ダラムサラへ到着。そして目の当たりにしたチベット人の現状。。

 

みなさんナマステ!

今日までに色々と起こりましたので以下簡単にまとめます。
・列車に乗ったら「降りろ」と言われ泣きそうになってたら結局違う列車だった
・モロコシ食いのリキシャじじいと言い合いになる、バスのチケットをもらわずにバス乗り場に着き慌てる
→全ては「白キャップ男」のせい
・夜行バスの休憩地でまさかの携帯紛失
→あたふたしてたらレストランのおっちゃんが電話してくれ、おばちゃんが拾ってくれてた

 

さて、無事に(?)ダラムサラに着きました。
今日は雨ときどき曇り。気温は20度。霧が町全体を包んでいます。

少ない晴れ間の瞬間に撮りました

24日までトゥプテンというチベット人のお宅にホームステイさせていただいてます。
家の主であるトゥプテンは日本語ぺらぺら。6年ほど日本に住んでいたそうです。奥さんのパサンと子ども2人の4人家族で、子どもたちは遠く離れたチベット人学校で寮生活をしているため現在は二人暮らし。

しかし、トゥプテンは明日22日にダラムサラを発ちます。
アメリカへ行くためです。仲間5人中、アメリカのビザが出たのはトゥプテン一人だけ。ビザが出て正式に行くことが決まったのが17日。
出発ギリギリまで荷物の準備や挨拶周りのようです。

ビザ申請は彼にとって初めてではありません。これまでにベルギーやフランス、スイス、日本でも申請しましたがビザは下りませんでした。
今回ようやくビザが下りたことで、トゥプテンが先にアメリカで2年ほど暮らし、その間に家族の難民申請を行うとのこと。
よって最低2年間は家族と会えないのです。

お母さんに最後の挨拶。「母は高齢でいくつかの持病を抱えているため、数年後に帰国しても会えるかわからない」とトゥプテンは言う。

 

私はこんなにすぐチベット人の現状を目の当たりにするとは思っていませんでした。
より良い生活を、より安定した身分や権利を得るには、国境をまたぐ方法を模索しなければならないという現実。
加えて、そこに至るには日本人より遥かにハードルの高い現実が待っています。

私は彼らの現状を理解し、彼らの思いにせまれるのだろうか。
これは今回訪問中の私の願いでもあります。

 

 

以下、その他に印象に残ったことを書きます。

・チベット人に対してインド政府が発行する証明書(IC:Identity Certificate)には、出生地(Place of origin)はTIBETと明記。アメリカビザの国籍部分はIndia。
・2人の息子はどちらも6歳からチベット人学校で寮生活を続けている。亡命チベット人にとってこれは特別なことではない。小さい頃から親元を離れて暮らすことに対してどう思っているのか聞いてみると、トゥプテン曰く、もちろん離れることは寂しいが親は子どもたちに近代教育を受けさせる義務があるとのこと。親が子どもに何を伝えていかなければならないかは教師とも話をするそうだ。

 

ブッダガヤ最終日

 

年甲斐もなくドミトリーの子どもたちと川辺でサッカーをしたら、朝起きれんかったとです、五郎です。。
(九州男児感を出すとあの人になってしまう・・)

 

今日がブッダガヤ最終日。

学校の先生やドミトリーの子どもたち、ゲストハウスの人たちにお別れの挨拶をしました。
みんなほんとに優しかった!

 

ブッダガヤでのベストショットをいくつか載せますね!

通りで野菜を売っている女性に、見知らぬ野菜について聞いた後の一コマ。横にいた子どもたちは、レンズを向けると急に恥ずかしがり始めました。

村を歩いているときに出会った兄弟。お兄ちゃんの弟への眼差しがとても優しかったのが印象的でした。

毎朝行われるお祈りの時間。全校生徒が教室の外に集まって熱気むんむん。

列車に乗る前に現地NGOの指揮官と一枚。とても忙しい方ですが、精力的に協力してくださいます。

 

これからデリーへ夜行列車で向かい、その日のうちに夜行バスでダラムサラへ!
自分でもすごいスケジュールだなと思いつつ、初のダラムサラにうきうきしております。これからチベットに関することもどんどん書けるといいです。

 

次回はダラムサラから!
See you soon.

 

インドの給食

 

ヒンディー語を少し話せるのがインド人に浸透してきて、ネイティブ並みの速さのヒンディーを聞き取るのに苦労しています、五郎です!インド人は容赦ありません。。

今日は丸一日、授業を見学しました。授業の邪魔にならないように教室に忍び込みたいのですが、僕を見るを否やみんな立ち上がって挨拶をしてくれます。先生たちにはかなり申し訳ない気持ちです。自分が教員の時に邪魔されたら正直嫌ですね汗

さて、私が関わらせてもらっているのは「ニランジャナパブリックウェルフェアスクール(通称ニランジャナスクール)」という学校で、インドの中でも貧困州の一つであるビハールの「ブッダガヤ」に建てられています。インド人には、「ボードゥガヤー」と言うと通じやすいです。仏教の開祖であるブッダが悟りを開いた地として有名な場所ですね!

ニランジャナスクールは貧困層の子どもたちに質の良い教育を提供するため設立されました。主に日本のNPOからの資金で運営されており、私はそのうちの一つの団体に所属しています。今回は2年前に4~5日訪問した以来の訪問です。

 

今日はランチタイムにも教室にお邪魔しました。
お弁当の入れ物がインドって感じ!チャパティと野菜の入ったカリーの二段が定番です。

インドでは世界最大規模といわれる給食プロジェクト(Midday Meal Scheme)が国全体で実施されてきました。しかし、その対象となる学校は、政府が認可している学校のみにとどまっており、ニランジャナスクールは対象外です。しかし、ここニランジャナスクールでは東京で活動されているTeam Peace Challengerのお陰で、週に2回給食を実施することができています。

今日は水曜日なので給食はありません。ランチタイムになると、家の近い子どもは帰宅し、遠い子どもはお弁当を持ってきます。子どもによってはお弁当を持ってこれず、手持無沙汰にしている姿を見かけます。

給食が食育や学習態度に与える影響は日本でも研究されており、無視できない教育活動の一つです。子どもはもちろん、家庭、さらには村全体に対しても大きなインパクトを与える給食が完全実施できる方法を我々は見つけなくてはならないと考えています。

 

すでに日本食が恋しくて、ゲストハウスでお好み焼きを作った五郎でした!

 

デリーのリトルチベット?!マジュヌカティラでチベット人奨学生に会った

 

ニワトリを抱えて道を猛ダッシュするインド人A

(インド人が道端で走るの珍しいな・・しかもニワトリ抱えて)

しばらくして、その後を猛ダッシュで追いかけるインド人B

(ん?もしや・・・)

インド人B:「捕まえろー!」

(まじかよw)

結局、道の先にいたバスが右折しようとしてインド人Aと接触しそうになり、インド人Aはニワトリを手放すことに。

インド人Aは捕まえられなかったけどニワトリは取り戻せて一安心のインド人Bの図

 

皆さまこんにちは!五郎です。

今日はブッダガヤ2日目。

8月15日はインドの独立記念日でもあります。今日は私が関わっている学校でも、記念行事が行われ、子どもたちがダンスや歌を披露していました。

子どもたちは旗はもちろん、インド国旗を彩ったサンバイザーのようなものを被ったり、リストバンドを身に着けたりしていました。

 

さて、8月13日(日)はチベット人が住むマジュヌカティラという所でレインボーチルドレンの奨学生であるペマに会ってきました!

ペマはJamia Hamdardというイスラム系の大学で看護を学んでいます。看護のコースには20名程のチベット人学生が在籍しており、チベット人の女子学生の間で看護師は人気があるようです。

詳細は第一期インターンのゆうかさんがレポートしていますので是非ご覧ください!(奨学生file.13 Pema Bhuti)

今回はペマにマジュヌカティラを案内してもらい、Tシャツを購入したり一緒にご飯を食べたり、日本のレイチルメンバーとビデオチャットをしたりして楽しみました。

もともと奨学生として一番目に会ったのは、日本から彼女にノートパソコンを渡すように頼まれていたからです。ペマも4回生になり、ゼミの論文作成と発表のためにパソコンが必要でしたが、購入する余裕はありませんでした。

そこでレイチルメンバーが保有していた新古品のパソコンに、Windows英語版OSをインストールしたものを渡すというミッションがあったのです。

この海外でのデバイスリユースというスキームは、途上国に平等な教育機会を創出するNPO法人Class for Everyoneの高濱代表に協力頂いたものだそうです。

短い時間でしたが、とても気さくで優しい印象でした。

10月の奨学生ミーティングでまた会えるのを楽しみにしています!

 

九州男児、インドのスラムでGoro先生になる?!

 

リキシャドライバー「どこに行くんだ」
自分「ブッダガヤ。いくら?」
リキシャドライバー「300ルピー」
自分「無理無理」
リキシャドライバー「ナイスプライスだよ、友達」
自分「無理無理」
リキシャドライバー「何ルピーだ?」
自分「150」
リキシャドライバー「無理無理、君だけにベストプライスだ。200!」
自分「無理無理、他のリキシャに聞いてみる」
リキシャドライバー「オーケー・・・150」

 

みなさんこんにちは!五郎です。
ちなみに列車で話したインド人に事前に相場を聞いてました。だから強気でいけますw

到着予定時刻とほぼ同時刻にガヤ駅に到着しました。
今日のブッダガヤは激しい雨です。2年前に同じ季節に来た時もよく雨が降っていたのを思い出しました。

 

さて今回は、インドに到着した11日から12日までのことをまとめて書こうと思います。

8月11日(金)

深夜の1時過ぎにデリー空港に到着。

中国東方航空の上海経由で来たのですが、なんと日本に住むインド人の友達と一緒の便でした。お陰で初めてのSIMカードを空港で購入。

しかし、迎えに来てくれるはずのサンタン(レイチルの奨学生)が来ず、あきらめてタクシーでデリー市街へ向かいました。やっぱり深夜便は不便ですね。地下鉄が動いている時間に到着できれば、安いしすごく楽なのですが。。

朝4時ごろから昼の12時過ぎまで部屋を借りて休みました。なにはともあれ空室があって助かった!

レインボーチルドレンの奨学生の一人サンタン。スラムから大学院に通う。

その後、サンタンと連絡が取れて合流し、スラムツアーとスラムスクールの見学をしました。
スラムはバルジートナガルという場所にあり、RKクリシュナマーグ駅から地下鉄とリキシャを乗り継いで行きます。

デリー最大35,000人が住むスラム。
  • この地区の中でも開発の進み具合に差がある。
  • スラムに住む人は週に何度か来るトラックから水を買う必要がある。
  • トイレが設置されていないところが多く、公共のトイレを使うにはお金を払わないといけない。
  • 高台に行くほど、貧しい印象。
  • スラムスクールには17歳前後の先生が多く、サンタンが放課後彼らに英語を教えていた。
  • 何か子どもたちに教えてってことで、子どもたちの名前を日本語にしてあげて練習させたり、「幸せなら手をたたこう」を歌ったり、手遊びを教えたりする。

 

8月12日(土)

昼過ぎからスラムへ。

サンタンが所属するWahoe Communeはデリー以外にもスラムスクールを運営し、女性のエンパワーメントも行っています。

スラムの近くにある現地NGO、Wahoe Communeの事務所

今日は13名ほどの女性が集まって、ミシンの練習をするのを見学しました。特に先生がいるわけでもなく、彼女らで教え合いながら練習していました。

途中で、日本の方が3名来られ、女性たちに布たわしを教えたり子どもたちと遊んだりして過ごされていました。子どもたちは「じゃんけん列車」や「なべなべそこぬけ」で盛り上がってました。

校舎は狭いのでちょっとした広場があるといいな。トイレは近くにもうすぐできるって言ってたけどいつになるのかなw

Wahoe Commune Schoolの子どもたち

一旦、スラム見学は終了。

またデリーに帰ってきたら来ようと思います!またねー!

 

初めまして。インターンの五郎です!

 

自分「お腹の調子が悪いんだ」
インド人「何か変なもの食べた?」
自分「いいや、食べてないよ」
インド人「屋台とかで食べてない?」
自分「屋台でチキンロールとかチョウメンとか食べたよ」
インド人「それが原因でしょ・・」

みなさん初めまして。インターンの五郎です!
インドに到着して3日目になりました。今はブッダガヤ行きの列車の中で日記を書いています。
首都デリーからビハール州のブッダガヤまでは約990㎞。夕方の5時に出発して次の日の早朝4時過ぎに到着予定です。寝坊しないかビクビクしてます!

今日は私の簡単な自己紹介と、レインボーチルドレンとのつながりをお話しします。

教員時代に自分が写っている写真ってすごく少ないです

私は33歳で、大阪の大学院生です。
元々は小学校で教員をしていました。自分の好きな「ピアノ」や「人に教えること」が生かせると思ったからです。色々と思うことがあり辞めてしまいましたが、今は自分の好きな国について学ぶことができ、とても幸せに思います。

地元は福岡県の福岡市で、タモリさんや森口博子さん、氷川きよしさんと校区が同じです。海外へは、ライオンズクラブの青少年育成事業でペルーに行かせてもらったり、内閣府の「東南アジア青年の船」で東南アジアの国々を周らせてもらったりしましたが、回数が多いのはやはりインドです。

去年からインドで暮らすチベット難民について調べ始めたことから、自分の興味関心とまさに合致しているレインボーチルドレンにお世話になることにしました。今までのインターンの方と比べて期間が短いのですが、チベット人寄りの顔を生かして頑張りたいと思います。

どうぞよろしくお願いします!

さて、今回で4回目となったインドでも、初めての体験や面白いことがたくさん起こります。

  • 「なんで一人で飲んでるんだ」と横の席のインド人グループに激しく絡まれ、仲良くなる
  • ホテルのベッドで何者かに上半身だけ約60か所噛まれる(ジーンズによって下半身は守られました)
  • よりによってスラムスクールに行った際に下痢のピークが来る(スラムには利用できるトイレがごく僅か)
  • wifi難民と化す(自分が普段どれだけネットに依存しているかに驚く)
  • パハールガンジ(ニューデリー駅前のホテルや店が集まる地区)の通りが2年前と比べかなり広くなっていて驚く(警察が頻繁に来て、許可を得ていない店をどかしてます)
  • 道端でおじちゃんに「どこに行くんだい?」と英語で聞かれて、「モンゴル寺に行きたいけど閉まってるんだ」とヒンディーで返すと口をあんぐりされる。

インド楽しんでます!

これより2か月間、滞在日記や奨学生面談レポートを発信していきます!