奨学生file.47 Tsultrim Jangnye

 

Tsultrim Jangnye

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  • 東チベット出身。5人家族の末っ子。片親(母親)に育てられた。兄の一人も亡命してきており、南インドの寺院にいる。
  • 亡命は自らの意思で決断した。2011年4月にダライ・ラマ法王の祝福を得るためにインドへ。チベットとネパールの国境線近くまでは交通機関を使ってくることができた。学生証を持っていたからである。その後は徒歩で国境を越えた。すぐにチベットに帰ろうと思っていたが、なかなかチベットに帰る許可証が下りないため、インドで勉強することにした。
  • 亡命後はTransit Schoolに通い、そこで勉強するうちにチベット語を勉強する重要性に気づき、サラ大学に進学した。卒業後は、バラナシにあるチベット語を学ぶことができる大学に進学したいが、詳細はまだ未定。
  • 将来は、チベットに戻り出身の地域でチベット語の先生をしたいと考えている。チベット本土にいた頃は、寺院にある学校に通っておりそこでもチベット語を学んでいた。しかし、度々中国政府関係者が寺院に押しかけ止められたため、学び続けることは難しかった。
  • 空き時間には、チベット文学や詩を読んでいる。趣味は読書と詩を書くこと。

奨学生file.25 Tenzin Kunga

 

Tenzin Kunga

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Kungaは、デリー大学Shivaji collegeに通う学生です。政治学を専攻しています。元々は、法学部に行きたかったのですが、試験で点数が足りなかったため、政治学を専攻することになりました。今年の試験は、倍率が例年より高かったそうです。実は他大学の法学部もいけたそうですが、大学によっては講義内容が充実していないところもあるため、Shivajの政治学を選んだそうです。

 

休みの時は、友達とでかけたり、新聞を読んだりしているそうです。さすが、政治学の学生ですね。他にもダライ・ラマの公式HPや亡命政府のHPは毎日チェックし、チベット社会の状況を把握しています。そのホームページをチェックすることが日課になっているのだそうです。「もし、それをしなかったら、なにか変なかんじがするようになった」と話していました。

「新聞やHPをよむと社会が見えてくる」

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将来の夢は、弁護士になること。とくに人権問題に特化した国際的な弁護士になりたいと胸の内を明かしてくれました。チベット社会に貢献していくために、人権を主に扱う弁護士になるという選択をしました。

 

まだ、一年生ですが卒業後のプランもしっかり考えていました。教育省が持つ奨学金の中に、Global leadership奨学金が存在します。これは、アメリカ政府が推進している活動で、アメリカの大学で学ぶことができる奨学金なのです。この奨学金を得るためには、TOEFL満点を取らないといけないそうで、現在はそれに向けて猛勉強しています。この奨学生に選ばれたら、マスターとして法学に関して学ぶ予定だと話していました。その後は、PHDにまで進みたいそうです。

 

彼は、北西部ダージリン出身です。デリーに来る前は、ダージリンのCSTで過ごしていました。お姉さんはラジャスターンで、ウィンタービジネスをしています。お兄さんは、デリーのアメリカ大使館に勤務し、一緒に住んでいます。お父さんは、3ヶ月前に亡くなってしまいました。
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彼は、たくさんの本を読み、相当の知識をつけています。チベット社会の方向性として、ミドルウェイアプローチを選ぶべきなのか、それとも独立路線でいくべきなのか、その狭間で揺れる想いを明かしてくれ、たくさんのチベットに関することをたくさん学びました。周りに流されず、しっかり現状を見据えて自分自身の考えを主張できる青年という印象を受けました。

奨学生file.27 Tenzin Dakar

 

Tenzin Dakar

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Tenzin Dakarは、Guru Gobind Singh Indraprastha Universityに通う1年生です。彼の専攻は、工学部です。現在は、物理や化学、数学などの基礎的な講義を履修しています。これらの授業は、1年生の必修の科目です。2年生になると、さらに専門的なコースに分かれ、学びを深めていきます。彼は、コンピューターサイエンスを専攻する予定です。

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キャンパス

GGSIを卒業後は、ヨーロッパかアメリカの大学院で学びたいと考えているそうです。コンピューターサイエンスがより発達している大学で、最新の技術を学ぶのだそうです。海外の大学院に進学するためには、TOEFLの試験が必要となり今からTOEFLの勉強も始めているのだとか。そして、コンピューターエンジニアとして、チベット人社会のために働きかけていきたいと話していました。

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キャンパス

Dakarの家族は、デラドゥンに住んでいます。お父さんは、デラドゥンにある高校でチベット語の先生をしていましたが、今は退職しています。現在彼の家族は、ジャイプールにあるチベット人コミュニティでウィンタービジネスをしているのだそうです。3人兄妹のお兄さんはデラドゥンで家族とともに暮らしていて、お姉さんはデリーで看護の勉強をしているそうです。

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ライブラリー

コンピューターサイエンスを専攻するだけあって、アニメやコンピューターゲームが好きと話すDakar. 放課後は、まず部屋に帰り日本のアニメであるNARUTOを1時間見ることが日課だそうです。NARUTOやワンピースなどの日本のアニメに関して熱く語ってくれました。アニメを見た後はティーブレイクを取って、2時間ほど勉強するそうです。その後は、寮の前にあるサッカーグランドで仲間たちとサッカーに明け暮れていると話していました。

 

同じ大学のチベット人コミュニティにサッカーチームがあり、そこに所属しています。ほとんどのメンバーが1年生で構成されているそうです。時には、デリー大学のチベット人チームやインド人チームとサッカーの試合をしたりすることもあるんだそうです。サッカーについて楽しそうに話す姿から、サッカーが大好きなことが伝わってきました。

 

また、今後Dakarはフランス語を学びたいと考えていることを明かしてくれました。フランスには、多くのチベット難民の方が住んでいて、彼の友達もフランスにいるのだそうです。「パリはとても綺麗なところだと聞いてるから、一度は行ってみたい。夢の一つなんだよね」と話してくれました。

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Dakarの部屋でKunsangと

さらには、レインボーチルドレンのスラムでの活動に関して話していると、「エンジニアになったら、スラムに住む子供たちをサポートしたい。そういう想いがあるんだ」と胸の内に秘めていた想いを明かしてくれました。Dakarも将来、レインボーチルドレンのメンバーになっているかもしれません。(笑)

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キャンパスにて

Dakarは、高校卒業したばかりの1年生。まだまだ初々しいフレッシュな雰囲気が漂います。まだ最初のセメスターで、勉強も遊びも存分に楽しんでいることが伝わってきました。

GGSIの寮は他と比べて厳しく、本来であれば男子寮に女性が入ることはできないのですが、日本から来てくれたのだから…と大学オフィスに交渉してくれました。なので、5分間だけ寮に入ることが許可され、Dakarの部屋を案内してもらいました、礼儀正しく、気遣いのできる青年です。この先も大学生活を楽しんで、夢を叶えていって欲しいと思います。

奨学生file.24 Tsering Tharchin

 

Tsering Tharchin 

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Tharchinは、Jawaharlal Nehru University(JNU)で中国語を学ぶ大学生です。

以前は、デリー大学で英語を学びその後、マスターコースで行政学を学びました。卒業後にJNUに移り、勉強を続けているそうです。彼にとって、中国語を学ぶことは、チベット人として中国のことをより深く理解することにつながるのだそうです。「中国のことを嫌うだけではなく、彼らから学び、平和的に付き合っていくことができるようになることは重要。これからのチベットには、そういった人材が必要なんだよ」と勉強するその理由を教えてくれました。

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 休みの日は、ずっと勉強しているそうです。デリー大学の学生時代はたくさん時間があり、外に出かけることもできたらしいですが、今は時間さえあれば勉強しているのだそうです。中国語自体簡単ではないし、JNUの言語学部はかなり厳しく、予習復習が必要とのことでした。勉強のために朝の5時まで図書館にいたこともあったそうです。

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キャンパス

 忙しい勉強の傍、彼は課外活動としてラジオDJをしています。ニュースを翻訳してチベット語で放送しているのだそうです。彼の友達も、「Tharchinは話す才能がある。ラジオDJは誰でもできることではないよ」と彼の仕事ぶりを褒めていました。

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キャンパス

 デリー大学の学生の頃は、Tibetan Youth Congress(若者を中心としてチベット問題に取り組む団体)に参加していました。Students for Free Tibet(Tibet Youth Congressとはまた異なりますが、チベット問題に関して行動を起こしている団体)に所属する友達も多いそうです。現在は、活動拠点から離れてしまったため、活動自体には参加していないそうです。ですが、いまでも時間が許す限りは、Students for Free Tibetなどのイベントに参加しているそうです。ときには、そのためにダラムサラにまで足を運ぶこともあるんだとか。チベット問題に関して、彼のもつ知識は計り知れません。私自身も、日々チベットのことを彼から教えてもらっています。

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キャンパス

 そんな彼の将来の夢は、政治的な活動家。祖国チベットのために、政治的な面から動いていくのだそうです。そのために中国語を学ぶことは、彼にとって重要なことなのです。JNUを卒業後は、台湾の大学に留学したいと話すTharchin。奨学金が取得できれば、必ずいくそうです。「台湾は、チベットと似た境遇に置かれているし、そこから学べることもたくさんある。将来政治的な活動を行っていくにあたって、中国、台湾、チベットの国際関係に強くなることは重要なこと」だと話していました。

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キャンパスにて

彼の家族はチベットに住んでいます。チベットののどかな地方で、ヤクややぎを飼い、チーズなどを作って生活しているのだそうです。彼は4人兄弟の末っ子で、3人の兄はみなチベットで家族とともに生活をしているとのことでした。

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 Tharchinがチベットから山を越えてインドへ来たのは2002年。彼がまだ13歳の時でした。ある時、ふいに英語を学びたいと思い、それを両親に伝えると、インドでなら学べるという情報が手に入ったといいます。そして、一人チベットを出ることを決意しました。全ては自分の意思だったのだそうです。それから12年間、家族には一度も会っていません。ですが、電話回線がカットされていないときには、家族や村の写真を送ってもらったり、電話をしたりしているそうです。ですが、一度中国政府によってネットワーク回線が切断されてしまうと、2~3ヶ月は家族と連絡が取れなくなってしまうんだそうです。彼が生まれ育った場所の写真を見せてもらいましたが、緑豊かで本当に美しい場所でした。

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Hometown

インドへ渡ったあとは、ダラムサラから少し離れたとこにあるTCVに通っていました。高校生の頃は、男子生徒をまとめるキャプテンをしていたそうです。

 

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ライブラリーにて

 現在は、JNUの寮に住んでいます。同じチベット人のルームメイトとは、まるで夫婦漫才かのような絶妙な掛け合いを披露してくれます。いつもお互い文句ばかり言っていますが、とても仲良しな二人のやりとりに笑いっぱなしでした。寮では、三食出されるようですが、チベットで育ったチベット人には、なかなかインドの料理は口に合わないそうです。なので、彼はいつも自分の部屋でチベット料理を自炊しています。決して広いとは言えない部屋ですが、調理時にはさっとIHのコンロを出してきて、キッチンが出来上がります。今度、チベット料理の一つであるThenthukをご馳走してくれるそうです!

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How he cook

彼の夢が活動家であるように、彼自身今もすでに活動家。中国の首相やお偉いさんがインドにきたときは、かならず中国大使館に出向いてデモをしているそうです。そのおかげで捕まったこともしばしば。一週間拘置されたこともありました。けれど「そんなこともいい経験。デリーの警察とはもう友達さ」と笑い飛ばすTharchin。何度捕まっても怯むことはありません。けれど、本当につつましく、謙虚に深く物事を見ていることを話しの節々から感じました。チベットと中国の外交関係だけではなく、日本の政治状況もしっかりチェックしている勉強家です。日本のShinzo Abeについても意見を求められました。

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ポスター

 学生のうちから積極的に活動しているTharchin。政治的な活動には様々な責任が伴います。そんな活動をしているとき、今でも忘れられない出来事があったそうです。インドに中国からの官僚がきたとき、デリーでチベット人青年による焼身自殺がありました。彼はその青年が火だるまになって走るその場にいたのだそうです。「いまでも彼の姿が脳裏に焼き付いて離れない」。見せてもらった写真と彼の静かな表情が心に残りました。

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チベット人の友達たちと

 Tharchinは本当にユーモアに溢れ、ずっと話しているか歌っているかダンスをしている、そんな青年です。真面目に語ったと思えば、その3秒後には冗談もしっかり飛ばしてきます。おちゃらけキャラにも見えますが、実際に自らの足で山を越えてきた彼は、達観した意思があるように感じました。チベット問題に取り組む人の中には、燃えるような想いを持っている人もいますが、彼は客観的で落ちついた判断をして、着実にその一歩を歩み進めている印象を抱きます。でも、ありあまるエネルギーとともに行動に移さずにはいられない彼は、将来なにかきっと、大きな動きをつくっていくんだろうなぁと予感させるものがあります。

奨学生file.17 Tenzin Palden

 

Tenzin Palden

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Tenzin Paldenは、Jawaharlal Nehru Universityの大学院で国際関係を学んでいます。

現在は、2年間のマスターコースの最終学年です。中国やインドにおける政治情勢などのクラスを履修しています。現在受講しているクラスは、出席を取られないため、授業に来ない学生も多々いるそうですが、彼女は毎回の授業にしっかり出席しているそうです。「部屋にいても特にすることもないし、それなら出席して学びを深めたほうが価値がある」と言っていました。

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キャンパスにて

現在通っているJawaharlal Nehru Universityの前は、デリー大学のなかの女子大学に通っていました。そこでは英文学を学んでいたそうです。北デリーのRohiniにあるチベット人専用のホステルから通学していたようで、1時間以上通学に時間をかけていたそうです。

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教室の前

休みの日は、読書をしたり勉強をしたりしているそうです。広いキャンパスからでることは、あまりないそう。キャンパスを出なくても、大抵のものは手に入るからだそうです。

 

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学部の前で

JNUには、45人のチベット人学生がいます。チベタンコミュニティーとして、イベントやミーティングを行っているそうです。毎年、秋には各学部ごとにチベット人学生がチームを結成し、チベットの伝統的なダンスや歌、伝統的な物語の劇などを行っているのだそうです。今年は何をしようか話し合いの最中とのことでした。

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将来の夢はまだ漠然としていて、何かこれ!というものは見つかっていないそうです。「昔は、これになる、あれになるって簡単に言っていたけど、今はそう簡単にいくわけじゃない」と言っていました。ですが、まだ勉強を続けていきたいという気持ちは確認しました。

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パルデンの寮

Paldenは、インド北東部アルナチャルプラデーシュにある、チベット人居住区に生まれ育ちました。7人兄弟姉妹の末っ子だそうです。2006年にお父さんを亡くし、それをきっかけに2006年からダラムサラのTCVに通うようになりました。そして、2011年にデリーに出てきたのだそうです。

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寮の前で

Paldenはチベットに関する冊子を読み込み、チベット社会の現状やミドルウェイアプローチに関する勉強をしているようでした。私も、チベットの詩の本やミドルウェイアプローチに関する英語版の冊子を彼女からもらいました。

ミドルウェイアプローチに関する冊子 (720x960)
ミドルウェイアプローチに関する冊子

彼女は真面目に勉学に励み、かつJNUでの大学生活もしっかり楽しんでいる印象を受けました。将来に関する不安もあるようですが、日々コツコツと学びに向き合いながら一歩一歩前に進んでいるのだと思います。JNUで開催された先日のコンフェレンスでは、鮮やかなチュパを着て、受付でテキパキ働いていました。

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寮の自分の部屋にて

奨学生file.31 Tenzin Youdon

 

Tenzin Youdon

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Youdonは、デリー大学の一つであるShivaji collegeに通う1年生です。

動物学を専攻しています。小さな頃から動物が好きだったため、この学部に進学することを決めたそうです。

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まだ一年生なので、基礎的な科目を履修しているそうですが、それでも簡単とは言えないようです。インド人の先生の授業はまだ慣れないと話していました。大学に入学する前までは、チベット人の先生に教わり、言語的にも分かりやすく、また先生もチベット人の性質に合わせた授業をしてくれていたそうです。ですが、インド人の先生はそうもいかないのだそうです。英語であっても母語ではないため、簡単ではないと言っていました。授業によっては、ヒンディー語だけで開講されるものもあり、そういった授業はさらに難しく、ついていくのが大変なのだそうです。

 

Youdonの両親は現在、ネパールのカトマンズにあるチベット難民居住地区であるボウダキャンプにいます。お父さんは、キャンプ近くでチベタンアンティーク雑貨のお店を経営しているそうです。お母さんは、小学校の先生をしています。12歳になる弟はシッキムの学校に通っているとのことでした。彼女の両親はネパールにいますが、彼女はインドで生まれ、ダラムサラのTCVで育ちました。

 

ですが、両親がネパールにいるので、インドとネパールを行き来してきたそうです。冬休みには、バスを使って陸路でネパールに帰るといっていました。久しぶりに家族が集まるのを楽しみにしているそうです。

 

同じ大学のチベット人の女の子たちと仲良く、いつも一緒にいるようでした。普段は彼女たちと一緒に勉強したり、ご飯を一緒に食べているようで、楽しいキャンパスライフを過ごしていることが伺えました。

 

今回会ったときは、Youdonは風邪をひいていたので、あまり長く話しをすることができませんでした。ですが、また機会をみて会えたらな!と思います。

奨学生file.20 Tenzin Thaye

 

Tenzin Thaye

Thayeは、Jamia Hamdardに通う学生で、作業療法を学んでいます。

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午前中は、学校に併設された小さなクリニックで実際に患者さんと触れ合いながら実習します。そして、午後はクラスでの講義を受け、さらに専門的な知識を身につけていきます。毎日同じルーティーンで進んでいくそうです。しかし、午後の講義には先生がいないこともしばしば。また、教室も決まった場所はなく、との時に空いている教室で行われているのだそうです。

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Jamia Hamdard には学生寮もありますが、彼は近くの大学に通う弟と従姉妹と大学付近に住んでいるそうです。弟は、レインボーチルドレンの奨学生でもあるTenzin Theosamです。

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彼はダラムサラから3時間ほどのBir出身です。父親はマクロードのホテルチベットで料理人をしていましたが、現在はBirに戻り小さなチベット料理屋さんを経営しています。母親は、ダラムサラのTCVの幼稚園で20年以上先生をしています。しかし、現在は体調が優れず医師の診断書待ちだそうです。Thayeはテストや勉強よりもお母さんの体調が心配なようで、時間ができればすぐに帰るつもりでいるようでした。

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Jamia Hamdard を卒業後は、カナダかオーストラリアで作業療法士の学びを続けていきたいと考えています。しかし、まわりのチベット人の友人たちが結婚し、子供もいるようになったこともあり、家族からは就職することを勧められているのだそうです。

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作業療法に関する学部に進学した理由は、高校の友人がその学部を選択したから。当初は、何をするのかわかっていなかったそうですが、今はこの専攻をしたことに悔いはないと話していました。作業療法士という仕事にとてもやりがいを感じていることが言葉の節々から伝わってきました。

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奨学生file.41 Tsewang Lhundup

 

Tsewang Lhundup

 

  • 中央チベット出身。8人兄弟で、2010年に母親が亡くなったため、現在は父親が家族といる。農業をしている。
  • 1999年に亡命を試みたが、中国政府に捕まってしまい4ヶ月間投獄された。当時家族は彼が亡命を試みていたことは知らなかった。そして、2003年に再び亡命することを決意。今回は家族にも伝え、サポートを受けた。教育をうけることが亡命の目的だった。
  • 出身地域は田舎で、寺院には仏教を学べる環境はなく、お葬式などの行事のときのみ機能していた。寺院には12~13人の僧しかいなかった。仏教哲学などを学びたいと思っていたが、チベット本土でそれを学ぶには3つのメインの寺院に行かなければいけない。しかし、中国の支配下にある以上そこで学ぶことも難しかったため、インドへ。
  • 亡命後は、TCVスジャに少し通い、インドにある3つのメインの寺院の一つであるバラコビの寺院に移った。2003年から2014年までそこで学び、学士と同等のコースを卒業。インド政府下の寺院の学校で、若い僧たちにチベット語を教えていた。サラ大学でチベット語をより深く学ぶことで、小学校以上の子どもたちにチベット語を教えられるようになりたいと思い、進学を決意。
  • サラ大学を卒業後は、マスターコースに進みその後は教師に戻る予定。
  • 空き時間は、読書をしている。文学を読むことが多い。

奨学生file.4 Tenzin Rapten

 

Tenzin Rapten

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デリー大学の中でも最も優秀だと言われているHindu Collegeに通うRapten.

化学を専攻しています。授業は月曜から金曜まで毎日朝から夕方まであるそうです。講義は難しいものもあれば、簡単なものもあると話していました。しかし、しっかり勉強していかないと、ついていけなくなるそうです。

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大学を卒業後は、大学院に進みたいと考えています。マスターコースでは、デリー大学の薬学部に進学したいそうです。どうして化学を選んだの?と尋ねると、「化学だけは学んでいて飽きることがないんだよ」という答えが返ってきました。

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最近は、日々の実験や講義で忙しいようで、週末も勉強しているそうです。私がデリー大学を訪れた時も、プレゼンテーションの準備と課題が残っている、と話していました。

そのため、得意のダンスはたまにしかしていないようです。それでも時間の許す限り、趣味としてダンスを楽しんでいるとのことでした。他にも、課題があまりない週末には、友達と外に遊びに行ったり、映画を見たりしているそうです。

 

Raptenは、6人兄弟姉妹の下から3番目だそうです。下には2人の妹がいます。兄弟姉妹たちは、マスターコースで勉強していたり、でりーのマジュヌカティラに住んでいたり、オリッサにいたりとみなバラバラに暮らしているそうです。ですが、12月のお休みには、出身地であるオリッサに帰り、家族と過ごすのだそうです。Raptenの両親は、オリッサに残り、農業をして暮らしています。

 

小学校1年生から10年生(高校1年生)までをオリッサの学校で過ごし、その後はウッタラーカンド州で2年間の高校生活を過ごしました。その学校の理系コースを経て、現在通うデリー大学に進学しました。

 

今回は、あまり時間もなく、深く話を聞くことができなかったのが残念です。ですが、大学での学びを楽しんでいる様子が彼の話から伝わってきました。「化学は飽きない」という言葉がとても印象的で、全てを表しているように思います。

また、彼はチベットダンス、ブータンダンス、ネパールダンスと色々なダンスを踊ることができ、チベット人の中では少し名が知れているようです。次回のランチミーティングで踊ってくれるのを楽しみにしています。

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ホテルのロビーで披露してくれたダンス(2014.4)

奨学生file.13 Pema Bhuti

Pema Bhuti

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 Pemaは、Jamia Hamdard Universityの看護学部に通っています。

今年で2年生になる彼女は、病院での実習も増え、毎日とても忙しいそうです。

彼女曰く看護学部の学生は、学校と病院、そして家、課題のルーティーンだそうです。他の学部や大学に通う学生のように遊んでいる時間はないのだそうです。

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コンベンションホール

 そんな彼女になぜ看護師になることにしたの?と問うと、それは難しい質問だわと言われてしまいました。実は彼女、元から看護師になろうと思っていたわけではなかったようです。経営学部や他の学部を希望していたそうですが、学費が高く断念したとのことでした。そして、専門性も高く、手に職がつく看護学部を選んだそうですが、今は学んでいて楽しいし、この選択は正しかったと感じていると話していました。

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大学のグラウンドにて

 将来は、チベット人で初めての看護における博士号を取得したいそうです。チベット人社会のなかに看護の知識を広め、貢献していきたい、と夢を語ってくれました。そのためにはまだまだ勉強を続けなくてはいけないわ!と意気込んでいました。

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新しく建設中の病院

 彼女の大学であるJamia Hamdardはイスラム系の大学で、多くの建物がイスラム建築に基づいていました。大きなホールや学部の建物も、細やかな細工が施されていました。

ですが、Pema曰く看護学部の設備は他の学部と比べて、あまり良くないんだそうです。講義ごとに決まった教室はなく、その時に空いている教室を使用して授業が行われているんだそう。エアコンもないため、夏場は汗だくになって勉強や実習を行っているとのことでした。看護学部の学生は、他の学部よりも高い学費を払っているのに、設備は悪いまま…とよくグチをこぼしているそうです。

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看護学部前でJigme Choudonと

 彼女は、4人姉妹の3人目。ネパールのジャワラケルキャンプの出身です。同じキャンプ出身で奨学生の一人でもあるKalsangとは幼馴染です。お姉さんのリンジンは、ジャワラケルキャンプの学校で先生をしています。一番下の妹は、その学校で勉強しています。お父さんは、ジャワラケルキャンプのクラフトセンターの警備員をしていて、お母さんはクラフトセンターで働いています。ネパールで震災が起きたとき、彼女はバスで一人ネパールに帰り、家族やキャンプの人たちと一緒に復興に向けて動いていました。妹が通う学校の仮設校舎もPemaたちが木や竹などの材料を運び込んで、建てたそうなのです。

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アティーシャ小学校の仮設教室

 彼女がインドへ来たのは、彼女が高校2年生になるときでした。高等教育への進学を希望するのであれば、ネパールにいるより、インドに来た方がより機会が多くなるのだそうです。そのため、2年間の高校生活をインドで送っていました。チベット中央亡命政府の教育省が毎年主催するリーダーシップワークショップにも学校代表として参加したという彼女。高校生の頃から優秀な学生だったことが伺えます。

しかし、そんな彼女でも、ネパール出身であるため、IC(Identify Certificate 身分証明書)を持つことができません。直接インドにきた人やインドで生まれ育ったチベット難民の方々は、インドに住む難民であることを証明するICを取得することができ、海を渡ることもできます。しかし、ネパール出身であるというだけで、行動の自由に差が生まれてしまうのです。

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奨学生ミーティングでスピーチ(2015秋)

 彼女は、レインボーチルドレンとつながりの深い学生の一人。毎回の奨学生ランチミーティングでスピーチしてくれます。聡明で、優しく思いやりに溢れた彼女は、素敵な看護師さんになるんだろうなぁ、と彼女の将来の姿が見えるようです。チベットに対する想いや責任感を持つ彼女は、ただ看護師になるだけではなく、さらに学びを深めて、チベット社会に貢献していく人になることでしょう。彼女のこれからが本当に楽しみです。

 彼女とは同じ年なこともあって、音楽の話や将来の話、恋愛のことまで話すことができました。彼女の人となりをさらに知れて、私も嬉しい限りです。昼ご飯を食べるのも忘れて楽しんだガールズトークのひと時でした。

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3人娘 左からPema、ゆうか、Jigme