Vol.65 コラム ちびっとインド情報【タージマハル(世界遺産)】


Vol.65 コラム ちびっとインド情報【タージマハル(世界遺産)】

2013年12月2日(月) 【タージマハル(世界遺産)】

今回、タージマハルがお休みの金曜日に訪れてしまうという、大失態を演じてしまいました(^^;;

もし行かれる方はこんなことのないように、きちんと計画を立てて行ってくださいね!

★タージマハル(世界遺産)

もし建築物単体を取り出して「世界でもっとも美しい建物は何?」と聞かれたら、「タージマハル」と答える人が大勢います。

やはりその美しさが、あまたある世界遺産の中でも群を抜いているからでしょう。

しかし、タージマハルが有名なのはその美しさだけではありません。

タージマハルにまつわる『愛と悲しみの物語』が人々のこころを捉えて離さず、世界中から多くの人々が一目見ようとやってくるのです。

そんなタージマハルは、デリーから南へ約200km、車で4〜5時間、ムガル帝国の首都として発展した街、現在はインド屈指の観光地として栄えるアーグラーにあります。

市内にはヤムナー川がゆったりと流れ、河畔にはムガル帝国の偉大な遺産の数々が今も残っています。

タージマハルは、白亜の巨大建造物で、白大理石でできた世界で最も美しいお墓と言われています。

それはひとりの皇帝が最愛の妻のために建てた、想像を超える世界最大の愛のモニュメント。

ムガル帝国の絶頂期に帝位した第5代皇帝シャージャハーン帝と、妃であるムムターズマハルの二人の物語から生まれました。

ある日二人は、アーグラー城で行われた宮廷バザールで出会いました。

バザールをのんびり楽しむシャージャハーンは、ガラス玉を差し出してきたペルシアの美しい娘を見て固まります。

二人はこの瞬間恋に落ち、シャージャハーンは父の許可を得ると、すぐにこの娘、ムムターズマハルと婚約しました。

この時シャージャハーン15歳、ムムターズマハル12歳。

5年後、二人は正式に結婚します。

シャージャハーン帝は妃に並々ならぬ愛情を注いでいました。

他の皇帝のように複数の妻を持つことも、ハーレムを築くこともありません。

外征にも必ずムムターズを伴っていきます。

こうして皇帝は、かたときも妃の側を離れることはありませんでしたが、幸福な日々は長くは続きませんでした。

1631年、妃はデカン遠征中、遠征先で14番目の子供を出産した後、36歳の若さでこの世を去ります。

皇帝は妃の死を深く嘆き悲しみ、政治を半ば放棄し、愛する妻の記憶を永遠に留めるために霊廟の建築に没頭。

そして22年もの歳月と2万人以上の職人を費やして、1653年に完成させたのがタージマハルです。

日本では、関ヶ原の合戦が終わって徳川幕府が始まった頃。

その時代に、白大理石を使ってこれだけの建築物を作ったシャージャハーン帝は、ホントすごい皇帝だったんですね。

シャージャハーン帝は、世界各地から取り寄せた大理石や宝石を惜しげも無く使用して霊廟を建築していきます。

その結果、天文学的な予算をつぎ込むこととなり、国家をつぶしかけたと言われています。

一般の熟練工で月5〜6ルピー、人夫は月1.5ルピー程度でしたが、高い技術を持つ職人、例えばモハメッドハニフという職人には月1000ルピーという高給を与えていました。

当時の通貨価値では1ルピーで小麦80kgが買えたそうですから、とてつもない金額です。

たとえ莫大な予算をつぎ込んでも、『すべては最愛の妻のために』というシャージャハーン帝の愛情の強さを示すエピソードですね。

ヤムナー川にたたずむムガル建築の最高傑作、タージマハル。

ここに世界一愛された妃ムムターズマハルは眠っています。

タージマハルの名前の由来は、妃ムムターズマハルのムムが消え、ターズがインド風発音のタージになったといわれています。

タージマハルは南北560m、東西303mの長方形の敷地にあり、ヤムナー川を背にしてそびえ立つ高さ67mのドーム、4隅に立つ高さ43mのミナレットなど、どの角度から見ても均整がとれたその形は、まさにイスラム建築の粋。
※ミナレットとは、モスクに付随した礼拝時刻の告知を行うのに使われる塔のことです。

タージマハルは完全に左右対称な姿を現しています。

天国の川を模したといわれる4つの水路にタージマハルが映り、天地対称にもなっています。

まさに完璧なシンメトリー!(≧∇≦)

イスラム様式のドームを囲む4本のミナレット、壁面に施したインド伝統工芸の象嵌細工、そして四分庭園が奇跡的に融合しています。
※タージマハルのミナレットは装飾的な意味合いが強いです。
4本建てることで、建物全体のバランスの精緻さを強調しています。

地下水の過度な汲み上げにより地盤が沈下し、4本のミナレットが外側に傾きつつあるとの報告もあります。
※大地震時にミナレットが本堂側に倒れ込まないよう、外側にわずかに傾けて設計されているそうです。

しかし、タージマハルの真髄は墓室の中にあります。

壁面に施された植物の文様をよく見てみると、植物らしい優雅な曲線や花びらの絶妙なグラデーションがとんでもなく美しい。

それもそのはず、はめ込まれた一つひとつの石は、水晶、めのう、サンゴ、碧玉、琥珀、るり、カーネリアン、ダイヤモンドといった宝石です。

きわめて精緻な象嵌細工で、宝石の色や濃淡を計算し、植物の形に削り込み、同時にピッタリ合うように大理石を彫って、一つひとつはめ込まれています。

この世に二つと同じものができないよう、シャージャハーン帝はタージ完成後に建築士達の手を切り落としたと言われていますが、真偽のほどは定かではありません。

また、ヤムナー川の対岸に、黒大理石で自らの霊廟を建設し、タージとの間に橋を渡して、妃と永遠に結ばれることを夢見ていたと言われています。

先日投稿したメヘターブバーグですね。

黒タージの建築は、タージマハルがイスラム建築の原則である対称性に則していないことから発したものです。

北岸に同じ形の黒い墓廟があれば南北の対称性は果たされるので、北岸の胸壁と望楼はその基礎工事の名残とも言われています。

しかし黒タージ建築の夢は叶うことなく、のちに実の息子第6代皇帝アウラングゼーブ帝によって、シャージャハーン帝はアーグラー城に幽閉されることになりました。

皮肉なことに、その場所は白大理石に宝石を散りばめた皇帝好みの部屋。

ただ、皇帝は死ぬまで息子に会うこともなく、部屋から出ることも許されなかったそうです。

部屋の窓からヤムナー川のほとりに小さく見えるタージマハル。

晩年の8年間を愛と悲しみの『囚われの塔』で、亡き妃への想いをはせながら暮らしたという逸話が涙をそそります。

皇帝は波瀾万丈の生涯を振り返りながら、ここで息を引き取っていきました。
※アーグラー城を観光する際は、ぜひシャージャハーン帝の気持ちになって、ここから見えるタージマハルを眺めて見てくださいね!(^^)

父シャージャハーンの死後、息子のアウラングゼーブ帝は遺体をタージマハルに移し、棺をムムターズの隣に安置しました。

シャージャハーンはムムターズマハルに寄り添いながら、現在は二人で永遠の眠りについています。

タージマハルは、1983年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、2007年には新・世界七不思議にも選出されました。

新・世界七不思議の最終候補地21の中から、最後まで残って選ばれた7つのうちの1つですから、世界的にもかなり貴重な建築物なんですね。

圧倒的な存在感を漂わせているだけでなく、歴史的にも大変興味深い物語を持ったタージマハル。

タージマハルの歴史的背景を知っておくと、観光する際の楽しみがさらに深まりますよ!

帰国した後も、自らの意志で一生に一度はぜひ訪れておきたい場所だと再確認しました!(^^)

つづく…。

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