Vol.64 コラム ちびっとインド情報【アーグラー城(世界遺産)】


Vol.64 コラム ちびっとインド情報【アーグラー城(世界遺産)】

2013年12月1日(日) 【アーグラー城(世界遺産)】

今回の旅の最後の観光地、アーグラー城情報です。

★アーグラー城(世界遺産)

デリーから車で4〜5時間、約200km南へ下ったウッタル•プラデーシュ州西部に位置する地方都市にあります。

インド全土を支配し、絶頂期を迎えたムガル帝国。

アーグラー城はその権力と繁栄の象徴でした。

1573年、13歳で帝位についたムガル帝国第3代アクバル帝によって建てられ、以後第6代アウラングゼーブ帝の時代まで造営が重ねられています。

アクバルというのは、イスラムの人たちが、「アラー、アクバル!」(アラーは偉大なり!)と唱える、あの「アクバル」です。
文字通り、アクバルは「偉大な王」なんですね。

アーグラー城は赤砂岩の強固な要塞で、『赤い砦』の異名を持っています。
赤色は帝国の力強さの象徴でした。

華美で優雅な「城」のイメージではなく、どちらかというと重厚で無骨な「城塞」という趣です。

その印象は間違ってはおらず、今も敷地内の約80%は実際に軍用施設のため立ち入り禁止。

一般に開放されているのは南部エリアのみですが、重要建築物が密集しており、見応えは十分です。

高さ20m、周囲2.5kmの二重城壁にぐるりと囲まれた敷地内には、皇帝一家の住居はもちろん、モスク(イスラム教の礼拝堂)やバザール(街頭市場)、一般市民の居住区まであり、1つの大きな街として機能していました。

外壁をはじめとする外観は非常に軍事的な雰囲気を放っていますが、この城の内部に足を踏み入れると、ガラリと雰囲気の違う場所が存在しています。

アクバル帝の孫で、帝国の絶頂期に皇帝となった第5代シャージャハーン帝は、白い大理石を使って増築し、宮殿に格上げさせました。

タージマハルの建築でも使用された白大理石は、シャージャハーン帝のお気に入りの建築材だったようです。

17世紀のデリー遷都以降は荒廃したものの、現在は修復されて、当時の華やかさを今に伝えています。

★愛と悲しみの物語

ヤムナー川を見晴らす眺めは印象的で、ここからタージマハルを見ると、ぐるっと曲がった川の水面に浮かんでいるように見えます。

タージマハルは、36歳の若さで亡くなった最愛の妃の霊廟、その建築に莫大な予算をつぎ込み、国家財政を逼迫させた第5代シャージャハーン帝。

のちに実の息子、第6代アウラングゼーブ帝に、城塞内にある『囚われの塔』(ムサンマン•ブルジュ)に幽閉され、晩年の8年間をここで過ごします。

皮肉なことに、この場所は白大理石に宝石を散りばめた皇帝好みの部屋で、皇帝は死ぬまで出ることを許されなかったそうです。

幽閉された皇帝が部屋から見ていたのが、対岸にある亡くなった最愛の妃の霊廟、タージマハル。

シャージャハーン帝はヤムナー川に橋を渡し、自らの墓として黒いタージを建築して、最愛の妃と永遠に結ばれることを夢見ていたといわれています。

栄華を誇り22年もの歳月と2万人以上の職人を費やしてタージマハルを造らせたものの、皇帝の座を狙った三男に幽閉された、悲劇の皇帝シャージャハーン帝。

皇帝は亡き妃への想いをはせながら、愛と悲しみの『囚われの塔』にて波瀾万丈の生涯を閉じることとなりました。

ここからヤムナー川越しにタージマハルを眺めながら、皇帝は毎日どんな思いで晩年を過ごしていたのでしょうか。

つづく…。

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