【2019夏インターン体験レポート①ダラムサラ編】Knox College 冨髙 碧惟


 

インドで過ごした3週間という短い期間に、複数の教育の現場を訪れ様々な人と関わり話したことで、私は教育への理解を深めるとともに教育の分野が好きだということを再認識しました。インターンとして活動をした3週間のうち、1週間をチベット亡命政府があるインドのダラムサラで、2週間をデリーでスラムスクールのボランティアをして過ごしました。私は途上国の教育開発に高校生の時から興味を持っており、教育開発へのアプローチ方法を学ぶためにアメリカのリベラルアーツという種類の大学に進学しました。アメリカでの1年目が終わって迎えた夏休み、教育への理解を深めたい、途上国の教育の現場に入って自分が何をできるのかを知りたい、という思いでレインボーチルドレンのインターンに応募しました。

 

ダラムサラ編

私がダラムサラを訪れたのは、レインボーチルドレンの奨学生数人に会い、インタビューという形で近況報告を聞くことが当初の目的でした。しかし、ダラムサラで過ごした1週間の間に実際に経験したことは奨学生とのインタビューのみに止まらず、教育省を訪れて職員の方々とお話したことを始め、ダラムサラにあるサラ大学を訪れたり、チベット子供村で校長先生とお話をして授業見学をしたり、Students for Tibetの事務所を訪れてチベット問題について学ぶなど、大変実りの多いものとなりました。そして、行く先々でダラムサラの人々の温かさに触れるとともに、チベット料理の美味しさや涼しく過ごしやすい気候、綺麗な街に大変魅了され、ダラムサラが大好きになりました。今まで8カ国ほど訪れたことがありますが、他の国をダラムサラほど好きになったことはありませんでした。

今回のダラムサラでの滞在で最も心に残っているのは、チベット亡命政府の教育省を訪れたことです。レインボーチルドレンは教育省と提携して奨学金事業を行なっていた関係で、教育省の奨学金を担当する部署と良好な関係にあります。そこで、ダラムサラでの教育の現状やチベット亡命政府としての教育ビジョン、教育政策の内容などについてインタビューをしたいと思い、その部署の方に連絡を取ってみるとそれを快諾してくれたのでした。メールでやりとりをしてくださっていたご本人とのみお話をするものと思っていたのですが、当日教育省を訪れると、職員の方が教育省全体を案内してくださり、多くの職員の方とお話をする機会を得ました。訪れた先々のオフィスでは、お仕事中にも関わらず、職員の方々がにこやかに迎え入れてくださり部署の役割の説明を丁寧にしてくださいました。教科書の編集・出版に関わる部署では教科書を作る際に基準とする考えについて、カウンセリングに関する部署では学生の進路サポートをどのように行なっているかについてお話を伺いました。複数の部署を訪れたのですが、その中で最も印象に残っているのは教育政策に関する部署です。私は、途上国の教育開発の中でも教育政策に特に興味があるため、大変貴重な機会となりました。中国政府による弾圧と迫害を逃れ、インドに亡命政府を樹立してから約60年の間、チベット亡命政府はインドの教育政策に基づいてカリキュラムを作ったり教科書を発行していました。しかし、2014年になって初めてチベット亡命政府がチベット人のための教育政策を作り、それ以降はそれにしたがって教育が形作られてきました。文化や民族、言語の存続が危ぶまれる状況下で、それらを保護・発展させていくためにダラムサラの人々はチベット語で学ぶことを最優先としています。お話の最中、職員の方は、亡命政府は日本の、全て日本語で学ぶところを大変評価しているとおっしゃいました。近年、日本では、グローバル化の影響で英語教育が積極的に取り入られるようになり、英語などの外国語を使えることが評価されるようになりました。特に、私は海外大学に進学した身として国内外で留学生コミュニティに属しているので、母国語しか使えないことを恥じる風潮さえも感じることがあります。そのため、「日本人は全てを日本語で学ぶ」という職員の方の言葉を聞いた瞬間は褒め言葉に聞こえず苦笑したのですが、それがチベット亡命政府には高く評価されているということを知り、そういう視点もあるのか、と驚くと同時にそれに考え至らなかった自分を恥じずにはいられませんでした。教育政策の部署の職員の方と30分ほどお時間をいただいてお話をする中で、多くの発見と学びを得ることができました。また、事前にアポイントメントを取っていなかったにも関わらず、教育大臣ともお話する機会をいただき、現在の教育課題や教育省としての展望についてお話を伺いました。

他にも、学生団体である”Students for Tibet”の事務所を訪れて、オフィスにいた方とチベット問題について2時間ほど話したことも印象的な出来事でした。もともとチベット問題については高校の政治経済の授業で軽く触れた程度で、知識はほとんどありませんでした。しかし、ダラムサラに行くことが決定してから自分なりに調べて学ぶ中で、チベット問題に関して中国とその他の国の認識のズレがあまりにも大きいことを知ったのです。私は、大学では中国からの留学生と仲が良く、休日は一緒にフットサルをしたりして過ごしています。私の場合は普段は国際政治に関してはあまり話さないので、政治意見の食い違いによる「日本人」と「中国人」という違いを意識せずに過ごしています。それもあって、チベット問題のことについて中国人の友達と話した時に、お互いの意見が正反対であることに大きな衝撃を受けました。そういった経験を大学でした上で、Students for Tibetのオフィス訪れ、実際にチベットからヒマラヤ山脈を越えてダラムサラに亡命した人の話を聞けたのはとても意義のあることであったと思います。チベット問題に限らず、国家間の問題に関しては誰が話しても多少なりともバイアスはかかるため、絶対的事実を知ることは大変難しいとは思います。しかし、多くの人の話をきき、本を読み、学ぶことでそれに近づいていきたいと強く思います。大学でも、私がダラムサラで聞き学んだことを1つの意見として中国人の友達に共有し、お互いにこの問題について考え続けていこうと思います。

ダラムサラでは訪れた先々で、質問をすれば時間を取って丁寧に答えてくださり、ダラムサラの人々の温かさに触れました。教育やチベット問題に関して学ぶ中で、国が異なれば考え方やシステムも全く異なるということも実感しました。そして、私自身の英語の捉え方に関しても大きな意味をもつ滞在となりました。私は、高校卒業までは地方の公立校に通っていましたが、昨年の秋からアメリカの大学に通っています。もともと英語が好きで、高校生の時には電車に乗っている外国人観光客の方によく話しかけていました。英語が橋となって自分と異なる文化圏にいる人を結んでくれる感覚がとても好きだったのです。しかし、アメリカでは英語は使えて当たり前のものであり、発音や文法、言い回しなど自分ができないところばかりに目がいくようになりました。人と話すたびに自分の英語力の低さに劣等感やもどかしさを抱くようになり、自分と人を繋ぐ橋だった英語はいつのまにか、自分と人の間に立ちはだかる壁になっていました。好きだった英語にストレスを感じるようになっていたのです。そんな中、ダラムサラでは英語によって新たな知識や経験、出会いを得ることができ、それは約1年ぶりに「自分と人を繋ぐ橋としての英語」を取り戻した瞬間でした。全く違う環境で育ってきた人たちと経験や知識を共有することができることへの、内から湧き出るようなワクワクと喜び。これがきっかけで自分が英語が好きだということも思い出すことができました。教育やチベット問題、英語など、今回学んだことを今年の夏だけで終わらすのではなく、今後も活かせるような活動をしていきたいです。

 

デリー編へ続く