新年明けましておめでとうございます。<2020年元旦>

新年明けましておめでとうございます。

皆さまのおかげで今年も無事に新しい年を迎えることができました。
レインボーチルドレンは今日設立8周年を迎えました。

2012年1月に3名のチベット学生の大学進学サポートから始まった奨学金事業ですが、これまでに129名の奨学生(インドの大学・大学院への進学)を支援することができました。

これもひとえにご支援くださった皆さまのお陰です。ここに改めて御礼申し上げます。本当にありがとうございます。

今後も、関わっていく子どもたちや若者たちの笑顔が輝くために活動して参ります。ぜひ、レインボーチルドレンの活動を応援ください。

新しい年が生きとし生けるものすべてにとって、更に良い年になりますように。

レインボーチルドレンメンバー一同

 

 

 

2020年前半のレインボーチルドレンの予定

🌈2月17日~23日 JAMMIN Tシャツチャリティweek

JAMMIN Tシャツチャリティ第2弾はスラムプロジェクト応援デザインを予定しています。前回のチベット雪獅子デザインは予想を超える方に購入いただき、多くの方に愛用いただいています。昨年秋の阪急百貨店での特別催事においても沢山の方に購入いただきました。スラム応援ver.はどのようなデザインになるのでしょうか。乞うご期待!

 

🌈2月22日 阪急うめだ本店祝祭広場トークショー(H2Oサンタ)

NPOレインボーチルドレン H2Oサンタチャリティートークショー

恒例の阪急うめだ本店でのH2Oサンタでの登壇です。今回はJAMMINでのTシャツチャリティ期間でもあるので、スライドトークはスラムプロジェクトを予定しています。販売中のTシャツを着用してマイクを握ります。お楽しみに!

 

🌈インド駐在ボランティアブログのご紹介

インド・デリー在住のボランティア三輪さんが新しくブログを始めました。レインボーチルドレン奨学生として大学院を卒業し、現在デリーのスラムスクールで奮闘中のサンタン君の活動を紹介・応援するためのブログです。12月にスタートしましたが既に7本アップと精力的に執筆中です。ぜひご覧ください!

  1. はじめまして。このブログについて
  2. スラムとその子供達
  3. スラム支援の活動(学校編)
  4. スラム支援その②(スラムツアー編)
  5. インド人とタンザニア人と日本人の違い
  6. スラムでの授業の様子を見てきました。
  7. Majnu ka tilla (マジュヌカティラ)ってこんな所

 

「認めあい」「分ちあえる」ひとつの地球

次世代での実現をビジョンに、チベット・インド・日本の若者から未来のリーダーを育てる奨学金事業、リーダー育成事業をさらに進めてまいります。

You must be the change you want to see in the world.

あなた自身が、この世で見たいと思う変化とならなければならない。

~マハトマ・ガンジー~

今年もレインボーチルドレンを宜しくお願い申し上げます。


 

【Be the change project-学生たちは今-】③ 〜関家紗愛(さえ)〜

「”Be the change project”に参加させていただいた関家紗愛です。
このプロジェクトは、私に一歩踏み出すきっかけを与えてくれました。
プロジェクト参加時には、何かにつけて二の足を踏んでしまうことが多々ありました。 
プロジェクトメンバーと関わったり現地でチベットの大学生など様々な方々と関わり貴重な経験をさせていただく中で、今あるチャンスを逃さず最大限活用することの大切さを改めて感じました。
またプロジェクトは、NPOやNGOによる支援先の顔が見えた支援のあり方を知るきっかけにもなりました。


インドから帰国後は、国連フォーラム主催パプアニューギニア・スタディ・プログラムに参加しパプアニューギニア へ渡航しました。
プログラムではメンバーとの議論や現地渡航調査を通して、政治・経済・環境・教育・文化など様々な側面からパプアニューギニアが抱える課題とそれへのアプローチ方法を考えました。
またそのプロセスを通して、国際協力のあり方を再考しました。
私はこのプログラムを通して、健康はあらゆる分野に関わることを実感し、将来は国際機関で人々の健康増進に関わりたいと考えるようになりました。
将来への第一歩として、来年から東京大学大学院国際保健学専攻で人類生態学を学びます。
人類生態学とは環境と人間の相互関係から人間の健康を捉える分野で、人間集団の生物学的適応と文化的適応について研究します。


私がこの分野に出会ったきっかけは、パプアニューギニアへの渡航時に知った、低タンパク適応の研究です。パプアニューギニアには、タンパク質摂取量が不足した食生活にも関わらず、筋肉質の人が多く暮らしています。
この研究を知り、人間の適応能力に強い興味を持ったのと同時に、将来国際保健分野で活動するにあたって、適応の観点から人々の健康を考えられるようになりたいと考えました。
大学院では腸内細菌と感染症について研究しようと思っています。

実は私が感染症に興味を持ったきっかけの一つは、インド滞在最終日にメンバーが食中毒になったことです。
このようにどこで何がどう繋がるか本当にわかりません。今後も目の前のことに正面から向き合い、人との出会いやチャンスに感謝して、変化に柔軟に対応しながら成長していこうと思います。」

 
 

【Be the change project-学生たちは今-】② 〜美並立人(りゅうと)〜

「Be the change projectに参加させて頂いた美並立人(みなみりゅうと)です!

今思えば、このプロジェクトに参加したことが全ての始まりだったと感じています。
プロジェクトに参加していた当時、事前準備のプロセスや現地でのワークショップを進める中で、自分の能力の低さに嫌気が差していたのを今でも鮮明に覚えています。しかし、日本人学生のメンバーやスタッフ、インドでの様々な経験のおかげで自分に足りないものを見つめ直すことができました。

インドから帰国後、フィリピンへの留学、ブロックチェーンを扱うIT系会社での長期インターンを経て、現在、フランスに交換留学生として滞在しています。
このようなインターンシップの業務やフランスの学校でのグループワークで、チームワークの大切さや自分の意見を積極的に発言する重要性など、
Be the changeプロジェクトで学んだことが非常に役に立っています!

そして何より、もっと自分の知らない世界を知り、たくさんの人達と話してみたいと心から思えるようになったことが、プロジェクトに参加した1番のメリットだったと感じています😊

今後は、日本またはイギリスの大学院に進学するか、企業に就職するか決断できずにいますが、将来の自分のしたいこととしては、主に2つあります。
1点目は、テクノロジーを駆使して日本、または海外の不平等の解決に貢献できる人材になることです。
2点目は、インドのダラムサラに行ってもう一度モモを食べることです🍖

Be the changeプロジェクトに参加して得た出会い、インドでの経験は自分の人生の中で間違いなく忘れられないものになると感じています。

いつか、またプロジェクトに参加した日本人学生やレインボーチルドレンの皆さんとお会いできる日を楽しみに、プロアクティブに挑戦し続けていきたいと思います😊

 

【Be the change project-学生たちは今-】① 〜松本佳恋(かれん)〜

 

「Be the change projectに参加させていただいた松本佳恋です!寛大な上司・先輩方に恵まれ、気づいたら社会人になって1年8ヶ月がたっていました。

インド帰国後すぐはどんな変化を社会にもたらしたいか分からなかった私ですが、日本で働き出しその答えが見つかりました。
今の私が実現したいことは「日本をもっといろんな人たちにとって居心地のいい住みやすい国にする」です。マイノリティとして、女性として、帰国子女として、外国人として。日本が色んなバックグラウンドや個性を持った人にとって居心地がいい!と思えるような国にしたいです◎

 

その実現に少しでも近づくため、今私は化学メーカーに働きつつも企業外で自分のできることを見つけて関わらせていただいています。
ライターとして日本の現状や個性を大事に日本で活躍している人、様々な働き方などについてメディアで発信したり✏️
朝活イベントや米国大使館主催のサミットなど様々なイベントにも参加し、たくさんの人に出会うことで新しい価値観をインプットしたり☕️
年明けから内閣府主催の青年の船というプログラムにも日本代表青年として参加させていただくことが決まりました🚢
船上では日本文化を何か伝えたいと思い、現在つまみ細工と水引でのピアス製作に忙しくしています。
240人の参加青年と船で共同生活にワクワクがとまりません☀️

 

Be the change projectで得た気づきの一つに、
“就職して企業に所属しても「ただ毎日仕事に行って帰るだけの社会人」になるか、「誰かあるいは何かに変化をもたらすことのできる社会人」となるかは自分次第だ”ということがありました。
正直、このまま今の会社で働き続けるのでいいのか、社外活動に力を入れる前に社内でやるべきことがあるのでは、と思うこともあります。
が、「誰かあるいは何かに変化をもたらすことのできる社会人」で居続けたいと思い、自分ができることから取り組めたらと思っています。
そんな大切な指標をくれたレインボーチルドレンには感謝しています。」

 

ダラムシャーラ旅行記②教育省訪問(駐在ボランティア三輪)

チベット亡命政府、教育省の訪問。

ダラムシャーラ訪問中の6月10日、チベット亡命政府の教育省をインターンのあおいさん共に訪問させてもらいました。

教育省の訪問、、日本で言うなら文部科学省を訪問させてもらう様なもの。。普通ならありえない。。こんな機会があるなんて、、、正直めっちゃ感謝です!!

まずはレインボーチルドレンともっとも関わりが強い奨学金部門へ行きました。

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Section Head のSonamさん(薄い青の服の方)を訪問し、話を聞かせて頂きました。

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ここが奨学金の管理をしています。

奨学金の支援はレインボーチルドレン等のNGOや個人からとアメリカとカナダの支援があるとのこと。

ニードベースという親の居ない人、片親の人など学校に行くことが難しい状況に居る人を優先して奨学金を支給するやり方をとっています(反対がメリットベース)。

奨学生が奨学金を継続して受け取るには一定以上の授業の出席率と成績をクリアしないといけないそうです。そして学生達の成績をまとめ、毎年ステイクホルダーへ提出しています。この成績レポート提出がステイクホルダーから資金を受け取る条件にもなっています。

今現在、1000人程度の奨学生がいるそうです。女性の割合が多く、真面目なのも女性が多いそうです。たしかに、自分のこの1年色々会ってきたレインボーチルドレン奨学生も女性の方が真面目な人が多かったと感じました!!

ちなみにチベット社会におけるジェンダーバランスは均等だそうです。うちらが訪問した教育省もほぼ女性でした。大臣も女性でした。これはすごいと思いました。インドではまず見ないし、アジア、アフリカの政府機関の人達も男性が半数以上だったので、このチベットのジェンダーバランスの進み具合はすごいと思いました。。

現状の奨学金制度の課題は資金だそうです。資金源はドナーからで、チベット学生が大学を卒業するためには最低3年継続して支援が必要なので、この支援を継続してもらう事が最大の課題とのことです。

確かに、亡命政府だと、税金とかないかも、、あってもそんな多額な資金は集められないだろうな、、と思いました。あらためてレインボーチルドレンの活動が奨学生にとって、非常に大事だと感じました。

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その後、奨学金部門スタッフのSangayさん(赤い服の人)が忙しい中、教育省を一通り案内してくれました!!!

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教科書作成部門、Counseling部門、Academic部門と案内してもらいました。

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そして、、、なんと!!!教育大臣(下の写真の方)にも、面会させて頂きました!!! なんかもうめっちゃびっくりしました。

大臣は元の学校の先生で、大学でマネジメント等も経験してから、亡命政府に入り大臣になったそうです。とても良い感じのひとでした。

大臣から教育省の今のビジョンについて、話を聞かせてもらいました。2つありました。

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1つは、海外に散ったチベット人へチベット語・文化の教育機会の確保すること

海外に居る人達は学校やコミュニティ内でチベット文化を教わる機会がないです。なので、彼らはチベット文化を忘れていってしまう。だから、土日などにチベット語の授業をする。コミッティー(集会)を作って、チベット文化に触れる機会を作る。チベット人の集まるコンファレンスやワークショップをオンラインで実施して、世界中のチベット人とつなげる。といった事を計画しているそうです。

2つは、インド・ネパールにあるチベット人学校で新しい教育ポリシーを実践すること

そのポリシーは現代の教育(西洋、インドの教育)と伝統的な教育(チベット古来の教育)の融合です。ポリシーは作成済みであり、その実践を今勧めているそうです。

そのポリシーは

・教育は知識だけを得るのではなく、よき人になるためのものという考え。

・Secure ethnics⇒おもいやりや、話し合いを重要視する考え方。(この言葉はマクロードガンジの中でも見ました)

・まずはチベット語しっかり教える。英語はClass4(9、10歳)から教える。

・チベット仏教の考え方を指導する

といったのがあるそうです。

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教育大臣から、こんな話しを聞けるなんて感動でした。忙しい中、我々ボランティアに時間をとってくれるなんてすごい、器のでかい人なんだなと思いました。感謝でした。

ダラムシャーラ訪問で感じたことは、-ダラムシャーラの人はチベットの文化を守ることと知ってもらうことを大切に考えている、と感じました。マクロードガンジで会った元レインボーチルドレン奨学生も、サラ大学に滞在していた学生も、自分達のチベット文化を大事なことと考え、チベットの言葉や歴史を学び、それを後世に伝えることを考えていました。他にもチベット文化に関する本を出版し、チベット文化をアピールしてました。

そして、ここ教育省の方々も自分達のチベット文化を守るような教育を進めているなと思いました。

チベットの人達は自分達の国がなく、自分達の言葉、文化、歴史を学ぶ機会も限られてる状況です。なので、チベットの人々は自分達の社会の存続の危機を感じていて、それを守っていく事、広めていく事が重要で、切実な課題だと感じている、と感じました。日本に住んでいて、人口が1億以上いて、しっかり国が存在している僕らからはちょっと想像できない状況なんだと感じました。

インドやアフリカで非衛生でインフラの整っていない中で生活し、教育や医療を十分に受けられない人々が居る国。独裁政権の中でまともに情報が得られず、発言もできない中、生活が苦しく、家族を助けるために国外に脱出して、国外から家族を支えている人々が居る国。

など色々な人、国と会って来ましたが、チベットの人達もまた違った困難にぶち当たっている人々だと感じました。

チベットの人達にとってまず大事なことは、チベット人達がこの世界にいることと、この状況を世界の人に知ってもらうことと思います。

僕にもチベットの人達の状況を広めていくことはできます。これからもここインドからチベットの方々のこと、伝えて行きたいと思います。

ダラムシャーラ旅行記(駐在ボランティア三輪)

 

かなり前の話しなのですが、、6/7-10とダラムシャーラへ行ってきました。

ダラムシャーラはチベットの政府機関があるところです。そして雰囲気もインドとは別世界の良いところです。長らくインドを旅行、滞在している人がインドを忘れたい時は最適な場所です!!

 

ダラムシャーラへはバスで行きました。デリーを22時に出発、着いたのは11時ごろでした。最後の3時間はひたすら山道を登ります。


ダラムシャーラ訪問の目的はチベット政府の教育省との面談とレインボーチルドレンの元奨学生との面談です。短期ボランティアで来ていたあおいさんと訪問しました。

ですが、目的であるチベット教育省とレインボーチルドレンの元奨学生についての話はまた別で書きます。今回は旅行記のみ(笑)

 

ダラムシャーラでは元レインボーチルドレン奨学生のTenzin Namdolさんにいっぱい案内してもらいました。Namdolさんは今はサラ大学で講師をしています。

 

 

ここがマクロードガンジ。チベット難民の人達が生活している場所であると同時にインドの避暑地、観光地です。露店がいっぱい並んでます。この時期は観光客でいっぱいでした。6月の始め、デリーは45度超える高温です。一方ダラムシャーラは30度近くでとても快適。多くの人が来ていました。



これはマニ車、これを回すとお経を唱えたのと同じ効果があるそうです。デリーのMajnu ka tillaにもありますが、こっちの方がサイズがでかいです。

そして、標高の高いとこにあるので眺めが、景色がいいです!!ヒマラヤも見れる??

こんな山の中にできた街なので、こういった道があります。こういうの好きです。

チベットの文化を守る活動も色々見られます。

ダラムシャーラのご飯おいしいです!!中華料理に近くて、日本人にとっては好みです!!

今回はホームステイさせてもらったので、家庭のご飯を食べれました!うまかったです。



チベット料理といったらモモ。これもうまいです!

朝ごはんに出てきた、バレ。チャパティによりもふっくらしてて美味しかったです。

チベット仏教の寺も見にいけます。毎朝お経を唱えててその中を見学とお祈りに行けます。また、予約が必要ですが、ダライ・ラマにも会えます!!!!(ただ、予約の数はいっぱい。かなり前から予約しないときつそうです。。)

ノルブリンカ。

チベットの文化、伝統技能を伝え残していくために作られた、技能学校、博物館、工芸品販売店を合わせた場所です。伝統工芸品が見ることでき、歴史、文化を知る事ができて面白いです。



Namdolさんが丁寧に文化、歴史について教えてくれました。

なぜか途中からインドの人も混ざり、ガイドになっていました(笑)

 

 

帰りは飛行機で帰りました。空広い!!空が青い!めっちゃ気持ちがいいです!!



ダラムシャーラはいいところです。チベットの人達は雰囲気も日本人に近いので、街を歩いていても何かほっとします。景色も良くて、食事も美味しいので、サイコーです。皆さんにもぜひ行って欲しいです!!

 

(教育省訪問レポートへ続く)

 

『ボランティア体験記』Semmelweis University 東藤 文慧


 子供時代のほとんどを発展途上国で過ごした私にとって、インドを語る上で欠かせない「貧困」や「格差」は決して珍しいものではありませんが、同時に特別な思い入れのあるものでもあります。特に、教育機会の均等は貧困の連鎖を断ち切るための伴であり、私も兼ねてより途上国の教育現場には関心を持っていました。平等な教育機会は、子供たちが自身の将来を自分自身の努力で掴みとるためには必要不可欠です。だからこそ、グルガオンに駐在中の両親を訪ねて夏休みをインドで過ごすと決めた時、スラムスクールでのボランティアを希望しました。

 インドでは公立の学校であれば学費は無料ですが、学校に行くためには給食費、制服代、教科書や参考書代などが必要です。スラムに暮らす家庭にとっては重い負担ですので、子沢山のスラムの家庭において、子供の全員を継続的に学校に通わせることはほぼほぼ不可能です。また、スラムでは就学年齢の子供たちは立派な働き手です。内職の手伝い、掃除や洗濯、弟や妹の子守、水道の通っていない家であれば水汲み、子供たちの仕事は山積みです。決して、親も子供に教育を受けさせたくないわけではないのですが、それだけの余裕がありませんし、インドに根強く残るカースト差別の影響もあり、学校も受け入れに消極的なのが実情です。しかし全日制の公立の学校は無理でも、一日二時間だけなら自由に使える時間がある子もいます。その子たちが、英語や数学を学びにスラムスクールに来ているのです。


 私は大抵いつも前半に英語や数学を、後半に衛生に関する授業を行っていました。一日二時間だけの授業で、かつ家事や内職が忙しく、休みがちの子も多い中、3桁×2桁の掛け算や英語での自己紹介が出来るレベルの子も多数いましたので、スラムスクールは確かに子供たちにとって学びの場であることは間違いありません。しかしながら、政府の補助金もなく、有志ボランティアや寄付でスラムスクールを運営しているのである程度は仕方のないことですが、人員、教材や時間不足のため、5、6歳の子も、13、14歳の子も同じことをやらざるを得なく、年相応の教育が満足に受けられているとは言いがたい状況です。

first aid の授業

 私は大学では医学を専攻しているので、通常の授業とは別に衛生や保健に関する授業もしていました。『手洗いの仕方』、『熱中症の症状と対策』、『first aid』『水の衛生』や『蚊による伝染病と対策』など、テーマを決めて話したり、クイズ形式にしたり、実演してみたりと子供達が楽しみながらできる参加型の授業にしていました。インドの夏は40度を超える猛暑が続き、当然スラムには冷房設備もないため、体調を崩す子供も少なくないのですが、多少具合が悪くても金銭的な問題で病院に行きづらかったり、救急車をよんでも来てもらえなかったりします。だからこそ、熱中症の予防や、熱中症を疑われる場合の簡単な応急処置のやり方などを教えました。応急処置とはいっても、熱中症を疑われる場合、日陰に運び、寝かせ、脚の位置を頭より高くし、首、脇、脚の付け根を冷やすなど、日本の小中学校でも教えていることでしたが、知らない子が多かったので良い機会になったと思います。

dream の授業

 最終日は何か子供たちの思い出に残ることをしたいと思い、子供たちと相談して、将来の夢というテーマで寄せ書きをしてクラスルームの壁に貼ることにしました。医師、弁護士、学校の先生、ヨガのインストラクター、エンジニア、小説家や警察、それぞれが多種多様な夢を書いていました。しかし、授業の終わりに、もう一人のボランティアであり、フランスの学校の先生でもある方に言われました。叶わないとわかっている夢を書かせるのは、酷なのではないだろうかと。確かに、インドはある意味日本以上に学歴社会です。この子たちが将来希望通りの職業に就ける確率は決して高くはないのかもしれません。ですが、私は夢は確率論で考えるものだとは思っていません。子供たちはスラムスクールで学び、遊び、教えあい、レインボーチルドレン、サンタン、ジョン、未来のボランティアの方に助けられながら、夢に向かって努力していくと信じています。

bye-bye

 最後になりますが、貴重な機会を頂いたことを感謝するとともに、子供たちの行く道に幸多からんことを願い、体験記とさせていただきます。

  

【2019夏インターン体験レポート②デリー編】Knox College 冨髙 碧惟

 

デリー編

デリーではスラムスクールで先生としてクラスを約2週間担当しました。最初に、そもそもなぜインドのスラムスクールでボランティアをしようと思ったのかを少し説明します。先程お話したように、私は途上国の教育開発に興味があるため、大学在学中に最低でも一度は現場に入ってみたいと考えていました。そうすることで現場には何が必要なのか、私は何ができるのかということを知りたいと思っていたからです。将来的には国際機関に身を起き、現場と中央機関を行き来しながら教育開発に携わりたいと考えています。アジア圏の途上国には観光で幼い頃に何度か訪れたことはありますが、スラムには行ったことがなく、日本やアメリカなどの整備された国ではない場所で私がどの程度環境に適応して生活できるのか、また楽しめるのかを確かめたいとも思っていました。

途上国の教育系ボランティアに行った人は大抵、「子どもたちの学ぶ意欲の強さに驚かされた」と言っているので、私もここで同じようなことを言うのは自分の経験をその他大勢の人々の経験に埋れさせるようで若干抵抗がありますが、実際私も子どもたちの学習への熱意に心が揺さぶられました。今回のスラムスクールにいた子ども達の場合、教育を当たり前に受けることができない環境と、良くも悪くも成績や試験などといったストレスがない故に「学ぶ喜び」だけを感じることができる環境があるから、あの学びへの意欲が生まれているのだと思います。授業の時間いっぱい、それぞれの生徒が100%のエネルギーでぶつかってきて、それぞれに私も100%で返すので、2時間の授業でも終わった後には毎回ヘトヘトになりました。

授業を行う中で実感したのは、圧倒的な人員不足と教材不足でした。スラムスクールを運営するインド人のサンタンは、reading, listening, writing, speakingの4技能を授業を通して伸ばそうとしており、授業内容もその意図に沿ったものになっていました。writingやspeakingはどちらにしろある程度個別指導が必要となることはどこに行っても同じことかとは思いますが、readingは生徒全員が統一された教科書を持っていなければ授業を進めることは困難を極めます。今回のスラムスクールは授業は任意参加であったため、毎回の授業に誰がくるのかを把握することができませんでした。運営資金不足の問題もあって、教科書が人数分用意されておらず、readingは各自が読めそうな本を読んで、内容が分からなければ質問する、という形式をとっていました。しかし、教室内に置かれている本は「英語をきちんと勉強した中高生向け」のものが多く、文法も理解できていない5歳〜13歳の生徒達には難しすぎる内容でした。授業時間を利用して文法を生徒全体に教えようとすると、生徒の理解度にも差があるために半分ほどは置いてきぼりになってしまいます。結局、クラス全員が授業についてくることを目的とすると、アルファベットを言ったり動物の名前を覚えたり数字を読んだりと、基本的なものでみんなができることをする日が多くなってしまったのをとても後悔しています。先ほども述べたように、授業に参加するのが誰かを事前に把握することができないため、生徒のニーズにあった授業を準備することが難しかったのも敗因の1つです。子供達のキラキラした目、熱意を目の前にして、それにちゃんと答えることができなかったのが悔しかったです。きちんとカリキュラムを作成し、子ども達が共通の教科書をもつことができれば状況はかなり改善するとは思いますが、それは資金的にも厳しい上に、スラムスクールに来ることを強制させない限り実現は難しいと思っています。

授業に行くときはいつもスラムの中を横切って教室まで行っていたのと、サンタンが実施するスラムツアーにも参加したので、スラムに住む人々の生活を見ることができました。その中で意外だったのは、チキンマーケットや服屋さんやお菓子屋さん、軽食屋さんなどが存在し、スラム内で人々の生活が成立しているということです。また、チキンマーケットやリサイクル工場など、外部との繋がりを利用したビジネスも存在し、そういったビジネスがお金をスラムの中にもたらしていました。私の知識不足による個人的な偏見ですが、スラムといえば布やトタンを繋ぎ合わせただけの家が立ち並び、生活するのに最低限必要なお店しかないものと思っていました。しかし、実際は小規模ながらもビジネスが行われ、作りは質素ではありますがコンクリートや煉瓦造りの家も存在しました。そのスラムが、インドの中でも規模の大きいスラムであるからこそだったのかもしれませんが、スラムも様々な形で成り立っているのだということを学びました。

私が途上国の教育開発分野に関わりたい理由の1つとして、人々が追求したいことを追求できる社会を実現するために「機会の平等」は、ある程度保証されるべきものであり、教育はそれを実現するために重要な鍵となると信じているから、という個人的な考えがあります。また、教育を受けることで人は自分自身の生活を変える力、新たな世界に踏み出す機会を得ることができるとも考えています。途上国における教育問題の1つとして、親が教育の必要性を理解していないために子どもを学校に行かせずに働かし、結果として学校への出席率が低くなるというものがあります。それに関して私は安直にも、親が教育の必要性を理解するためのワークショップを開いたりして親への教育を行えば解決するものであると考え、その問題を特に重要視していませんでした。しかし、スラム内で生活が完結している人々をみると、教育の必要性を感じないというのも十分に理解できました。彼らにとっては目の前の生活が全てであって、次の日の食事を得るための労働の方が、この先使うかもわからない、結果が数年後にもなる教育よりも遥かに重要であり、教育のために労働力を割けというのは、「先進国」に住む人間の価値観の押し付けではないのかと思わずにはいられませんでした。もちろん、教育は重要で人の可能性を広げるものであるとは思いますが、必ずしも全ての人が教育を「受けなければならない」というものではないのかもしれないと感じました。

 

 

ダラムサラとデリーでの経験を通して、私は教育分野が好きであることを実感することができました。また、自分自身の知識と経験不足を痛感したので、これから教育や開発、国のシステムなどについてより深く学んでいきたいと思っています。また、今後も他の国を訪れて様々な教育の在り方やスラムの形をみることで、教育というものが実際にどのようにして人々の生活の役に立つのか、人々の人生を豊かにするのかを知りたいです。本には教育の必要性についていくらでも書かれていますが、よく言われるように実際に訪れてみなければ分からないことはたくさんあります。私自身がこれから先、教育という分野でやっていくためにも今回スラムの学校で教えたことで生じた疑問を、実際の体験によって解消、または深掘りしたいと思っています。他人の見聞によって出された結論ではなく、自分自身が実際に経験することで私の結論を導き出したいです。

 

 

【2019夏インターン体験レポート①ダラムサラ編】Knox College 冨髙 碧惟

 

インドで過ごした3週間という短い期間に、複数の教育の現場を訪れ様々な人と関わり話したことで、私は教育への理解を深めるとともに教育の分野が好きだということを再認識しました。インターンとして活動をした3週間のうち、1週間をチベット亡命政府があるインドのダラムサラで、2週間をデリーでスラムスクールのボランティアをして過ごしました。私は途上国の教育開発に高校生の時から興味を持っており、教育開発へのアプローチ方法を学ぶためにアメリカのリベラルアーツという種類の大学に進学しました。アメリカでの1年目が終わって迎えた夏休み、教育への理解を深めたい、途上国の教育の現場に入って自分が何をできるのかを知りたい、という思いでレインボーチルドレンのインターンに応募しました。

 

ダラムサラ編

私がダラムサラを訪れたのは、レインボーチルドレンの奨学生数人に会い、インタビューという形で近況報告を聞くことが当初の目的でした。しかし、ダラムサラで過ごした1週間の間に実際に経験したことは奨学生とのインタビューのみに止まらず、教育省を訪れて職員の方々とお話したことを始め、ダラムサラにあるサラ大学を訪れたり、チベット子供村で校長先生とお話をして授業見学をしたり、Students for Tibetの事務所を訪れてチベット問題について学ぶなど、大変実りの多いものとなりました。そして、行く先々でダラムサラの人々の温かさに触れるとともに、チベット料理の美味しさや涼しく過ごしやすい気候、綺麗な街に大変魅了され、ダラムサラが大好きになりました。今まで8カ国ほど訪れたことがありますが、他の国をダラムサラほど好きになったことはありませんでした。

今回のダラムサラでの滞在で最も心に残っているのは、チベット亡命政府の教育省を訪れたことです。レインボーチルドレンは教育省と提携して奨学金事業を行なっていた関係で、教育省の奨学金を担当する部署と良好な関係にあります。そこで、ダラムサラでの教育の現状やチベット亡命政府としての教育ビジョン、教育政策の内容などについてインタビューをしたいと思い、その部署の方に連絡を取ってみるとそれを快諾してくれたのでした。メールでやりとりをしてくださっていたご本人とのみお話をするものと思っていたのですが、当日教育省を訪れると、職員の方が教育省全体を案内してくださり、多くの職員の方とお話をする機会を得ました。訪れた先々のオフィスでは、お仕事中にも関わらず、職員の方々がにこやかに迎え入れてくださり部署の役割の説明を丁寧にしてくださいました。教科書の編集・出版に関わる部署では教科書を作る際に基準とする考えについて、カウンセリングに関する部署では学生の進路サポートをどのように行なっているかについてお話を伺いました。複数の部署を訪れたのですが、その中で最も印象に残っているのは教育政策に関する部署です。私は、途上国の教育開発の中でも教育政策に特に興味があるため、大変貴重な機会となりました。中国政府による弾圧と迫害を逃れ、インドに亡命政府を樹立してから約60年の間、チベット亡命政府はインドの教育政策に基づいてカリキュラムを作ったり教科書を発行していました。しかし、2014年になって初めてチベット亡命政府がチベット人のための教育政策を作り、それ以降はそれにしたがって教育が形作られてきました。文化や民族、言語の存続が危ぶまれる状況下で、それらを保護・発展させていくためにダラムサラの人々はチベット語で学ぶことを最優先としています。お話の最中、職員の方は、亡命政府は日本の、全て日本語で学ぶところを大変評価しているとおっしゃいました。近年、日本では、グローバル化の影響で英語教育が積極的に取り入られるようになり、英語などの外国語を使えることが評価されるようになりました。特に、私は海外大学に進学した身として国内外で留学生コミュニティに属しているので、母国語しか使えないことを恥じる風潮さえも感じることがあります。そのため、「日本人は全てを日本語で学ぶ」という職員の方の言葉を聞いた瞬間は褒め言葉に聞こえず苦笑したのですが、それがチベット亡命政府には高く評価されているということを知り、そういう視点もあるのか、と驚くと同時にそれに考え至らなかった自分を恥じずにはいられませんでした。教育政策の部署の職員の方と30分ほどお時間をいただいてお話をする中で、多くの発見と学びを得ることができました。また、事前にアポイントメントを取っていなかったにも関わらず、教育大臣ともお話する機会をいただき、現在の教育課題や教育省としての展望についてお話を伺いました。

他にも、学生団体である”Students for Tibet”の事務所を訪れて、オフィスにいた方とチベット問題について2時間ほど話したことも印象的な出来事でした。もともとチベット問題については高校の政治経済の授業で軽く触れた程度で、知識はほとんどありませんでした。しかし、ダラムサラに行くことが決定してから自分なりに調べて学ぶ中で、チベット問題に関して中国とその他の国の認識のズレがあまりにも大きいことを知ったのです。私は、大学では中国からの留学生と仲が良く、休日は一緒にフットサルをしたりして過ごしています。私の場合は普段は国際政治に関してはあまり話さないので、政治意見の食い違いによる「日本人」と「中国人」という違いを意識せずに過ごしています。それもあって、チベット問題のことについて中国人の友達と話した時に、お互いの意見が正反対であることに大きな衝撃を受けました。そういった経験を大学でした上で、Students for Tibetのオフィス訪れ、実際にチベットからヒマラヤ山脈を越えてダラムサラに亡命した人の話を聞けたのはとても意義のあることであったと思います。チベット問題に限らず、国家間の問題に関しては誰が話しても多少なりともバイアスはかかるため、絶対的事実を知ることは大変難しいとは思います。しかし、多くの人の話をきき、本を読み、学ぶことでそれに近づいていきたいと強く思います。大学でも、私がダラムサラで聞き学んだことを1つの意見として中国人の友達に共有し、お互いにこの問題について考え続けていこうと思います。

ダラムサラでは訪れた先々で、質問をすれば時間を取って丁寧に答えてくださり、ダラムサラの人々の温かさに触れました。教育やチベット問題に関して学ぶ中で、国が異なれば考え方やシステムも全く異なるということも実感しました。そして、私自身の英語の捉え方に関しても大きな意味をもつ滞在となりました。私は、高校卒業までは地方の公立校に通っていましたが、昨年の秋からアメリカの大学に通っています。もともと英語が好きで、高校生の時には電車に乗っている外国人観光客の方によく話しかけていました。英語が橋となって自分と異なる文化圏にいる人を結んでくれる感覚がとても好きだったのです。しかし、アメリカでは英語は使えて当たり前のものであり、発音や文法、言い回しなど自分ができないところばかりに目がいくようになりました。人と話すたびに自分の英語力の低さに劣等感やもどかしさを抱くようになり、自分と人を繋ぐ橋だった英語はいつのまにか、自分と人の間に立ちはだかる壁になっていました。好きだった英語にストレスを感じるようになっていたのです。そんな中、ダラムサラでは英語によって新たな知識や経験、出会いを得ることができ、それは約1年ぶりに「自分と人を繋ぐ橋としての英語」を取り戻した瞬間でした。全く違う環境で育ってきた人たちと経験や知識を共有することができることへの、内から湧き出るようなワクワクと喜び。これがきっかけで自分が英語が好きだということも思い出すことができました。教育やチベット問題、英語など、今回学んだことを今年の夏だけで終わらすのではなく、今後も活かせるような活動をしていきたいです。

 

デリー編へ続く

 

奨学生のその後レポート。Pema Bhutiさん(3期生)

 

今回は元奨学生(卒業生)のPemaさんに会いました。

ペマさんは2018年春に大学を卒業するまでデリーの医療系の大学で勉強していて、2014-2018間のレインボーチルドレンの奨学生ミーティングに何回も参加してたり、ネパールでのプロジェクトのきっかけになったりと、とってもレインボーチルドレンと繋がりが強い学生です。詳しくは奨学生レポート(http://rainbowchildren.holy.jp/archives/7665)を見て下さい。


卒業後、PemaさんはVihar州で看護師(助産師)として働いてます。インドの政府とNGOが実施しているプログラムで働いています。Vihar州では安全に出産できる確率が低く、母子が危険がさらされることが多いそうです。そのため、Vihar州の母親たちが安全に出産できるように、Pemaさん達がVihar州内の看護師を指導しています。このプログラムではチベット人はPemaさんだけで、他はみんなインド人です。

 

「来週、帰ったらすぐ、看護師全員が集まるミーティングあるんです。」

「このプログラムはうまいっていて、他の州でも実施することになるかもしれません。」

「Vihar州内の30のDistrictに看護士師を各2人派遣して、60人の看護師が働いています。」

「Safe delivery っていうアプリを使ったり、他にも色んな教材を使って安産のための教育をしています。指導レポートを書いたり、大変です」

話していて、なんかとても充実して仕事をしているんだなと感じました。

 

日本の援助で実施している似たようなプロジェクトを他の国で見たことがありますが、インド自身でこういったことを実施しているのを聞いてすごい!!と思いました。そしてインドの社会問題を解決する活動に貢献しているPemaさん、すごいと思いました。

 

将来的にはチベット政府の保健衛生部門に所属して、チベットの人々の保健衛生関係を改善していきたいと思ってるそうです。

 

 

レインボーチルドレンについても

「レインボーチルドレンには感謝してます。レインボーチルドレンのおかげで今の私はここにいることができてます」と言ってくれました。

 

こんな素晴らしい活動をしているPemaさん、これからも頑張っていって欲しいです!!

 





Facebookページでは動画でこのことを紹介しています。こちらもご覧ください。