在印チベット人にインド国民の資格をーロブサンの戦いは新たな希望となるか?

 

「チベットの未来はチベット人が決める。」

力強く話してくれたのはロブサン・ワンギャルさん。レンボーチルドレンのメンバーであり、AFPのフリージャーナリストでもあります。7月29日の午後、インドにおけるチベット問題について話を聞くため、私は彼のオフィスを訪ねました。

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「インタビューの様子1」

 

ロブサンはインドで生まれたチベット人です。1994年にジャーナリストとして活動を始め、2001年からAFPの記者としてダラムサラでチベット問題に関する取材をしています。

ロブサンとの対話の2週間前、私はネパールのカトマンズでチベット人に対する弾圧を目の当たりにしました。中国との外交関係を重視するネパール政府は、国境警備を強化したり、在ネパールチベット人の信仰を取り締まったりしています。

そんな中、日経新聞のデリー支局が中国とインドの秘密協定について報じた記事を読みました。

それによると、「シッキム州、アルナチャルプラデシュ州がインド領であることに、中国は公式な異議を唱えない。」「インド政府はダライ・ラマ14世の死後、チベット人にインドへの帰化を勧める。」「新たな亡命の受け入れを停止し、チベット亡命政府はインドから出て行く。」以上の3点が水面下で話し合われているそうです。もしこの協定が実現したら、インドにおけるチベット人の立場も難しいものになるのではないかと、不安を覚えました。

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「インタビューの様子2」

 

しかし、ロブサンはそんな不安は無用とばかりに笑って言いました。

「今、全ての在印チベット人がインド人としての市民権を得られるよう、裁判をしている。」

インドの法律によると、1950年1月26日から1987年7月1日までの間にインドで生まれた全ての人はインド人としての資格を持ちます。1970年生まれのロブサン自身も、2014年にインドでの選挙権を得ました。今回の裁判は、インドに住む全てのチベット人が、選挙権はもちろんインドのパスポートも手に入れ、インド人と全く同等の資格を得るためのものだと話してくれました。

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「ロブサンのvoting card」

 

裁判に勝ってインドのパスポートを手に入れられれば、生活はずっと楽になるといいます。現在、在印チベット人はRCと呼ばれる滞在許可を取ってインドに住んでおり、5年ごとにそれを更新しなくてはなりません。また、国内外の移動に多くの制限があります。例えば特定の場所に行く時は、役所で許可を取り、移動先でも到着時と出発時に役所でスタンプをもらわなければなりません。国内移動でありながら海外旅行をするかのような手続きが必要で、時間も手間も大きな負担となっています。

インドのパスポートが手に入れられれば、国内も海外も自由に移動できるようになり、生活の幅が広がるだろうとロブサンは話してくれました。その他にもインド国民としての権利を得ることによる恩恵は大きいといいます。

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「チベタンオリンピックを取り上げた雑誌記事」

 

裁判を始めて以来、ロブサンの元には、チベット人から多くの賞賛や期待の声が届いているそうです。ロブサンはこれまでにも、ミス・チベットコンテストやチベタンオリンピックの開催など、チベット文化を盛り上げ、権利を主張する活動に力を入れてきました。それだけに、今回の裁判に対するチベット人の期待も大きいようです。

「裁判での要求はインドの法律に基づくもので、裁判官たちもこちらに有利な態度を示している。」と、ロブサンは自信を持って話してくれました。

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「ロブサンと」

 

中印の外交関係によるチベット人への影響が懸念される中、インド人としての権利を得るためのこの戦いが亡命チベット人の新たな希望となるのでしょうか。高等裁判所の判決は、8月26日に言い渡されます。

 

「復興への願い、伝統のはたに織り込んで」

 

7月8日、私はカトマンドゥ市内のチベット難民居住区にある機織り工場、Jawarakehru Handcraft Center (JHC)を訪れました。チベット難民の女性たちが、チベタンラグと呼ばれる伝統的なラグを生産している現場です。1年前、レインボーチルドレンを通して10名の日本人がチベタンラグを注文してくれ(日本より合計20枚)、1年がかりで制作されたラグが、先日彼らの手元に届きました。この日はそれぞれの購入者が伝えてくれた使用の様子や喜びの声を、生産者であるチベットの女性たちに届けに行ったのです。

JHC 門
JHC 門
JHC 門看板
JHC 門看板

 

工場に入った時、通路を挟んで2列に並べられた織り機の前で、20名ほどの女性たちが機織り作業をしていました。人の背よりも高い機織り機、床に転がった色とりどりの糸玉、糸を織り込む規則正しい音、職人の仕事場の匂い…その場にある全てのものが特別な雰囲気を醸し出していました。それでいて、不思議と心が落ち着いたのを覚えています。

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購入者からのメッセージをまとめたスライドを見せる時、女性たちは作業を中断して私たちの周りに集まってくれました。案内をしてくれたレインボーチルドレンの奨学生ペマと、工場のマネージャーがチベット語で説明してくれます。購入者の自宅に敷かれたチベタンラグの写真を指差したり、メッセージの一言一言に聞き入って笑顔で拍手をしてくれたりする様子を見て、私も温かい気持ちになりました。

ペマによる説明
ペマによる説明

 

  • 説明に使用したスライド(クリックするとポップアップした画面から矢印でスライド閲覧できます)

 

実は、現在女性たちが作業をしている場所は仮設工場です。2015年4月にネパールを襲った大地震は、チベット難民キャンプの産業を支えていた機織り工場に甚大な被害をもたらしました。地震によるダメージで建物は倒壊寸前となり、危険すぎて中に入れない状態になりました。チベット難民を冷遇するネパール政府は、チベット難民キャンプに一切の支援をしていません。海外からネパールに集まった災害寄付金や物資も、チベット難民の元には全く届かないのだそうです。
「自分たちで生活の糧を確保するしかない」と、女性たちは危険を承知で工場に立ち入り、20数台の機織り機を持ち出したといいます。

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本来の工場は現在、取り壊し作業が進んでいます。取り壊しにかかる資金は、工場自体の廃材を建設業者に売って捻出している状況で、立て直しにはさらに約6,000万円がかかります。金額が大きいこともあり、資金集めは想像以上に難航しています。いつ本工場を再建できるのか、見通しは全くついていないといいます。

倒壊したメイン工場
倒壊したメイン工場
倒壊したメイン工場 サイドから
倒壊したメイン工場 サイドから
取り壊し中の工場
取り壊し中の工場

 

どの女性もチベット難民であり、子をもつ母であり、チベットの伝統を守り伝える職人です。倒壊寸前の工場から命がけで機織り機を運び出し、仮設工場で懸命に作業する凛とした姿。優しく温かく私たちを迎え入れ、購入者からのメッセージを喜んでくれた明るい笑顔。強さと優しさを併せ持ったチベットのお母さんたちの心と、その心が守り続ける伝統産業に、頭の下がる思いがしました。
JHCは、ネパール政府から一切支援を受けられないチベット難民の生活を支える、チベットの伝統技術を守るという点で、なくてはならないものです。1日も早く工場が再建され、チベットのお母さんたちとその家族に震災前の生活が戻ることを願わずにはいられません。

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チベット文化紹介①ーカラフルな祈祷旗・ルンタ

 

ネパールの首都、カトマンドゥ。空港からタクシーで40分、さらに徒歩20分ほど坂を登った峠の上に、滞在先のホステルがあります。ジブリ映画の世界を思わせる建物の周辺や、そこに続く山道の至る所に、5色の小さな旗が掲げられているのを見つけました。紐に通して一列に並んだ旗は、小学校時代の運動会を思い出させてくれます。

チベット人居住区のルンタ
チベット人居住区のルンタ

 

この5色の旗はタルチョー(dar lcog)、ルンタ(rlung rta)と呼ばれるチベットの祈祷旗で、寺院や峠に飾られていることが多いそう。色の並び順は青、白、赤、緑、黄色と決まっており、それぞれの色が天、風、火、水、地を表します。多くの旗には馬の絵や経文のような文字が描かれています。

空にはためくルンタ
空にはためくルンタ

 

旗が風に吹かれて揺れると、その旗が意味する厄災から人々を守ってくれる、またはその色に関する恩恵があるのだと、レインボーチルドレンの奨学生のひとりであるペマが教えてくれました。

ホステルのある峠の他、チベット難民居住区やカトマンドゥ市内のそこかしこにルンタがはためいています。カトマンドゥの街と峠を吹きぬける涼しい風に、チベット民族の祈りを感じる1週間でした。

祈るようにルンタを見上げる犬
祈るようにルンタを見上げる犬

 

強まるチベット難民への弾圧ーダライ・ラマ生誕記念式典も中止に

 

7月6日。この日はチベット仏教の最高位、ダライ・ラマ14世の生誕日でした。チベット難民の子供たちが通うSrongtsen Schoolでは、6日と7日に記念式典が開かれることになっており、約4,000名が参加予定でした。支援団体であるレインボーチルドレンのインターンとして、ダイキと私も出席できることになっていました。

しかし、生誕祭当日の7月6日に、私たちは第1日目の式典が中止になったとの連絡を受けました。話によると、ネパール警察の妨害が入り学校が封鎖され、式典が開催できなくなったとのこと。その時インドのデリーにいたダイキと私は、不穏な気持ちで7日朝、ネパールの首都カトマンドゥに入りました。滞在先の宿に着いて間もなく、2日目の式典もネパール警察からの圧力により中止になったことを知らされました。式典会場であったSrongtsen Schoolの付近は一時騒然とし、最終的に2日間で約30名の関係者が逮捕される事態となったそうです。

ネパールにおけるチベット難民への圧力は、年々強くなってきています。理由としては、ネパールと中国との外交関係が大きいとレインボーチルドレン代表の石川が話してくれました。強大な隣国・中国と友好的な関係を維持して恩恵を受けたいネパール政府としては、中国の圧迫から逃れてきたチベット難民を歓迎できないというのが実情です。チベット難民を受け入れること自体、中国との外交関係に影を落とすと考えているのでしょう。

そもそも、1959年にチベット難民の亡命が始まった頃から2000年頃までは、チベット難民はネパール国内で特別に疎まれてはいませんでした。チベタンラグという伝統的なカーペットの生産技術を持つチベット人は、観光産業しか収入源のなかったネパールにとってはむしろ歓迎できる存在でした。しかし、中国製の安い絨毯が流入するようになると、ハンドメイドの絨毯産業の重要性は低下し、チベット人たちはネパール内での強みを失ってしまったのです。

そのような背景事情の下、チベット難民に対するネパールの姿勢は硬化しています。
今回の式典中断も、チベット難民に対する圧力が形として表れたものと言えるでしょう。現在の中国にとって共産党の一党独裁を揺るがす存在である「ダライ・ラマ一味」がネパール国内で弾圧の標的になったのです。

Srongtsen school 校長先生
Srongtsen school の Jampa Phuntsok校長先生

 

「今回の出来事は、あまりにも哀しい。」
10日にSrongtsen Schoolを訪問した際、Jampa Phuntsok校長先生は率直な想いを私たちに話してくれました。
「ネパール政府からの圧力は段々と強くなっている。チベット人は民主主義の中に生きることができていない」と、ネパールにいるチベット難民の立場についても言及しました。

近年は、世界難民条約に加盟していないネパールが亡命してきたチベット難民を中国に強制送還する事例も多いといいます。国境警備の強化の影響か、2007年には2000人以上いた中国からネパールに渡るチベット人の数は、2013年にはわずか170人程度と過去最小にまで落ち込みました。

中国にもネパールにも、自国の統一や利益拡大を目指したいという思惑はあるのでしょう。しかし国家間の利害関係に振り回されて迫害や拷問の危険のある中国に送り返されたり、命がけで渡った亡命先で弾圧されたりするチベット人はどうなるでしょうか。中国にしてもネパールにしても、自国の利益を追求するだけでなく、自分と異なるものを広く受け入れ、助けを必要としている人々に対して手を差し伸べる、そんな姿勢が求められるのではないかと、現地でチベット難民への抑圧を目の当たりにして考えさせられました。