レイチル×Eduらぼ「変える力を育てるプロジェクト」

 

昨日は、Edu×らぼ(えでゅらぼ)と新しく始まったプロジェクトのキックオフミーティングでした。

次回春にインドで奨学生65名(大学生)に行ってもらうフューチャーセッションの内容をこれから半年間で作り上げていきます。

プロジェクトメンバーは、現役高校教師2名、社会人1名、現役大学生2名(1名はインドよりの留学生)、レイチルメンバーです。

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レインボーチルドレンがインドで行っている活動や、支援する奨学生(大学生)たちのバックボーンや大学による違いなどを確認し、ゴールを設定しました。

その過程で、リーダーシップ育成支援プロジェクトと題していたプロジェクト名も、「変える力を育てるプロジェクト」に変更し、目指すところをより明確に定めました。

 

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利他の精神をもつ若者たちに、「対話による問題解決手法(フューチャーセッション)」を伝えること。

Future Sessionとは?

多くの社会問題は、当事者や専門家だけでは解決しにくくなっています。
そんな今こそ、みんなのチカラをかけ算する時。
それぞれが問題を自分ごととして考え、ありたい未来を構想することが大切です。

Future Sessionでは、多様な立場の人を参加者に迎え、
問題そのものをいろんな角度で見つめることからはじめます。
そして、深く、自由に対話し、みんなの「想い」の中から
未来に向けた素敵な答えを紡いでいきます。

誰かに決められたことをやるのではなく、
一人ひとりが主役になってアイデアを生み出し、実現させていく。

社会に変革を起こすための「場 = Future Session」
Our Futures サイトより

フューチャーセッションそのものは欧州発ですが、対話による問題解決という手法は、彼らのリーダー(ダライ・ラマ14世)がチベット問題解決のための平和的手法として実践をつづけ、世界へ説いている平和実現への処方箋に近いものかも知れません。

力での解決はなく、他者と認め合い・分かち合うことができれば、対話によって問題解決の糸口を見つけることができるはずです。その先には心の平和という新しい世界が拡がります。

そこには、認め合い、分かち合える、平和な世界が訪れると信じます。

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「教育は世界を変える」

「奨学金支援(高等教育)から未来のリーダーを育成する」レインボーチルドレンが目指す方向もはっきりしてきました。

政治家、チェンジメーカー、ソーシャルワーカーだけでなく、

次世代のリーダーである教師、
次世代へなにかをつなぐ人、
そして作家や翻訳家や写真家など表現していくクリエイター、
そして企業に勤め社会の問題解決に挑む人、
地域社会のために働く人、
世界平和のために活動する人・祈る人、、

レインボーチルドレン奨学生すべてが、世の中を変えていく当事者=Innovator:イノベーターとして活躍する未来を創造します

You must be the change you want to see in the world.

あなた自身が、この世で見たいと思う変化とならなければならない。

~マハトマ・ガンジー~

期待の新メンバー紹介!ナムドルちゃんです

 

「今度は私がレインボーチルドレンに恩返しをする番です!」

この秋のインド訪問では、嬉しい出来事がたくさんありました。そのひとつ、レインボーチルドレンにまた新たなメンバーが加わりました。

しかも、将来図で描いていた元奨学生からの参加です。チベットと日本の絆を強めていく流れが、ここからも始まりそうです。本拠地ダラムサラでの活動の幅がさらに広がることを期待します。

レインボーチルドレン奨学金2期生(2014)のテンジン・ナムドル、愛称「ナムちゃん」です。まずは、この多彩な表情をご覧ください。

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  • 名前 : テンジン・ナムドル
  • 誕生日 : 1991年5月
  • 生まれた場所 : インド、ヒマーシャルプラデーシュ州、Kangra
  • 居住地 : McLeod Ganj、ダラムサラ

わたしの名前はテンジン・ナムドルです。
1991年5月、Kangraの病院で生まれました。
それは、わたしの亡父がチベット亡命政府・経済省で仕事に就くことが決まった大変良き日でした。そういうわけで、わたしたち家族は今までここダラムサラに定住してきました。

mussoorieにあるチベット人学校で育ち、そして、亡命政府教育省から大学進学のための奨学金を得ました。進学したデリー大学では、理学士や教育学士の学位を得ました。
レインボーチルドレン奨学金制度のおかげで、進学というものがわたしにとって大きな激励になったことをとても幸運に感じています。

卒業後わたしは、チベット人学校で科学を教えるチャンスを得ることになり、Lower TCV Schoolにて、夏期の科学教科インターンシップをしました。そしてまた、チベット医学暦法大学(メンツィカン)でも近代科学について教える機会に恵まれました。
1年間の植物学における修士課程を履修ののち、わたしはチベットの薬草の品質やメンツィカンの実験室での請負に関するインターンシップについて調べていました。

残念なことに、あるやむを得ない事情からそれ以上、わたしの勉強を進めることはできなくなってしまい、仕事をするという家族での責任を取ることを選びました。

わたしはただ、自己を信頼し、そして若い世代の人々が持つ迷いを切り開けるような良き科学教師になりたいと思っています。

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ダラムサラでの卒業生との夕食会

 

昨年ナムドルちゃんは家庭的な事情から、大学院での勉強を途中で断念することになり、レインボーチルドレン奨学金の奨学生ではなくなりました。しかし、その後もインターン学生やメンバーと交流を続け、「香り玉プロジェクト」にも積極的に参加してくれていました。

「レインボーチルドレン奨学金に出会えて私は幸運だった。」

他にも教育省と協働する欧米の奨学金基金・大学がある中で、レインボーチルドレンの奨学金を受けることができて本当にラッキーだったと彼女は語ってくれました。

多くの奨学生たちは、支援者の顔も情報もまったく知らない中で大学生活を送るそうです。レインボーチルドレンは必ず年に2回会いに来ること、奨学生ミーティングでお互いのことや、お互いの文化を知ることで、沢山のインスピレーションを受けていたとのことです。

この秋も香り玉教室を行いました
この秋も香り玉教室を行いました

ナムドルちゃんには、これからダラムサラで行う新たな試みなど、メンバーの一員として活躍してもらいます。

ダラムサラレポートも予定していますので、お楽しみに!

*他のメンバーについてはこちら→メンバー紹介ページ


 

レインボーチルドレンは、単に経済的な高等教育支援だけがしたいのではありません。その先にある、彼ら彼女らが社会に出た将来に、それぞれの場所でリーダーとして活躍する未来を見据えて活動しています。ですので、卒業生や、止む無く進学を断念した元奨学生、自分の道を見つけて社会へ出た元奨学生とも、交流を続けています。

今回のナムドルちゃんのメンバー参加は、その中から生まれた嬉しいニュースでした。

また、今年は11名の卒業生を誕生しました。卒業生の数名はインタビュー動画を撮影して、卒業後の現在や、将来の夢について語ってもらいました。後日公開の予定です。

 

マンスリーサポーター募集中!

第5期生30名を迎え、今年65名となったレインボーチルドレン奨学生(大学生)は、常時100名在学を目標に活動しています。
チベット難民の高等教育をサポートすることは、次世代の高度人材を育成し、リーダーとなる彼らがチベットの文化をつなぐ未来へと繋がります。

また、慈悲・利他の文化・精神をベースにもつ彼らが世界へ広がることは、同じ平和の遺伝子をもつ日本の若い世代と力を合わせて、世界を平和へと導く可能性を秘めていると信じます。

教育機会の平等は、
思想や信仰の自由を守り、
文化やアイデンティティを守り、
さらに世界を平和へと導く種となります。

インドでの一人当たり大学費用は年間約7万円です。
100名奨学生の目標予算は年間約700万です。
それには月千円のマンスリーサポーターが約600名必要です。(現在105名)

ぜひ、マンスリーサポーターとして、未来のリーダーたちを支えてください。
月々千円、3千円、6千円の3コースを、クレジットカードで毎月継続寄付ができます。
http://rainbowchildren.holy.jp/support-join/monthlysupporter

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社会を変えるリーダーへ!リーダーシップ育成プロジェクトwith Edu×らぼ

 

話は遡りますが、2012年に初めてインドを訪れた時に、3タイプの子どもたちに出会いました。

インドに学校をつくりたい!目的で、その場所とご縁を探すために歩いた独り旅でしたので、今でもその子どもたちのことは鮮明に覚えています。

とにかく可愛かったチベットの子どもたち、

なんだか賢そうなインドの子どもたち、

そして、ずっと心を離れない路上の子どもたち。

同じ国の中で、同じ国とは思えないような色んな子どもたちに出会いました。

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最初から、最終目的地と決めていたダラムサラ(チベット亡命社会)の子どもたちは、顔が日本人に似ていることもあって、すごく可愛かったです。

チベット亡命社会の学校は世界中よりの支援によって成り立っていることを知りました。

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そのチベット亡命社会のあるダラムサラの街で出会ったのが、インドの賢そうな少年たちでした。

亡命社会の中で、小奇麗な制服を着て送迎用のスクールバスに乗り込む賢そうな彼らが、とてもまぶしく映りました。

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一方、首都デリーへ戻ると、路上で商売をする子どもたちに出会います。

信号停車中の車の間をぬって、パフォーマンスを見せながら花や雑貨を売りまわっている子どもたちは、きっと学校へは行ってないんだろうな。。

 

同じインドの中にも色んなこどもたちがいる。

世界中から支援を受けて学校に通う子どもたち、

裕福な親がいて私立の学校に通う子どもたち、

学校に行けずに働いている子どもたち。

 

生まれた環境によって教育へのアクセスが異なってしまうのは仕方ないけど、それぞれが生まれ持った才能があるはず。

誰もがその才能を活かせる選択肢をもてる社会にしたい。

それを変えるのは、子どもたち自身の手で。

変える力をもつために高等教育への梯子をかけて、卒業した子どもたちが自分の社会を変えていくリーダーへと羽ばたけるために。

 

今回、Edu×らぼの協力で、「高等教育支援を通じた未来のリーダー育成」へとステップアップするためのプロジェクトが始まりました。

Edu×らぼでは、現役教師や大学生たちと教育の未来を考える取り組みを続けています。

「リーダーシップ育成プロジェクト」

まずは、チベットの子どもたちから。

一歩づつですが、目指す世界へ近づいていきます。

 

 

奨学生FILE.1 Tenzin Tsogyal

 

Tenzin Tsogyal

お茶目で頼りになるTenzin Tsogyal
お茶目で頼りになるTenzin Tsogyal

 

Tenzin Tsogyalは、南インド・マニパルにあるManipal College of Nursing(MCON)で学んでいます。2012年にスタートしたレインボーチルドレン奨学金の第1期生です。

MCONはホームページによると、看護系の大学等の中でもトップ4に入り、インドの私立大学の中でもトップ5という超人気の大学らしいです。実際に見学した感じ、施設は非常に充実していました。

大学のメインオフィス
大学のメインオフィス

 

彼女は、インド東部オリッサ州の出身で、マヒンドラガードのCST(チベット学校)に通っていたそうです。そして、その後ヒマチャル・プラディーシュ州のTCV.Gopalpur(チベット学校)に進学しました。

ですが途中、学校自体が洪水の被害を受け、場所をTCV.Chauntraに変えて10年生まで通いました。さらにその後は、一ヶ月間をTCV.UpperDharamsalaで過ごしたそうです。

そして、TCV. SelakuiというTCV各校の優秀者のみが入れる選抜高校を卒業し、今いる大学に入学しました。

これだけみても、ものすごい数の学校に通ってたことが伺えます。

キャンパスの門の先
キャンパスの門の先

 

兄弟は本人も含めて5人兄弟で、〈弟、本人、姉、姉、兄〉だそうです。

弟は、今最終学年(12年生)で、次女はNYで勉強しています。

長女は、ネパールで結婚はしてないですがパートナーと共に生活してるらしいです。

長男は、どこかは聞けませんでしたが、同じく海外で勉強しているそうです。

2003年に父親を亡くしてから、母親と兄弟と協力してきたと言っていました。

図書館の外観
図書館の外観

 

看護の道に進むに至った理由として、「これといったものはない」と話していました。親戚のお姉さんが同じ大学に通っていてit was easy for me と言ってました。

図書館に隣接する大学グッズショップ
図書館に隣接する大学グッズショップ

 

また、学生生活は看護学部特有の忙しさがあった故に、あまり勉強以外の活動をしていないと言っていましたが、4学年に進学した時に、SNA(Student Nurses Association)と呼ばれる看護学生委員会の議長に選ばれ1年の任期を最近終えたとのことでした。

議長は教員の推薦及び学生間の選挙によって選ばれるそうです。彼女の他にも学術面においては優秀な学生はいるのにも関わらず、学生にも相談役として慕われていることもあって彼女が選ばれたそうです(本人談笑)。

このSNAは4年時にしか出来ないもので、文化交流委員会といったように様々な委員会によって構成されているそうです。

図書館(敷地の外から②)
図書館(敷地の外から②)
図書館(敷地の外から)
図書館(敷地の外から)

 

同大学には、看護以外の学生も含めて大体25人のチベット人がいるそうです。

そして、他の大学にも見られたようにチベット人コミュニティがあり、Uprising Day等の日には、キャンパス内での啓蒙運動をするそうです。マニパルにいるインド人は結構チベットやその問題に対して知らない人が比較的多いそうです。

余談ですが、マニパルという土地にもチベット人家族は住んでおらず、チベット料理屋も皆無だそうです。

食堂2階AC有り(1階はACなし)
食堂2階AC有り(1階はACなし)
運動施設①
運動施設①
運動施設②(吹き抜け)
運動施設②(吹き抜け)
運動施設③(テニスコート)
運動施設③(テニスコート)

 

卒業の進路としては、卒業して職を探して(3ヶ月くらいで見つかるそうです)、デリーの有名な/最新のテクノロジーを備えた病院での実務を積んでから、改めて同じMCONでのマスターを取得したいとのことでした。

その後は、病院(言語面からデリーを好む)勤務、もしくは看護師の教える教員なるかもと話していました。可能であるならば海外に出ることを望んでますが、そのためにはやっぱり相応の学位が必要とのこと。看護で言ったらMCONはかなり著名で認知度も高いそうです。

参考:(MCON)http://manipal.edu/mcon-manipal.html

運動施設(室内卓球)
運動施設(室内卓球)
運動施設(室内バスケ)
運動施設(室内バスケ)

 

レインボーチルドレン奨学金第1期生の、これからの将来が楽しみです。

 

チベット語をうまく話せない!?今年のミスチベット受賞者Tenzing Sangnyiさんの言葉

 

北インド・ダラムサラで行われていた今年のミスチベット2016受賞者が決まりました。

公開されたTenzing Sangnyiさんの受賞挨拶を紹介します。(日本語訳あり)

A short note from Miss Tibet Tenzing Sangnyi:

First of all, I would like to thank everyone for their support and good wishes. Being crowned the Miss Tibet is a dream come true and I could not be happier to be given an opportunity to serve my country.

But lately, I have been receiving criticism for my imperfect Tibetan. But even more, I have been bullied online and made a mockery of — not just for my lack of fluency, but also for my appearance. I want to assure all my Tibetan friends and supporters, and especially my critics, that I am a Tibetan by blood and heart. And as for my fluency, I do plan to put in the effort to improve my Tibetan.

Just like many of my Tibetan friends, I have had a tough journey being brought up in an environment where I did not have the chance to interact with Tibetan speakers. Only recently, have I come to meet so many Tibetan people and learn so much about our culture. It has only made me love Tibet and Tibetans more, and this love for my culture drew me towards this Pageant.

Having said that, I am confident that my shortcomings in language do not make me any less of a Tibetan. I am more determined than ever to do something for my country. I am young and enthusiastic, so I hope you can all see the dedication I have. Instead of blaming me and my family, encourage me in this wonderful journey to do something for my country.

Lastly, I request all Tibetans to stand as one and stop bullying anyone for their colour, appearance, or speech. Instead, encourage them and help them overcome their shortcomings.

Bhoe Gyalo

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はじめに、みなさんのサポートとご好意に感謝します。
ミスチベットに選ばれるという夢が叶い、チベットに奉仕できる機会を得たことは何よりの幸せです。

ですが最近、私の不十分なチベット語に対する批判を受けてきました。流暢ではないチベット語だけではなく、私自身の外見をインターネット上でばかにされ、いじめを受けました。
私はすべてのチベット人の友人、サポーター、そして特に私を批判する人々に、私は血と心からチベット人であることを断言します。
そして言語の流暢さに関しては、チベット語を上達するための努力をするつもりです。
私の多くのチベット人の友人たちのように、チベット人と関わる機会のない環境で育ったことは厳しい道でした。最近になって多くのチベット人に出会うようになり、チベットの文化により深く触れるようになりました。そうして、チベットを、チベット人を大切に思うようになり、その愛が今回のミスチベットに私を導きました。

言語の面で至らない部分があっても、私はチベット人だと自信を持って言えます。私には私の国、チベットのために何かをするというかつてないほどの決意があるのです。私は若く、情熱に溢れています。だから私のこの想いを汲んでいただければ幸いです。私や私の家族を責める代わりに、私の国に対して働きかけるこの素晴らしい旅路を応援してください。

最後に、みなさんにお願いがあります。肌の色や外見、スピーチで誰かをいじめるのをやめて、一つになりましょう。代わりに彼らを励まし、不十分な点を克服できるよう手を差し伸べていきましょう。

チベットに自由を。

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(日本語訳:田村友佳)


お読み下さってありがとうございました。

Tenzing Sangnyiさんの受賞を心より祝福し、これから1年のミスチベットとしての活動を応援いたします。

今回のブログ題名はもちろんTenzing Sangnyiさんを非難する意図はありません。チベットの文化や言語を守ることをひとつの目的として教育支援に取り組むレインボーチルドレンとして、チベット語が失われつつある現状を皆さまにお伝えしたいのです。

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失われつつあるチベット語と教育の現状

現在中国本土(チベット自治区およびチベット族居住区域)では、チベット語による教育を受けることができません。(チベットプロジェクト:社会背景と問題意識参照)

一方インド・ネパールを中心とする難民社会では、チベット語の教育を受けることができます。奨学金事業で協働するチベット亡命政府教育省では、インド・ネパール・ブータンにある73校のチベット学校を管轄しています。

現在その73校では、チベット文化を守り受け継ぐためのチベット伝統教育を実施しています。中でももっともチベット語教育に力を入れているのが教育省直轄のペトンスクールであり、プライマリースクールまでの6年間はすべてチベット語による授業が行われています。しかしその他の学校では運営母体が教育省直轄・インド政府・基金に分かれており、チベット語教育に差が生じてしまっているのが現状です。

また、住居の近くにチベット校がないと通うこともできません。

今回の受賞者Tenzing Sangnyiはインドで難民二世として生まれました。北インドのマナリで育ち、学校へ通いましたが、そこは前述チベット校ではなくインドの学校であったため、チベット語による教育はおろか、学校にチベット人が一人もいないという環境で学校を卒業しました。

そんな理由でチベット語をうまく話せない彼女にバッシングがあったことを、受賞スピーチの中で明かしているのです。

それは彼女の責任ではありません。難民としての生活が長期化し(55年以上)、それが定着していくことによって、また新たな問題が生まれてきます。守ろうとしなければ守れない、受け継いでいくことができない難しさがあります。

それが今のチベット文化や言語の現状であることを、このスピーチは伝えています。

 

あなたの大切なものは何ですか?

家族や友達、恋人かも知れません。

夢中で打ち込んでいること、大事な宝物、将来の夢かもしれません。

日本人だと当たり前のものが沢山あります。

それを選択するのも自由です。

もし、明日から学校で日本語の授業をうけることができなくなったら。

もし、明日から神社やお寺への参拝を自由にできなくなったら。

もし、自由に海外へ行けない状態になってしまったら。

日本という国、文化、日本語、伝統が消えようとしたら。。。

 

レインボーチルドレンの奨学生達は、チベットの文化や言語、伝統を後世へ繋いでゆくために、またチベットへ貢献するためにと、日々学んでいます。
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そんな彼らを支援しているレインボーチルドレンとしては、彼らを含め、たくさんの難民の若者達が今直面している問題について、お伝えしたいと思いました。

ぜひ、レインボーチルドレンの取り組みをご覧ください。

→ チベットプロジェクト:レインボーチルドレン奨学金について

 

奨学生FILE.21・22 Lobsang DolmaとTsering Choezom姉妹

 

Lobsang DolmaとTsering Choezom

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左Lobsang Dolma、右Tsering Choezom 2016/05/22@Bangalore

 

Lobsang Dolmaは、St. John’s College of Nursingに通う学生です。

ネパール出身で、高校まではネパールで過ごしました。高校卒業後は、GNM(General Nursing and Midwifery)と呼ばれる看護・助産学のディプロマを取得するためにデリーにて3年半過ごしたそうです。その3年半の内では、Apollo Hospitalと呼ばれるデリーの中でも有名な病院での実務もあったとのことです。その昨年、レインボーチルドレン奨学金で今のカレッジに進学しました。

Tsering Choezom(3つ上の姉)も今同じカレッジに通っています。ですが、お姉さんはGNMのあとは2年間の病院勤務を経て今に至るそうです。つまり、お姉さんは5年間と半分をデリーで過ごしました。同じく昨年よりレインボーチルドレン奨学金で進学しました。

兄弟は他にもお兄さんがネパールにいるそうでが、今は怪我のリハビリ中で仕事を休んでるそうです。ご両親もネパール在住で、お母さんの商売をお父さんが手伝っているそうです。

というのも、お父さんが働いていた絨毯販売の会社が昨年のネパール大地震で被災し、仕事を辞めざるを得なくなったのです。そこで、お母さんが手作りのアクセサリーを売り、今はそのお手伝いをしているとのことです。

こんなところにもネパール地震の影響があるのですね。。

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ネパール大地震のNGO支援地域。2015.10.23ネパール応援ナイトより

 

St. John’s College of Nursingはキリスト教のカレッジで、日常からキリスト教色を感じることができるそうです。それが時に負担になると漏らしていました。学生のほとんどが南インドの学生(インド人)で、チベットの学生は10%ほどとのことでした。

ここでは、キャンパス内のホステル(学生寮)にお姉さんと暮らしています。日曜日はカレッジ自体開いておらず、寮も女性寮ということもあり、今回は中に入ることができませんでした。

寮は、ものすごく厳しいらしく、6:30起床→7:00準備→8:00~17:00まで授業というのが毎日のルーティンで、日曜日が唯一休みだそうです。時間があるときは、公園に行くことが好きだそうですが、バンガロールには公園のような広い広場はなく、デリーの方がその分好きだと言っていました。

 

将来は、看護師に教える教師になりたいそうです。今はまだそこまで強くイメージができていないようでしたが、看護師を志す未来の世代へ受け継いでいく道を希望しています。2人とも看護の道に進んだ理由は、ダライ・ラマ14世も話していたように、利他の精神をもって人に奉仕することが大切だと考えていることと、その影響もあってチベットの女性のほとんどが看護の道に進むから、だそうです。

2人とも双子のようで、どっちかというとお姉さんがたくさん話してくれました。2人とも、バンガロールよりデリーの方がいいと嘆いていました。というのも、バンガロールの人(ローカルの人)は考え方が保守的で、ヒンディ語より現地語であるカンナダ語を好み(2人はこっちの言語が苦手だそうです)、クローズドマインドだとのこと。

難民というマイノリティにとって、首都デリーの方が過ごしやすいのかなという印象を受けました。

近い将来、姉妹で看護師の教師として教壇に立つ日を期待しています!

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Tenzin Choezin

Tenzin ChoezinはチェンナイのMadras Christian Collegeに通っています。

キリスト教の大学ですが、本人はチベット仏教を信仰しています。

南インドは(特に、チェンナイ)はタミル系が多いとのこと。そして、タミル系のインド人はキリスト教を信仰してる人が多く、街には教会も多く、クリスマスブレイクもあるそうです。

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出身はダラムサラで、大学でチェンナイに来るまではダラムサラで過ごしていたそうです。

兄弟は、弟が二人いて一人は17歳でバンガロールの高校に通っていて、もう一人はダラムサラの小学校2年生だそうです。

ご両親は2人ともダラムサラで仕事をしてるそうです。

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現在、大学では英文学を専攻しています。

ですが、卒業後マスターではジャーナリズムの分野で勉強したいそうです。

子どものころから本を読むのが好きで、友だちとかからは、よく本バカと馬鹿にされていたくらい本を読むそうです。

そして、最近ジャーナリズムに興味を持ち始めてきたそうです。

将来の夢はまだ特にないそうですが、色々これから探っていきたい言っていました。

右端がダイキ、その横が
右端がダイキ、その横がTenzin Choezin、MTの友人宅にて 2016.5.13

 

好きなことはやはり本を読むことで、休みの日は読書かバスケ、サッカーをするとのことでした。

家は、ホステルではなく家を借りてるとのことでした。

 

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Tenzin Yangdon(テンヤン)

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彼女は、Guru Gobind Singh Indraprastha(通称GGSI) 大学の学生。彼女の専攻は看護学部です。GGSIのメインキャンパスは、デリーのDwarkaにあるのですが看護学部は、デリーの中心部にある国立病院に併設されています。政府の病院のため、私立病院と比べるときれいではないそうですが、その病院で座学も実習も行っています。通常はインドの大学は3年制ですが、看護学部は4年制です。1年生は、病棟での実習を行い、2年生になると様々な科に配属され、実習を行います。彼女は泌尿器科で実習をしていました。しばらくするとまた違うところに行き、それぞれの科で知識と経験を積むのだそうです。4年生になると夜勤なども始まり、実際に看護師として勤務するための準備をします。

実習先の病院
実習先の病院

 

午前中は病院にいき、そこで実習をします。午後は、クラスでのレクチャー。その後、部屋に戻って毎日の課題をするそうです。看護学部の学生は忙しく、この繰り返しで4年間が過ぎていくのが普通なのだそうです。実習はなるべく多くいくことが求められ、休み返上で病院での実習に行かねければいけません。忙しくてなかなか遊ぶこともできないと話していました。

 

将来はマスターコースに行きたいという思いもありますが、まだ明確には決めていません。マスターにいくには、最低でも数年間の勤務経験が求められることが多いそうです。私立の病院より、政府の病院で働く方が終身雇用でお給料も良いのだとか。なので、政府の病院で働きたいそうです。

 

看護師を選んだのは、この仕事が好きだからなのだそうです。毎日患者と接し、患者の健康状態だけではなく、一人ひとりの患者やその家族の背景にも触れ、日々学びに溢れている看護師の仕事にやりがいを感じているようでした。多くの学部はただレクチャーを受けて家に帰ることが多いですが、看護師はレクチャーの学び以上に社会に触れて社会を知ることのできる仕事なの、と誇らしげに話してくれました。

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彼女はデラドゥン出身です。彼女の両親は離婚したので、母親と一緒にいます。彼女の母親はデラドゥンの学校で事務をしているそうです。ダラムサラにあるUTCVで10年生まで学び、サイエンスコースを専攻したため、ムスリのTCVで高校生活を過ごしました。

カフェにて
カフェにて

 

彼女はとても明るい学生です。病院を案内してもらった時も、元気に患者さんや看護師、スタッフの方と挨拶を交わしていました。持ち前の明るさと社交性で実習先の病院でも良い人間関係を築いていることが伝わってきました。

プレゼントもらいました
プレゼントもらいました

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Tenzin Tsidup

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2013年10月新入学当時

 

デリー大学、Rajdhani Collegeに通う学生です。3年間の学生生活があと1セメスターで終わります。専攻は政治学。政治学を学ぶことにしたのは、今起きていることに直結する学問だからなのだそうです。「テレビをみているだけでもテストで50パーセントは取れる」と笑いながら話していました。

 

卒業後は、進学ではなく就職の道に進むそうです。まずは、フォトグラファーとして一年間活動し、自分でお金を稼ぐこという経験を積まなければならないそうです。その後に親戚のいるアメリカでなにかしらのビジネスを始める予定です。アメリカに行くことは彼の夢ではないのですが、それは全て家族を支えていくために海外に渡ります。

 

もともとはアニメーション作家になりたいと思っていましたが、親の反対もありその夢は断念しました。小さな頃から勉強よりも絵を描くことがすきで、ずっと手を動かして何か書いていたそうです。両親は大学に行って学位をとることを勧めたため、どの道を選ぶべきなのか悩むことも多かったと言います。

 

インド北部のマナリ出身のTsidupの両親は、夏場はマナリにいてお店を経営しています。雪が深くなる冬には、コルカタでウィンタービジネスをしているのだそうです。兄は、看護大学を卒業し、マナリの病院で看護師として働いていましたが、今は両親の手伝いをしています。

Lower TCVで幼少期をすごし、卒業後にゴバルプールにあるTCVでアーツを専攻しました。

 

以前は、チベット人学生のための寮にいたそうですが、ご飯の時間や消灯など時間が決められた生活が息苦しく感じ、現在は友人とシェアルームして暮らしています。忙しい勉強のほかに、掃除や自炊をしなければいけませんが、それも楽しくやっているそうです。

 

話すのはあまりすきじゃないと言っていましたが、日本やインド、チベットの文化のことについてもたくさん話してくれました。彼の大学は外部者がキャンパスに入ることを禁じていたので、大学の様子がわからなかったのは残念でしたが、チベット人が集まるマジュヌカティラでお茶をしながらゆっくり話すことができてよかったです。

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Dechen Yangtso

 

  • チベット、カム出身。2005年にインドに亡命した。両親が離婚し、父親の以降で亡命することになった。父親は現在仕事をしていない。学校教育を受けていなかったことが大きな理由になっている。6人兄弟姉妹の一番上の姉。他の兄弟姉妹は中国の学校に通っている。
  • TCVスジャに10年生まで通ったあとは、TCVゴバルプールで2年間過ごした。チベット語を学びたいという思いがあったため、サラ大学へ進学した。
  • 将来の夢は、チベットでチベット語を教えること。そのためのスキルを培うために、サラ大学は最も良い場所。サラ大学でチベット語を学んだとしても、チベットに帰るための許可証をもらえるかはわからない。その時の状況による。
  • 昨年、チベットに帰ろうと試みたが中国政府に捕まってしまった。ネパール国籍の偽パスポートを作り、ネパール経由でチベットに入国するつもりだったが、ばれてしまったため、4ヶ月ネパールの刑務所に入った。殴られることはなかったが、何度も拷問を受けた。
  • 時間があるときは、エッセイを書いている。趣味の一つになっている。他にも読書したり、音楽を聴くことも好き。

 

「とても落ち着いた雰囲気をもつ学生。彼女自身が捕まったと聞き驚いたが、彼女の淡々と語る姿が印象的だった。」