2016春のスタツア感想文⑥~AKOの場合(教育関係・神奈川)


 

~チベットの人たちの美しい心に学ぶ ~

 

今回、初めてツアーをご一緒させて頂き、普通だったらなかなかできない体験をたくさんさせて頂きました。
まず最初に、代表の石川さん、そして、それをサポートするメンバーの皆さんの温かなまなざしと、互いを思いやる絆に敬意を払うと共に、参加させて頂いたことに心から感謝申し上げます♡。
特に石川さんの並々ならぬ活動への想い、それをやり遂げるための決断力には頭が下がり、こうして旅が終わってみると、今回、私は、このようなメンバーの皆さんの素晴らしい価値観や生き方のようなものを学ばせて頂く必要があったのかな?とも感じています。

訪問先は、デリーのスラムの子どもたちのための「野外にある橋の下の学校」や、ダラムサラのチベットの伝承医学や仏教についての施設や子どもたちの幸せと健全な発達を願っているすばらしい教育方法など、どれ一つとっても、興味深いものばかりで、私に重要な示唆を与えてくれました。
また、チベットの方の家に実際にお邪魔させて頂き、美味しいチベタン手料理をご馳走になったことも、私にとって、現地の人々の生活文化に直接触れる貴重な機会となりました。

このように、ツアーは魅力的な企画が満載なのですが、今回は、その中でも、チベット人の多くが生命を賭けて亡命し、難民としてここダラムサラに住んでいることについて、感じたことを書きたいと思います。

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ダラムサラは、歴史上、よく知られているように、中国によるチベット侵攻が進んだことから、チベットを守ろうと、1959年にダライ・ラマと、祖国を離れざるを得なかった多くのチベット人によって、北インドのヒマラヤの麓に作られました。その後も亡命者は跡を絶たず、現在も亡命希望者が数多く居ます。
「祖国へ戻りたい。Free Tibet!」この切実な思いは、おそらくチベットの人たちの頭から離れたことはなく、彼らは、自国の文化に誇りを持ちながら、互いに寄り添い、ここダラムサラで暮らしています。

ダラムサラ滞在3日目に衝撃のニュースが走りました。数日前に若い僧が2名、焼身自殺をし、そして、そのうち16歳の若い僧のご遺体が、明日の朝、ここダラムサラに帰って来るというのです。僧による焼身自殺は、これまでも度々繰り返されており、人々に深い悲しみや憤り、そしてやりきれなさを与えてきました。

翌朝は、ナムギャル寺で法要が行なわれるため、朝早い時間から、多くの人が寺に続く広場に集まり、ご遺体が来るのを待っていました。人々は声高々に主張することもなく、広場にはやや不安気な様子が漂っています。「ご遺体が運ばれてきたら、人々はどのように見送るのだろうか。」「チベットの未来そのものである若い生命(いのち)を失ったことは、身を切られるように辛いこと。例えば皆で、フリーチベットと訴えるのだろうか。」私はそんなことを思いながら、ぼんやりとその光景を眺めていました。

30分くらい経ったでしょうか。先導する連隊に続き、何人かに支えられて、柩(ひつぎ)がゆっくりと広場に入ってきました。人々の中に一瞬、ざわめきが起こり、落ち着いた歌声が人々の口から流れ出ました。歌詞はわかりませんでしたが、永遠を感じさせる、力強い、しかし穏やかな音色です。そして、人々は、歌を口ずさみながら、僧に捧げるため、手に持っていた細長い白い布を柩に向かって次々と投げかけていきます。それは、チベットの人たちが相手に敬意を表する時に相手の肩にかけるカタという布。山ほどの美しい白い布で覆われた柩はゆっくりとお寺に向かって行きました。


ツアー中に幸運なことに、ギュト密教学堂の高僧であるチャドリンポチェの法話に与る機会に恵まれました。リンポチェは、「かき乱された心」の扱い方、そして苦しみを滅し、永遠の幸せを手に入れる方法について、初心者である私たちにわかりやすく説明をしてくださいました。
その中でリンポチェは、こうおっしゃいます。

「なすべき実践には二つあり、それは縁起の実践と非暴力の実践である。
縁起の実践は、私たちは他に依存して存在していることを識ること。苦しみは周りが原因ではなく、自分の煩悩が自分に苦しみを与えているだけである。
そして非暴力の実践は、無数の母なる有情達を救済すること。これは菩提心であり、慈悲と呼ばれるものである。」

チベットの人たちはチベット仏教の教えを大切にし、日常の中でこの二つの実践を試みています。確かに、焼身自殺をされた僧を見送る彼らの姿からは、抗議をするという激しさも、また憎むという心の闇も感じられませんでした。彼らから感じられたのは、正に、辛さを堪えながら、それでも人を許そうと自分たちを励ます努力、そして敵も味方もなく、すべてを愛そうとする慈悲の心、、、。
人の心は弱いもの。もし、仏陀、そしてダライ・ラマ法王からの深い愛に支えられているという実感が無ければ、その実践を保つことは難しいと感じました。

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今、地球は多くの争いに満ちています。戦争は民衆を置き去りにした国と国との戦い。どちらの国も実際に住む人々の心は変わりなく、本来はリンポチェのおっしゃるように「その本質は光である」と私も思います。そして、もしそのことを理解できなければ、結局、私たちは自分側の正当性を主張することに夢中になり、争いを繰り返すことになります。
チベット問題に限らず、現在、多くの国がこの正当性の主張と憎しみの構造から抜け出せておらず、苦しんでおり、このままでは、地球そのものが人間の無知により、滅びることになるでしょう。

今回、ダラムサラに滞在して、様々な場面で、チベットの方たちの心の美しさに触れ、地球に必要な智慧がこの小さな共同体に「確かに在る」と明確に感じることができました。人というのはここまで美しいものなのか、、、折々の場面で、チベット仏教の人間の本質を引き出すその力に感嘆せざるを得ません。
私たち一人ひとりは小さな存在ですが、チベットの人たちが持つこの稀有な美しい心を見習うことは、今後、「地球における協調と祈り」を生み出すことに確実につながっていく感じます。そしてそれが地球崩壊を回避するうねりに発展する可能性を持つことに、今回の旅で気づくことができました。

ཁྱེད་རང་མཇལ་པ་དགའ་པོ་བྱུང་ (kayrang jel-pa gawpo chung)
ཐུགས་རྗེཞེ་དྲག་ཆེ་། (tujay shita-chay)

チベット語:あなたに会えて、うれしいです。心からありがとう!