九州男児、インドのスラムでGoro先生になる?!

 

リキシャドライバー「どこに行くんだ」
自分「ブッダガヤ。いくら?」
リキシャドライバー「300ルピー」
自分「無理無理」
リキシャドライバー「ナイスプライスだよ、友達」
自分「無理無理」
リキシャドライバー「何ルピーだ?」
自分「150」
リキシャドライバー「無理無理、君だけにベストプライスだ。200!」
自分「無理無理、他のリキシャに聞いてみる」
リキシャドライバー「オーケー・・・150」

 

みなさんこんにちは!五郎です。
ちなみに列車で話したインド人に事前に相場を聞いてました。だから強気でいけますw

到着予定時刻とほぼ同時刻にガヤ駅に到着しました。
今日のブッダガヤは激しい雨です。2年前に同じ季節に来た時もよく雨が降っていたのを思い出しました。

 

さて今回は、インドに到着した11日から12日までのことをまとめて書こうと思います。

8月11日(金)

深夜の1時過ぎにデリー空港に到着。

中国東方航空の上海経由で来たのですが、なんと日本に住むインド人の友達と一緒の便でした。お陰で初めてのSIMカードを空港で購入。

しかし、迎えに来てくれるはずのサンタン(レイチルの奨学生)が来ず、あきらめてタクシーでデリー市街へ向かいました。やっぱり深夜便は不便ですね。地下鉄が動いている時間に到着できれば、安いしすごく楽なのですが。。

朝4時ごろから昼の12時過ぎまで部屋を借りて休みました。なにはともあれ空室があって助かった!

レインボーチルドレンの奨学生の一人サンタン。スラムから大学院に通う。

その後、サンタンと連絡が取れて合流し、スラムツアーとスラムスクールの見学をしました。
スラムはバルジートナガルという場所にあり、RKクリシュナマーグ駅から地下鉄とリキシャを乗り継いで行きます。

デリー最大35,000人が住むスラム。
  • この地区の中でも開発の進み具合に差がある。
  • スラムに住む人は週に何度か来るトラックから水を買う必要がある。
  • トイレが設置されていないところが多く、公共のトイレを使うにはお金を払わないといけない。
  • 高台に行くほど、貧しい印象。
  • スラムスクールには17歳前後の先生が多く、サンタンが放課後彼らに英語を教えていた。
  • 何か子どもたちに教えてってことで、子どもたちの名前を日本語にしてあげて練習させたり、「幸せなら手をたたこう」を歌ったり、手遊びを教えたりする。

 

8月12日(土)

昼過ぎからスラムへ。

サンタンが所属するWahoe Communeはデリー以外にもスラムスクールを運営し、女性のエンパワーメントも行っています。

スラムの近くにある現地NGO、Wahoe Communeの事務所

今日は13名ほどの女性が集まって、ミシンの練習をするのを見学しました。特に先生がいるわけでもなく、彼女らで教え合いながら練習していました。

途中で、日本の方が3名来られ、女性たちに布たわしを教えたり子どもたちと遊んだりして過ごされていました。子どもたちは「じゃんけん列車」や「なべなべそこぬけ」で盛り上がってました。

校舎は狭いのでちょっとした広場があるといいな。トイレは近くにもうすぐできるって言ってたけどいつになるのかなw

Wahoe Commune Schoolの子どもたち

一旦、スラム見学は終了。

またデリーに帰ってきたら来ようと思います!またねー!

 

初めまして。インターンの五郎です!

 

自分「お腹の調子が悪いんだ」
インド人「何か変なもの食べた?」
自分「いいや、食べてないよ」
インド人「屋台とかで食べてない?」
自分「屋台でチキンロールとかチョウメンとか食べたよ」
インド人「それが原因でしょ・・」

みなさん初めまして。インターンの五郎です!
インドに到着して3日目になりました。今はブッダガヤ行きの列車の中で日記を書いています。
首都デリーからビハール州のブッダガヤまでは約990㎞。夕方の5時に出発して次の日の早朝4時過ぎに到着予定です。寝坊しないかビクビクしてます!

今日は私の簡単な自己紹介と、レインボーチルドレンとのつながりをお話しします。

教員時代に自分が写っている写真ってすごく少ないです

私は33歳で、大阪の大学院生です。
元々は小学校で教員をしていました。自分の好きな「ピアノ」や「人に教えること」が生かせると思ったからです。色々と思うことがあり辞めてしまいましたが、今は自分の好きな国について学ぶことができ、とても幸せに思います。

地元は福岡県の福岡市で、タモリさんや森口博子さん、氷川きよしさんと校区が同じです。海外へは、ライオンズクラブの青少年育成事業でペルーに行かせてもらったり、内閣府の「東南アジア青年の船」で東南アジアの国々を周らせてもらったりしましたが、回数が多いのはやはりインドです。

去年からインドで暮らすチベット難民について調べ始めたことから、自分の興味関心とまさに合致しているレインボーチルドレンにお世話になることにしました。今までのインターンの方と比べて期間が短いのですが、チベット人寄りの顔を生かして頑張りたいと思います。

どうぞよろしくお願いします!

さて、今回で4回目となったインドでも、初めての体験や面白いことがたくさん起こります。

  • 「なんで一人で飲んでるんだ」と横の席のインド人グループに激しく絡まれ、仲良くなる
  • ホテルのベッドで何者かに上半身だけ約60か所噛まれる(ジーンズによって下半身は守られました)
  • よりによってスラムスクールに行った際に下痢のピークが来る(スラムには利用できるトイレがごく僅か)
  • wifi難民と化す(自分が普段どれだけネットに依存しているかに驚く)
  • パハールガンジ(ニューデリー駅前のホテルや店が集まる地区)の通りが2年前と比べかなり広くなっていて驚く(警察が頻繁に来て、許可を得ていない店をどかしてます)
  • 道端でおじちゃんに「どこに行くんだい?」と英語で聞かれて、「モンゴル寺に行きたいけど閉まってるんだ」とヒンディーで返すと口をあんぐりされる。

インド楽しんでます!

これより2か月間、滞在日記や奨学生面談レポートを発信していきます!

 

規模は世界一!? ラダックで祝うダライ・ラマ14世の誕生日

 

毎年、7月6日はチベット仏教を信仰する者にとって重要な日であります。

チベット仏教の最大の指導者であるダライ・ラマ 14世の生まれし日。世界中で多くの人々が集い、法王さまの誕生日を祝います。

 

ここラダックでも同じです。チベット本土で法王さまの誕生日を公式に祝うことが禁止されている今、むしろラダックは世界で最も盛大に祝うといっても過言ではないかもしれません。

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ラダック中から人が集まってきます

今年は、残念ながらチベット本土だけではなく、ネパールでも7月6日の記念式典を公式に祝うことがネパール政府によって禁止されてしまいました。

詳しくはこちら→ 強まるチベット難民への弾圧ーダライ・ラマ生誕記念式典も中止に

 

「Yuka 、7月6日までは絶対ラダックにいてね!」

ラダックでの記念式典は特別なんだそう。ステイ先のお家にもインド各地から親戚が集まってきて、一層にぎやかに!

前日からチベット人学校で法王さまの誕生日を前に、コンサートがあったり、ケーキを焼いたり、当日の飾り付けをしたり大忙し。

そして迎えた当日。

朝からワクワクする気持ちが町中に溢れ出しています。

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屋根のタルチョもこの日に新しくします。

みんなチュパを着て、おめかししてでかけます。私ももちろんチュパを着せてもらいました。

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チョグラムサルには、法王さまがラダックにいらした際にステイされる小さな宮殿があります。そのまわりには大きな広場が広がり、そこにラダックじゅうから人が集まってくるのです。

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法王さまが宿泊される宮殿

親戚や友人、ご近所さんとたくさんの人がテントにやってきてはチャイを飲み、おしゃべりし、法王さまの生誕を祝います。

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広場にはたくさんのテントが並びます。

 

チベット人、ラダック人ともに心からこの日を楽しんで、法王さまを想う姿に、私の心も満たされていました。

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また一つ、チベットにとって大切な日を迎えられたことをとても嬉しく思います。

 

どうか信仰の自由がここインドで守られ続けますように。

 

行けるかどうかは運次第!? 世界最大の仏教僧院 ラルンガルゴンパ

 

東チベットに位置するラルンガルゴンパ(喇荣五明佛学院)は、世界で最も大きな仏教僧院群と言われています。

1980年代に、一人の高僧ケンポ・ジグメ・プンツォクがお寺を建設しました。仏教学と瞑想のためにラルンガルゴンパを建てた師の元に多くの僧尼が集まり、次第に巨大な僧院となっていったのが、ラルンガルゴンパの始まりです。

ケンポ・ジグメ・プンツォク逝去後も、1万人を超える僧尼が暮らしています。

 

東チベットを旅する旅行者のほとんどは、このラルンガルゴンパを目指して旅をしていると言っても過言ではありません。ですが、中国政府によって度々規制がかかり、今年は6月からラルンガルゴンパへの外国人及び外国メディアの立ち入りは全面的に禁止されています。

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中国政府は、ラルンガルゴンパにいる1万人の僧尼の数を半数の5千人にすると発表しました。さらに、5千人分の居住空間を残して、その他の住居は取り壊されることも決まっています。

これらが外国人締め出しの理由になっています。

(International Campaign for Tibetより)

今年9月にはチベット自治区ラサ地方から来ていた僧尼の退去が余儀なくされました。悲しみにくれる尼僧のビデオが届いています。

今後さらにラルンガルゴンパを追われる僧尼の数は増える一方だと予測されます。

 

ラルンガルゴンパのみを故郷としてきた数千人の僧侶、尼僧たちが、新たな場所で仏道を実践していくことは大変困難です。

2000年代初めに取り壊された際に、ラルンガルゴンパを後にした僧侶たちが、成都などで物乞いしている姿も報告されています。中国政府がチベット全土の多くの僧院を操作しているため、新しく僧院に入ることができないことが問題となっています。

 

中国政府によって破壊された寺院は復興の一途をたどり、信仰の自由を取り戻しているという情報もありますが、果たしてそれは真実なのでしょうか。

 

ラルンガルゴンパの現実もさることがなら、他地域の寺院でも「ダライ・ラマ」という言葉を発することさえできない僧侶に何人も会いました。

 

私が東チベットを旅行していた8月も、ラルンガルゴンパへ外国人が入ることは禁止されていました。東チベットを旅行する目的の一つでもあったラルンガルゴンパに行くことは絶望的と思われたのですが、先に入っていた旅行者の情報があったこともあり、運良く入ることができました!

 

丘から見下ろすと目の前に広がる圧倒的な僧院の数。

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丘からの眺め

 

一見、何事もないかのように見えますが、手前の一角で取り壊しが始まっていることが確認できます。

 

今日現在、国連人権委員会やStudent For a Free Tibetなどのチベットをサポートする団体を始め、ラルンガルゴンパを守るための活動が盛んになってきています。

一人でも多くの方に、チベットで起きていること、ラルンガルゴンパで起きている現実を知っていただければ大変嬉しく思います。

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ラルンガルゴンパの夜景 Photo credit by Hiroki Tanikawa

 

ラルンガルゴンパの存続、信仰の自由が守られることを祈りつつ、建設的な議論の場が持たれることを心から願っています。

 

ラルンガルゴンパ、チベット人の信仰の自由を守るための署名もよろしくお願いいたします!
change.org stand-with-larung-gar-now

インドのチベット 秘境ラダックに行ってきました!

 

Tashi Delek! (チベット語でこんにちは)

インターン1期生のゆーかです。

インドでのインターンが終わり、ラダック、チベットの旅にしばらくでかけていました。一部ではありますが、ラダックやチベットの様子をお届けできたらと思います!

 

さて、ラダックがどこにあるかご存知でしょうか。

ラダックは、インドの最北、ジャンム・カシミール州に位置し、厳しい自然環境のなかにあります。

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8世紀頃にチベット本土からチベット系民族がラダックの地に流れ込み、チベットの文化を守りつつラダック王国として栄えてきたという歴史があります。

 

私は、本土チベットよりもチベットらしさが残っているとも言われてるラダックに行ってみたくて、陸路が開通する夏の合間を狙ってデリーから計30時間以上のバス旅でラダックまで行ってきました!

 

ラダックへは空路と陸路(夏の3ヶ月のみ開通)の二つの選択肢があります。私はお金のないバックパッカーなので、もちろん陸路でラダックの中心地、レーまで向かいました。

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デリーからマナリはVOLVOバス(インドでは快適な高級バス)なのですが、マナリからレーは乗り合いジープでの過酷な道のり。断岸絶壁、未舗装の道を飛ばしていきます。

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雪の上も川のなかもおかまいなしにジープは進んでいきます。

 

 

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もう二度と通りたくないほど過酷すぎる道ではありますが、こんな世界があるのかと寝る間も惜しんで景色を眺め続けた私でありました。

 

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マナリを出て、20時間ほど経ってやっと平地になりました。

 

標高5000メートル以上の峠をいくつも越えて着いたはチョグラムサル。中心地レーの近郊にあるチベット人が多く住む小さな町です。

 

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ステイ先のお家。チベット人、ラダック人のお家の屋根にはタルチョがあります。

マナリ→レー間は高山病に苦しむ人が多いなか、どういうわけか高山病にもかからず、元気にチベット人の友だちの実家に着いたことにまずほっと一安心。

 

水道もインターネットもたまに電気もない生活の幕開けです!

 

 

ゆうかのインド奮闘記 まとめ②

 

レインボーチルドレンでのインターンを語るにははずせないチベット。

最初にこの国を知ったのはいつだったでしょうか。

 

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恥ずかしながら数年前までは、チベットがどこにあるのか、
どんな人が住んでいるのか、全くもって知りませんでした。

 

それが今は、チベットに惹きつけられて仕方がない。

 

もともとはアフリカ一筋だった私。
アフリカを想うとワクワクする。

チベットを想うと、心が穏やかになる。
向き合わなければ…という想いに駆られるのがチベット。

 

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チベット人の学生たちと関わる中で、彼らの夢や勉強にかける想いを知りました。なんと真摯に祖国チベットを思って夢や人生をかけていることか。

 

「国」という概念を改めて考えるようになったのは、紛れもなく彼らがいたから。

チベットを政治的、文化的、教育的、様々な方面から支えようと尽力している大人や若者に出会う度に、胸を打たれました。

 

時には、チベット人としてのアイデンティティを守り抜こうとする葛藤や苦悩する姿を隣でみて、どれだけその苦悩を思っても、私は核心には近づけないことにはがゆさを感じることもありました。

いっそ私もチベット人だったら、もっと理解することができるのではないか…と思うこともありました。

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しかし同時に、日本という国、文化、そして日本のこれからを考えるようになったのも事実。

 

一日本人として、日本を背負っていく責任がある。

日本人だからこそ、チベットに対してできることがある。

 

一つ一つの出会いや交わした言葉、過ごした一瞬一瞬から、
今、そう思えます。

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私にとって、

チベット文化はもうどこかアジアの文化ではなく、

チベット人はもうどこか知らない国の人ではなく、

チベット問題はもうどこか遠くで起きていることではなく、

 

チベット文化は美しい国の尊い文化であり、

チベット人は大切な友人、そしてその家族であり、

チベット問題はいまこの瞬間も友人たちが抱える現実です。

 

 

今後チベットにどのように関わっていけるのかはまだわからないけれど、私なりのかたちでずっとチベットに関わっていけたらと思っています。

 

そして、この夏にチベット文化が色濃く残るラダック、そして本土チベットにも行ってきたので、現地の様子もまた少しづつアップしていきたいと思います!

 

最後になりましたが、レインボーチルドレンの皆様、心配をかけながらも温かく見守ってくれた家族と友人、インドでお世話になったたくさんの方々、心より感謝申し上げます。

 

 

 

在印チベット人にインド国民の資格をーロブサンの戦いは新たな希望となるか?

 

「チベットの未来はチベット人が決める。」

力強く話してくれたのはロブサン・ワンギャルさん。レンボーチルドレンのメンバーであり、AFPのフリージャーナリストでもあります。7月29日の午後、インドにおけるチベット問題について話を聞くため、私は彼のオフィスを訪ねました。

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「インタビューの様子1」

 

ロブサンはインドで生まれたチベット人です。1994年にジャーナリストとして活動を始め、2001年からAFPの記者としてダラムサラでチベット問題に関する取材をしています。

ロブサンとの対話の2週間前、私はネパールのカトマンズでチベット人に対する弾圧を目の当たりにしました。中国との外交関係を重視するネパール政府は、国境警備を強化したり、在ネパールチベット人の信仰を取り締まったりしています。

そんな中、日経新聞のデリー支局が中国とインドの秘密協定について報じた記事を読みました。

それによると、「シッキム州、アルナチャルプラデシュ州がインド領であることに、中国は公式な異議を唱えない。」「インド政府はダライ・ラマ14世の死後、チベット人にインドへの帰化を勧める。」「新たな亡命の受け入れを停止し、チベット亡命政府はインドから出て行く。」以上の3点が水面下で話し合われているそうです。もしこの協定が実現したら、インドにおけるチベット人の立場も難しいものになるのではないかと、不安を覚えました。

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「インタビューの様子2」

 

しかし、ロブサンはそんな不安は無用とばかりに笑って言いました。

「今、全ての在印チベット人がインド人としての市民権を得られるよう、裁判をしている。」

インドの法律によると、1950年1月26日から1987年7月1日までの間にインドで生まれた全ての人はインド人としての資格を持ちます。1970年生まれのロブサン自身も、2014年にインドでの選挙権を得ました。今回の裁判は、インドに住む全てのチベット人が、選挙権はもちろんインドのパスポートも手に入れ、インド人と全く同等の資格を得るためのものだと話してくれました。

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「ロブサンのvoting card」

 

裁判に勝ってインドのパスポートを手に入れられれば、生活はずっと楽になるといいます。現在、在印チベット人はRCと呼ばれる滞在許可を取ってインドに住んでおり、5年ごとにそれを更新しなくてはなりません。また、国内外の移動に多くの制限があります。例えば特定の場所に行く時は、役所で許可を取り、移動先でも到着時と出発時に役所でスタンプをもらわなければなりません。国内移動でありながら海外旅行をするかのような手続きが必要で、時間も手間も大きな負担となっています。

インドのパスポートが手に入れられれば、国内も海外も自由に移動できるようになり、生活の幅が広がるだろうとロブサンは話してくれました。その他にもインド国民としての権利を得ることによる恩恵は大きいといいます。

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「チベタンオリンピックを取り上げた雑誌記事」

 

裁判を始めて以来、ロブサンの元には、チベット人から多くの賞賛や期待の声が届いているそうです。ロブサンはこれまでにも、ミス・チベットコンテストやチベタンオリンピックの開催など、チベット文化を盛り上げ、権利を主張する活動に力を入れてきました。それだけに、今回の裁判に対するチベット人の期待も大きいようです。

「裁判での要求はインドの法律に基づくもので、裁判官たちもこちらに有利な態度を示している。」と、ロブサンは自信を持って話してくれました。

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「ロブサンと」

 

中印の外交関係によるチベット人への影響が懸念される中、インド人としての権利を得るためのこの戦いが亡命チベット人の新たな希望となるのでしょうか。高等裁判所の判決は、8月26日に言い渡されます。

 

「復興への願い、伝統のはたに織り込んで」

 

7月8日、私はカトマンドゥ市内のチベット難民居住区にある機織り工場、Jawarakehru Handcraft Center (JHC)を訪れました。チベット難民の女性たちが、チベタンラグと呼ばれる伝統的なラグを生産している現場です。1年前、レインボーチルドレンを通して10名の日本人がチベタンラグを注文してくれ(日本より合計20枚)、1年がかりで制作されたラグが、先日彼らの手元に届きました。この日はそれぞれの購入者が伝えてくれた使用の様子や喜びの声を、生産者であるチベットの女性たちに届けに行ったのです。

JHC 門
JHC 門
JHC 門看板
JHC 門看板

 

工場に入った時、通路を挟んで2列に並べられた織り機の前で、20名ほどの女性たちが機織り作業をしていました。人の背よりも高い機織り機、床に転がった色とりどりの糸玉、糸を織り込む規則正しい音、職人の仕事場の匂い…その場にある全てのものが特別な雰囲気を醸し出していました。それでいて、不思議と心が落ち着いたのを覚えています。

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購入者からのメッセージをまとめたスライドを見せる時、女性たちは作業を中断して私たちの周りに集まってくれました。案内をしてくれたレインボーチルドレンの奨学生ペマと、工場のマネージャーがチベット語で説明してくれます。購入者の自宅に敷かれたチベタンラグの写真を指差したり、メッセージの一言一言に聞き入って笑顔で拍手をしてくれたりする様子を見て、私も温かい気持ちになりました。

ペマによる説明
ペマによる説明

 

  • 説明に使用したスライド(クリックするとポップアップした画面から矢印でスライド閲覧できます)

 

実は、現在女性たちが作業をしている場所は仮設工場です。2015年4月にネパールを襲った大地震は、チベット難民キャンプの産業を支えていた機織り工場に甚大な被害をもたらしました。地震によるダメージで建物は倒壊寸前となり、危険すぎて中に入れない状態になりました。チベット難民を冷遇するネパール政府は、チベット難民キャンプに一切の支援をしていません。海外からネパールに集まった災害寄付金や物資も、チベット難民の元には全く届かないのだそうです。
「自分たちで生活の糧を確保するしかない」と、女性たちは危険を承知で工場に立ち入り、20数台の機織り機を持ち出したといいます。

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本来の工場は現在、取り壊し作業が進んでいます。取り壊しにかかる資金は、工場自体の廃材を建設業者に売って捻出している状況で、立て直しにはさらに約6,000万円がかかります。金額が大きいこともあり、資金集めは想像以上に難航しています。いつ本工場を再建できるのか、見通しは全くついていないといいます。

倒壊したメイン工場
倒壊したメイン工場
倒壊したメイン工場 サイドから
倒壊したメイン工場 サイドから
取り壊し中の工場
取り壊し中の工場

 

どの女性もチベット難民であり、子をもつ母であり、チベットの伝統を守り伝える職人です。倒壊寸前の工場から命がけで機織り機を運び出し、仮設工場で懸命に作業する凛とした姿。優しく温かく私たちを迎え入れ、購入者からのメッセージを喜んでくれた明るい笑顔。強さと優しさを併せ持ったチベットのお母さんたちの心と、その心が守り続ける伝統産業に、頭の下がる思いがしました。
JHCは、ネパール政府から一切支援を受けられないチベット難民の生活を支える、チベットの伝統技術を守るという点で、なくてはならないものです。1日も早く工場が再建され、チベットのお母さんたちとその家族に震災前の生活が戻ることを願わずにはいられません。

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チベット文化紹介①ーカラフルな祈祷旗・ルンタ

 

ネパールの首都、カトマンドゥ。空港からタクシーで40分、さらに徒歩20分ほど坂を登った峠の上に、滞在先のホステルがあります。ジブリ映画の世界を思わせる建物の周辺や、そこに続く山道の至る所に、5色の小さな旗が掲げられているのを見つけました。紐に通して一列に並んだ旗は、小学校時代の運動会を思い出させてくれます。

チベット人居住区のルンタ
チベット人居住区のルンタ

 

この5色の旗はタルチョー(dar lcog)、ルンタ(rlung rta)と呼ばれるチベットの祈祷旗で、寺院や峠に飾られていることが多いそう。色の並び順は青、白、赤、緑、黄色と決まっており、それぞれの色が天、風、火、水、地を表します。多くの旗には馬の絵や経文のような文字が描かれています。

空にはためくルンタ
空にはためくルンタ

 

旗が風に吹かれて揺れると、その旗が意味する厄災から人々を守ってくれる、またはその色に関する恩恵があるのだと、レインボーチルドレンの奨学生のひとりであるペマが教えてくれました。

ホステルのある峠の他、チベット難民居住区やカトマンドゥ市内のそこかしこにルンタがはためいています。カトマンドゥの街と峠を吹きぬける涼しい風に、チベット民族の祈りを感じる1週間でした。

祈るようにルンタを見上げる犬
祈るようにルンタを見上げる犬

 

強まるチベット難民への弾圧ーダライ・ラマ生誕記念式典も中止に

 

7月6日。この日はチベット仏教の最高位、ダライ・ラマ14世の生誕日でした。チベット難民の子供たちが通うSrongtsen Schoolでは、6日と7日に記念式典が開かれることになっており、約4,000名が参加予定でした。支援団体であるレインボーチルドレンのインターンとして、ダイキと私も出席できることになっていました。

しかし、生誕祭当日の7月6日に、私たちは第1日目の式典が中止になったとの連絡を受けました。話によると、ネパール警察の妨害が入り学校が封鎖され、式典が開催できなくなったとのこと。その時インドのデリーにいたダイキと私は、不穏な気持ちで7日朝、ネパールの首都カトマンドゥに入りました。滞在先の宿に着いて間もなく、2日目の式典もネパール警察からの圧力により中止になったことを知らされました。式典会場であったSrongtsen Schoolの付近は一時騒然とし、最終的に2日間で約30名の関係者が逮捕される事態となったそうです。

ネパールにおけるチベット難民への圧力は、年々強くなってきています。理由としては、ネパールと中国との外交関係が大きいとレインボーチルドレン代表の石川が話してくれました。強大な隣国・中国と友好的な関係を維持して恩恵を受けたいネパール政府としては、中国の圧迫から逃れてきたチベット難民を歓迎できないというのが実情です。チベット難民を受け入れること自体、中国との外交関係に影を落とすと考えているのでしょう。

そもそも、1959年にチベット難民の亡命が始まった頃から2000年頃までは、チベット難民はネパール国内で特別に疎まれてはいませんでした。チベタンラグという伝統的なカーペットの生産技術を持つチベット人は、観光産業しか収入源のなかったネパールにとってはむしろ歓迎できる存在でした。しかし、中国製の安い絨毯が流入するようになると、ハンドメイドの絨毯産業の重要性は低下し、チベット人たちはネパール内での強みを失ってしまったのです。

そのような背景事情の下、チベット難民に対するネパールの姿勢は硬化しています。
今回の式典中断も、チベット難民に対する圧力が形として表れたものと言えるでしょう。現在の中国にとって共産党の一党独裁を揺るがす存在である「ダライ・ラマ一味」がネパール国内で弾圧の標的になったのです。

Srongtsen school 校長先生
Srongtsen school の Jampa Phuntsok校長先生

 

「今回の出来事は、あまりにも哀しい。」
10日にSrongtsen Schoolを訪問した際、Jampa Phuntsok校長先生は率直な想いを私たちに話してくれました。
「ネパール政府からの圧力は段々と強くなっている。チベット人は民主主義の中に生きることができていない」と、ネパールにいるチベット難民の立場についても言及しました。

近年は、世界難民条約に加盟していないネパールが亡命してきたチベット難民を中国に強制送還する事例も多いといいます。国境警備の強化の影響か、2007年には2000人以上いた中国からネパールに渡るチベット人の数は、2013年にはわずか170人程度と過去最小にまで落ち込みました。

中国にもネパールにも、自国の統一や利益拡大を目指したいという思惑はあるのでしょう。しかし国家間の利害関係に振り回されて迫害や拷問の危険のある中国に送り返されたり、命がけで渡った亡命先で弾圧されたりするチベット人はどうなるでしょうか。中国にしてもネパールにしても、自国の利益を追求するだけでなく、自分と異なるものを広く受け入れ、助けを必要としている人々に対して手を差し伸べる、そんな姿勢が求められるのではないかと、現地でチベット難民への抑圧を目の当たりにして考えさせられました。