覚に襲われシヴァ神の石像もまともに見れない状態で踊る事ができませんでした。精神や身体のレベルを上げて再チャレンジしたいと思います!

スラムは正直なところ、行きたい、見てみたい方は実際自分で見て感じて下さいとしか言いようがありません。ていうかそうして下さい。自分の目で見て、肌や匂いや気から感じたものがその人のリアルだと思うので私の見たり、体験した事や感じた感覚を伝える事は難しいです。一つだけ言える事はスラムは魅力的でもありショッキングな場所でもあり、何かアクションを起こしたいと思える場所です。

踊っていて1番気持ち良かったのは、スラムで踊った事です。踊っていて、『あ〜、ダンスしてるな〜!』って思えたのは久しぶりで、あんなsoulfulになれて改めて色々再認識させてもらえた貴重な時間でもありました。2番目に気持ち良かったのは、ダラムサラでした。ダラムサラは自然に囲まれていてとても心地が良かったです。

様々な経験を共にした最高の仲間とインドで出会った人達に出会えた事に本当に心から感謝します。ありがとうございました。

スタディツアー参加者感想文(2014秋)

 

第六回秋スタ参加 渡部里菜(化粧品会社勤務/愛媛)

初めての海外がインドということで、楽しみの反面不安もありました、、、が、着いてすぐ不安はぶっ飛び(笑)、初めて目にするものばかりでわくわくが止まらなかったです!

スタディツアーに参加してたくさんのことを学びました。中には言葉を失うほど残酷なことも知りました。今まで何も知らずに当たり前のように学校へ行き、勉学に励み、部活をし、友達と遊び、家族がいる家に帰り、ご飯を食べ、明日が来ることを当たり前だと思って過ごしていた学生時代がいかに当たり前ではなかったかということを改めて思い知ることができました。と、同時に何も知らずに過ごしていた自分が恥ずかしくなりました。チベットのことや、スラムの現状について、もっとたくさんの人に知ってもらう必要があると強く感じました。ひとりでも多くの方に事実を知ってもらい、今自分たちが何ができるかを考えていきたいです。
当たり前なことなど一つもなく、周りの人に支えられて生きていることを改めて実感し、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
メーラトのスラムへ行ったとき、小屋みたいな小さな学校で子供達が大きな声でABCを復唱しているのを目にしたときは、涙が止まらなくなりました。大きな口を開けてニコニコ笑顔で一生懸命言っている姿をみて胸の奥が痛くなりました。
インドに来てたくさんの事実を目の当たりにして頭も気持ちもごちゃごちゃになってしまった日もありました。いかに自分が世界を知らずに過ごしてきたか痛感した瞬間でもありました。このツアーに参加して本当によかったです。たくさんの方と出逢い、たくさんの優しさを感じ、これからの人生においてかけがえのない時間を最高の仲間と過ごすことができました。
石川さん、北條さんありがとうございました。
行ってよかった、知れてよかった、で終わらせないようにこの経験を自分の言葉で話し、活かしていけるようにもっともっと成長して自分にできることを広げていきたいと思いました。まだ知らないこともたくさんあるのでいろんな国に目を向けていきたいです。二度と来ない今この瞬間がいかに大切でかけがえのない時間かを教えてくれたインド。心の底から感謝が込み上げてきたインド。また機会があればインドに行きたいです。みんなに逢いに行きたいです。本当にありがとうございました。世界人類が平和でありますように。

スタディツアー参加者感想文(2014秋)

・第六回秋スタ参加 ともちゃん(大学生/東京)

 私はこのスタディツアーに参加するのは二度目で、今回の秋ツアーをとても楽しみにしていました。前回は、無知のままスラムへ行き、無知のままチベット人の人々に出会いました。インドのこともほとんど知らなかったので、とにかく発見の連続で刺激的な旅でした。しかし今回は、チベットについての知識も増え、スラムの現状も既に知っている状態だったので、刺激が少なく冷静に現状と向き合うことができました。
私はこのスタディツアーでたくさんの新しい出会いに恵まれています。その出会いから様々なことを学ぶことができました。今回の一番の収穫は、「人の笑顔は幸せをつくる」ということを身に染みて感じられたことです。これは当たり前のようですが、私が今まで理解しきれていなかったことです。これからの人生においての財産になる気付きだと感じています。この気付きを与えてくれた出会いはチベット人の温かい微笑みや、スラムでの子供たちとのふれあいでした。
今回一番濃い時間を過ごせたのはスラム街を訪れたときです。皆さんは、スラム街に暮らす子供たちにどのようなイメージをお持ちでしょうか。私の友人はいつも苦しんでいるイメージだと答えました。今の私は、「温かい」というイメージを抱きます。彼らの純粋な笑顔は本当に温かく、私を癒してくれました。私は子供たちとできるだけ触れ合いたいと思っていたので、意識的にと二つの行動をしていました。一つは笑顔で目を合わせるということです。近づいてくる子供たちの目ははじめ少し警戒しています。でも、目を合わせて笑いかけるだけでニッコリと可愛い笑顔をみせてくれます。笑顔は心の扉を開き、私と子供たちとの間に素敵な時間を与えてくれました。そしてもう一つは、積極的に 握手を求めるということです。これは日本ではしない行動です。肌と肌が触れ合うことにパワーを感じるということもありますが、出会ってくれて本当にありがとうと伝えたいからです。出会えただけで感謝の気持ちで心を満たしてくれる、そんな幸せな時間を彼らは与えてくれました。彼らが暮らす環境は、はっきり言って私には耐えられないし、住むなんて考えられません。安心して歩くこともできないですし、ゴミ山問題はかなり深刻です。しかし、美しい心をもった人々がそこにはいます。私はあんなにも無邪気な笑顔をみるのも、本当に純粋な気持ちで幸せいっぱいの時間を過ごすのも久しぶりだったように思います。彼らに出会えたことは一生忘れられない大切なものです。そんな出会いに恩返しをする 活動にこれからの人生で取り組んでいきたいです。
今回も、このスタディツアーには感謝することばかりで、日常の何倍も充実した時間を過ごすことができました。レインボーチルドレンの皆さん、サポーターの皆様、そして新しい出会いに感謝致します。人生を変えるスタディツアー、今回も素敵な時間を本当にありがとうございました!

スタディツアー参加者感想文(2014秋)

・第六回秋スタ参加 土屋智恵利(大学生/東京)

今回の旅では初めての「スタディツアー」でスラム街に行くということで観光だけでなく普段の旅行だけでは目にすることができないであろう場所に赴けたことはとても大きいものだった。
まずインド国内の格差について、インドは国も人口も大きいため貧困の格差が大きいことも予測がついていたが、首都のデリーは結構にぎわっている通りだなと思いながら車から窓の外をみていても、いきなり町がスラムとなったり、建物が激変するというところがあり、衝撃を受けた。スラム地域が表通りに目立つように存在しており、首都でも貧困の格差が目に見えてはっきりとわかった。また、今回のツアーでは合計で5カ所のスラムをみて回ったが、スラムといっても様子が異なることに気付いた。驚いたのは、一つ一つのスラムにはリサイクル産業や洋服作り、陶芸、ヤギの皮でバッグを作る、といった独自の強みがある、ということだ。今回訪れたスラムは、誰かしらの目や援助があるスラムだったが、誰の目にも注目されていないスラムもまだ山ほどあると考えると果てしない気持ちになった。

また、ネルー先生の学校では子どもたちがダンスを披露してくれ、女の子たちが自信に満ち溢れる様子で堂々と踊りを魅せてくれるところを見て、たくましく強いなと思い、アートワークでは私たちが見ていた女の子たちは次々と自分たちでお花の絵を華麗に描き、発想の柔軟性や独自性を感じた。こんな風に一人ひとりの子どもたちの可能性を開花できたらなんて幸せなんだろう。しかし、それは本当は当たり前のはずなのではないか・・・。
また、デリーの私立学校に訪問できたことも私にとって有意義なものとなった。公立と私立の一番の違いは授業が英語かヒンディー語で行われるかと言った、言語上の問題や教員の質や数の少なさであった。英語はこれから勉学を続けていく上で必須となり、上級学校に進むときに英語力の差が成績にも影響してくるとのこと。これはスクールの人も言っており、同じ問題を抱えていた。またスラムから82人の生徒が私立学校に通学したとしており、しかしその一部の人たちは、奨学金ではなく働きながら自分で教育費を稼いで大学へ行っているそうで、個人への負担が大きく教育を受ける機会の格差もこのままだと大きいままではないかと感じた。公立学校において驚いたのは、先生がまだ21歳で大学に通いながら正規の先生として働いていた事だった。スラムから上の教育機関に通う人の話にもあったようにフルタイムで働きながら大学に通う人は結構いるのではないだろうか。

そして、最後に衝撃的だったのは、日曜日の最終日にタージマハルに行った時に子どもたちも学校がお休みだからか入り口付近に子どもたちがいて飾り物となるような置物をルピーなどいいながら商売してたこと、また、一生懸命リサイクルのためにペットボトルを拾う子供もいた。恐らく学校のない土曜日、日曜日はいつも観光地に来てこのようなことをするのが日課になっているのではないかと思った。大人の人もそうだが、決して甘んじて生きている子どもはおらず、生きるすべを見つけ必死に生きている現実を感じた。そしてみんな言い顔をしていたし、自信もあった。この前向きな精神を私も持ってこれから先もインドの人のように堂々と生きて行きたい。