前回秋にダラムサラの教育省を訪れ、教育大臣から伺ったデータを基に、チベット難民の大学進学率を各国のデータと比較してみました。現在チベットという国家はなく、国連にはデータが存在しません。また、チベット本土(中国・チベット自治区)のデータも存在しないため、インドの中のチベット(チベット難民)のデータで厳しい難民社会の高等教育の現状をお伝えします。 “チベット難民の大学進学率” の続きを読む
前回秋にダラムサラの教育省を訪れ、教育大臣から伺ったデータを基に、チベット難民の大学進学率を各国のデータと比較してみました。現在チベットという国家はなく、国連にはデータが存在しません。また、チベット本土(中国・チベット自治区)のデータも存在しないため、インドの中のチベット(チベット難民)のデータで厳しい難民社会の高等教育の現状をお伝えします。 “チベット難民の大学進学率” の続きを読む
チベットへ行くといつも懐かしさを感じます。
チベット人に会うとどこか懐かしさを覚えます。
顔立ちが日本人にそっくりで、こんな人日本人にもいるな~、この人もいるな~、と思ってしまいます。
この写真はレインボーチルドレンのチベット奨学生たちですが、日本人の顔立ちにすごく似ていますよね。
こちらは、神奈川支部長の未来さんがシェアしてくれた、「Y染色体D系統における日本人とチベット人の共通の起源に関する論文」です。
懐かしさの理由が遺伝子として証明されています。
そして、ここに書かれている「世界で日本人とチベット人のみが高く持つ遺伝子」 が、僕をチベットに引き寄せ、そしてレインボーチルドレンプロジェクトの始まりとなっているような気がしてなりません。
そして、それは平和の遺伝子のようにも感じます。
少し難しい内容ですが、ぜひご覧になってください。
(抜粋)
東アジアにおけるD系統の平均頻度は、9.60%であるが、チベット(41.31%)、日本(35.08%)、アンダマン島(56.25%)が高い頻度を示す一方、ほかの東アジアの集団の頻度は、希薄(5%未満)である。
チベット人が持っているより高い多様性というのは、他の集団に比べてチベット人のD系統が非常に大きく且つ影響力のある集団規模であったことが主因である。
チベット人と日本人は地理的に遠く離れた地域に住んでいた。そして、彼らの持つD系統は、2つの異なるサブ・ハプログループに属している。
この2つのサブ・ハプログループはどちらも、網目の細かい星状のネットワーク構造をもっている。それは彼等が、長い期間ローカルな存在であったことと最近、人口拡大があったことを示している。
アフリカでだけ観察されたDE*系統が、チベット人の中に2人見出されたという発見は、D系統の古さの証であり、、D系統が東アジアに最も早く到達した現生人類の移住者の中の一つであることを示している。
さらに、D系統の偏った分布と分岐前の時期の古さは、東アジアの現生人類の集団の中で、D系統が、旧石器時代に他の系統とは独立して移動した集団であったことを示している。
このD系統の推定年代は、これまでに東アジアのY染色体とmtDNAの両方を組み合わせた分析から報告されていたものよりも、より古くなっている。
それが過大評価であるか否かにかかわらず、われわれは同じ方法で、DE*とE系統の分岐時期を計算した。
結果は、27,176年前である。これは、D系統よりはるかに遅いが、これまでの推定(27,800-37,000年前)と一致している。
したがって、D系統の古さは、東アジアにおける人間集団の先史時代の真の姿を反映したものである可能性が高い。
最近の考古学的発見によれば、興味深いことに、約30,000-40,000年前現生人類がチベット高原を探索していたという。その時期は、これまでに示された時期よりはるかに早いが、われわれの仮説には合致している。
後氷期の海面上昇は、最終的には、日本と大陸とを隔てさせることとなった。それは現在の日本人集団の中にD系統が遺物のように分布していることの説明になる。
考古学データは、約30,000年前の日本列島に、現生人類が初めて到達したことを示している。これは、D2系統のわれわれの推定年代(37,678 ± 2,216 年前)と一致する。
同時に、現在のチベット人集団と日本人集団はそれぞれ、おそらくD系統とO3系統の二つの古代の集団が混血して出来上がったのだろうと考えられる。
<2015.5.29追記>
このことに関連する興味深い番組がNHKで放映されましたので、FBページで投稿しました。
【日本人のルーツ】分かってきた縄文人のDNA~NHKおはよう日本より今朝NHKでDNA解析の最新情報が伝えられていました。「簡単に言うと、今、日本にいるD(Y染色体)の男性のお父さんのお父さんをずっとさかのぼっていくと、チベットやア…
Posted by レインボーチルドレン(特定非営利活動法人Rainbow Children Japan) on 2015年5月29日
Tenzin Rapten(ラプテン)。(2013秋のラプテン)
CSTというインド政府運営のチベット人学校卒で、インド東部のオリッサ出身です。
過疎地域のオリッサはダラムサラのように支援が行き届いておらず、レインボーチルドレン奨学金がスタートした時に指定した3地域のひとつです。
2014春奨学生ミーティングではこちら。髪ものびて雰囲気変わりましたね。
マイブームはダンス。
大学ではウェスタンダンスのサークル所属とのこと。
せっかくなので、ホテルのロビーで自慢の技を披露してもらいました!
将来の目標は化学者。2014秋には再びダンスを披露してもらい、学業とともにダンスの向上もしっかり確認できました。
この写真は2013秋奨学生ミーティングのもの。
りりしい感じです。
Ngawang Lekmoen(レコメン)。
バイラクッペ(南インド)のTCV卒で、現在は歯科大に通っています。
こちらは2014春の奨学生ミーティングで。みんなを代表して、時間がない中駆け付けてくれた律儀な性格でした。
話を聞くと、歯科大は五年通わなくてはいけないみたいだけど、学業は順調とのこと。
キャンパスライフもかなり満喫しているようです。
レインボーチルドレンの奨学金によって、こうして輝いている姿を見るのは嬉しい限りです!
彼女の名前は、Tenzin Kunsan(クンサン)。
セラクイのTCV卒。インド統一試験での成績は、な、なんと92.6%!
実は前回、アメリカNYへ留学する話もありました!(写真は全チベット学校2位の表彰でセンゲ首相と)
今後みんなとの連絡をまとめてくれる、リーダー的な存在です。
この写真は2013秋の奨学生ミーティングのもの。
こちらは2014春。かなり大人びて垢抜けました!
マイブームはアカペラ合唱。
ウエスタンミュージックって言ってたので、西洋の音楽かな?
大学では歌を歌うサークルに入っているみたいで、じゃあぜひ歌って!ってお願いしたけど、恥ずかしがって聞くことは出来ず。残念!
次回はぜひ歌声披露して、動画で撮影させてね!(^^)
大学の教室にて。インド人の友達とも仲良くできて、キャンパスライフは充実しているようです。
将来の目標は宇宙物理学者。ノーベル賞めざして頑張れ!!
(2015年よりbhuntarの大学に転入し教授を目指しています。教育省直轄の奨学生となりました。)
1995年11月9日生(18歳)、ヒマチャルプラデーシュ州チャンバで生まれました。
チャンバは中央チベット政府があるダラムサラよりさらに北の、パキスタン国境にも程近い山間の村です。
三人兄弟のいちばんお兄ちゃん。弟と妹がいます。
お父さんはサンドゥプ君が6年生の時に亡くなりました。
そのため調理師補助として働くお母さんに三人は育てられました。
小さいころからの趣味は読書。といってもサンドゥプ君が読むのは難しい専門書です。
得意科目は、哲学や政治という、インド政府の大学で地理学を専攻している1年生です。(2014春当時)
将来の夢は、政治家(チベット中央政権)になること、もしくは教授として学問を続けていくこと。
そのために、彼女をつくる時間なんてもったいないと(こんな男前なのに)、時間を惜しんで勉強しています。
唯一ダラムサラの大学に通う奨学生なので、毎回夕食会には参加してます。(2014春当時)
「絶対夢を叶えます!」と宣言してくれたサンドゥプ君。
日本の学生たちとも仲良くなれてよかったです。
教授を目指してがんばれ!!