あれから1年(M7.8ネパール大地震2015.4.25)


 

ネパールを襲った未曾有のM7.8級の大地震から、1年が経ちました。現地では昨日より追悼行事が行われています。

ネパール地震data~Wikipediaより

規模はネパール国内で発生した地震としては1934年ビハール・ネパール地震(M8.1)に次ぐ2番目の規模でした。

震源の断層は首都のカトマンズを含む周辺一帯東西150km、南北120kmに及び、4.1m以上ずれた地域もある可能性があることが判明しました。これは同じ都市直下型地震である兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)の約30倍に及びます。

そして、多くの被害を生みました。

国別死傷者数
死者 負傷者 時点
ネパールの旗 ネパール > 8,460 > 14,398 5月15日
インドの旗 インド 78 288 4月29日
中華人民共和国の旗 中華人民共和国 25 383 4月27日
バングラデシュの旗 バングラデシュ 4 200 4月27日
合計 8,567 15,269

現在、震災関連死者数は8,959人へ増加しています(Uniceff)

ネパール2

 

今も続く余震、M4以上が今年に入って27回!

このリストをご覧下さい。日本ではなく、今のネパールの地震発生リストです。翌日で1年を迎える昨日4/24にもM4.2の地震が起きました。専門家によると、これらは昨年の4.25大地震の余震とされています。1年が経過した今でも、ネパールの人々は今なお続く余震に脅かされているのです。

ネパール
ネパール政府Department of Mines and Geology

 

ネパールの現在は?各国メディアより

猛烈な地震は、国中59の地区で9,353の学校に損害を与えました。22,401もの教室は、完全に損害を受けました。14,024の教室は大きな痛手を被りました、そして、18,942の教室は軽い損害を被りました。同様に、およそ1,200人の学生と68人の先生は、地震で亡くなりました。

地震の後、教育省は31の地区で8,000の移行する学習センター(16,000の教室)を建てました。いろいろな国家的および国際的な非政府組織は、いろいろな地区で4,000のTLC(temporary learning center)を設立しました。同様に、いろいろな組織、学生自治委員会、ビジネス企業家その他は、国のいろいろな地域で、24,000の教室を建てました。

赤十字によると、2015年4月25日の地震から1年が経った今も数万にも及ぶ人々は家がないままです。彼らの多くは、家族がない独り身の老人です。

ネパールでは政治の混乱が起きたことから、復興政策を担う復興庁の設置が地震から8か月後までずれ込みました。このため、住宅が全壊した世帯を対象とした、日本円で20万円の補助金が支給されたのは、対象世帯の僅か0.1%程度にとどまっており、IOM=国際移住機関によりますと、今もテントで避難生活を送る人たちは少なくとも80か所で2万6000人余りに上るということです。
さらに、日本を含む各国が住宅や学校などの再建を目的に表明した4500億円余りの支援も、政府の対応の遅れから十分に活用されておらず、国民の不満が強まっています。

その他海外メディアより

干ばつとインドによるひどい6ヵ月の境界封鎖は災害の影響を深めました。それは、料理のガス、燃料と水を見つけるのをより困難にしました。

地震はひどく根強い社会階層の前後関係で生じて、その階層(ひどく根強い社会的な除外)と結びつきました – カースト制度、性、民族性、宗教、年齢、障害、言語や地理的遠さのために差別の歴史で苦しんでいた弱くて取り残されたグループとともに~USA TODAY

地震の前に、ネパールの観光旅行セクターはうまくやっていました。2014年に、約800,000人の観光客がネパールを訪問しました。ネパールは、地震の2か月後にちょうど観光旅行のために再開しました。しかし、猛烈な地震は多くの訪問客を明らかに怖がらせました。そして、観光旅行数字省によると、観光客の数は2015年におよそ30%減少しました。~BBC

地震の前にさえ、幼児結婚は、ここの大きい問題でした。この4月(昨年)から、一部の両親が結婚相手を探せない娘を支えるために夫を捜すことがより一般的になりました。~昨年には、子供たちが大きい都市の仮想奴隷制度で、または、海外で働くために彼らの故郷の村から連れていかれて、人身売買の危険性は非常により大きかったです。~公式には、児童労働はここで違法です、しかし、特に建材の需要が成長している今、私は多くの子供たちが掘っていて、レンガを成形していて、それらを積み重ねているのを発見します。~CBCNEWS

 


 

レインボーチルドレンは地震の翌日4/26に緊急支援を決定し、5月、10月の2回に分けて現地を訪れました。その時のレポートです。

ネパールプロジェクトまとめ >>

 

次回、難民キャンプより、「今」の情報をお伝えしていく予定です。