2015秋のスタツア感想文~インターンゆうかの場合


もし、私が自分の国を失ったら、言葉を使うことを禁止されたら、信仰するものを否定されたら… 私は彼らのように強く、立ち続けることができるだろうか。

今回の旅は、チベットの文化や人々について触れることが多かった。もちろん、チベット以外にも他の活動はあったけれど、何か新しいものに心動かされることよりも、前回の旅を踏まえて、より広く出会いなおし、より深く学んだ旅だった。

前回のスタディツアーで参加したUprising day。あれから、いわゆるチベット問題と呼ばれるものが私の中で大きな部分を占めだした。あの時聞いた We want freedom という声が今でも耳に残る。

 

サラ大学の学生との会話。
祖国チベットにいる家族とは電話さえできないこと、メディアを通して中国のナショナリズムが植え付けられていること、チベットの首都ラサではチベット人はマイノリティになっていること、それによって文化や言語、長い歴史とともに大切にしてきたことが崩れ落ちていっていること。
チベットでいま何が起きているのか、どんな想いで国境を越えてきたのか、何を彼らは考えているのか、そしてどう未来を創ろうとしているのか。学生たちが語った一つひとつの言葉が胸に残る。

ネパールのクラフトセンターのお母さんたち。
地震の恐怖がありながらも、崩れてしまった工場から、自力で織り機を運び出し、また前に進もうとする姿。穏やかに微笑みながら、まっすぐ作業に向き合うチベットのお母さんたちは、本当に美しかった。女性の強さに満ち溢れた場所。言葉が見つからない。

 

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チベットの人たちに出会い、言葉を交わして繋がりが深くなるたびに、私はいつも不思議に想う。

なぜこうも彼らは、おおらかに構えいかなるときも強く前を向いていられるのか。

チベットのことに関して私が抱く感情は、まだ浅はかでしかないことを何度も何度も痛感した。

出会った多くの人々は、自分の文化、言語を失いかけている焦燥感はあれど、しかし揺るぎない覚悟をもって、一つ一つ着実に前にむかって歩んでいた。

 

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私はこのツアーの間、怒りや悲しみだけでは、決して乗り越えることはできないと彼らの姿から、言葉から、精神から語りかけられていたのだ。

 

どう表現したらいいのか。
時に彼らの言葉から、腹の底で決意した意思が垣間見えた気がした。
同じ学生として、同じ人として、恥じないよう生きたいと思うと同時に、私には何ができるのか… この問いが未だに突きつけられたままである。

 

ただ、いつも想うのは、チベットに微力ながらも関わる人になることの誇りを持って、今後の活動に向き合っていきたいということ。

私のスタディツアーはまだ始まったばかり。一人向き合う不安もあるけれど、なによりも尊い活動に参加させて頂けることに感謝して、限られた時間のなかで出来ることから始めていきたい。

彼らと同じよう前を向いて歩いていく。
きっと道はひらけると信じて。

 

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▼マガジンアルクに掲載されたゆうかちゃんの原稿はこちら