奨学生file.39 Juksang Kyi

 

Juksang Kyi

 

  • チベットで生まれた。カム出身。2012年に教育を受けたいという思いから、自分の意志で亡命を決めた。9人兄弟姉妹で家族はみな遊牧生活と農業をしている。家族とはほとんど連絡がとれていない。規制が厳しいため。
  • 亡命後はTCVスジャで勉強し、サラ大学に進学した。チッベト語とチベットの文化を学びたいという意志があり、サラ大学に。サラ大学での勉強は順調に進んでいる。
  • 卒業後は、他大学に進学し、英語の力を伸ばしたいと考えている。将来は、ソーシャルワーカーになりたい。チベット人の若い世代に奨学金をあげられるような活動をしたいと思っている。
  • 休みの時は映画を見たり、学校付近を歩いたりしている。歌うことが好き。

 

「控えめでおとなしい印象。時間がなく、あまり話すことができなかった。」

奨学生file.42 Kalsang Paldon

 

Kalsang Paldon

第8回スタツア秋 277縮小

 

  • チベット、アムド出身。8人家族で、母親は彼が9歳のときに亡くなる。遊牧生活をして過ごしてきた。二人の兄と一人の姉、二人の妹がいる。13歳のときに、家族の意向で僧になった。
  • 2001年にインドへ亡命。教育をうけるために自分の意思で亡命を決意した。ラサから徒歩で山を越え、ネパールのレセプションセンターまで一ヶ月かかった。その後は、南インドの寺院で、学士と同等のコースを卒業した。中国大使館を通して、チベットに一時帰国する許可証を得たため、3ヶ月ほどチベットに飛行機で戻った。亡命中に家族や自身が政治的な活動に参加していなかった場合は、許可が下りやすい。2014年にインドに再び戻り、サラ大学へ進学。チベットの歴史とチベット語、そして英語を学びたいという思いから大学進学することを決めた。寺院では、チベット語の文法は学ぶことができないためである。
  • 卒業後は、サラ大学のマスターコースに進学する予定。その後、チベットに戻りたいと考えている。インドで学んだことをシェアすることで、自身の出身地域の人々に貢献したい。中国大使館でもらう許可証を一旦手にすると、永久にチベットにいられる。
  • 時間があるときは、ほとんど本を読んでいる。歴史や詩の本を読むことが多い。たまにスポーツなどもする。

奨学生file.43 Kunchok Rabten

 

Kunchok Rabten

第8回スタツア秋 288縮小

 

  • チベット生まれ。東部カム出身。5人兄弟姉妹。遊牧して生計を立てている。兄弟姉妹はいまでも遊牧生活を手伝っている。両親は、子供達を学校に送りたがらなかった。中国政府にコントロールされた学校に行かせたくなかったこともあるが、学校にいくことが遊牧民として最優先事項ではないと考えていた。彼自身は、学びたいという強い意志を持っていたが、両親は教育の重要性を理解していなかった。
  • 2006年、インドに亡命することを決意。勉強したいという想いをどうしても拭いきれず、家にあるお金を持ち出し親には何も告げず家を出た。父親がラサまで追いかけてきたが、会うことなくインドにたどり着いた。国境を越える直前に家族に電話し、亡命することを伝えた。これほど長くインドにいるつもりはなく、勉強したら戻るつもりでいたが、チベットに帰ることこれほどまでに難しいものになるとは想像にもしていなかった。しかし、チベットを離れる運命にあったのだと時々感じている。兄弟姉妹たちは早く帰ってきて欲しいとずっと願っている。父親は1年前に亡くなり、最期に会うことはできなかった。
  • チベットの雪が何よりも恋しい。冬の朝、家の扉をあけて真っ白な雪の世界に飛び込み、犬と一緒に転がり遊んだ子どもの頃の時間が人生で最も幸せな時間だった。ダラムサラにも雪はあるが、チベットの雪は質が異なる。細やかで真っ白な雪。懐かしくて仕方がない。
  • 亡命直前に数日、ラサに滞在していた。そのときにポタラ宮を訪れなかったことが今でも大きな後悔として残っている。
  • インドに到着後は、ノルブリンカ近くのレセプションセンターにあるTransit Schoolに通い、英語とチベット語を2年半学ぶ。当時はABCもチベット文字も何も知らず、すべてが1からのスタートだった。その後、英語をコンピューターに特化した学校に通い、アメリカ人の先生について英語を2年半学んだ。
  • サラ大学にはチベット語を深く学ぶために来た。将来は小説家になりたいと思っている。英語、チベット語には十分堪能で、何かを言葉で表現することが得意。大学内の広報誌に彼の小説を掲載したり、小説のコンテストで賞を何度か受賞しているが、それだけでは満足していない。インドに亡命してきてから10年かけて1から言語を学び、言葉で表現する者として十分なほどその言語を習得してきた。だからこそ、次の10年にもっと彼自身のもつ可能性を伸ばせると信じている。チベット語での小説も書きたいが、チベット語では全人口が読んだとしても600万人しか読者を得ることができない。そのため、英語で書くことでもっと読者を集められ、チベットのことをより多くの人に伝えることができる。
  • 現在は、5年の翻訳コースを受講することを考えている。ダライ・ラマ公式オフィスが南インドに新しくつくったコースで、一期生として応募しているが、現在はまだ結果はわからない。しかし、大学卒業というディプロマの必要性もあり、今後のことは迷っている。
  • 空き時間はほとんど読書に費やしている。ライブラリーにある本は全部読んだと言っても過言ではない。サラ大学の学生のなかで一番本を読んでいると言えるほど、読書をしている。時には、バスケットボールをしたり、映画を英語でみたりしている。

支援してくださって本当にありがとうございます。みなさん一人一人がされていることは、本当に素晴らしく思っています。奨学金を受けている個人としてだけではなく、チベット人としても心からお礼申し上げます。

 

「Kunchokは何冊も何冊も本を読んでいるからでしょうか。彼が描写する言葉は豊かで不思議とぱっとその情景が浮かびます。ものを書くという生まれ持った才能があるのだと納得せざるを得ませんでした。また、彼の英語は他のチベット人、インド人とも異なりまるで欧米人のようなアクセントがあります。自分が得意としていることが何か知り、そしてそれを堂々と話すことができる姿にもとても驚きました。将来、彼の本が出版され手元に届くことが本当に楽しみでなりません。空き時間にご飯を食べたり、面談外でも話をしたりしたのですが、彼の豊かな感受性と抱える想いを知り、何度も胸が締め付けられるような想いをしました。2015秋スタツアのときから親交があり、毎回彼から多くのことを学ばせてもらっています。」

奨学生file.46 Lobsang Thupten

 

Lobsang Thupten

第8回スタツア秋 292縮小

 

  • 東チベット、カム出身。2000年頃にインドへ亡命。両親がより良い教育環境で子ども育てたいという思いがあり、インドへ彼を送ることを決めた。彼自身もインドの亡命を切に願っており、ここへ来ることはカルマだと感じている。
  • 父親はチベットで小さな商売をしている。母親は家事をしている。5人兄弟姉妹で、僧として海外で暮らしている弟もいる。
  • インド到着後は、両親の意向もあり南インドの寺院で勉強し、その寺院を卒業。寺院で勉強しているときから、チベット語の詩や文学に興味を持ち始め、独自に勉強をするようになった。そうして、サラ大学に進学し、自身の興味分野を深めている。サラ大学での勉強は、チベットの歴史以外はすでに寺院で勉強してきたものであり、難しさを感じることはない。
  • サラ大学を卒業後は、南インドの寺院に戻ることを考えている。良い教師になることが目標であり、その前にはまずきちんと教育を受けた人になることが求められるし、そのような人材になりたい。そのため、どの科目の講義も興味をもって学び続けることができている。
  • 週末はマクロードガンジに行ったり、詩を書いたりして過ごしている。他にも部屋の掃除や洗濯などの日常的な活動もする。好きなことはエクササイズなどの体を動かすこと。
  • 「支援してくださり、本当にありがとうございます。ベストを尽くせるよう頑張ります!」

「サラ大学では珍しく、英語を流暢に話すことのできるチベット仏教僧の学生です。話している間も冗談を度々挟みながら、気さくに話してくれました。」

奨学生file.6 Tenzin Choeying

 

Tenzin Choeying

第8回スタツア秋 305縮小

 

  • インド東北部シッキムで生まれ育つ。ウェストベンガルのCSTで1年〜10年まで過ごし、高校時代はムスリのCSTでサイエンスコースを卒業。サイエンスコースにいる頃から、チベット語に興味を持ち始め、自身の専攻とは異なるが、サラ大学に進学することを決意。
  • 将来はチベット語の教師を目指している。サラ大学を卒業後は、教員育成コースを受け、教師として働き始める予定。
  • Indiragandi National Open Universityにも籍をおいている。3年間のコースで現在は2年目になり、文系のコースを専攻。INOUは学費が高くないため、サラ大学と並行して受講することができている。
  • 両親は、シッキムのメンチカンで働いていたが、現在は退職。3人の姉と一人の兄がいる。姉の一人はCTAのライブラリーで、もう一人はDepartment of Securityで勤務し、兄はノルブリンカでチベットの伝統的な絵を書く仕事をしてるため、週末は兄弟姉妹がダラムサラで集まることができている。
  • 週末はライブラリーで読書をしている。趣味は絵を描くこと。これは画家として働く兄の影響もある。

奨学生file.49 Tenzin Dawa

 

Tenzin Dawa

 

  • ダラムサラ、マクロードガンジで生まれ育つ。UTCVで1年生から10年生まで学び、その後はチベット僧になるため高校進学はしなかった。しかし、寺院での修行や僧として生きることは合わないと感じ、寺院を離れた。
  • 父親はメンツィカンで働き、母親は亡命政府で働いている。しかし、両親の離婚とともに両親とは関係をあまり持たなくになった。
  • 違う大学も受験したが、サラ大学に惹かれたため進学。チベットの文化や言語が消えていっているなかで、それらを守るにはまずチベット語を勉強するべきだと考え、サラ大学で学ぶことを決めた。現在は、チベット語の他に第二言語として中国語を勉強している。チベットのために働きかける時、中国語が話せることは必須になってくるため、中国語を選んだ。また、中道アプローチを成し遂げるためにも、その過程で中国語は重要だと考えたため、チベット語、英語、中国語の3カ国語話せるように勉強している。
  • 将来はまずCTAで働きたいと考えている。政府という機関がどのようなものなのか、どのように今後活かせるのか知りたい。
  • 週末は、マクロードガンジで友達と会うことが多い。地元がマクロードガンジのため、多くの友達がいまも住んでいて、外泊することができる週末はマクロードにいる。趣味はバスケで、CTAにバスケットコートがあるため、そこで友達と集まってバスケをすることが多い。

奨学生file.9 Tenzin Dolkar

 

Tenzin Dolkar

4日目38ダラムサラ①香り玉食事会_4717

 

  • インド北部で生まれ育つ。両親はダラムサラ、マクロードガンジに住み、父親はウィンタービジネスをしている。母親はTibetan Women Associationのメンバー。二人の妹がおり、一人はTCVスジャの11年生、もう一人は来年彼女と同じサラ大学に入学する予定。彼女はマクロードガンジにあるTCVのDay Schoolに通い、11年、12年はUTCVで文系コースを専攻した。友達と過ごした日々が未だ懐かしく、友達や寮でのことなどを綴っていた日記を読み返すこともある。
  • サラ大学への進学は母親が決めた。より良い人生を歩むためにサラ大学を勧められたが、当初は他の大学に進学したいと考えていた。チベットの歴史を学ぶことに特に楽しみを感じている。しかし、チベット語はつまならく感じ、好きではない。
  • 将来はニュースレポーターになりたいと思っている。彼女の叔母がVoice of Americaのニュースレポーターをしているため、彼女も叔母と同じところで働きたい。
  • バスケや陸上、サッカー、ジャンプなどあらゆる種類のスポーツを学校時代はしてきた。バスケの試合で2位になったこともある。
  • 週末や放課後には洋楽を聴いたり、ダンスをしたりしている。他にも漫画を描いたり読んだりすることもある。

 

「自分の意思でこの大学を進学したわけではなく、まだ他の道に未練があるような雰囲気をなんども彼女からは感じました。部屋にも案内してもらい、彼女のダンスの動画なども見せてもらいました。」

奨学生file.48 Tenzin Kalden

 

Tenzin Kalden

第8回スタツア秋 301 (960x720)

 

  • インド東北部で生まれる。東北部にあるチベット人居住地区は最も貧しい地域と言われている。火を起こすのですら困難な状況にある地域。政府はそこの住民をカナダなどへ移住させる計画を立てており、住人らがインドを離れているが、彼自身は国外へ出る意志はない。2013年来、その地域には帰っていない。
  • 父親は学校の職員をしている。母親はデリーでウィンタービジネスをしているため、実家を離れている。兄弟は他にいない。一人の子供にすべてを分け与えたいという父親の以降から兄弟はいない。
  • TCVチャントラに通い、11~12年生はUTCVに通い、コマスを専攻。デリーの大学に進学しようと思っていたが、試験で良い成績を残すことができなかった。そのため、一年間浪人し、サラ大学のPre-Collegeで勉強した。その後、3番目の成績でサラ大学に入学した。もともとチベット語に興味を持っていたことが進学理由。「興味さえあれば、なんでも学ぶことができる」
  • 将来は翻訳家になりたい。特にこどもの童話を訳したいと思っている。現在、ロブサンセンゲ首相は、CTAを通して通訳者を探しているため、そのポジションに入ることを目指している。これまで4冊ほどの本を翻訳してきた。職に就く前にできる限り翻訳の経験を積めるように努力している。
  • 週末などは映画を見たり、短いストーリーを翻訳しCTAに送ったりしている。サッカーが好きだが、ダラムサラにはグラウンドがなく、練習ができない。広い土地がないダラムサラではバスケットボールが流行っているが、バスケにはあまり興味がない。

 

「質問する前に彼の方からたくさん話してくれるくらい明るく社交的。質問した内容の他にも、楽しかった経験や思い出などもたくさんシェアしてくれました。」

奨学生file.28 Tenzin Kunsang

 

Tenzin Kunsang

第8回スタツア秋 463縮小

 

Kunsangは、Guru Gobind Singh indoraprastha大学の工学部に通う1年生です。

彼の専攻はインフォメーションテクノロジー。元々は、同じ学校に通うTenzin Dakarと同様のコンピューターサイエンスを専攻したかったそうですが、入学時の点数がわずかに足りなかったそうです。そのため、コンピューターサイエンスとあまり変わりのないインフォメーションテクノロジーを選択しました。

IMG_4432 (960x720)
大学の校章

将来の夢は、ゲームプログラマーです。コンピューターゲームの分野で活躍し、特にチベット社会に対して何か働きかけていきたいと話していました。コンピューターゲームを開発していくことが夢ですが、自身もゲームをするのが趣味の一つのようです。週末は、大学の同じ寮にいる友達と集まって、ゲームを楽しんでいるようです。

IMG_4450 (720x960)
男子のホステルの前で

また、放課後はDakarと共にサッカーをして楽しんでいるようです。暗くなるまで、みんなで練習に励んでいるのだそうです。

IMG_4443 (720x960)
カフェテリアメニュー

大学を卒業後は、インドにあるITに特化した大学院に進むことを考えています。ゲームプログラマーになるためのさらに専門的な知識をつけたいと話していました。

IMG_4444 (960x720)
キャンパス

両親はダラムサラ近くのBirに住んでいます。現在は、ウィンタービジネスでグジャラティにいるそうです。彼の家族はグジャラティでアクセサリーを販売しています。お姉さんが一人いて、彼女はデリーにあるメンツィカンで働いています。同じデリーにいるので、たまに会ったりしているそうです。

 

中学3年生まで、ダラムサラ近郊にあるTCVに通っていました。その後、デラドゥンの学校に移りました。高校では、文系、商学系、理系の三つのコースがあり、高校の2年間ではコースに分かれて重点的に学び高等教育へつなげるというシステムがあります。彼はサイエンスコースを選んだそうです。そして、現在に至っています。

IMG_4454 (960x720)
KunsangとDakar

今回は、同じ大学で同じ学部のTenzin Dakarと一緒に会いました。Kunsangは、午前中に試験があったのでそのあとに駆けつけてくれました。笑顔の素敵な青年です。二人ともまだまだあどけなさが残り、先輩の奨学生とはまた異なった初々しい雰囲気がありました。今後、垢抜けていくんだろうなぁ…と勝手に想像しています。彼の将来が楽しみです。

IMG_4452 (960x720)

奨学生file.44 Wangdue

 

Wangdue

  • チベット自治区、ラサ出身。幼い頃に両親が離婚したため、母親と過ごす。兄と姉がいる。母親は再婚し、子供がいる。母親はポタラ宮の中でものを売っている。ラサでは農業は不可能なため、何かしらのビジネスに就かなければいけない。姉はインドへ亡命する途中で行方不明に。
  • 自身が14、15歳のときに親の意向でインド亡命を決意。ラサには学校に行かなくても、時間を潰す術(ゲームなど)はあるが、そこにいても将来がないと考えたため、ダライ・ラマの祝福をえるため、そして教育を受けるためにインドへ。
  • 幼い頃に僧になり、亡命前にマナリにある小さな寺院に連絡し、亡命後にお世話になることが決まっていた。しかし、南インドにある3つのメインの寺院の一つで教育を受けることになった。そこで、学士と同等のコースを卒業し、マナリの寺院に戻った。その後にサラ大学へ。サラ大学へは、チベット語をより深く学びたいと思ったため、進学した。寺院では、仏教哲学などは学べるが、それ以上にチベット語を学びたいという意思があったため、寺院を離れることになった。全ては自身の決断によるもの。2014年に1年間、サラ大学で進学準備コースを履修し、翌年入学した。
  • 卒業後は、マスターコースに進みたい。チベット社会に働きかけるソーシャルワーカーになりたいと考えている。
  • 時間があるときは、友達と話したり課題をしたりしている。一年生は課題が特に多い。特定の趣味はないが、自分がしたいと思ったことを自由にしている。