▽天竺紀行 

 

天竺紀行は、稀代の天才クリエイター無限零(むげんれい)が、虹のスタディツアーに三度参加して(2014秋・2015春・2015秋)、そこで出逢ったインドやチベットにインスパイアされて書き上げた全三部作です。

舞踏、小説、ロック、漫画、絵、寫眞、モデル、演技、とその表現をとどまることを知らない無限零の世界(ワールド)をぜひ味わってください。

 

1447281429534 1447281434810 1447284503930

 

2017春に誕生した天竺紀行外伝~愛(ありがとう)に至る道~3部作はこちらより。


 

 

天竺紀行 特典文献

 

執筆終了直後の著者近景

 

1-執筆終了直後の著者近景

 

  

簡単な質疑応答

 

―小説は映画を意識していますか?―

はい。小説をまったく読まない僕が何故小説を描いたのかのルーツを辿ると…最初に描いたのは小学3、4年ぐらいの刻だったのですが、元々映画を撮りたかったんですよ。ところが機材も人材もない。なのでペンをカメラのようにして描いたのが始まりです。ところが…ペンって実は体力消耗するんですよね(苦笑)物語がいつも壮大すぎて、大抵未完で終わってました。小学生には荷が重かったんですね…苦い想い出です(笑)中学ごろからやっと完結させることができだしました。

―作中に出てくる小説は?―

作中で説明してる通りに、総てそれを原作とする漫画か映画を観ています。ただ、「果てしなき流れの果に」と「ドグラ・マグラ」だけが例外です。実は、他にも例外がいくつかあって、「星新一」や幾つかの「携帯小説」、それと「小松左京」さんの作品をいくつか…その他HGウェルズとか好きでした。「タイムマシン」と「透明人間」がおもしろい。他にも「オペラ座の怪人」とか「海底2万マイル」も大好きです。神話もいくつか読みました。後何かあるかな…ちょこちょこは読んでるんですよね。「百億の昼と千億の夜」と「産霊山秘録」は今から読みたいという作品です。果てしなきやドグラ・マグラ同様名作なのは知ってます。いつになるか解んないけどいつか読みたいと想います。

―ドグラ・マグラを読めるなら小説は全部読めるのでは?―

よく聞かれます(笑)でも、そんなにドグラ・マグラ難しいですか?オレにはわかんねぇな…ほんと、フツーにメチャクチャおもしろいし、フツーに読めば解るし、読み込めるし…ドグラ・マグラよりはるかに読破不可能な作品いっぱいありますよ。すぐ眠くなる奴(笑)本編でも語っていますが、夢野久作さんがドグラ・マグラを通して云いたい事と僕が云いたい事は同じだと想います。一言で云うと「狂人を解放せよ」なんですよね。だからドグラ・マグラの旧タイトルは、確か「狂人の解放治療」です。それが僕の云いたい事と同じだなと想います。僕が全作品を通して一番云いたいのは「自由に生きろ」ですから。夢野久作さんも僕も同じ事に疑問を感じていたのだと想います。違う点は夢野久作さんは「科学」で僕は「思想」だったということです。

―格話の最初と最後にある名言・格言は?―

ダチに昔「お前の言葉は重くて深いから名言集が創れる」と云われたことを想い出して、今廻自分の全存在を籠めるにあたってそれも入れたいと想いました。

―「我は偉大なる厄災となりて再び世に降臨するであろう」という言葉は?―

高校時代実は学校にいつもナイフ持っていってました。特に深い理由はなく、単に「カッコイイ」という理由だけです。なので使ったことが一度もなく、授業サボって屋上で「彼岸島」読んでる刻とかにたまにナイフだしてぼーっと見てたぐらいでした。すると、卒業する刻「最期ぐらい使いて~な」と想って、校舎裏に彫ってきました。「我は偉大なる厄災となりて再び世に降臨するであろう」「外道鬼畜魔王 無限 零」って。

―初の海外公演は緊張しましたか?―

よく聞かれますが…答えは「NO」ですかね。前日までは非常に緊張してました。でも、いざ当日になり、楽屋に入ると、作中でも少し表現してますが、興奮といいますか、武者震いといいますか…「はよ出番来い!!」ぐらいの勢いです。そして本番でステージに上がると…あの、実はああいうミス・ヒマラヤみたいな大きな舞台だとあんまり緊張しないんですよ。むしろハコみたいな小さな舞台の方が緊張します。というのも、小さいとお客さんひとりひとりが見えるんですよね。でも大きな舞台だとあまり見えなくて緊張しません。それに…もう本番は何も考えてないです。頭真っ白というか、トランス状態というか。だから解答は「NO」ですね

―絵は何で描いていますか?―

普段はポスカの絵の具ですが、天竺紀行は色鉛筆です。なんか…この頃絵の具出して新聞出して水くんで…ってのがめんどくさいんですよね(笑)それだけの理由で色鉛筆で描いたんですけど…結構いいですね。いや~色鉛筆で本格的な絵を描いたのは始めてですが、想像以上に良くて自分でもビックリしてます。なので、これからは「めんどくさい」という理由だけで色鉛筆を使おうかなと想ってます(笑)

―ロゴの題字は自分で描いたのですか?―

あたりまえや、それは愚問という(笑)題字は「同じ筆やろ!!」というワケでめんどくさいので筆ペンで描いてます。加えて…僕は読める字は描く必要がないと考えてます。というのも、読める字なんて現在はパソコンで描けるんですよ。だからあまり意味がない。岡本太郎さんが「書は絵だ」という言葉を残されてますが、僕もそうだと想います。絵もそうですね。眼の前にある風景は寫眞で撮ればいい。だからシュールか非現実的な絵、模様、もしくは眼の前にない風景しか描きません。

―マッド・レノンの「罪と罰」は創作ですか?―

はい。僕が創ったフィクションです。ついでに云うと「罪と罰」に曲はありません。曲も描き下ろそうかと考えましたが…めんどいんで(笑)

―SMとレイプが好きだというお話はほんとうですか?―

はい。反対にふつうのモノは見ても何にも感じません。でも…実は中学時代、性に目覚めた刻に、性の一環としてレイプや女性拷問史に非常に興味がありました。そして自分で本を読んだりネットで調べたり…果ては自分で「責め画」という女性を虐げる絵を描いていました。でも、その一環で「女子高生コンクリート詰め殺人事件」という事件を調べることになり、それを描いた映像作品があるというお話を聞いて、是非観たいと想い、観てみました。「壊れたセブンティーンたち」という作品です…あまりにも衝撃的でした。「これが本物のレイプなんだ…」とまず想いました。次に、当時僕と同世代の人間がここまでのことをしたという事実がショックでした。更に、犯行があった一階に親がいたということもショックでした。あまりにも感じるショックが多く、そして大きすぎて、言葉が詰まって何も云えません。率直に感じたのは「ああ…レイプってほんとによくないことなんだな…」というが正直なお話です。もちろん今までもそんなことは重々承知でしたが、この作品を観て心の底から実感することになります。だから観て良かったと想いますよ。なので、僕はSMに関してはMという方が現実にいるワケなので、特にはコメントしませんが、レイプや女性拷問には断固反対の立場にいます。しかし…そんな僕はというと、映像の中で、フィクションであり、演技であるということを踏まえても、女性が痛み、悶え、苦しむ様子を観て、もしくはイメージして射精するのです。この矛盾に対する葛藤はずっとあります。また…僕の性癖がこのようなカタチなので、将来嫁をもらった刻のことを考えると時々恐怖することがあります。実際にしてみないことには解らないのですが、でも、僕は嫁が嫌がるようなことは死んでもしたくないので、だから時々本気で悩むことがあります…しかし、それは先のお話なので、今はあまり深く考えすぎないように心掛けています。実際つきあうと解るのですが、つきあうだけでも価値観や思考が大幅に変わりますから、結婚となったらますますでしょう。だから実際にそういう現場にならないと解りません。

―第四十五廻の名言で、エロとプラトニックを対比させたワケは?―

18歳の誕生日に、僕のクラスでは一年の抱負を云うことになっていたのですが、皆は「受験勉強がんばりたい」とか「志望校合格」みたいなことを言うのですが、僕は「アダルトもんを観まくるぜ!!!!」と一言云いました。それ以来、毎日のようにエロを観ていました。それから二年…ふと想ったことなのですが…まず、ダチとダベッていた刻、僕のアダルトの好みに関しての話をしていました。僕の好みは、まず、女性を完全に動けないように拘束します。この刻、「弱味を握られてる」とか「怖くて動けない」といった理由で、ほとんど拘束しないまま始める場合がありますが、それはNGです。「いや、逃げろや」となってしまって冷めてしまいます。それに、M設定はいらない。「いや、抵抗しろや」となってしまって冷めてしまいます。必死で抗ってほしい。嫌がってほしい。それも難しくて抵抗の微妙な加減があるんですけどね…というお話をすると「ああ、レイくんは気丈な女性が好きなんやね」という言葉にハッとなりました。それからもずっとエロを探求すると…段々解ってきたんですけど、僕は今まで「エロ」と「プラトニック」は別のモノだと想ってたんですよ。でも、「エロ」と「プラトニック」は、実は道が違うだけで同じものを追及していて、最期にひとつになるんです。感動しましたよ。そこでこの廻はあえてそのふたつの言葉を並べました。

―小説や詩を描く上、言葉を紡ぐ上で大切にしていることは何ですか?―

言葉の並びを綺麗に描く事、言葉の選択、言葉だけで全存在を表現する…例えば、対比を大切にしています。同じ言葉でも出てくるタイミングで全然印象が変わるんですよね。だからワザと同じ言葉をもう一度持ってくることで深味を持たせたり、過去形現在形未来形を巧みに入れ替えたりも好きです。他にも、僕が会話する刻、実は5秒ぐらい間が空くことが時々あるんですけど、あれ、何考えてるかと云うと、言葉を選んでるんです。同じ意味の言葉の中から今の自分の貌(カタチ)にもっとも近いモノを探しています。それに…言葉って実は絵や寫眞、表情の役割を果たすこともできるんですよね。夢野久作さんの例ですけど…例えば「ドグラ・マグラ」って発音を聞くだけで「ドグラ・マグラ」の物語が伝わってきませんか?遺伝子に刻まれている物語のような…そう、胎児の夢のような。言葉を紡ぐ上ではこの三つを大切にしてます。

―物語を紡ぐ上で一番大切にしていることは?―

オチです。ラストシーンを一番大切にしてます。次に「最初」ですね。ある意味真ん中はどうでもいい。「名作」と呼ばれる作品の共通点って全部ラストがすごいんですよ。「2001年宇宙の旅」も「装甲騎兵ボトムズ」も「伝説巨神イデオン」も、ラストがすごいからすごいんです。だからある意味ラストさえすごけりゃ、他はもうどうでもいいと想います。今廻はもう激情のままに描いてましたので、「果てしなき流れの果て」のように物語そのものがラストシーンを探す旅でしたが、普段はオチから考えて物語を紡ぐことが多いです。

―編集作業は今廻もしましたか?また、編集は何を意識していますか?―

はい。今廻もしました。もうどの順番で描いたか忘れたけど…とりあえず最終章は最期に描きました。編集に関しては、「いや、ちゃんと順に並べろや」と云われたらおしまいなので、「この順番で読まないとあかん」「この順番の方がいい」という印象を持たせようとしています。意識としては、あまり物語は気にしてなくて、各章を楽曲のように意識して並べてます。だからコンセプトアルバムを創るイメージですね。ほぼ感覚で並べてます。これがおもしろくて、並び次第で物語が別の意味に読み取れたり、また、更に深味がでたりするんですよね。

―曲創りはどのようにしますか?―

よく聞かれるんですけどこれが難しいです…というのも、「気がついたらできてた」ってことが多いんですよね。楽器いじってたり、隙間時間とか…シャワー浴びてる刻とか多いですね。後、夢の中でできたのもあります。「パズル」の「神様救えますか」の一節は夢の中でできました。なんか知らんけど、「気がついたらできてた」でもサビから創ることが多いです。物語が「オチ」なら曲は「サビ」だと想います。だからある意味「サビ」さえよけりゃ後はどうでもいいと想ってます。「サビ」ができればそれで完成です。その理想をもっとも象徴してるのが「破滅ニ至ル瞑想」ですね。あれはサビだけで創ってる。サビだけメロディーがあって、あとは朗読にバックがインストゥルメンタル。曲創り自体は簡単なんですよ。創れと云われれば一日100曲でも創れる。ただ、その中からイイものを選んだり、組み合わせたりするのが大変です。凝るというのはそれですね。編曲を凝ってるんです。

―詩と曲、どれから始めますか?―

曲です。ただ、朗読モノは詩から創ります。あと例外が時々…「感情が壊れる日の夜」と「感情が壊れた日の朝」「遺言」は詩から創りました。だから特に「遺言」は曲創りが大変だった…(汗)なんか、想像してください。たとえば自分が好きなバンドから好きな曲をセレクトしてCDでもMP3でも創る刻、選ぶ曲って、仮に詩が良くても曲がダメならカットになりませんか?逆に詩がよくなくても曲が良ければ入ったりする。だから、曲の方が重要だと想うんです。それで曲から僕は創ります。

―今廻「読者を混乱させる」が目標の一つと聞いてますが、それは達成されましたか?また、どのような点を意識しましたか?―

達成できたと想います。今廻は頭のいい人が二回以上読んでやっと解る内容だと想います。意識したのは…例えば目線が変わる刻、「ヨーコ」から「リョーコ」に変わった刻、正式には例えば最初に「あたしの名前はリョーコ」など入れて、読者に「目線が変わった」と認識させる必要があるのですが、ワザと「この人はリョーコなんだ」と解るシーンを話の後半に入れることで「え!?リョーコ!?」という印象を読者に持たせようとしました。他にも巧みな罠(トラップ)まみれで楽しいですよ(笑)

―天竺紀行は今後どのような貌(カタチ)になるんでしょうか?―

もしこの先掲載する機会がありましたら、その刻は「天竺紀行 外伝」と称し、今までの天竺紀行は無かったことにして独立した物語を描こうと想います。実は…自由に描いてるように見えて天竺紀行には今まで「シバリ」が三つありました。まず「第二部は第一部より、第三部は第一部第二部よりレベルが高いという印象を持たせる」これは続編を創る刻のサガで、マンネリ化しないためのコツですね。あとふたつ「第一部、第二部、第三部、それぞれバラバラに読んでも楽しめるように創る」「第一部、第二部、第三部、せっかくなら順番に読んだ方が良いという印象を持たせる」このふたつが難しいです。これは「彼女はスラムの風の中」が独立した一個の完成された物語だったため、せっかくならこうする方が綺麗だな…と想って創ったシバリです。なので、このシバリにのっとると、もう今後続きは描けないでしょう。それに…それ以前に絶対につづきを描けないように今廻しましたから。なので「天竺紀行 外伝」はもうまったく新しい形態をとりたいです。ただ…多分この「天竺紀行 外伝」を創るとすれば、もう何年先になるかは解りません。

 

 

未発表寫眞展

 

天竺紀行 第一部 守 彼女はスラムの風の中
天竺紀行 第二部 破 コズミック・ラブ
天竺紀行 第三部 離 そして誰もが“ありがとう”と云った
天竺紀行 特典文献 アトガキ

して誰もが“ありがとう”と云った 挿絵 メイキング

下描き

1

ペン入れ

2

完成

3

そして誰もが“ありがとう”と云った ロゴ

 

12345678910 

 

 

天竺紀行を終えて

“いま”に魂をうった漢

1

 

「そして誰もが“ありがとう”と云った」は涙した

2

天竺紀行シリーズもとうとう最終廻となりましたが、第一部「彼女はスラムの風の中」第二部「コズミック・ラブ」に引き続き「そして誰もが“ありがとう”と云った」をお読みいただいた皆様、ありがとうございます。天竺紀行を終えて、最初にどうしても話したいことは、最終廻は自分で描いて泣いてしまったことです。お恥ずかしい話ですが、感涙の涙を浮かべてしまいました。作中にも出てきた言葉ですが、僕は作品制作のみならず万物あらゆる分野において「自己満足」が最低条件であると考えています。だから僕は自分の作品は総て大好きなのですが、今廻の作品はその中でも特別な意味があったと想います。「そして誰もが“ありがとう”と云った」に際して始めに話したいのは、最初はこんな壮大な物語になるハズでなかったことです。最初に漠然とあった構想は「僕以外の女性を主人公にする」ということでした。この構想は実は「コズミック・ラブ」を執筆する前にすでにあった構想です。ふと降りたアイディアでしたが、スタディーツアー感想文を描くにあたって、主人公をあえて自分でない人にし、その人目線で僕の旅を描く…というのは非常におもしろいのでないか、と想ったのです。

 

守破離

3

そのアイディアをどの段階で使うのか…と考えた刻に、「コズミック・ラブ」のアトガキでも描きましたが、天竺紀行には三部構成のコンセプトがありました。第一部:エンターテイメント路線、第二部:コアな方に向けた危険で難解な路線、第三部:エンターテイメントでないが落ち着いた路線、という三部構成のコンセプトです。これで云うならそのアイディアは第三部にピッタリではないかと考えました。更にここで加えて云うと、「第一部 守」「第二部 破」「第三部 離」と「守」「破」「離」という言葉は何ぞや?と想われた方は少なくないと想います。これは「守破離」(シュハリ)という言葉からとったモノで、「守破離」とは、刺青師の方から伺った言葉ですが、師弟の間で最も大切とすることだそうです。「守」は「伝統を守る」こと、「破」はそれだけでは進歩がないので「伝統を破る」こと。それは「師を裏切る」という意味でなく「師を超える」という意味です。そして「離」は「自分を離れる」こと、つまり「自分を超える」ことです。これは「コズミック・ラブ」執筆中に伺った言葉ですが、漠然と「「第一部 守」「第二部 破」「第三部 離」ってカッコイイな~、何かに使いたいな~」と想ったのがキッカケで、「あっ…天竺紀行、まんまそれや」と想ったので「第一部 守」「第二部 破」「第三部 離」とさせていただきました。

 

来年死ぬ気がする

4

そんな単純な構想からこれほど壮大な物語が紡がれたワケは二つあります。まず始めに、作中でもお話ししましたが、昨年に引き続き今年は何もかもが上手くいきませんでした。するとこの頃朝起きる度に想う事があります。「来年死ぬ気がする…」ということは今年の作品が僕の遺作になります。現段階では事実上「ミス・ヒマラヤの暗黒舞踏」と「天竺紀行 第三部」が僕の遺作になるでしょう。そう考えた僕は、この二作に、僕の人生の総てを籠めようと考えました。まさに背水の陣です。すると…主人公であった女性の過去と未来の構想が次々に浮かびました。なので「ヨーコの過去のエピソード」と「死ネ死ネ團のテロ活動」の構想はツアー前からあった構想です。

 

恋をした

5

次に、ツアー中恋をしたことです。多分、「「ヨーコ」と「ライトちゃん」にモデルはいるのか?」と気になった方は多いと想いますが、結論を申し上げるとその解答は「YES」です。ただ…複雑なのは先述した通り、「ヨーコ」に関してはツアー前にある程度のキャラクター設定が完成していました。そこに「ヨーコのモデル」となった女性を入れ込んだカタチになるので、「ヨーコにモデルがいる」というのは少し微妙なんですよね。「ライトちゃん」も含めて僕自身も違う人と思って描くよう心掛けていたこともあり、少々歪なカタチだと想います。まっ何にせよここで重要なのはツアー中に恋をしたことで、それに際してのお話は今廻のツアー感想文に必需であると考えました。その結果、最初から壮大だった物語が更に壮大になったのです。

 

ヨーコと彼女

6

ヨーコのキャラクター設定についてのお話をすると、最初にあったのは「オレと対照的な性格の女性」を主人公にしたらおもしろいんじゃないか?ということでした。なので、属に云う「ツンデレ」と呼ばれる性格の女性でしたが、そうすると疑問が出ました。どうしてもその性格と「ヨーコの過去」が一致しなかったのです。高校時代にその性格なら判るのですが、少なくとも今はそんな性格なハズがない、と考えた結果、「オレとオレの旅路を客観的かつ冷静に観てもらう」という意味を込めて、知性的かつ論理的思考を有している物静かで冷静な女性にしました。では、モデルとなった女性とヨーコの相違点が如何なモノか?というお話は、ライトちゃんとそのモデルとなった女性との相違点も含めてみなさんの想像におまかせしたいと想います。ただ、一つ申し上げたいのは、ヨーコの過去と未来に関してはオリジナルです。更に云えばツアー中のエピソードに至ってさえ、オリジナルのエピソードも多くあります。ただ…僕が考えるのは「表現」として考えた刻に、オリジナルも含めてモデルとなった女性の何らかを表現しているのでは?と想う刻があります。というのも…まず、皆さんも描いたら解ると想いますが、物語って、実は描いてて「自分が創ってる」という実感が無いモノなんです。登場人物たちが勝手に動いてるのを後ろから一生懸命メモしてるような気持ちです。だから僕が考えるに、物語…も含めた「作品」というモノは、元々何処かにあるモノだと想います。そして、元々あるモノに近ければ近いだけおもしろいのです。だから、おもしろい作品であればあるだけ、それは実はノンフィクションなのだと考えます。だから、オリジナルの部分に際してまで、実は彼女や、彼女と僕との何かを表現している気がします。例えばそれは過去世の繋がりだったり、或いは未来の事。他にもツアー中や日本で過ごしていた刻に起きた出来事を抽象的表現…と云いましょうか?物語という媒体で象徴化したのかもしれません。そう考えると僕自身でさえどこまでが彼女でどこまでがヨーコなのかは解らなくなってしまいます。なので、それはみなさんで想像してください。それはそれで楽しいかも

 

壮大すぎる…

7

執筆するにあたってまず始めに想ったのは、「こんな壮大なテーマ、ホンマに描けるんかいな」です。「調和という名の拘束との闘い」「日本の歪み」「日本人の醜さ」「オレの思想」「日本人は何処から来て何処へ逝くのか」「日本に希望はあるのか」「強さとは」「孤高の戦士の生き様」「男と女」「生きる意味」「ヨーコの過去と未来」「悪夢屋敷殺人事件」「死ネ死ネ團のテロ活動」「オレとヨーコとライトちゃん三人の結論」そして「愛」。ツアー中にテーマをまとめるとあまりのテーマの壮大さに恐怖さえしました…それもあってツアー後半の段階から執筆を始めました。石川さんにお願いしてホテルにカンヅメになり、執筆をしていたというエピソードは事実です。まさに作品の尾から頭に往く頃には尾を忘れているんじゃないのかという脅迫概念にかられ、ものすごい勢いで創りました。なので文章そのものはホント一週間もしない内に描き上げました。水呑む酒呑むトイレに往く以外の時間はずっと机に向かって描いてました。いつの間にか時間の流れや空腹感も忘れています。描き上げて「よ~オレ創ったな…」と自分に感動しましたよ(笑) 気分は戦艦大和を独りで創った気分です。あっ、感涙の涙はそれとは違いますよ(笑)

 

最終廻はかなり悩んだ

8

物語が壮大すぎることもあってか、作中でも話しましたが今廻は最終廻にかなり悩みました。正直云ってこんな壮大なテーマの物語をまとめられるとは想ってませんでした。「この物語に最終廻はないんじゃないのか?」とさえ想いました。というのも、この物語はヨーコとライトちゃんとオレの三人の物語で、この三人の結論がでない限り描けない気がしたのです。いや、描いてはいけない気さえしました。では結果どうやってあの最終廻に往きついたのか?というと、切っ掛けはYちゃんです。Yちゃんと飛行機の席が隣逢った刻に、Yちゃんに「最終廻を悩んでる」というお話をしました。因みに彼女は二人にモデルがいることは知りません。すると彼女が一言云ったのが「ヨーコと結ばれへんの?」でした。この一言が全部の切っ掛けです。「そんな、恥ずかしいやんか」「作品制作で自分の感情に振り回されたらあかんちゃう?素直になったらええやん」と…まるでヨーコにモデルがいることを知っているかのように話されました。その言葉が妙に心に残っていて、その言葉についてを考えていました。

 

主人公は無限零だった

9

物語を紡いで想ったのが、僕は主人公を「ヨーコ」にしたツモリだったのですが、この物語の主人公は「あっ…オレだ」と想いました。おもしろいことに目線はヨーコの目線から紡いでいるのですが、そこにはいつも「無限零」の存在がいます。だからこの物語は「外道鬼畜魔王 無限 零」を中心に成り立っていたのです。すると…最終廻を描くにあたって、「外道鬼畜魔王 無限 零」を何とかしないことには話にならないと考えました。だから率直にした行為が、「こいつはたまたまオレと同じ名で、オレと似た性格、似た価値観、似た人生経験をしているだけの違う人間なんだ」と想うことにしました。この段階で始めて知ったのですが、僕はまず主人公が自分であることに囚われていたのです。それもあって最終廻を紡げなかったのだと想います。そういう目線でもう一度「彼女はスラムの風の中」と「コズミック・ラブ」を読んでみました。すると率直に感じたのが「彼を休ませてあげたい」でした。

 

愛のむきだし

10

もう一つの大きな理由は、やはりヨーコとライトちゃんです。彼女達にはモデルがいる…それがやはり大きい。しかし…執筆中に想ったことがありました。まず「恋」は「独りでするモノでない」ということです。逆に云えば、だからこそ総ての結論である最終廻に苦しんでいたワケだし、そして、それは執筆中でさえそうでした。執筆中、まるで自分の躰を引き裂かれながら描いているような、そういう激痛に耐えながらの執筆でした。作中でも云ってますが、それが故に今廻は描いてて楽しいなんてこれっぽちも想ってません。むしろ苦しかったです。それは今に至ってさえそうです。でも…想ったことが、「恋は独りでするモノでない」けど、考えてみてください、彼女達は云っても他人であり、僕ではない人間です。ということは、僕がどんだけあがいても彼女達のことはどうすることもできないワケです。すると、僕がするべきことが解りました。僕は「恋は独りでするモノでない」という事を解った上で「一方的に愛情表現すればいい」ということです。後は彼女達の判断にゆだねればいいのです。すると自然に「愛のむきだし」という言葉が浮かびました。気づかれた方もいると想いますが、「サソリ・ヨーコ」は園子温監督の「愛のむきだし」に登場する「サソリ」と「ヨーコ」から来てます。それは「サソリとヨーコか…サソリ・ヨーコ…あっ、サソリ・ヨーコってカッコイイな」という単純な理由ですが、園子温監督の「愛のむきだし」の意味が執筆中に解りました。「とにかく愛情表現をせよ」「愛を恥じるな」ということです。そして「オレはオレ、お前はお前で一方的に表現すればいい」という結論に至りました。告白もできんでウジウジしてるガキより異常恋愛に走るヤツのほうがマシで、人前でも何処でも堂々とキスすればいいし、公園のベンチででもヒザマクラで寝りゃいい。よくよく考えればそれがホントの僕でした。だから僕は何の気兼ねもなくオレの想ってる全存在をブツければいいのです。そして、女性サイドからすれば災害みたいなモノかもしれませんが、僕が全力投球した愛情表現に同じかそれ以上に全力投球で返事をしなければならない、それに返事をしないのは失礼だから。ただ、ひとつ云うのは「必ずYESと云え」なんてそんなバカな話はありません。もし「嫌い」なら「嫌い」を全力投球すればいいし、「何にも想わない」なら「何にも想わない」を全力投球すればいい。一番良くないのは「何にも応えない」ことで、次に良くないのは「嘘をつくこと」。それで誰かが傷つくことや、自分さえ傷つくことをためらってはいけない。未来のことを考えると正直に洗いざらい云ってしまうことが一番良いのです。

 

涙の意味

11

この二つがあって最終廻がホントに最期の最後で決まりました。「ダラム・サラで療養生活する」。Yちゃんの云う通りですよ。恥も尊厳も棄てて、もう素直になろうと想いました。元々今廻で「絶対つづきを描けないようにしたい」という意識もあったので、このラストにしました。しかし、最初は第五十四廻で終わるハズだったのですが…突然つづきが浮かんだのです。最初に何と無く描いた「涙の意味」についての話、そして途中途中でも何故か連呼していた「涙の真実の意味」その応えが浮かんだのです。そしてあのラストシーンに至った瞬間、僕自身が泣いてしまいました。この世界のあらゆる物語…悲劇も喜劇も全部が一つのラストシーンに至るための過程にすぎず、そしてそれらの一つでも欠いてはそのラストシーンに至らない。つまりこの世界に無意味なモノは何一つとしてない。そのラストシーンは「ありがとう」なんだと想い、涙が浮かびました。これが全部の応えだったんです。そして、僕はずっとこの応えを求めてきてたんだ…そのことに気づいて涙しました。

 

“誰も独りでは生きられない”

12

僕が子供の頃、ビーストウォーズというアニメがリアルタイムであって、大好きで何百回も(今でも)観てるのですが、このビーストウォーズの第二部にあたる「メタルス」というシリーズの主題歌で「そうさ、誰も独りじゃ生きていけない」という歌詩があります。これを最初に聞いたのが…確か、幼稚園の頃じゃないかな…そのぐらいの頃に聞いて何か知らないけどショックでずっと胸に響いてました。当時は「そんなワケない!!」とずっと想ってました。というより、その言葉を認めること自体に「非力」や「虚無感」を感じていました。僕は物心ついた頃からずっと孤高を好んで、独りで強く生きようと必死でした。しかし…ヨーコのモデルとなった女性なんですよ。インドでの彼女との関係って、結局は助けて助けられての繰り返しで、貸し借りのない関係だな…と想いました。僕は女性の世話になることや、女性に見下されることに最上級の屈辱を感じる性格なんですが、この刻は「あっ…こういうのも悪くないな…」と想ってました。すると自然に浮かんだのです。「誰も独りでは生きられない」これは素晴らしい言葉なのだと。反対に、もしも「独りで生きられる」ならば、その時点で生きてく意味なんてない、そう悟りました。僕はもう古い考え方の人間なのかもしれません。でも、この「貸し借りのない関係」って云う程簡単じゃないですけどね。僕の今までの人生ではヨーコだけです。

 

ふたり

13

執筆終了後のある日、僕は夜に酒を500mL~1L呑むのが普段絶対に欠かさない習慣なのですが、酔った刻に何と無くヨーコと僕のダラム・サラでの生活をイメージしていました。すると…何か、白いロゴハウスのある庭で、ふたりがじゃれ逢って、ふざけ逢って、抱き逢って、助け逢っている光景が浮かんで「あっ、綺麗だな…」と想ったのがキッカケで、酔った拍子に一気にその光景を絵にしました。すると、何かその景色を少しでいいから描きたくなってきました。そこで“ふたり”という物語を外伝に描きました。描いてて想ったのが、きっとこれが僕の理想の暮らしなんだな…と想いました。贅沢でなくていいし、ささやかでいい、小さな家でいいから、たった一人のパートナーと、ずっとふたりっきりでこんな風に暮らしたい…それがきっと夢なんだな、と想いながら描いていると、何かしら溜息を深くついて、呑み直しました。その後、何と無くまた机に向かって描いてみたんです。最初何を描こうか悩んでいましたが…「あっ、そういえばオレ、キスシーン一度も描いたことなかったな…」と想い出しました。そして産まれて始めてキスシーンを描くことになったのですが…あまりにも綺麗過ぎて感動してました。「照れる」「恥ずかしい」というのが一番の理由で、今までキスシーンを描こうとさえ想ってなかったのですが、今廻ホントに偶然のように描いてしまいました。ホントに綺麗ですね…僕が今まで描いてきた絵の中でも特に好きな絵に仕上がりました。

 

「そして誰もが“ありがとう”と云った」はウソ

14

「そして誰もが“ありがとう”と云った」はウソなんです。リアルじゃないんですよね。それは僕が必要としていただけで現実ではない。今廻は二つの目標の元に創りました。「前廻果たせなかった読者の頭を混乱させるという目標を達成する」「20年生きてきたオレの全存在を籠める」この二つを念頭に、ひたすら描き綴りつづけると、20年の全存在がヨーコとの関係にまとまり、そしてFar Beyond the Futureに至りました。それもあってツアー編に至ってさえ、ヨーコとライトちゃんとの人間関係と想ひ出が目立つ作品となり、またオリジナル要素も大変盛り込まれた作品となりました。でも明らかに「感想文」から進化した、もはや感想文から独立した作品となりました。作中でヨーコが比喩している通り、「トカゲ」が「恐竜」になり、「ゴジラ」になったようなモノです(笑)ふとしたことで始まったこの天竺紀行シリーズが、ここまで大きくなるとは想いもよりませんでした。その総ては石川さんのおかげです。ほんとに感謝しています。そして…最期に幕引きを飾ったのはヨーコとライトちゃんです。彼女達にも感謝しています。

 

やれるだけのことはやった

15

執筆終了は午前3:25のことでしたが、執筆終了直後、すぐ二人に連絡をいれました。執筆終了しての気持ちというのは、彼女達が涙してまで感動する傑作になった気もすれば、彼女達の全存在を否定するような駄作を創った気もする…というのが正直な気持ちでした。その旨をお二人にお話ししました処、嬉しかったのはヨーコのモデルとなった女性から「レイ自身が満足できる作品が出来上がれば、それで、充分だと思う」というご返事をいただいたことです。恋のラブレターとしても日本社会に対する牙としても「やれるだけのことはやった」と想いました。あとは彼女達…僕が叫びかけたみなさんにゆだねたいと想います。そして、僕自身の今の正直な気持ちは、ただヨーコを感動させたい…これだけです。だからこの世でただひとり、ヨーコのモデルとなった彼女に涙して感動してもらえたなら…それだけで満足です。

 

グロテスクな表現や性描写、LIVEシーンは必要不可欠と考えた

16

今廻は眼を背けたくなるような表現が多々あったと想います。それは僕の全存在を籠める…というコンセプト上必要不可欠と考えました。というのも、グロテスクな表現や性描写は、僕の中では「真実」の姿です。「君のグロテスクは綺麗だな 皮が剥がれて骨が突き出てる」という詩が未発表曲の中にありますが、グロテスクって美しいですよね。内側っていうか、ホントありのままの真実を映してるみたいで。でもオレの中でも好き嫌いはあって、難しいですけどね。好きなグロテスクと嫌いなグロテスクがあります。今廻表現したグロテスクな表現や性描写は、僕の中では日本の真実の姿を表現しました。これは「調和という名の拘束との闘い」を表現する上では必要不可欠と考えました。更に云うと僕の全人生を表現するのであったなら、LIVEシーンも必要不可欠と考えました。僕は舞踏に小説、漫画、絵、寫眞、モデル、演技…と様々な活動をしています。僕が監督・脚本・編集・出演・音楽をして映画を撮りたいとも考えてます。しかし、やはり僕の中で一番中心的なのは「音楽」なんですよね。だからLIVEシーンは必要不可欠と考えました。

 

LIVEシーンの表現

17

LIVEシーンをどう表現するべ…となった刻、まずリアルなライブをするように、曲目を決めました。あとはあまり肩に力を入れず、歌詩を載せてLIVEレポートを描くような気持ちで描いていました。でも厄介だったのは…ふつうLIVEレポートって、読み手は曲を知っているという前提で描くんですよね。ところが今廻は虹のスタディーツアー感想文という媒体で描くのだから、読み手はまず曲を知らないという前提で描かなければならない。すると…一体どこまで表現したらいいのかてんでわかんないんですよ。推敲の段階でも、最期の最後まで念入りに推敲したのはLIVEシーンでした。でもやっぱり楽しかったですね。やっぱり僕は音楽をする人なんですよ。頭でリアルなLIVEをイメージして表現するのがもうほんと楽しかったです。

 

悪夢屋敷の被疑者は日本人の縮図にしたかった

18

オリジナルキャラクターのヒロノブ・ヤスコ・イトウ・リョーコ・サトウは日本人の縮図のように描きたいと想いました。意識していたのは、みんな空っぽ人間で、仮面が段々と剥がれて見苦しい姿を曝け出す…というのを意識していました。でも、描いてて想ったのは「リョーコ」だけは違ったな…と想いました。彼女の生き方は結構好きでした。彼女の哲学も痛い程理解できます。「全部意味ナシだから壊して生きるしかない」「何のために生きてたんだってあたし達を苦しめる何者かに思い知らせてやる」痛い程に理解できます。描いてて彼女を抱きしめたい程の気持ちになりました。彼女は他のくそっくらえな人間共と違って純粋だったと想います。ああいう純粋である故に傷つき、苦しみ、闘う女性は大好きです。ダチにああいう人はほしいなと想いました。リョーコの趣味もめっちゃ興味あるし…「リョーコ・プランでデートしよ~」と云いたいですね(笑)僕も誘いますよ~、心霊スポットや廃墟廃村巡り(笑)反対に描いてて一番嫌いだったのは「イトウ」ですね。彼はもう大っ嫌いです。というのも、僕はああいうなよなよしたブレブレな奴嫌いなんです。芯がないんですよ。あいつ根性無いですよね。僕と近い人間って、心に層があったら、どんなに傷つこうがどんなに打たれようが何があろうが絶対に変わらない一線があります。でもこいつまったくない。もうホント大嫌い。女でもそういう奴は大嫌いだけど、まだ女なら赦せるわ。男でそうってのはもう最低だと想う。日本男児の恥じです。何かああいう奴見るとこずきたくなってくる。「焼きそばパン買ってこい!!!!」ってパシリたくなるわ。鍛えてやりたい。リョーコちゃんよくあんな奴とつきあえたよな!!オレの方がずっといい漢だぞ!!!!(笑)サトウはもう嫌い通り越してどうでもいいわ。「とっとと消エロ」って感じ。もうベクトルが違うよね。でもサトウみたいな日本人が一番多いんだろうな…と想って描いてました。「白紙」とか「透明」って感じの人。リョーコちゃんよくあんな奴崇拝したよな!!オレの方がずっと…(以下略)

 

オレの後継者を求める小説でもあった

19

「そして誰もが“ありがとう”と云った」を執筆した意識には、「ミスターK」や「犬神」のような人が現れてくれることを祈っての執筆もありました。つまり僕のこの作品を読んで、僕の意志を受け継いでくれる人が現れてくれる…そういう幽かな希望を籠めての執筆でもありました。これはツアー前に懐いていた構想ですが、僕が「来年死ぬ気がする」からです。ゼノディストピアやゼノファンタジアを執筆したワケもそこにあります。あれは僕の思想を卒業論文を描くような気持ちで描いたモノですが、その他のエピソードと一緒に読むと非常に僕の思想というモノが解りやすいと想います。

 

Far Beyond the Future―雲の向こうの太陽―

20

天竺紀行シリーズ…というのは実はまだ最終廻を迎えてないと考えます。まず「そして誰もが“ありがとう”と云った」そのものがまだ終わってない…というのも、あれは僕の最終廻なんですよ。次は、ヨーコとライトちゃんのモデルとなった彼女達に物語の最終廻を紡いでほしいと願います。そして…その三人が紡いだ最終廻が絡まり逢うことで始めて「そして誰もが“ありがとう”と云った」は最終廻を迎えることができると考えています。それは実はみなさんもそうです。僕が死をも覚悟して描いた天竺紀行シリーズの、そのラストシーンは、みなさん独り独りに紡いでほしいと願います。そして、みなさん独り独りが紡いだラストシーンと僕の紡いだラストシーンが絡まり逢うことで始めて「天竺紀行シリーズ」は最終廻を迎えるのだと考えます。そして…僕が最期に云いたいことは、「運命は変えられる」ということです。例えばこの物語、「ヨーコ」と「レイ」は始め結ばれるハズのない二人でした。ところが、ふたりは最終廻に結ばれました。それは何故?結局ふたりの“想い”というものが往く処まで往って“結ばれる”貌(カタチ)になったからです。つまりふたりは「運命」を変えたのです。現実の僕等、ヨーコのモデルとなった女性やライトちゃんのモデルとなった女性と僕との「運命」はどうなるか解りません。彼女達の想いによってもそれは変わっていくものだから。でも、それでも「運命」というものは変わるもの。それを変えるのは結局「想い」を「貌(カタチ)」にした、その「貌(カタチ)」の力。それは「自己表現」です。「運命」を変えるのは結局「自己表現」です。皆さんにもそれを忘れないでほしい。僕は実はこの「そして誰もが“ありがとう”と云った」の執筆、本音を云うと最期の最後まで悩みっぱなしでした。僕等三人にとって、ほんとうにこれでいいのか…という疑問は実はアトガキを描いている今に至ってさえあります。でも、僕はやれるだけの全力を尽くして、考えうる限りの全力を持って、この結論に至り、そして表現しました。こうして「貌(カタチ)」となったものがどういう意味を後世に持つかは解らない。彼女達に贈ったメールの文章通り、最良の結果になるかもしれなけば、総てを壊す結果になるかもしれない。でも、全力を出し切って正直にブツけた想いというものは、どのような結果にしても、何十年何百年と経ったFar Beyond the Futureに「ああ…ほんとうに良かった」と想えるものです。だからみなさんも、何も気にせずに全力を出して正直に「自己表現」をしてほしい。その遥か先に、必ず“雲の向こうの太陽”が待っているのだから。

 

日本に来た経験のある外国人は皆「日本はおかしい」と云っていた

21

実は…インドを訪問する前に留学していたのですが、その留学先で「あなたはまず日本人にしてはとてもおもしろい」と云われ、僕には話して良いと想ったのでしょうか「まず東京の電車に乗った刻、あまりにもピシッ、ピシッとおとなしく並んでるのがカルチャーショックだった。『なんで皆こんなにおとなしいの!?』と」「あなたの前に居てたホームステイの人が17歳の女の子で、医者になりたいと言っていたのだが、どう考えても医者になりたいとは想えない。彼女の親兄弟が皆医者だから医者になりたいと言っているようなんだ」「日本で一体何が起きてるんだ」と僕に聞いてきました。なのでそのまま話しました「まず…オレは日本人は自分に素直じゃないと想うんだ」と云うと「ああ!!」と云ってメッチャ納得されてました。「WHY?」と聞かれたので…後は天竺紀行で云うままですね。「オレの考えではそれは日本の教育にある」「日本の教育は自己表現=惡と定める教育をしている」「街で嬉しくてはしゃぐ子供を叱りつける親の姿がよく見かける(その場の皆が絶句されてました)」「だから日本人は自己表現は悪い事だと思い込んで、自己表現しなくなった」などと話すと「なんて哀しいの…」と云って泣かれてました…

 

「日本は変わらなければならない」

「オレもそう想う。だからオレは日本の問題を破壊したい。日本人を救いたい」

「どうやって?

「オレはたまたまクリエイティブの才能に恵まれたと想っている。

だからクリエイティブ活動を通して日本を変えたい。

それがホンモノのロックだ」

「でもそれは難しい…」

「そうかもしれない…

でも、誰かがやらなければならない。

オレがやらなければならない。

オレがやらなくて誰がやる」と云うと

 

「イイ夢だ…グッド・ラック!!!!」と一言云ってくれました。

 

 22