Vol.3 コラム ちびっとチベット情報【ダライ・ラマ14世】

コラム ダライラマ法王
2013年10月4日(金) 【ダライ・ラマ14世】

ダライ・ラマ14世に関しては数多くの本が出版されており、ご存知の方も多いと思います。

1989年には、チベットの宗教・政治の指導者として、非暴力の闘争を長年続けてきたことが評価され、ノーベル平和賞が授与されました。

チベット人にとってダライ・ラマ法王は、チベットの象徴でありチベット仏教の活仏として、チベットの地で人々に仰がれています。

本名のテンジン・ギャツォ。

今回インドで会ってきたチベットの奨学生の半数近くがテンジンという名前を付けていることから、ダライ・ラマ14世がいかにチベット人から尊敬されていることがわかります。

インドのチベット人は難民のため、インド国内で自らビジネスをして稼ぐことが許されておりません。

彼らは世界各国から集められた支援金で生活をしていますが、その支援金の半分はダライ・ラマ14世が世界各国をまわり、広告塔となって集められているものです。

★ダライ・ラマ14世日本公演
日本にも11月にダライ・ラマ14世が来日していくつか講演会が行われます。
私も11/25(月)の両国国技館での講演会に出席予定です。ご興味のある方は一度足を運んでみてはいかがでしょうか。こちらが詳細です。
www.tibethouse.jp/dalai_lama/2013/

ダライ・ラマ14世の言葉
「幸福は思いやりの心から生じるものであって、怒りや憎しみからは生じません」

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ダライ・ラマは1935年5月、チベット北東部(中国の青梅省)の農家に生まれた。

4歳で「霊童」となり、15歳で法主としてチベット仏教の最高位に就いた。1959年3月のチベット反乱事件でインドに亡命、チベット臨時政府を樹立。それ以来「我々は非暴力の戦いを続ける」とのメッセージを送り続けている。

ダライ・ラマは観音菩薩の化身と信じられており、涅槃の世界に入らずに輪廻の世界に留まって人々を救う、とされている。活仏が死去すると、その後を継ぐ「霊童」探しが始まる。

これまでの伝統的な「霊童」探しは、まず、活仏が死に際して残した暗示や高僧の啓示などから「霊童」の住む場所や生年月日が割り出される。

「霊童」とは活仏の生まれ変わりとされている子供のことである。

活仏が死ぬと、その生まれ変わりが49日を経て受胎される。その子が5歳ぐらいになったら、その年齢の多くの子供たちの中から選び出される。

こうして決まった「霊童」は、チベットの区都ラーサへ連れて来られ、徹底した宗教・政治両面でのエリート教育が施される。

この間、実に10年以上も最高指導者がいないことになるが、世襲という形ではなく仏教の輪廻思想に基づいて選ばれることに、権威と崇高さを感じる。
(地球の歩き方より抜粋)

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Vol.2 コラム ちびっとチベット情報【チベット問題】

コラム2 ちびっとチベット情報
2013年10月3日(木) 【チベット問題】

今、チベットという国はありません。

50年ほど前、指導者のダライ・ラマ14世がインドに亡命した後、世界地図から姿を消し、中華人民共和国の一部になりました。

でも、今も「中国の一部なんてイヤだ!」と思っているチベット人は、結構多いのです。

何故か?

チベット人の文化、宗教、プライド、財産そして人命がひどく傷つけられ、今もそれが続いている。そう感じているからです。

例えば言葉。

チベット人が普段話しているのはチベット語です。その読み書きができないチベット人が増えています。学ぶ機会も、使う機会も減っているからです。

どんな仕事をするにも中国語が必要とされ、子供の頃から中国語の勉強が優先されます。

さらに、チベットでは人口は増えているのに、小学校の数は減っているそうです。職を得るのに役立つ職業学校も減りました。

チベット自治区では、小学校に行く子供は半分ちょっと。中学には7人に1人しか行けません。普通に教育を受けた中国人移民がチベット自治区にどんどん流入する中、チベット人の社会的地位はますます危うくなっています。

インドに行けばチベット語が勉強できる。つまり『チベット人として生きられる』ーー親達はそんな思いで、子供を亡命させるのです。

ヒマラヤを無事に越えて、無事インドにたどり着けた子供たち。しかしその陰には、途中で捕まったり、命を落としたりした『ヒマラヤを越えられなかった子供たち』がいます。

ヒマラヤを越えた子供たちは、何かの縁でチベットから遣わされてきた『代表』です。その向こうには、家族をはじめ、ヒマラヤを越えられない600万人のチベット人がいるーー

そう考えれば、亡命者一人ひとりに対して私たちができることの意味、その大切さが見えてくるのではないでしょうか?
(DVDーEscape over the Himalayas ヒマラヤを越える子供たちより抜粋)

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Vol.1 コラム ちびっとチベット情報 【ダラムサラ】

コラム1 ちびっとチベット情報1 コラム1 ちびっとチベット情報2

2013年10月2日(水) 【ダラムサラ】

今回のインドの旅、レインボーチルドレンの活動報告です。

私自身、初めてのインドの旅でもあり、危ない思いや貴重な体験をさせてもらいました。

インドという国は良くも悪くも奥が深い!

いろいろな歴史的背景を知ると、旅はより面白くなるものです。

今日はチベット文化の中心地でもあり、ヒマラヤの景観を楽しめる、世界中から旅人が集まるダラムサラの紹介です。

インドの首都デリーから最寄り駅のパタンコートまで電車に揺られて10時間、タクシーに乗り換え悪路をさらに2時間。

ものすごい山奥で何も無い所と思っていたら、とんでもない!

西洋人をあちらこちらで見かける観光地でした。

『教育は世界を変える!』

そのスタートとなるここダラムサラが、レインボーチルドレンの支援活動の拠点です。

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1950年頃から中国の露骨な圧力を受け始めたチベットは、独立維持のための努力もむなしく、1959年、チベット民衆の反乱とそれに対する中国の武力弾圧の結果、最終的に中国領に併合された(現在は中華人民共和国チベット自治区と呼ばれている)。

チベット仏教の法主として崇められ、政治的な指導者でもあったダライ・ラマ14世は、首都ラーサを脱出してインドに亡命、ここダラムサラに安住の地を得た。

ダラムサラは、いわば中央チベット政権の拠点でもあり、チベットを去った十数万のチベット難民の精神的な支えにもなっている地だ。
(地球の歩き方より抜粋)

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春スタディツアー☆

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2014春スタディツアーがいよいよ迫ってきました。
3/9から3/20の12日間の日程で7名で行って参ります。
こちらでは、ツアーの準備から現地レポートまでどんどんアップしていきます。
お楽しみに!

これから旅の始まりです。

2013年9月21日から29日まで9日間のスケジュールで行って来た2013秋スタディツアー。

東京支部長の北條さんが帰国後二ヶ月間に渡ってFBに毎日綴ったレポートをこちらでご覧頂きます。

北條さん、あの時の興奮を再現して下さい!

代表 石川

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スタディツアー参加者感想文(2013秋)

 

第四回秋スタ参加 北條直樹(東京支部長/東京)

今回インドに呼ばれて、初めて現地に足を踏み入れてきました。インドは危険というイメージがありましたが、半年に一度は現地を訪れている石川代表が常に一緒でしたので、初めてのインドでもまったく不安はありませんでした。入国に必要なインドビザの申請方法や現地での注意点、持参した方がいいものなど、用意しておくべきことやポイントを聞けば気さくに答えてくれたので、出発前にはインドへの不安が解消されていたのも大きいですね。
とにかくインドは遺跡を見て感動すると同時に、様々な人々に出会い、一人の人間を見ては深く考えさせられる所です。人種、宗教、文化など日本での生活とはまったく違う世界でしたので、現地での一週間は本当にあっという間に過ぎていきました。この貴重な体験を帰国してから毎日FBで投稿していったら、なんと60回以上にもなったほど刺激のある国です(笑)(詳細はブログ2013秋スタディツアーをご覧下さい)
このツアーでは日頃の『体験』を『経験』へと移していくことの重要性を、身をもって学んだ旅でもありました。人は行動に移すと体験が増えます。その繰り返しが豊かな人生経験へとつながっていきます。人生の中で直面する様々な問題を解決するために必要なのは、過去の自分自身が積み重ねてきた経験だけです。そんな豊かな人生経験につなげるための強烈な体験をさせてくれるのが、インドという国。【体験に価値を見出した時、初めてその体験は人生経験となる!】そんな気づきを与えてくれたこのツアーに感謝です!

スタディツアー参加者感想文(2013春)

 

第三回春スタ参加 足立幸一郎(学生/京都/写真右)

母から石川代表のインドでの活動と旅の話を聞き、これはぜひと思い立って石川さんの2週間の旅程に同伴させていただいたのは2013年の3月。私は教職を志していることから、インドと教育という観点から旅で見たこと、感じたことを記したい。
教育によって社会で必要とされている規範・知識を獲得することができるかどうかが、その子どもたちが将来実現しうる生の多様性(それは職業選択の自由・経済的豊かさ等、いわゆる「人間の安全保障」に直結する問題である)に大きな影響を及ぼす。そのことが日本と比較して顕著に表われているのがインドという国だ。
インドには社会的に不利な状況で暮らす人々が多く存在する。その一つが石川さんの支援の中心である亡命チベット人であり、またはスラムで暮らす人々である。私たちが訪問したデリーのスラムでは、下水が垂れ流され、粗末な住居のすぐ横にはゴミが山積みになっており、不衛生な環境が子どもたちの健康を脅かしている。当然公立学校はなく、子どもたちの教育を受ける権利を辛うじて保障しているのは、NPOなどによってスラム内に設立されている学校である。私たちの訪問は絶好の資金獲得の機会であるので、授業は中断され子どもたちによる歌・演奏・踊りによる歓迎が催された。彼らの表情はとても生き生きとしている。
しかし、その生き生きとしたその表情をもって「貧しくても幸せに暮らしているのだからそれでいいのだろう」で終わってしまってはいけない。先進国から来た覗き見趣味の旅行者に笑顔を振りまいてくれることの意味を考え、この経験を日本に持ち帰って何らかの形に組み立てることが今後の私に必要であると強く感じた。