【スラムで考えたこと】国際基督教大学4年藤本律沙


私がスラムの学校でボランティアをしようと思ったのは、自分が「貧困」だと思っている現場を自分の目で確かめたかったからです。私は幼い頃から世界平和や貧困、戦争などのトピックに興味があり、大学でも発展途上国の開発支援について勉強してきました。しかし大学在学中、貧困や戦争に苦しむ人たちを助けたいと公言していながら、実際机の上の勉強だけしかして来ずに現状を知らない自分を歯がゆく思い、しかし貧困の現場を目の当たりにすることには怖さを覚えていました。
大学を卒業する前に、貧困の現場を見ることが、自分の将来の方向性を考える上で重要だと考えました。幼い頃にマザーテレサの漫画を読んだことがあり、自分の中で最初に思い浮かぶ貧困の現場がインドだったこと、以前インドを訪れた時に貧困の現場にいくことができなかったこと、今後教育関係の道に進むことから、インドの貧困を教育の視点から見ることのできるこの団体でのボランティアを決意しました。

インドのスラムで2週間ボランティアをしてわかったことは、自分は何もわからないということです。現地のスタッフの話を通して、インドの貧困と一言で言っても、政治的、経済的、社会的、文化的など様々な問題が複雑に絡まっており、その絡まりは簡単には解けないということを知りました。また、スラムは様々な人との関わりがあり、スラムの人々だけがより良く生きることのできる状況になれば良いということではありません。さらに、私が関わったのは、数十人の生徒と、学校のそばで暮らしているわずかな人々だけです。学校の生徒は皆熱心に勉強をしていましたが、学校に来ない子どももたくさん見かけました。スラムを歩いていると多くの人が私に手を振ったり笑いかけてくれましたが、中には笑顔を向けても笑い返してくれない人も少なからずいました。以前、私は貧困の中にある人は可哀そうと思っていましたが、スラムの人たちが一生懸命に生きている現場を見て、経済的な格差だけを見て可哀そうと思うのはただの上から目線な考え方でしかないことを思い知らされ、自分が恥ずかしくなりました。

私は生まれてから日本で何不自由なく過ごし、スラムの人々は生まれてからスラムの中で過ごしてきた。相手に寄り添う、理解する、と言っても、彼らの人生を歩んできていない私は完全に寄り添い理解することは一生不可能であるということを思い知らされました。そのような現状に向き合い続けるには、人生を掛けた覚悟が必要だということ、そして、人生を掛けて向き合い続けようとしているスタッフの姿に胸を打たれました。

この2週間の経験は、私のこれからの歩みに大きな影響を受けました。どのような将来を選択するとしても、自分のすることを自己満足で終わらせず、相手の立場に立って考え続ける謙虚さと忍耐を持って人々と関わっていきたいと思っています。
ボランティア活動を支援してくださった石川さん、美輪さん、三村さん、また、現地のスタッフの方々に、感謝を申し上げたいと思います。貴重な経験をさせて頂きありがとうございました。