奨学生FILE. Kalsang Dolma(6期生)


 

Kalsang Dolmaさんはデリー大学のZakir Hussain Collegeで英文学を勉強しています。

 

Collegeと高校が以前のレポートで紹介した奨学生Tenzin Bhakdo君と同じです!専攻は違いますが)

英文学の専攻ですが、一般教養で政治学の授業も取っていて、そこでBhakdo君とも会うそうです。

 

英文学では、欧州古典文学、インド古典文学、英国詩劇、Creative writing、グループディスカッションなどを勉強しています。

「私はCreative writingの授業が好きです。この授業は広告、手紙、結婚式の招待状、詩、ドラマ、小説など、様々な媒体の文の書き方を勉強します。課題として自分で広告や招待状作ります。楽しいです。」

「他の授業では、先生から課題用の本が指定されます。その本を読むだけではなく、作者のことや時代背景、作家の他の本等を読んだりして、この本では何が書かれていて、何が大事な部分かを分析します。なので、たくさん本を読みます。調べることも多いです。」

「他には小説の1つシーンについて、グループで議論する授業もあります。例えば殺人事件の場面をみんなで議論します。誰犯人か、なぜ行ったかなど、各々の意見を出します。」

 

「講義は毎日8:40-15:40(or16:40)まで7〜8つあります。先生が休んだりしない限り、昼食の休憩もなく、ずーっと続きます。大変です。学生寮で朝食とって、学校へ行き、それからずーっと授業です。その後寮に戻りますが疲れてるので、少し寝ると、結局昼食はとれないままもう夕食。そしてその後宿題、レポート、あと本もたくさん読まなくていけなくて大変です。」

 

―先生達はちゃんと授業に来る?がタンザニアで先生してた時は講義に来ない先生が結構いたけど。

「うちのCollegeは学長が厳しい人なので、先生達もしっかりしています。他の大学では先生が来ないという話聞くけど、うちの大学はそんことなくちゃんと講義はあります。」

想像以上に大変そうで、びっくりでした!!「日本ではそんなに講義数ないし、もちろん昼食の時間あるよ。」と言ったら驚いてました。すごい。。

 

今回話をしたYIGYAL CAFE。Tibetan Herbal Tea。すっきりして飲みやすいです。

 

 

―なんで英文学を選んだの?

「私は学生の時から英語や本を読むのが好きでした。ビクトリア時代の詩人やロマン主義時代の詩人が好きだったんです。なので、英文学を勉強することにしました」

 

「うちの学科を卒業した人はジャーナリスト、作家、先生、講師になろうとします。私は卒業後、大学で英文学の講師か、母校で英語を教えたいと思います。私が高校の時、先生はすごく親切で、勉強だけでなく、色々なアドバイスくれました私も同じように指導者になって学生を色々サポートしていきたいです。」

は以前、講師してたよ」と言ったら、すぐ「私も将来講師になりたいんです!!」と返ってきました。とても英文学や教えることが好きなんだと感じました!!

 

―勉強以外は?例えば休みの日は何をしてるの?趣味は?

「休みは友達と喋ったり、英語の本や英語の映画を見ます。Meida365ってアプリがってそれで本を読んでます。あと韓国アイドルのコンサートを見ます。YG宝石箱 Team Jにいる日本人のハルトが私のお気に入りです。声がいいです!!」

相当お気に入りな感じで、が「BTSだっけ?」って聞くと「YG宝石箱のTeam Jです!」って即修正されました(笑)

 

「あとチベットのダンスをしています。週1回練習があります。学年対抗で競技会もあります」

 

「長期休みは実家に帰って、母の手伝いをしてます。母はネパールのカトマンズで服を売っています。」

「家族は弟と母です。私はネパールで生まれました。小学生の時からインドに来ています。母はさっき言った通り、ネパールで働いています。弟はチベットの軍隊で働いています。そして、私にお金を送って支援してくれていま

 

―なんで母のいるネパールで学校へ行かなかったの?

「ネパールで学校へ行こうとすると学費がかかります。私の家族は学費が払えなかったです。なので、母が私をTHFに行かせてくれました。私が通っていたTHF Mussorieは日本、欧州、インドなど世界中から支援をもらって運営されているチベット人学校で、学費、寮費、食費、文具、制服などは全て学校負担で私達は通常の服を準備するだけで他は何も負担せず勉強させてもらえます。そして今大学では、レインボーチルドレンから奨学金を頂いています。とても感謝しています。私は支援なしでは勉強できていませんでした。」

 

―今まで何か他に苦労したことは?

「私が2-3才の頃、父は母と私を置いて去って行きました。母と私は生活できず、ネパールの村で物乞いをしてました。私はそのこと覚えてないけど、母が言ってました。その後、新しい父ができて、ちゃんと暮らしてました。最近、父はガンで亡くなってしまったけど、現状、私達はちゃんと生活できています。」

 

大変な経験をしながら、奨学金によって教育を受けれていることにとても感謝しているだからこそ将来、先生になりたいんだろうなと思いました。

 

―デリーではどこに出かけたりするの?休日に買い物行ったり、お茶をしたりしないの?

「あまり出かけません。買い物には行きません。服は私の母がくれます。お茶したりもほとんどしません。お金が無駄にかかってしまいます。私はお金を無駄にはできません。外出はたまにするぐらいです。Majnu ka Tillaも月に一回来るくらいです。」

 

節約して、勉強を頑張っているKalsangさん。恵まれた生活しながら、テキトーな大学生活を送っていたと比較すると、何も言えません。。

 

そして支援の重要性改めて感じました。支援のおかげこうやってようやく勉強できている支援なくしては学校へ行くことができない人々がいること、改めて感じました。

 

彼女らのためにできること、どんどんやっていきたいと思いました!!