ダラムサラでチベットの新年を迎えました!

 

ロサルタシデレ!(新年あけましておめでとう)

お久しぶりです!インターン一期生のゆうかです。
現在、ダラムサラに滞在し、レインボーチルドレンの仕事を少し手伝わせてもらいながら、日々チベット語を勉強しています。

先日は、チベットの新年でした。チベット暦2145年目の新年です。
ロサルは2週間ほどにわたってお祝いされるようですが、特に最初の三日間が重要な日として位置づけられています。

チベット人がダラムサラでどんなロサルを過ごしているのか、私の体験から少しご紹介できたらと思います。

ロサルは準備から大忙しです。
大掃除はもちろんのこと、カプセと呼ばれる揚げ菓子を作ったり、祭壇の飾り付けをしたり。町もいつも以上に賑わいます。

ロサルといえばカプセ

大晦日、友人の家に招かれました。
「グトゥク」と呼ばれる年越し雑煮を食べるためです。
チベットの特にアムド地方の遊牧民にとってはグトゥクなしの大晦日は縁起が悪いんだとか。
グトゥクの中には小さな団子があり、自分のお椀に入っていた団子で新しい一年を占います。
団子を開くと「無病息災」「長寿」「富に恵まれる」などの良い言葉や「怠ける傾向にあるからしっかり働きなさい」「嘘をつかず、正直になりなさい」などの戒めの言葉もあったりして、ドキドキしながら団子を開きます。

私は「長寿」と「腹黒い人」という言葉をもらい、みんなに笑われてしまいました。今年は、私欲なく清らかに日々を過ごせるよう精進したいと思います。

そして、ロサル1日目。
朝からチベット伝統衣装チュパを着て、お寺にお祈りに行くのが風習です。色鮮やかなチュパはチベット人に本当に似合っています。そんな彼らを眺めるのが私のロサルの密かな楽しみでもあります。(笑)
私も、チベットで作ったアムドチュパを着ました。

ダラムサラにあるダライ・ラマ法王のお寺(ツクラカン)では、特別な祈祷や伝統舞踏などが行われます。

また一年にこの日だけ見ることのできる特別な護法善神を拝むため、多くの人が早朝から列をなしていました。
そしてお寺にお参りに行ったあとは、家でゆっくりするのが新年初日の過ごし方なんだそうです。

護法善神を一目見ようとならぶ人々
バターでできたオーナメント

2、3日目は、親戚や近所の人たちを家招いたり招かれたり、地域の住民が大勢集まって歌やダンスをして盛り上がるのが風習だそうです。
私は、二日目にはアムド出身の人が集まるアムドロサルに行ってきました。
約400人ものアムドチベット人が一堂に会し、美味しいご飯を食べたり、歌ったり踊ったりして楽しみました。

インドに亡命してきたチベット人だけでなく、今年はチベットからインドに巡礼に来ているアムドチベット人も多く、アムド出身者がみなロサルを楽しく祝えるようにと国外にいるアムドチベット人たちが寄付を募り、特別にアムドロサルが開催されました。
チベット人は生まれた地域への帰属意識が強いですが、アムド出身の人たちは特に同郷意識が他の地域と比べても強く、アムド人同士お互いに助け合っている印象があります。


ロサルはチベット人にとって一年のなかで最も重要な祝日の一つです。
ここダラムサラでチベット人とともにロサルを迎えられたことは、私にとってもとても特別で貴重な体験でした。

 

今週からチベット語の学校がまた始まりましたが、「ロサルどうだった?何したの?」とみんなの話題はロサル一色です。まだまだロサルの余韻は続きそうなダラムサラです。

ご飯のなかにナッツやドライフルーツが入っていて、お祝い事の時にたべます

 

規模は世界一!? ラダックで祝うダライ・ラマ14世の誕生日

 

毎年、7月6日はチベット仏教を信仰する者にとって重要な日であります。

チベット仏教の最大の指導者であるダライ・ラマ 14世の生まれし日。世界中で多くの人々が集い、法王さまの誕生日を祝います。

 

ここラダックでも同じです。チベット本土で法王さまの誕生日を公式に祝うことが禁止されている今、むしろラダックは世界で最も盛大に祝うといっても過言ではないかもしれません。

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ラダック中から人が集まってきます

今年は、残念ながらチベット本土だけではなく、ネパールでも7月6日の記念式典を公式に祝うことがネパール政府によって禁止されてしまいました。

詳しくはこちら→ 強まるチベット難民への弾圧ーダライ・ラマ生誕記念式典も中止に

 

「Yuka 、7月6日までは絶対ラダックにいてね!」

ラダックでの記念式典は特別なんだそう。ステイ先のお家にもインド各地から親戚が集まってきて、一層にぎやかに!

前日からチベット人学校で法王さまの誕生日を前に、コンサートがあったり、ケーキを焼いたり、当日の飾り付けをしたり大忙し。

そして迎えた当日。

朝からワクワクする気持ちが町中に溢れ出しています。

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屋根のタルチョもこの日に新しくします。

みんなチュパを着て、おめかししてでかけます。私ももちろんチュパを着せてもらいました。

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チョグラムサルには、法王さまがラダックにいらした際にステイされる小さな宮殿があります。そのまわりには大きな広場が広がり、そこにラダックじゅうから人が集まってくるのです。

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法王さまが宿泊される宮殿

親戚や友人、ご近所さんとたくさんの人がテントにやってきてはチャイを飲み、おしゃべりし、法王さまの生誕を祝います。

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広場にはたくさんのテントが並びます。

 

チベット人、ラダック人ともに心からこの日を楽しんで、法王さまを想う姿に、私の心も満たされていました。

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また一つ、チベットにとって大切な日を迎えられたことをとても嬉しく思います。

 

どうか信仰の自由がここインドで守られ続けますように。

 

行けるかどうかは運次第!? 世界最大の仏教僧院 ラルンガルゴンパ

 

東チベットに位置するラルンガルゴンパ(喇荣五明佛学院)は、世界で最も大きな仏教僧院群と言われています。

1980年代に、一人の高僧ケンポ・ジグメ・プンツォクがお寺を建設しました。仏教学と瞑想のためにラルンガルゴンパを建てた師の元に多くの僧尼が集まり、次第に巨大な僧院となっていったのが、ラルンガルゴンパの始まりです。

ケンポ・ジグメ・プンツォク逝去後も、1万人を超える僧尼が暮らしています。

 

東チベットを旅する旅行者のほとんどは、このラルンガルゴンパを目指して旅をしていると言っても過言ではありません。ですが、中国政府によって度々規制がかかり、今年は6月からラルンガルゴンパへの外国人及び外国メディアの立ち入りは全面的に禁止されています。

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中国政府は、ラルンガルゴンパにいる1万人の僧尼の数を半数の5千人にすると発表しました。さらに、5千人分の居住空間を残して、その他の住居は取り壊されることも決まっています。

これらが外国人締め出しの理由になっています。

(International Campaign for Tibetより)

今年9月にはチベット自治区ラサ地方から来ていた僧尼の退去が余儀なくされました。悲しみにくれる尼僧のビデオが届いています。

今後さらにラルンガルゴンパを追われる僧尼の数は増える一方だと予測されます。

 

ラルンガルゴンパのみを故郷としてきた数千人の僧侶、尼僧たちが、新たな場所で仏道を実践していくことは大変困難です。

2000年代初めに取り壊された際に、ラルンガルゴンパを後にした僧侶たちが、成都などで物乞いしている姿も報告されています。中国政府がチベット全土の多くの僧院を操作しているため、新しく僧院に入ることができないことが問題となっています。

 

中国政府によって破壊された寺院は復興の一途をたどり、信仰の自由を取り戻しているという情報もありますが、果たしてそれは真実なのでしょうか。

 

ラルンガルゴンパの現実もさることがなら、他地域の寺院でも「ダライ・ラマ」という言葉を発することさえできない僧侶に何人も会いました。

 

私が東チベットを旅行していた8月も、ラルンガルゴンパへ外国人が入ることは禁止されていました。東チベットを旅行する目的の一つでもあったラルンガルゴンパに行くことは絶望的と思われたのですが、先に入っていた旅行者の情報があったこともあり、運良く入ることができました!

 

丘から見下ろすと目の前に広がる圧倒的な僧院の数。

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丘からの眺め

 

一見、何事もないかのように見えますが、手前の一角で取り壊しが始まっていることが確認できます。

 

今日現在、国連人権委員会やStudent For a Free Tibetなどのチベットをサポートする団体を始め、ラルンガルゴンパを守るための活動が盛んになってきています。

一人でも多くの方に、チベットで起きていること、ラルンガルゴンパで起きている現実を知っていただければ大変嬉しく思います。

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ラルンガルゴンパの夜景 Photo credit by Hiroki Tanikawa

 

ラルンガルゴンパの存続、信仰の自由が守られることを祈りつつ、建設的な議論の場が持たれることを心から願っています。

 

ラルンガルゴンパ、チベット人の信仰の自由を守るための署名もよろしくお願いいたします!
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インドのチベット 秘境ラダックに行ってきました!

 

Tashi Delek! (チベット語でこんにちは)

インターン1期生のゆーかです。

インドでのインターンが終わり、ラダック、チベットの旅にしばらくでかけていました。一部ではありますが、ラダックやチベットの様子をお届けできたらと思います!

 

さて、ラダックがどこにあるかご存知でしょうか。

ラダックは、インドの最北、ジャンム・カシミール州に位置し、厳しい自然環境のなかにあります。

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8世紀頃にチベット本土からチベット系民族がラダックの地に流れ込み、チベットの文化を守りつつラダック王国として栄えてきたという歴史があります。

 

私は、本土チベットよりもチベットらしさが残っているとも言われてるラダックに行ってみたくて、陸路が開通する夏の合間を狙ってデリーから計30時間以上のバス旅でラダックまで行ってきました!

 

ラダックへは空路と陸路(夏の3ヶ月のみ開通)の二つの選択肢があります。私はお金のないバックパッカーなので、もちろん陸路でラダックの中心地、レーまで向かいました。

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デリーからマナリはVOLVOバス(インドでは快適な高級バス)なのですが、マナリからレーは乗り合いジープでの過酷な道のり。断岸絶壁、未舗装の道を飛ばしていきます。

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雪の上も川のなかもおかまいなしにジープは進んでいきます。

 

 

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もう二度と通りたくないほど過酷すぎる道ではありますが、こんな世界があるのかと寝る間も惜しんで景色を眺め続けた私でありました。

 

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マナリを出て、20時間ほど経ってやっと平地になりました。

 

標高5000メートル以上の峠をいくつも越えて着いたはチョグラムサル。中心地レーの近郊にあるチベット人が多く住む小さな町です。

 

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ステイ先のお家。チベット人、ラダック人のお家の屋根にはタルチョがあります。

マナリ→レー間は高山病に苦しむ人が多いなか、どういうわけか高山病にもかからず、元気にチベット人の友だちの実家に着いたことにまずほっと一安心。

 

水道もインターネットもたまに電気もない生活の幕開けです!

 

 

ゆうかのインド奮闘記 まとめ②

 

レインボーチルドレンでのインターンを語るにははずせないチベット。

最初にこの国を知ったのはいつだったでしょうか。

 

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恥ずかしながら数年前までは、チベットがどこにあるのか、
どんな人が住んでいるのか、全くもって知りませんでした。

 

それが今は、チベットに惹きつけられて仕方がない。

 

もともとはアフリカ一筋だった私。
アフリカを想うとワクワクする。

チベットを想うと、心が穏やかになる。
向き合わなければ…という想いに駆られるのがチベット。

 

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チベット人の学生たちと関わる中で、彼らの夢や勉強にかける想いを知りました。なんと真摯に祖国チベットを思って夢や人生をかけていることか。

 

「国」という概念を改めて考えるようになったのは、紛れもなく彼らがいたから。

チベットを政治的、文化的、教育的、様々な方面から支えようと尽力している大人や若者に出会う度に、胸を打たれました。

 

時には、チベット人としてのアイデンティティを守り抜こうとする葛藤や苦悩する姿を隣でみて、どれだけその苦悩を思っても、私は核心には近づけないことにはがゆさを感じることもありました。

いっそ私もチベット人だったら、もっと理解することができるのではないか…と思うこともありました。

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しかし同時に、日本という国、文化、そして日本のこれからを考えるようになったのも事実。

 

一日本人として、日本を背負っていく責任がある。

日本人だからこそ、チベットに対してできることがある。

 

一つ一つの出会いや交わした言葉、過ごした一瞬一瞬から、
今、そう思えます。

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私にとって、

チベット文化はもうどこかアジアの文化ではなく、

チベット人はもうどこか知らない国の人ではなく、

チベット問題はもうどこか遠くで起きていることではなく、

 

チベット文化は美しい国の尊い文化であり、

チベット人は大切な友人、そしてその家族であり、

チベット問題はいまこの瞬間も友人たちが抱える現実です。

 

 

今後チベットにどのように関わっていけるのかはまだわからないけれど、私なりのかたちでずっとチベットに関わっていけたらと思っています。

 

そして、この夏にチベット文化が色濃く残るラダック、そして本土チベットにも行ってきたので、現地の様子もまた少しづつアップしていきたいと思います!

 

最後になりましたが、レインボーチルドレンの皆様、心配をかけながらも温かく見守ってくれた家族と友人、インドでお世話になったたくさんの方々、心より感謝申し上げます。

 

 

 

ゆうかのインド奮闘記 まとめ①

 

ナマステ〜

お久しぶりの元現地インターン、ゆうかです。私の任期は終了したので、今日は日本から更新します!

現在は同じ大学の友人ダイキがインドで絶賛奮闘中です。灼熱のインドに負けず、頑張ってる様子はこちらから!(ダイキのGo!インドMyWay

 

さて、インドから帰ってきて早くも3ヶ月が経とうとしています。でも未だにフラッシュバックするインドでの生活。

 

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けたたましいクラクション。

どこにでもいる牛たち。

道端のおじさん、おばさんとの他愛ない会話。

どこかスパイスの混じった埃っぽい匂い…

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ほんとに小さな日常が私の中に刻み込まれていたことを改めて感じます。

 

昨年の9月にインドに来たときは、この非日常の世界に溶け込むことができるのか不安でいっぱいでした。けれどいつの間にか、あの非日常が私の日常になっていたのだと日本に帰って改めて思います。

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振り返ればあっという間の半年間。

悔しい想いもあります。もっとやれることはあったのではないかと思うこともあります。

 

でもやっぱり、楽しかった。

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スラムの子供たちと過ごした過ごした時間。

 

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日々深まるインドやチベットの知識。

 

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かけがえのない出会い。

 

この半年間、思うようにはいかなかった。
そこはやっぱりインド。いま必要なことにしか道は拓かれない。

 

いま進めるべきプロジェクトではないと言っているかのように、前に進めることができない理由が突如として現れる。

 

一方で、進むべき方向には吸い込まれるようにして道が拓ける。

 

だから偶然か必然かたくさんの出会いがあり、困ったときは救いの手がそこに差し伸べられていました。いつも守られていることを実感したそんな半年間でした。

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まとめ②に続きます。

 

奨学生file.12 Tenzin Yangdon

 

Tenzin Yangdon(テンヤン)

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彼女は、Guru Gobind Singh Indraprastha(通称GGSI) 大学の学生。彼女の専攻は看護学部です。GGSIのメインキャンパスは、デリーのDwarkaにあるのですが看護学部は、デリーの中心部にある国立病院に併設されています。政府の病院のため、私立病院と比べるときれいではないそうですが、その病院で座学も実習も行っています。通常はインドの大学は3年制ですが、看護学部は4年制です。1年生は、病棟での実習を行い、2年生になると様々な科に配属され、実習を行います。彼女は泌尿器科で実習をしていました。しばらくするとまた違うところに行き、それぞれの科で知識と経験を積むのだそうです。4年生になると夜勤なども始まり、実際に看護師として勤務するための準備をします。

実習先の病院
実習先の病院

 

午前中は病院にいき、そこで実習をします。午後は、クラスでのレクチャー。その後、部屋に戻って毎日の課題をするそうです。看護学部の学生は忙しく、この繰り返しで4年間が過ぎていくのが普通なのだそうです。実習はなるべく多くいくことが求められ、休み返上で病院での実習に行かねければいけません。忙しくてなかなか遊ぶこともできないと話していました。

 

将来はマスターコースに行きたいという思いもありますが、まだ明確には決めていません。マスターにいくには、最低でも数年間の勤務経験が求められることが多いそうです。私立の病院より、政府の病院で働く方が終身雇用でお給料も良いのだとか。なので、政府の病院で働きたいそうです。

 

看護師を選んだのは、この仕事が好きだからなのだそうです。毎日患者と接し、患者の健康状態だけではなく、一人ひとりの患者やその家族の背景にも触れ、日々学びに溢れている看護師の仕事にやりがいを感じているようでした。多くの学部はただレクチャーを受けて家に帰ることが多いですが、看護師はレクチャーの学び以上に社会に触れて社会を知ることのできる仕事なの、と誇らしげに話してくれました。

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彼女はデラドゥン出身です。彼女の両親は離婚したので、母親と一緒にいます。彼女の母親はデラドゥンの学校で事務をしているそうです。ダラムサラにあるUTCVで10年生まで学び、サイエンスコースを専攻したため、ムスリのTCVで高校生活を過ごしました。

カフェにて
カフェにて

 

彼女はとても明るい学生です。病院を案内してもらった時も、元気に患者さんや看護師、スタッフの方と挨拶を交わしていました。持ち前の明るさと社交性で実習先の病院でも良い人間関係を築いていることが伝わってきました。

プレゼントもらいました
プレゼントもらいました

奨学生file.3 Tenzin Tsidup

 

Tenzin Tsidup

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2013年10月新入学当時

 

デリー大学、Rajdhani Collegeに通う学生です。3年間の学生生活があと1セメスターで終わります。専攻は政治学。政治学を学ぶことにしたのは、今起きていることに直結する学問だからなのだそうです。「テレビをみているだけでもテストで50パーセントは取れる」と笑いながら話していました。

 

卒業後は、進学ではなく就職の道に進むそうです。まずは、フォトグラファーとして一年間活動し、自分でお金を稼ぐこという経験を積まなければならないそうです。その後に親戚のいるアメリカでなにかしらのビジネスを始める予定です。アメリカに行くことは彼の夢ではないのですが、それは全て家族を支えていくために海外に渡ります。

 

もともとはアニメーション作家になりたいと思っていましたが、親の反対もありその夢は断念しました。小さな頃から勉強よりも絵を描くことがすきで、ずっと手を動かして何か書いていたそうです。両親は大学に行って学位をとることを勧めたため、どの道を選ぶべきなのか悩むことも多かったと言います。

 

インド北部のマナリ出身のTsidupの両親は、夏場はマナリにいてお店を経営しています。雪が深くなる冬には、コルカタでウィンタービジネスをしているのだそうです。兄は、看護大学を卒業し、マナリの病院で看護師として働いていましたが、今は両親の手伝いをしています。

Lower TCVで幼少期をすごし、卒業後にゴバルプールにあるTCVでアーツを専攻しました。

 

以前は、チベット人学生のための寮にいたそうですが、ご飯の時間や消灯など時間が決められた生活が息苦しく感じ、現在は友人とシェアルームして暮らしています。忙しい勉強のほかに、掃除や自炊をしなければいけませんが、それも楽しくやっているそうです。

 

話すのはあまりすきじゃないと言っていましたが、日本やインド、チベットの文化のことについてもたくさん話してくれました。彼の大学は外部者がキャンパスに入ることを禁じていたので、大学の様子がわからなかったのは残念でしたが、チベット人が集まるマジュヌカティラでお茶をしながらゆっくり話すことができてよかったです。

ゆうかのインド奮闘記⑧ チベット人学生との交流からふと思う

 

ナマステ!現地インターンのゆうかです。

先日、サラ大学に一週間ほど滞在し、レインボーチルドレンが支援する学生たちに会いにいきました。

サラ大学(College for Higher Tibetan Studies)とは、ダラムサラの麓に位置するチベットの文化や言語、宗教を次の世代へ継承していくために創設された大学です。

実際にチベット本土から亡命してきた人も学生のなかには数多くいます。

 

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学生との面談や教員の方々との雑談、放課後の何気ない交流などを通して、チベット社会がさらに深く見えた日々。今日は、サラ大学での滞在を通して感じたことを綴ります。

 

 

”家族にも伝えず、国を離れてきたこと”

「国境を越えたときに初めて家族に連絡できた」

 

”追いかけてくる親を振り払ってまで、山を越えたいという意思”

「教育を受けたい、チベット語を学びたい。ただその一心だった」

 

”死と向き合わせで越えたヒマラヤ” 

「いつ中国政府に見つかってしまうかわからないその恐怖で、凍傷しかけた手足に気付いたのは国境を越えた時だった」

 

”親や兄弟がまだ投獄されていること”

「家族とは1年に一度連絡が取れたらいい。話したいことはたくさんある。けれど、今どこにいるかさえ伝えられないんだよ」

 

 

彼らと交わす言葉一つひとつが胸に突き刺さる。

本やドキュメンタリーを通して知っていても、実際に学生から聞くことはまた異なる重みがありました。

この短期間に彼らが歩んできた人生を十分に受け止められる自信など到底なく、彼らの発する言葉一つ一つにただただ全身全霊で向き合うことに集中していました。

学びに対する熱い想い。

チベットの文化を守りたい。その一心で勉学に向き合う姿。

心から彼らを敬う想いを抱いてやまない。同じ学生として触発されて仕方ない。

 

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彼らの私生活にも驚きました。

空き時間には何をしているの?と尋ねると、

「詩を読んでいる」「詩を書いている」

そんな答えが多くの学生から返ってくるのです。

 

「IC(Identity Certificate)はただの名前が書かれた身分証明書であり、自分の国はどこにも記されない。無国籍と書いてあるだけ。この地球に生まれたのに、どこにも属していないかのような感覚をもつことがあるんだ。」

 

そんな胸中を明かしてくれた学生もいました。

彼も日々、詩や物語を書いているそうです。

内に秘めたこの溢れんばかりの想いを外に吐き出す手段の一つが詩なのでしょうか。

 

いつか彼らの紡いだ言葉に触れてみたい。

いつか彼の書く物語を読んでみたい。

サラの学生は言葉で伝えることに長けた学生が多いことに気づきました。ただ話している時でさえその情景が目に浮かぶ言葉の豊かさ。

失われようとしているチベット、チベットの言葉、文化がこんなに豊かに彼らの中に生きているということ。

 

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本土では日に日に弾圧が強まり、チベット語を学ぶ機会はほぼありません。チベット語を話すだけで、罰金を払わなければいけない地域も存在します。こうした状況に焦りを感じながらも、こうして前に進もうとしている学生がいることが何よりもの希望です。

 

彼らがいかにチベット社会にとって貴重な人材であるのか、チベット社会のことを深く知るようになり改めて感じています。

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Dechen Yangtso

 

  • チベット、カム出身。2005年にインドに亡命した。両親が離婚し、父親の以降で亡命することになった。父親は現在仕事をしていない。学校教育を受けていなかったことが大きな理由になっている。6人兄弟姉妹の一番上の姉。他の兄弟姉妹は中国の学校に通っている。
  • TCVスジャに10年生まで通ったあとは、TCVゴバルプールで2年間過ごした。チベット語を学びたいという思いがあったため、サラ大学へ進学した。
  • 将来の夢は、チベットでチベット語を教えること。そのためのスキルを培うために、サラ大学は最も良い場所。サラ大学でチベット語を学んだとしても、チベットに帰るための許可証をもらえるかはわからない。その時の状況による。
  • 昨年、チベットに帰ろうと試みたが中国政府に捕まってしまった。ネパール国籍の偽パスポートを作り、ネパール経由でチベットに入国するつもりだったが、ばれてしまったため、4ヶ月ネパールの刑務所に入った。殴られることはなかったが、何度も拷問を受けた。
  • 時間があるときは、エッセイを書いている。趣味の一つになっている。他にも読書したり、音楽を聴くことも好き。

 

「とても落ち着いた雰囲気をもつ学生。彼女自身が捕まったと聞き驚いたが、彼女の淡々と語る姿が印象的だった。」